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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 第2章『賞味期限切れの魔法は腐った果実の味がした』
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第43話 『エイダ』は甘い夢に溺れて瓶の中

 エイダだった水溜まりが収束していった先に現れたのは、瓶だった。瓶の中には、あのドロドロとした水溜まりが詰まっている。

 ヴィクターは酸だと言っていたが……きっとあれもエイダの魔法で作られたイチゴジャムだったのではないだろうか。それがもったいないことに腐り、悪臭を放ってしまっている。


 ――これが、フィリップさんが受け入れろって言っていた現実……


 人が魔獣に――ましてや瓶になってしまうなど、誰が想像しただろうか。

 するとそんなことを考えるクラリスの目の前で、例の瓶に変化が見られた。無生物であるはずの瓶が、ひとりでにカタカタと揺れはじめたのだ。


 はじめは煮立ったジャムの影響かとも思ったが、違う。

 その揺れ方は例えるならば――小さな子どもが木馬に乗って揺れているかのような、そんな揺れ。ゆらり、ゆらりと振り子のごとく前後に揺れた瓶は、やがて――



「……まずいな。クラリス、少し失礼するよ」


「えっ? わっ!」



 ひょいとクラリスを小脇に抱えたヴィクターが、軽やかなジャンプで瓶を飛び越え、玄関先の柵を踏み台にして家の屋根へと飛び移る。

 コツンと音を立てて、瓶が倒れたのはその時だった。



「ヴィクター! あ、あれ!」



 家があるのとは反対方向。瓶の中から溢れ出たのは、あの腐ったジャムの濁流であった――のだが、その量はとてもひとつの瓶から出てくるような量とは思えない。

 次から次に溢れ出る煮え立ったジャムは、エイダの家の庭にある草木やポストを覆い、みるみるうちにそれらを溶かしていく。

 まるで食事をしているかのようだ。あれでは触れることはおろか、人の口に入れるなど夢のまた夢の話だろう。



「Hmm……辺りのものを見境なく飲み込んでいる。このままでは付近一帯が焼け野原になってしまいかねないが……おや。流出が止まった」



 無限に溢れるかと思っていた腐ったジャムの濁流は、想像していたよりも早くに静かになった。

 瓶の前方に、約三十メートル。そこにあったものを全て溶かしきってしまったジャムは、ゼリー状の全身をブルブルと震わせて――ゆっくりと()を持ち上げた。



「んー……おお、そうか。カタツムリだね、アレは」


「カタツムリ?」


「うん。見たまえクラリス。よく見ればあのジャムの固まりは、瓶を背負っているようにも見える。それに先端から伸びる二つの突起……あれをカタツムリと形容せずになんというのかね」



 のんきにヴィクターがそう示した先でジャム瓶の魔獣(カタツムリ)――『エイダ』は、彼の言うように触角をぐんぐんと空に向けて伸ばし、鳴き声の代わりに煮え立った体表からグツグツと音を立てている。

 するとなんということだろう。その触角が突然、ネオンライトのごとくギラギラと点滅を始めたのだ。ましてやそれが前後左右不規則に動きはじめたのだから、気味が悪いことこの上ない。


 あの様子には覚えがある。クラリスの記憶の奥で、昔テレビで見た、寄生虫に寄生されてしまった哀れなカタツムリの姿が思い起こされた。

 そう、たしかあの寄生虫は子孫繁栄のため、わざと目立つことで鳥に捕食されることを狙っていたのだとか。おぼろげな記憶だが、そんな感じだった気がする。

 だが、あの魔獣はどうだろうか。アレを捕食するような相手がそう易々と存在するとは思えない。



「ヴィクター……あの光ってるやつ、なんか危ない気がするんだけど……」


「なんだいクラリス。まさかキミ、あそこから光線が出るとでも思っているのかね? さすがにそれは無いだろう。アレは兵器というよりもダウジングマシンのような探知機的――」



 次の瞬間。ぐねぐねとおかしな動きを続けていた二本の触角が、ぐるんとヴィクター達の方を振り返った。

 点滅が次第に早くなっていく。

 そしてただでさえ長く伸びた二つの触角は、たしかに彼女達の存在を確かめるように、ゆっくりと二人に近づいていき――



『ちょこれいと?』



 耳障りな、電波音のような声が聞こえた途端。二つの触角の先端が、ぐぱりと大口を開けた。



「ッ!」


「ぎゃっ! ちょっとヴィクター! 動くなら先に一言くら――ひぃ!?」



 クラリスを抱えたヴィクターが突然後方に跳んだかと思えば、抗議の声を上げかけた彼女の目の前わずか数十センチの所に、あの腐ったジャム()の固まりが鉛玉のごとく吐き出された。

 じゅわりと音を立てて溶けた屋根を見て、逃げ遅れていれば自分もああなっていたのではないかという恐怖感から、クラリスの背筋がぞわりと(あわ)立つ。



「どこが探知機なの! 兵器そのものじゃない!」


「HAHA! いやあ失敬。まさかあの可憐なレディから――おっと。あそこまで攻撃的な魔獣が生まれるなどとは夢にも思わなくてね!」


「レディ……そっか。あの魔獣はエイダちゃん……なんだ……」



 飛び交う凶弾。ヴィクターが何度も吐き出されるジャム()を避けつつ屋根の上を駆け回る。

 すかさず煙突の陰に潜り込めば、壁越しに次々にジャム()が撃ち込まれた。このまま身を潜めていても、弾丸がいずれ煙突を貫通してしまうのではないか。そう彼が考えていた矢先――猛攻が止まった。



