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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 第3章『盲目的ラブロマンスは犬も食わない』
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第57話 憎しみが集まる場所

 突然現れた巨大な生き物を前に、サラは驚きのあまり開いた口を塞ぐことができなかった。



「雨を降らす、空飛ぶクラゲ……? まさかこの状況で、こんな都合のいいものを的確に呼び出したっていうの?」


「呼び出したんじゃない。ワタシも即興で創ってみたんだ。力が及ばず、残念にも寿命はもって五分程度だが……この辺りを沈静化させるだけならば十分だろう」



 半透明の巨大クラゲは、まるでたくさんのフリルがあしらわれたレースを空に敷いたかのように四つの足を宙に投げ出し、体内に蓄えた水を絞り出していく。

 伸びた足はじきに身体を中心に回転を始めて、足に伝った水はスプリンクラーのごとく地面へと降り注いだ。


 雨粒ひとつのサイズは成人男性の拳ほどの大きさで、今新しく落ちた一粒がサラの頭に落ちてピッチャン、弾ける。

 濡れないようにとヴィクターが三人の頭上に傘をさしたのは、それからのことだった。



「わっ!? ちょっと、消火活動を手伝ってくれるのはありがたいけれど、アタシ達までずぶ濡れにしてどうするのよ! ――って、あれ? この雨……あんこの味がする」


「サラ……本当に?」



 サラの言葉を聞いて、半信半疑でクラリスが袖に付いた雨粒を指で掬って口に運んだ。

 たしかに甘くて、美味しい。お汁粉みたいだ。口当たりはしっとりなめらかだが、普通の水と同じでベタつくこともなく、サラサラしている。

 まさか水まんじゅうから着想を得たとは、この味のことを言っているのだろうか。



「どう、クラリス? 甘くてキミ好みの味になったかと思うんだけれど」


「美味しいは美味しいけれど……雨に味をつける意味なんてある?」


「お得感があるとは思わないかね。キミだって、薄ら味がついた水を好んで飲んでいるだろう」


「ペットボトルの水と雨水じゃあ、また話が別でしょ。それに私が飲んでるのは柑橘系の味がするやつだし」


「……改良の余地がありそうだね」



 そうこうしている間にも、甘美な雨は着実に火の勢いを弱めていた。

 ヴィクターが言った通り、きっかり五分。体内にある全ての水分を放出し終えた巨大クラゲは、すっかり干からびた全身を力なく震わせると、粉となり風に乗って消え去ってしまった。



「……すごい。本当に火を消しちゃうなんて」



 こればかりはサラも心から感心したらしい。

 まだわずかに火の手は見えるが、緊急性を要するほどでもない。目立った建物の崩壊も無く、ヴィクターの助けが無ければ炎の被害は町全体に拡大していたことだろう。


 三人の頭上の傘が消えると、ひと仕事を終えたヴィクターが軽く息をつく。

 彼は簡単に言っていたが、どうやらあれだけの大きさの生き物を創り出すという行為は、体力の消耗もそれなりにあるらしい。

 クラリスの背中越しに聞こえた声は、いつもより疲れの色を濃く含んでいた。



「ワタシにかかればこんなものさ。それで……あのラヴとかいう魔獣はどこにいるのかね。歩いて探すのも面倒だ。このまま空から探した方が効率もいいだろう」


「ええ。とりあえず人が集まってそうな場所を探しましょ。きっとラヴはそこにいるはずだから」



 サラがそう言って合図を送ると、花馬は高度を下げて町の上空を滑り回った。

 炎と煙が落ち着いたことで、地上の見晴らしはだいぶ良くなっている。どうやら住民の一定数は避難を始めていたようで、郊外に近い部分には荷物をまとめた住民達が集まって町の様子を見守っていた。



「……こっちじゃないみたいね。もっと中心の方にいるのかも」


「サラ、ラヴくんの居場所が分かるの?」


「あの子の体質を考えればね。そういえば……さっきは話の途中だったっけ。クラリスはラヴに会った時、あの子が言ってたことってなにか覚えていたりする?」


「うん。たしか、自分のことを()を司る魔獣だって。あとは恋のキューピットだとか愛の伝道師だとか、なんか色々言ってた気がする」



 よく覚えている。あの強烈な自己紹介の後、結局彼は周りで起きている喧嘩など止めることもなく、さっさとどこかへ走り去ってしまったのだ。

 するとクラリスの話を聞いたサラは、呆れた様子で「やっぱり」と口にした。



「クラリス……それはね、全部ラヴの嘘なの」


「嘘?」


「そう。本当のあの子は()()を司る魔獣。人によってどの程度の影響を受けるのかは変わってくるけれど、あの子がそこに存在しているだけで、周りにいる多くの人間達の負の感情を引き起こし、争いを起こさせてしまう。だから噂を聞きつけたアタシ達魔法局が保護をすることにしたの。このまま放置しておけば、人々の矛先が町の外まで向いたとしてもおかしくないわ。……ラヴ本人にそうさせる気がなくてもね」


