第56話 ひらりひらひら花びらに誘われ、戦火へ
燃えている。なぜ、こんなことになっているのか。それは外から見ている彼らには分からない。ただひとつ分かることは、あの状態で町に取り残された人々を放っておくことはできないということだ。
サラはこの光景を目にするやいなや、誰かへ電話を掛けていた。きっと、ラヴを捕まえる準備をしに行ったというダリルにこのことを伝えているのだろう。
「――うん、分かった。それじゃあアタシは住民の避難を優先にラヴを探すね。ダリルさんも、気をつけて戻ってきて。それじゃあ」
サラは通話を切ると、クラリス達へと振り返った。その目には、先程までの彼女からは想像もつかない、覚悟の炎が灯されている。
「クラリス、ごめん。アタシ急いで行かなくちゃ。事態は思っていたよりも深刻だったみたい……町で既になにかが起きてしまった以上、魔法局の規則でこれ以上アナタ達を巻き込むことはできなくなった」
「それってもしかして、町があんなことになっちゃった原因にラヴくんが関係して……?」
「うん。ラヴのことはアタシ一人で探すから、二人は気にしないで旅に戻ってちょうだい」
そう言ってサラは軽く拳を握ると、手の中に握っていたなにかを空中に向けて投げた。
あれは――花びらだ。小さくて、綺麗な淡い桃色の花弁。一枚一枚は丸みを帯びた長方形に近い形をしていて、重力に引かれて頼りなさげにひらりひらりと落ちていく。
宙を舞ったそれらは地上に降り立つ直前、風に吹かれて不規則な動きで踊り出すと――クラリス達の目の前で開花。そう、花びらから、また新たな花が咲きはじめたのである。
連なり、咲き誇る花達はやがてひとつの動物の姿を形作った。
「うそ。花が……馬に、なっちゃった」
これがサラの魔法。
クラリスの言う通り、そこに現れたのは馬だった。脚が左右に四本ずつ。全身は鱗のように花びらに囲まれていて、手網や鞍は植物の茎で編まれている。
花馬はサラの隣にゆっくり座ると、頭を垂れて主が乗るのを待つ姿勢に入った。
この光景に、先に興味を持ったのは意外にもヴィクターである。
「へぇ。生物を、創ったのか」
「そうだよ。アタシの魔法は花を咲かせる魔法なの。もちろん綺麗な一輪を咲かせることもできるし、こうやって花びらで眷属を創り出すこともできる。戦うことだってできるから、安心して」
「そうかい。はぁ……ますます気に入らないな」
意思と反して、思わず口から出たヴィクターの呟きは小さく、サラはおろか隣のクラリスにすら聞こえることはない。
サラは慣れた様子で花馬に跨ると、垂れていた手網を手繰り寄せる。
すると、左袖が微かに引っ張られる感覚に、ヴィクターは視線をクラリスへと落とした。
「……ヴィクター」
「なにかね」
「この前、私がスモーアでしたお願いって、今回も有効になる?」
「……キミが望むならね」
その言葉は嘘ではない。
いくらヴィクターが魔法局を嫌い、避けて、今日突然目の前に現れたサラが――彼をその昔、四百年間にも及ぶ暗くて冷たい牢の中へと閉じ込めた、憎き男と同じ『瞳』をしていたのだとしても。クラリスの願いを断らないと言ったことは、嘘にはしない。
クラリスは大きく頷くと、まさに出発しようとしていたサラの元へと近づいていった。
「サラ。私達も連れて行って。手伝わせてほしいの」
「気持ちはありがたいけれど……言ったでしょ。巻き込むことはできなくなったって。もうただ単に魔獣探しをすればいいって話じゃなくなった。戦わないといけないの。クラリス達を危険には晒せないし、ここはアタシ達だけで――」
「私だって、サラだけを危ない場所に送り出すなんてしたくないよ。魔法局の人間だろうと、友達だもの。友達が戦いに行くのを黙って見ているだけなんて……そんなの嫌だよ」
「でもね、クラリス。これは魔法局の決まりで……わっ! ちょっとアナタ、なんなの!?」
魔法局としての責務と、友人の言葉。サラがその狭間で揺れていたまさにその時。大きな揺れと共に、彼女の後ろに無遠慮に花馬へと跨ってきた者がいる。ヴィクターだ。
彼は素知らぬ顔で自分に振り返るサラの顔を見下ろしていたが、飛び出た抗議の声には片眉を少し動かす程度で、まったく申し訳ない素振りを見せることもない。
「なにか文句でもあるのかね。そんな話をしている暇があるのなら、さっさと向かった方がいいと思うよ。別にワタシは町が燃えて無くなろうが、誰が死のうが関係ないけれど……可哀想に。キミ達魔法局はそうもいかないんだろう」
「ぐぬぬぬ……ああもう分かった! それじゃあ二人は重要参考人! 他人を戦いに巻き込むなとは言われてるけど、ラヴを見たっていう重要参考人なら仕方がないわよね! とにかく理由なんて後でいくらでも考えるから――行きましょう、クラリス!」
「むっ、待ちたまえ。その役目はワタシがするものだよ」
