第52話 そのラブは突然に
暖かい陽射しに誘われて、思わずあくびが出た。
どこまで見ても、続くのは雲ひとつ無い青空。まだまだ夏を先に控えているというのに、こうも天気が良いと季節を先取りしてしまったような、どこかもったいない気持ちになる。
――気温もちょうどいいし、過ごしやすくて良い気持ち。これくらいの気温なら、一年中春のままでもいいのにな。それか秋でもいいかも。
夏には夏の、冬には冬の良いところも、もちろんあるのだが。
「うわっ。眩しい!」
そんなことを思っていた矢先、容赦ない直射日光が彼女――クラリス・アークライトを襲った。
たいした理由ではない。自分達の頭の上にふよふよと浮かぶ日除けの傘が、時折ガクンとズレては日光を遮る役目を放棄するのだ。
彼女は先程から、それがずっと気になっていた。
原因ならばもう分かっている。この果てしない一本道で、隣を歩きながらも器用にうつらうつらと船を漕ぐ、魔法でこの傘を操っている持ち主――ヴィクターだ。
「ちょっとヴィクター。半分寝ながら歩いてたら危ないでしょ。そんなに眠いなら、どこかで少し休む? 日傘をさしてくれるのは嬉しいけど、これじゃあ自分でさした方が全然マシ。ほら、傘貸して?」
「……眠くない」
「眠くないって……子供じゃないんだから。そんなところで意地を張らないでよ」
「いいんだ。ワタシがさしたいの。んー……傘を大きくすればいいのかな」
そう言ってヴィクターが指を弾くと、彼らの頭上で傘は大きく――なりすぎではないだろうか。
大きくすればと言うくらいだ。てっきり二人を覆うことができるくらいの大きさに成長するのかと思っていたが、クラリスの見てる前でそれは二倍、五倍、十倍……いや、それを通り越して大きくなり続けている。
これでは日を遮るどころか、暗すぎて夜だ。
「ヴィクター! ストップ、ストップ! これじゃあ悪目立ちするし邪魔でしよ!」
「ん? ああごめん。今戻すよ」
彼がもう一度指を弾くと、傘はあるべき元の姿へと戻っていった。
気持ち最初よりも大きく、ヴィクターとクラリスが二人で入っても十分な影を作ることができている。最初からこれくらいならば良かったのだ。
クラリスがスマホのマップアプリで調べた情報によれば、もう少しで町が見えてくるはずだ。あんな巨大傘で堂々と歩いていれば、|SF映画で見かけるアレ《未確認飛行物体》なんかがやってきたと勘違いされてもおかしくはない。
「もう、ヴィクター。なんで今日はそんなにぽやぽやしてるわけ? 昨日は……アナタ、たしか早めに部屋に帰っていったわよね。なにしてたの?」
「たいしたことじゃないよ。これを見てた」
「わっ! こんなにたくさんなに……これ、レシピ本?」
手元にステッキを呼び出したヴィクターが空中で一振り円を描くと、目の前に空いた穴からは何冊もの本が降ってきた。
乱雑に地面に散らばったひとつをクラリスが拾い上げる。表紙を見てみれば、可愛らしい動物の見た目を模したカップケーキの写真が全面に。
他の本も見てみると、そちらはクッキーの写真が載ったお菓子のレシピ本であった。それ以外にも本にはお菓子作りのコツなんかが記されていて、パラパラと数ページ捲っただけでもクラリスの小腹はどんどん空いてくる。
「えーっと……アナタにお菓子作りなんて趣味、あったっけ?」
「無いよ。この前行ったスモーアでのキミのはしゃぎっぷりを見て、興味が湧いてね。いくつか参考書を買ってみたんだ。そのうち挑戦するために知識だけでも得ておこうと思って、昨日は夜通し眺めていたんだが……わふ。全然頭に入らなかった」
「別に頑張って暗記するものでもないんだから。そんなに詰め込まなくてもいいのに……実際に作る時に、見ながらやればいいんじゃない?」
「それもそうだね……クラリスの言う通りだ。おかげさまで今日のパフォーマンスが著しく低下してしまって、プラスの知識を得るどころかマイナスばかりになってしまった。勉強もほどほどにするよう気をつけよう」
そう言ってもう一度、ヴィクターが大あくびをする。とりあえず起きたようだが、それでもどこか眠そうな様子に変わりはない。
彼が今度は下向きに円を描くと、散らばっていた本達は開いた穴の向こうへと落ちていってしまった。
クラリスが手にしていた二冊も投げ込めば、音も立てないまま穴は静かに口を閉じる。
――私のためを想って色々考えてくれるのは嬉しいけど……この前のスモーアの事件で倒れたこともあって心配だし、あまり無理はしてほしくはないなぁ。