「そんな……」



 花馬が宙を滑り、町の中心までやって来たところでサラが停止するよう合図をする。そこは、クラリス達がラヴと出会ったあの商店街であった。

 逃げ遅れたのか、地上にはまだたくさんの人間が残っている。だが、様子がおかしい。

 よく見ればそこにいる人間達は――互いを傷つけあっていたのだ。殴る、蹴るなどは序の口で、鈍器や刃物を持ち出している人間もいる。



「ヴィクター、これ……スモーアの時と同じ……」


「Um……近いようだが、これはもう少しタチが悪い。あの時はエイダくんのクッキーを取り合っている上で起きた必然的な争いだったが、これは……人間同士で相手に害を及ぼすことを目的とした、不毛な争いだ」


「つまり?」


「理由もなく、彼らは他人と憎しみあっているということだよ。あの時と同じく、魔法(魔獣)の影響を受けた錯乱状態なことには変わりはないがね」



 そんな理不尽なことが本当に起こり得るのだろうか。いや、実際にもう目の前で起こってしまっている以上、受け入れざるを得ない。

 たしかにヴィクターは言っていた。天使や悪魔と呼ばれる魔獣は、存在するだけで周囲に影響を与える災害なのだと。その影響がまさかこれほどのものだと、あの時は誰が想像することができただろうか。

 クラリスは言葉を失って、地上から一度目を逸らした。すると、その視界の端になにか白いものが映り込む。



「あれ? あんなに大きなシンボル……この町にあったっけ」



 それは、近くの商店の大きさを超える見知らぬオブジェクトであった。

 あんなにも目立つものがあれば、最初に来た時に気がつくはずだ。あんなにも大きくて、丸い――柔らかな体毛に囲まれたソレの存在なんて。



「あれは、違う……いた! ラヴよ!」



 サラが声を上げると、花馬は宙を蹴り、滑空を再開した。



「ラヴくん!? あの……大きなふわふわが?」


「そう! ああいう魔獣は周りに影響を与えれば与えるほど力を増すんだけれど、短期間でまさかあそこまで成長していたなんて……クラリス、ヴィクター、ここまで来たからには最後まで手伝ってもらうからね!」



 花馬が加速し、白い球体(ラヴ)の元へと近づいていく。

 体毛に埋まっていて分からなかったが、よく目を凝らすとその毛の塊の中には足があって、耳があった。

 耳の大きさは約七メートル。花馬に乗った三人が接近したことに気がついたのか、畳まれていた耳はアンテナのごとくぴょこんと上を向いた。



『誰……誰が来たの……? また俺に、酷いことを言いに来たの……?』



 叫んでいるわけでもないのに、その震えた声は上空のクラリス達の耳にも確かに聞こえていた。



『俺はただ、みんなを止めたかったんだ。争わないで、肩を組んで笑えばみんな仲間だって、言いたかっただけなのに』



 耳を澄ませば聞こえてしまう怒号、悲鳴。目を開ければ見えてしまう血、炎。

 聞きたくない。見たくもない。だから伏せていたのに。大人しくしていたのに。なにも悪いことなんてしていないのに。与えられるのは怒りの感情と、絶え間ない暴力の這い寄る気配だけ。

 ここに自分の愛したかったラァブ()は存在しない。



『どうしてみんな、俺の話を聞いてくれないの! どうしてみんな争うの! どうして、どうして……』



 ラヴの鼻がひくりと動く。

 近づいてくる。感じる、小さな憎しみの感情を。知っている、この小さな感情を早く摘み取らなければ、やがてそれは大きな憎悪に繋がってしまうことを。更生させなければ。だって彼はまだ見習い。なりたかった愛を司る魔獣になるための近道は――これ以上、余計な憎しみを増やさないことだと悟ったからだ。


 顔を上げたラヴの目に灯されていたのは、憎しみを憎む負の感情。

 憎悪の魔獣(ラヴという悪魔)の血の涙を流したかのような赤い瞳は、彼を見下ろす三人の人間達に向けて、今開かれた。

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