第50話 皿の上の不幸はふわふわさくさくと共に頬張って
《翌日――夜》
カラン、と来客を知らせるベルの音が店内にこだました。
すかさず厨房から飛んできた店のスタッフをヴィクターは片手で制すると、キョロキョロと辺りを見渡して目当ての人物を探す。
「おーい、ヴィクター。こっちこっち」
名前を呼ばれた方向へ振り向くと、遠くで見慣れた黒い頭がこちらにぶんぶんと手を振っていた。先に飲んでいるのか、顔が赤い。
ヴィクターはテーブルの間を縫うように歩いていくと、目当ての人物――フィリップの向かいの席へと腰かけた。
「どんな高級店を選ぶのかと思ったら、まさか大衆酒場とはね……ワタシがこういう場所は好まないと知っているだろう。酔っ払いが多くてうるさいし、やけに変なのに絡まれる」
「だから一番奥の席にしたんじゃん。オレ向きに座ってれば因縁も付けられないだろ? それに、高ぇ店の皿の真ん中に申し訳程度に乗った料理なんて、食っても食った気がしねぇからさ」
「ふっ、それは分かる」
既にテーブルの上には、フィリップが頼んだ揚げ物やつまみが所狭しと並んでいた。
適当に飲み物を注文し終えてまず、ヴィクターは枝豆に手を伸ばすと、ほどよく塩味の効いた豆を口に運んだ。味は普通だが、この食感は好きだ。隣にあったなにかのタマゴを串に刺した揚げ物も、まろやかで美味しい。
――これはなんだろう。
もぐもぐと口を動かしながらヴィクターが次にフォークで取ったのは、これもなにかを揚げたものだった。
全部茶色いので、正直どれの中身が何だか分からない。肉なのか、魚なのか。タマゴは形でなんとなく分かったが、それ以外はパッと見全部茶色の丸か三角だ。
「ッ!」
すると、一口食べたヴィクターの表情がパッと明るくなった。彼に尻尾があれば、ちぎれんばかりに振っていたことだろう。
最初はただ肉を揚げただけのものかと思ったが、どうやら違うらしい。肉と衣の間に挟まったナニカの酸味と独特の風味が効いていて――正直、今まで食べたものの中でも一、二を争うほど美味しい。
――残りは……三つか。
彼はフィリップに勘づかれないようにと、他のつまみも挟みつつ自分の取り皿に今の美味しい揚げ物を即座に二つ移動した。
もしフィリップがこの美味しさに気づいてしまえば、奪い合いになることは間違いない。一つ残してやったのは優しさだ。
「……なに」
そんなことをしているうちにヴィクターが顔を上げれば、笑いを堪えたフィリップと目が合った。よく見れば彼の取り皿には今は何も入っていない。
もしや泳がされていたとでもいうのだろうか。
「いや? ヴィクターの食いそうなモン頼んどいたら、まんまと引っかかったなと思って。ちなみにそれは、ササミ肉を梅としそで巻いたやつ。そっちのチーズはんぺんも美味いぞ」
「……」
フィリップが指を指したのは、テーブルの端にあった大きい三角だった。
ヴィクターは無言でその大きい三角を自分の皿にフォークで取り分けると、先にぎゅうぎゅうな皿の端から転がり落ちた唐揚げを頬張った。
「レモンがかかってない」
「勝手にかけると怒るじゃん」
「むぐ、それは昔の話だろう」
気を取り直すように大きい三角を口に入れると、これまたヴィクターの表情が和らいだ。
これは大きい三角改め、ふわふわの三角だ。フィリップが差し出すがままに受け取った醤油を垂らすと、これがもっと美味しくなる。
ヴィクターはようやく届いた飲み物のストローに口を付けると、グラスに半分沈んだスプーンをくるくると回した。
スプーンの動きに合わせてグラスの中を泳ぐのは、色とりどりの小さくカットされたフルーツ達だ。ひとつひとつの周りには、炭酸のしゅわしゅわとした泡が覆うようについている。
「それなに? 酒?」
「フルーツゴロゴロサイダーだって。なんか名前が面白いから頼んでみた」
「へぇ? なんだよヴィクター。酒場なんだから酒の一杯くらい楽しめばいいのに。オレがオススメのやつ教えてやろうか?」
「いい。明日はクラリスとスイーツ巡りをする約束なんだ。こんな短期間に何回も……二日酔いだなんて格好がつかないだろう」
そう言って、ヴィクターはグラスの中のイチゴを掬って口に入れた。氷の役目も兼ねているのか、やけに冷たいし固くて味がしない。
「ああ、そういや明日は再開するんだっけな。スイーツフェア。商魂たくましいもんだねぇ。広場はほとんど手付かずで、誰かさん達がだんまりなせいで調査も進展なし。そんな中でよくやろうと思ったもんだ」