こうして寝不足なだけならまだしも、またこの間のような命に関わる無理や我慢はしてほしくない。
「それじゃあ、今日は町に着いたら早めに休みましょ。観光は明日でもできるし、たまにはなにもしないで自室でのんびりもいいじゃない」
「うん。ディナーも簡単に食べられるものにしようか」
クラリスの提案にヴィクターが快諾する。
二人が目的の町にたどり着いたのは、それから数時間もしない間のことであった。
町の規模としてはそれほど大きくはない。クラリスは観光とも言っていたが、名所となるような大きな建物も無く、商店街やスーパーといった商業施設がそこらじゅうに目につく。
どちらかといえば、住むのには向いているが、観光向きではないといった印象だろう。
「思っていたより親しみやすい町だったのね。家族向けなレストランとかも多そうだし、ちょうどいいかも。ヴィクターはなにか食べたいものとかある?」
「ワタシはあまりこだわりは……うーん。ハンバーグ、パスタ、定食屋……わりとなんでもあるな。よかったらクラリスが決めてくれないかね。こういう店はキミの方が詳しいだろう?」
ヴィクターがそう尋ねると、クラリスは愛らしい眉間に皺を寄せてうんと考えはじめた。
――そう言われと、なにを食べるか迷っちゃうな……ハンバーグならヴィクターも好きだし、それもいいけれど。私的に今日は海鮮系の気分だし……
ここはクラリスも見知ったチェーン店が多く、せっかくならこの土地でしか食べられない個人経営店で食事をしたいという気持ちと、たまには知ってる店で知ってる味を口にしたいという気持ちが半分半分でせめぎ合う。
定食屋なら魚料理も扱っているだろうか。そう考えていた彼女の目に飛び込んできたのは、大きな魚の姿を模した看板だった。
「……あっ! それじゃあヴィクター、あそこは? 回転寿司。サントルヴィルとか大きな町にならたくさんあるけれど、田舎の方にはなかなか無いのよね。アナタ、行ったこととかないでしょ」
「回転……? 寿司は漁村に立ち寄った際に食べたことがあるが……文字通り、寿司が自分勝手に回るとでもいうのかね。……それになにか意味はあるのか……いや、回られたら食べにくい気がするのだけれど……ねぇクラリス。それって、口の中でも回り続けるのかい?」
「アナタが思ってるような回り方はしないから大丈夫。多分気に入ると思うから、とりあえず行ってみましょうよ」
そう言って、クラリスが店へ入ろうとした時だった。
どこからか聞こえた悲鳴に、彼女の足が止まった。それは助けを求めるというよりも、なにかに驚いて出たようなものに近い。
少し辺りを見てみれば、声の出どころはすぐに分かった。後方――南国風ダイニングカフェのテラスからである。
状況から察するに、若い男女が口論の末に、女性側がコップに入った水を男性に掛けたのだろう。悲鳴はその一部始終を見ていた他の客から上がったものだった。
「ただの痴話喧嘩だよ。クラリスが気にするほどのことじゃない」
「うん……そうだね……あれ。よく見たら、あっちの人達も喧嘩してる。そっちもだ」
この時、クラリス達はようやく周囲で起きている違和感に気がつくことができた。やけに騒がしい。今の一件のみならず、場所を選ばずあちらこちらで喧嘩が起きているのだ。
特別殴り合いが起きているわけでもないが、ちょっとしたいざこざがチラホラと。それは家族連れだったり、恋人同士だったり、はたまた店員と客など様々で、どうにも小さな揉め事が町中で散乱しているように感じる。
「Hmm……なんだか血の気の多い町民達だね」
「さっきまで、そんなことはなかったと思うんだけど。みんな突然どうしたんだろう…… 」
「――それはね、お嬢さん。ラァブだよ」
「えっ?」
その時である。二人の後ろから知らない男の声が聞こえてきたのは。
クラリスが振り返ると、その青年は大きな赤い瞳を細めて、人懐っこくにっこりと笑った。
どこか人間離れした雰囲気を感じさせる、白い髪に、白い肌。細身のシルエット。この場所において、彼は明らかに浮いた存在だ。すると――
「彼らがお互いを罵りあい、争う原因……それは、この町の人間にはラァブが足りないからなのさ!」
よほどその意見に自信があるのだろう。
困惑するクラリスをよそに、 そしてなにか言いたげなヴィクターに臆することもなく、その謎の青年は高らかにそう言い放った。