「……一時休戦といったところか。クラリス、怪我はしてないかね。……クラリス?」



 小脇に抱えたクラリスがやけに大人しいことに気がついて、ヴィクターは彼女のつむじに視線を落とした。

 怪我をしているわけではなさそうだが、どうにもかなり気落ちしてしまっているらしい。理由など……今更聞く必要があるだろうか。


 

「どうしたのかね、クラリス。ワタシの予想では、アレを見たキミはもう少し……エイダくんを元に戻そうと、ワタシにああしろこうしろと言って取り乱すとでも思っていたのだが」


「それができるならそうしたかったけど……さっきのを見れば、嫌でも分かるもの。あの状態のエイダちゃんを人間に戻すことはもう、不可能なんでしょう?」


「……ああ」



 今のヴィクターには、そう答える以外の選択肢は無かった。

 すると名前を呼ばれたと認識したのか、クラリスの言葉に反応した『エイダ』の二本の触角が再び激しい点滅を繰り返し、彼女達の元へとゆっくり迫りはじめた。

 一本一本が不規則に伸び縮みしながら動く様は、それぞれが一つの生命体かのようである。



『ちょこれいと? あまいね。あまいね』



 これでは人の声を真似る怪物でも相手している気分だ。

 もっとも、その言葉の意味を分かっているとは思えないようなワードチョイスではあるのだが。



「チッ。今彼女と話しているのはワタシなのだと、見て分からないのかね。――クラリス、目と耳を塞ぎたまえ!」


「う、うん!」



 煙突の陰から飛び出し、ヴィクターは左手のステッキを『エイダ』に向けて突き出した。

 言われた通りにクラリスは両手で耳を塞ぎ、ぎゅっと目を瞑る。

 それと同時に、ステッキの先端の豪奢な装飾――その中心に鎮座する苺水晶(ストロベリークォーツ)の輪郭がバチリと音を立てた。



「レディ。キミは少しの間大人しくしていろ」



 ステッキの先端から熱を持った光線が、高速で『エイダ』へと放たれる。

 その刹那――小規模な、しかしそれでも人一人くらいならば簡単に吹き飛ばしてしまいそうなほどの爆発が、『エイダ』の触角の先端に咲いた口を木っ端微塵に破壊した。

 その爆風と熱、そして大きな音に驚いて、クラリスが目と耳を塞いだままに身を(よじ)る。耳を塞いだとはいえ、外の音が聞こえないわけじゃない。驚くものは驚くのだ。



「わああ! なにが起きたの!?」


「少しアレを黙らせただけさ! なるべく近隣に迷惑はかけないように調整はしたが、あんな歩く災害みたいなものが相手だ。一度離れて体勢を立て直そう。少し揺れるから、キミは舌を噛まないように口を閉じていたまえ!」


「口をって……目と耳は!?」


「それはもういい!」



 そう言って間もなく、ヴィクターがクラリスを抱えたまま、屋根を踏み台に大きく跳躍した。

 恐る恐るクラリスが目を開くと、彼女達はまさに空を飛んでいる最中――否、落下している最中であった。ましてや下はコンクリートどころか、グツグツと煮えたぎる『エイダ』の背中。酸の沼である。


 ――魔法使いって、もっとこう……自由に空を飛んだりとかできるんじゃないの!?


 クラリスが縋る思いでヴィクターを見上げると、彼はにこりと微笑んだ。



「おや? もしかして、クラリスは絶叫マシンとかが好きなタイプかね?」



 そうじゃない。クラリスが必死に首を横に振ると、ヴィクターは小さく吹き出して、今度は彼に似つかわしくない少年のような笑顔で笑い声を上げた。



「あははっ! すまない、いくら口を閉じろと言ったからって、まさかそんなリスのように頬を膨らませて必死な顔をするものだから……ふふっ。つい、意地悪してみたくなったんだ。よっと」



 よほど訴えかけるようなクラリスの顔が面白かったのだろう。ヴィクターは二度、彼女の顔を見て笑った。そう。二度も、笑ったのだ。

 そして彼はひょいと『エイダ』の瓶を踏み台に、魔獣の背中を越えた向こう側へと降り立った。遅れて魔獣の悲鳴のような叫び声が上がったが、構っている暇はない。

 危なくないようにゆっくりとクラリスを地上に降ろし、すぐさま彼女に怪我が無いことを確認すると、ヴィクターは彼女の背中をポンと叩いた。



「さあ、アレが再び動きだす前に少し走るよ。転ばないように気をつけたまえ」


「……」


「クーラーリースー? もう口は開いていい。キミを笑ったことはさっき謝っただろう。不貞腐れてると、また抱えて運ばないといけなくなるのだが……」


「自分で走るから結構です」



 ぷいとそっぽを向いて、クラリスが先に走り出す。

 だが本気で怒っているつもりもないのだろう。少し先を行ってこちらに振り返る彼女を見て、ヴィクターはやれやれと横に首を振るのだった。

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