「遠くからわざわざ来ている人間もいるらしいからね。広場は封鎖して、規模は縮小されるそうだが、最終日だけでも予定通り開催することにしたみたいだ。クラリスも楽しみにしていてね……今頃あのスマホだかと雑誌とを血眼になって見ている頃だよ」
ヴィクターがサイダーを一口飲んで、一人ホテルで待つクラリスに思いを馳せる。
スイーツフェアの最終日が開催されるとのニュースを知ったのは、ついさっきのことだ。
出かけ前に部屋にクラリスが飛び込んできた時は驚いた。彼女の喜ぶ顔を思い出すだけでも、酒――ではなくジュースも進むものである。
「ふふっ」
「デレデレじゃねぇか。あー、じゃあなに。明日でイベントも終わるしことだし、そろそろここを出るわけ」
ようやくフィリップも皿を寄せて、思い思いのものをつまみはじめた。
この品数であるにも関わらず、選ぶことに迷いが無い。まさかヴィクターがやって来るまでの間に、一通り口にしたとでも言うのだろうか。
「そうだね。魔法局が来て現場の検証を始めるまでには。到着に時間が掛かっているみたいだし、ここが遠方の場所でよかったよ。……しかしまさか、楽しいスイーツバイキングが一転、魔導士に出くわすことになるとは……ねぇ、フィリップ。アレは本来ここにいるべきではないはずだ。キミ、なにか知ってるんじゃないの」
「……さぁ。いくら情報通とはいえ、オレから言えることはなにも無いよ。ただ……噂によると、魔導士が現れたのは今回の一件だけじゃない。世界各地であのガキみたいなケースが魔法局に寄せられてるみたいだぜ」
そう言ってフィリップが魚のフライにかぶりつく。大きめなものを無理に丸々一枚持ち上げたからか、箸を持つ手がぷるぷる震えている。
反対にヴィクターはといえば、食事の方はもういいのかフォークと取り皿を避けると、サイダーのグラスを手前へと引いた。
もうお腹いっぱいで、食べる気が起きない。残すのは悪いが、どうせ残りはフィリップが全部食べるだろう。
ヴィクターは腕を組んで、読む気もない壁の木札に書かれたメニューをしばらく眺めていた。
そしてグラスの中の凍ったパイナップルを口に運んでは、よく味わいもしないままに飲み込む。考えは――まとまった。
「なるほど。おおかたの事情は分かったよ。不本意だけれど……ものはついでだ。ワタシの方でもやれることはやってみよう」
「……マジで? オマエがなんとかするっての?」
フィリップが驚きに目を丸くして、視線を手元の箸からヴィクターへ向けた。その拍子にフライがポロリと皿の上に落ちる。
「勘違いしないでくれ。これはクラリスが望んでいることだ。彼女は今回の一件で、我々で助けることができる人間は助けたいと、そう口にした。もちろん世界の端から端にわざわざ足を伸ばしてやるつもりはないがね。都合よく目の前に転がってきた他人の不幸があるうちは、好感度アップのポイント稼ぎにでも使わせてもらうとするよ」
「あー……はいはい。オマエはそういう奴だったわ……って、あれ。ヴィクター、もう行くのか?」
おもむろに席を立つヴィクターを見て、フィリップが尋ねる。
ヴィクターは「うん。これで十分でしょ」と返事をすると、テーブルの上に紙幣を数枚置いた。
「ディナーは奢ると言ったが、長話に付き合うとは言っていないからね。お腹も脹れたし帰るとするよ。キミも……説教でも雑談でも、腰を据えてワタシと話をしたいのなら、今度はそんな姿ではなくちゃんと自分自身で会いに来たまえ」
「オレ自身で? ……ははっ、やだよ。まだ殺されたくねぇもん」
「ふん。相変わらずの臆病者だね」
そう言って、ヴィクターはまたテーブルの間を早足に抜けていく。
「あっ。おーいヴィクター、オマエ体あんま強くないんだから! 腹冷やしたり、くれぐれも今回みたいな無茶はするなよ! あと気が変わってまたオレとヤンチャしたくなったら、いつでも言ってくれていいからなー!」
去っていく背中にフィリップは呼びかけるが、聞こえているのかいないのかヴィクターからの返事はない。いや、今日も今日とて聞こえてはいるがわざと無視をしているのだろう。
カラン、と客が帰ったことを知らせるベルの音が店内にこだました。
「はぁ、相変わらずつれない男だねぇ。……すみませーん」
「はい! ご注文ですか?」
フィリップが手を上げると、ちょうど別のテーブルで注文を取り終わった女性スタッフが愛想の良い笑顔で近づいてきた。
横に置いていたメニュー表を拾いあげ、彼は決めていたページを開いて目当てのものに指を指す。
ヴィクターが置いていった金額から計算すれば、これで会計はピッタリくらいなはずだ。
「ササミの梅しそ揚げと、チーズはんぺんひとつずつ。あと、アイスとフルーツゴロゴロサイダーも追加で」




