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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 第2章『賞味期限切れの魔法は腐った果実の味がした』
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第45話 助けてカラスと彼は餌をぶら下げた

 轟音。爆風に伴う熱が、クラリスの頬を駆け抜ける。

 とっさにヴィクターのコートを掴んで踏ん張ることができたからいいものの、音も、振動も、熱も、事前の心構えがなければ驚いた拍子に心臓が飛び出てしまっていてもおかしくはなかった。

 それほどまでに、遠慮を無くしたヴィクターの魔法は、この空間そのものを根本から揺らしてしまったのだ。


 もしも今のこの爆発を、なにか楽しい催し物だと思える人物がいるのだとすれば――それは爆発を起こした張本人だけのものである。



「HAHA! んー、いいね。やはり魔法を使うならこうでなくては! どんな生物も頭を潰せばだいたい死ぬのだよ!」


「頭をって……早速さっきの発言と矛盾してない!?」



 はしゃぐ姿はまるで少年のようだ。

 なにが生物に対する冒涜か。こう嬉々として、躊躇いもなく人間だったものの顔を潰しているのも、よほど人として疑問を抱く行為である。

 しかしそれを自覚していない男は、片手のステッキをくるくると回して遊びながら、クラリスの指摘を聞いてか不満げに口をへの字に曲げた。



「なにを言うのかね。誰だって痛いのは嫌だろう。ワタシなりの最大限の温情だ。苦しまずに逝けるのならば、それに越したことはないだろうに……おや?」



 ヴィクターの視線が、前方へと戻される。つられてクラリスもそちらを向けば――()()()と目が合った。


 彼らを見ていたのは、『エイダ』の頭の中心にぽっかりと空いた、()であった。

 今の爆発で空いたばかりの、向こう側までよく見渡すことができる、大きな穴。しかしたしかにそこに目は無いはずなのに、目玉などあるはずもないのに。その穴からは視線を感じる。

 まるで大人に叱られて拗ねた子供のように、彼女はその空虚な穴の中からただ、二人のことをじっと見ていた。



「Um……やはり身体の一部を大幅に欠損させたとしても意味はないか。見たまえクラリス。アレがだいたい死ぬと言った中の、だいたいじゃない方だ」


「それ、もしかして打つ手なしって意味?」


「そんなわけないだろう。予想の範囲内だ」



 ヴィクターが正面右方面――『エイダ』の側部へ向けて走り出した。



「クラリス! ワタシは魔獣の弱点を探る。あの体液()が散ると危ないから、キミは少し離れていたまえ!」


「う、うん! 分かった!」



 なにもできないのは悔しいが、突っ立っていたとてヴィクターに迷惑をかけるだけである。

 クラリスは少し離れた木陰に滑り込むと、そっと息を潜めてヴィクターと『エイダ』の様子をうかがうべく顔を覗かせた。



「わっ!?」



 そう思ったのもつかの間、顔を出した途端に先程聞いたのと同じ爆発音と衝撃がクラリスを襲った。

 とっさに耳を塞いで木の後ろに隠れたからいいものの、それでも地面から伝わる振動に体がよろめく。


 ――ヴィクターってば、思いっきりやりすぎ! うっかり公共物を壊しちゃうとかだけはやめてよね……!


 ましてや時刻は夜。いくら正義のためといえど、はた迷惑であることには変わりはない。



「……とか、クラリスは思っていそうだなぁ。よっと」



 クラリスの言いそうなことくらい、容易に想像できる。日頃の研究の成果だ。

 彼女の心の叫びも虚しく、ヴィクターは再度ステッキを『エイダ』に向けて魔力を放ち、起爆する。

 だが――どうにも効いているようには思えない。ずっとこれでは、こねたばかりのパン生地に穴でも開けている気分である。


 正面から大量の煙と爆風を受けたコートの裾が、バタバタと音を立ててはためく。

 もちろん周りを気にする素振りもないが、なにも周囲が見えなくなるほど集中しているわけでも、興奮しているわけでもない。

 むしろかの爆発の煙の匂いは、ヴィクターにとっては食後の紅茶を口にするのと同じくらいに、頭の中を冷静にさせた。



「むぅ……微動だにしないどころか、動く気配もないね。やっぱり頭を撃ち抜かれて死んでいるのか? つついてみてもいいが、これ(ステッキ)高かったし……汚れたら嫌だな」



 くるくると片手でステッキを弄ぶ。

 爆発の煙も晴れず視界も悪い中、ヴィクターは躊躇いもなく『エイダ』へと近づいていく。


 ――ん?