サラがクラリスに手を差し出すと、ヴィクターは彼女の足元に踏み台を呼び出した。
これは、どんな対抗心なのだろう。彼も負けじと手を差し出し、クラリスに期待の目を寄せる。
その様子がどうにも面白くて。思わずクラリスは吹き出して、左手にヴィクター、右手にサラの手を取って二人の間へと跨った。
「ありがとう、二人共。それじゃあ……ラヴくんのところに行こう!」
クラリスの言葉と共にサラが花馬を立たせ、ヴィクターが指を弾けば傘と踏み台が花火の小爆発と共に跡形もなく消え去る。
花馬は八本の脚を器用に動かし一歩、二歩と歩きはじめてすぐ――空へと飛び上がった。
重心は安定していて、揺れも無く快適。その様子はまさに、滑空と呼ぶにふさわしいだろう。
「まさか飛べちゃうだなんて。サラ、町まではどれくらいで着くの?」
「このままスピードを上げて、数分もかからないで到着するつもり。そういえば……クラリスは戦えるの? ヴィクターが魔法使いなんだっていうのは、最初に見た時の雰囲気でなんとなく分かったんだけれど。アナタは……」
「うん。多分サラが想像している通り。私はただの人間で、戦うことはできない。実際、お荷物だと思われちゃうかもしれない。ただ、私がいないと……」
「いないと?」
前方に目を向けたまま、サラがクラリスの言葉に耳を向ける。
しかし、彼女の耳に次に届いたのは、想像していたよりも遥かに耳障りな男の自己主張であった。
「HA! 魔法局のひよっこ魔法使い共が泣いて助けを乞おうとも、ワタシはクラリスの命令しか聞く気がないからね! クラリスのお願いじゃなきゃ、だぁれがキミ達の手伝いなんて好き好んでしてやるものか」
「それ、今このタイミングで堂々と宣言するようなコトじゃないでしょ……」
ヴィクターの主張は気にも留めず、サラは呆れ気味にそう言って、花馬へ前のめりに体重をかけた。
そもそもサラが手伝ってくれと頼んだわけでもない。嫌なら来てもらわなくてもいい――と言いたいところなのだが、むしろ協力を申し出てきたのは彼女らを仲介しているクラリスだ。新しくできた友人の思いを無碍にしたくないという気持ちは、サラも同じだった。
速度を上げた花馬は、風に乗り、宙を滑って町の上空へと近づいてく。
燃え盛る建物が視界に映ると、サラは苦虫を噛み潰したような顔で手網を握る手に力を込めた。
「アタシが、ラヴを逃がしさえしなければこんなことには……」
「ねぇサラ。いったいラヴくんはなにをしたの? どうしたらこんなことに……」
この光景は、彼が人々に伝えようとしていた愛とはてんでかけ離れてしまっている。
その理由はサラが知っていた。
「ラヴは……なにもしてないよ」
「えっ?」
「あの子はなにもしてないの。だってラヴは――」
その時、クラリス達の近くで爆発が起きた。どうやら他の建物で起きていた火災の影響で、飛び火したところを運悪くなにかに引火してしまったらしい。
熱い。上昇気流が、熱風となって三人の全身に浴びせられる。
事態は一刻を争うレベルで被害を拡大していた。
「クラリス、サラくん。おしゃべりもいいが、それはこの厄介な炎を先に鎮めてからだ。このままじゃあ取り返しがつかなくなるよ」
「わ、分かってるわよ! でも、消防車も無いのにこんなに勢いがある火を消して回るだなんて、そんなこと……」
「できるから言っているんだ。ワタシの魔法は花を咲かせるしか能のないキミとは違って、バリエーションにもエンターテインメント性にも富んでいる。つまり、キミでは到底対処できないこの絶望的状況下においても、十分に役に立つことができるというわけなのだよ」
「花を咲かせるしかって……本当なんなのアナタ! いちいち喧嘩でも売らないと気が済まないわけ!?」
「ふん、なんとでも言いたまえ。そこで指をくわえて見ているといいよ」
売り言葉に買い言葉で、クラリスを挟んだままヴィクターとサラが口論を繰り広げる。
そしておもむろにヴィクターはステッキを呼び出すと、先端の苺水晶を空中で大きくひと回し。
ピタリと止まった杖先が指したのは、彼らがいるよりも、さらに向こうの雲の上だった。
「先日読んだ参考書に、水のおまんじゅうという面白いスイーツが紹介されていてね。そこから着想を得たんだ」
そう言って、ヴィクターがステッキを振り下ろす。すると、半透明のリボンの切れ端のようななにかが、雲の合間を降りてきた。
リボンの切れ端はするすると空中に腕を伸ばし、広がり、やがてこれ以上伸ばすことはできないと悟ったのか、ついにその傘状の巨体をヴィクター達の目の前へと現す。
それは――一体の巨大なクラゲだった。
艶やかな皮の中に、たっぷりの水を蓄えた一体のクラゲ。そしてその巨体は――町を丸ごと飲み込んでしまいそうなほどの大きな身体からは、今たしかに一粒の雨粒が落とされたのである。