 ふと、煙の中で何かが動いた。一瞬しか見えなかったが、細長くしなりのあるその物体に、心当たりのあるものはひとつしかない。

 チカチカと光る赤や黄色の光が、ぼやけた視界の先で点滅を始める。

 それはあの一瞬見えた物体が消えていった方向で、ヴィクターがステッキを軽く横に一振りすると、動きに追従するように風が爆煙をかき消した。



『ましゅまろ?』


「なんだ。ピンピンしてるじゃないか」



 子供が不思議に首を傾げたかのようなトーンで、『エイダ』が声を発する。

 相変わらず顔の中心は大きな穴がひとつ。彼女が伸ばした四本の触角は、ヴィクターの退路を塞ぐかのごとく前後左右から彼を取り囲んでいた。

 煙の中に紛れて動けば隙をつけるとでも思ったのだろう。


 ――子供の考えそうなことだね。


 激しく点滅を繰り返す四つの触角の先が、糸を引きながら大きく開く。それはさながら、四匹のヘビが好物のネズミを前に獲物の奪い合いをしているようである。



「そこまでして、キミのその腐ったジャムを試食しろと言うのかね。無理だ。食べられるほどの安全性が無い以前に、賞味期限の切れた食べ物は口にするなと、前にクラリスに――ああ……もしかしてあれか。生前、最後に彼女にクッキーを食べてもらえなかったことが、そんなに心残りだったのかね」


『あまいね、あまいね』


「んー、会話にならないな。それに集まられると余計に臭う」



 少しは彼女の心情というものを察することができたと思ったのだが、そもそも訳の分からない魔獣となってしまった今では、意思の疎通自体が不可能だった。盲点である。


 ――しかし、囲まれたのは厄介だな。


 『エイダ』は触角のあちらこちらから不快な電波音を発し続けている。

 あの口のような部分から高速の酸が吐き出されるのは、先程確認済みだ。つまり、逃げ出そうと動いたところで、ヴィクターの身体に彼女とお揃いの穴が空く方が早いのである。



「困ったものだね。爆破しても構わないが、それで破裂したキミの体液が掛かったら服が溶けてしまう。それに見栄えも悪い。むりやり突破してもいいが、ワタシに怪我があるとクラリスが心配するし……」



 そう呟いた彼は、ふとなにかを思い出した顔でキョロキョロと辺りを見回した。場所の見当はついている。探していたものはすぐに見つかった。



「フィリップ。少し手伝ってくれないかね」



 人あたりのいい猫撫で声でヴィクターが声をかけたのは、広場の中心の木に止まっていたあのカラスだった。

 カラス――改めフィリップは、呼ばれたことに気がついて『ア?』とノイズ混じりの声を上げると、枝から枝へと飛び移り、前へと身を乗り出す。



『オイオイ、ソレくらい自分でなンとかシロ。オマエにオレの手伝イなんて不要ダろ』


「なにを言う。見たまえ、この絶体絶命的状況を。今にも襲われちゃいそうだ」



 そう言って両腕を広げるヴィクターの周りで、『エイダ』の触角達はジリジリと彼との間を埋めている。

 さんざん身体に穴を空けられて、さすがにこちらを警戒しているのか、すぐに襲ってくる気配はない。それでもこのまま黙っていれば、完全に包囲されるのは時間の問題である。

 しかしヴィクターの下手(したて)に出たお願いも虚しく、フィリップはプイとそっぽを向いた。



『フン、嫌だネ。旨みの無イ取引はしないンだヨ。自分デなんとかヤリナ。……ソレともアレか? あのオンナの前じゃア、ネコヲ被っていたいッテわけ? またハ……自信ガ無いのカ? あのヴィクター・ヴァルプルギスが?』


「……」


『ギャハハハ! 図星かヨ! どっちカ知らねェが、どちらにシロ滑稽ダ。ほら、見テテやるから上手くやりナ』



 いちいち癪に障る言い方をするカラスである。


 ――下手(したて)に出ればいけるかと思ったが、面倒だな。


 ヴィクターは細く長い溜め息を吐き出して、やれやれと首を振った。

 そういえば、この男は自分だけが損することを嫌うたちだった。餌がなければ、生物は罠にはかからない。



「仕方がないね。……明日、ディナーを奢ろう」


『ハァ?』


「なんでもいいよ。キミの好きなものを選ばせてあげるし、喧嘩もしないと約束する。二人きりでの食事なんて、何百年もしてないだろう」


『ナニ? オマエ、モノで釣ろうッテワケ?』


「そうだが? それで、どっちなの。手伝ってくれるの、くれないの」



 それはあまりに潔い肯定だった。

 最後にヴィクターが頭上の『エイダ』に指をさし、「時間がないんだけど」と示すと、分かりやすくフィリップはううんと唸り声をあげる。



『……酒デモ?』


「ああ」


『オレ、沢山食べるゾ』


「知ってる」


『全部オマエガ払うンだろうナ?』


「もちろん」


『嘘じゃ』


「ない」


『……』



 まるであらかじめ聞かれることが分かっていたかのように、淡々とヴィクターがフィリップの質問に答える。

 そんな彼の頭上でついに、距離にして五十センチメートルまで迫った『エイダ』の触角の先端がさらに大きく口を開いた。――タイムリミットだ。


 そして瞬きすら許さぬ次の瞬間――四つの触角から放たれた凶弾が、今。()の全身を貫いたのだった。

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