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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 第2章『賞味期限切れの魔法は腐った果実の味がした』
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第29話 綺麗なお兄さん、クッキーをどうぞ

 人の波が引いたばかりのワゴンには、あの店主の少女だけが残されていた。あれだけの人に揉まれた後だ。無惨にも地面に投げ捨てられたラッピング用のリボンを疲れた表情で拾い上げている。

 そんな少女がヴィクター達に気がついたのは、あらかたの片付けが終わった頃。昨日のあの短い時間で話しただけにも関わらず、彼の顔を覚えていたのだろう。ヴィクターを見つけた少女はそれまでの暗鬱とした表情から一転、年相応のあどけない笑顔を咲かせて大きく手を降りアピールをした。



「……おや。レディがワタシに気づいたようだ」


「本当、ヴィクターは遠くにいても色んな意味で目立つのよねぇ。……あれ? あの子が持ってる袋の中身、もしかしてアナタが言ってたクッキーじゃない?」



 そう話しているそばから少女が二人の元へと駆け出す。クラリスの言う通り、少女が手にしていた物にヴィクターは見覚えがあった。昨日とは違って保存容器には入っていないものの、ラッピングが施された袋は今の今まで見ていたのと同じ……試食として食べた、あのイチゴジャムサンドクッキーである。



「昨日のお兄さん! よかった。どこにもいなかったから、今日は会えないかと思ってたんです。隣のお姉さんは……」


「こんにちは。私はクラリス。アナタのお話はこっちのヴィクターから聞いてるわ。お名前はなんていうの?」


「エイダです! 実は今日、お兄さんが来ると思ってクッキーを別に用意してて……。昨日は試食用の小さいのしかあげられなかったので、よかったらこれ。お代はいりませんから」



 そう言って、エイダと名乗った少女がヴィクターへ袋を差し出した。袋の口を結んでいる赤いリボンは、もちろん未だワゴンの周りに少量散らばったままのソレらと同じである。

 肝心の中身はといえば……見た目だけで言えば、やはり普通のクッキーだ。だが――直感的に、クラリスは()()()()がした。あの客達の様子を見た後である。危険なものが含まれている可能性を疑わない方が難しいだろう。



「ええと……エイダちゃん。気持ちは嬉しいんだけど、私達これからお昼ご飯にするところだったの。もうお菓子は食べきれないくらい買っちゃったし……それにいくら厚意だって、売り物をタダでは貰えないわ。だったらさっきみたいに、アナタのクッキーを求めている人達にあげた方が――」


「いや、いいよ。ちょうどソレが食べたいと思っていたんだ。クラリスがいらないなら代わりにワタシがいただこう」


「えっ。ちょっとヴィクター?」



 驚きのあまり、クラリスは思わず彼の名前を呼んでしまっていた。彼女の断りをよそに、ヴィクターはあっさりとエイダの手から袋を受け取ってしまったのだ。あれほどまでに酷評していた、彼いわく期待外れのイチゴジャムサンドクッキーを……である。

 だが、どうにも今の行動に驚いたのはクラリスだけでなかったらしい。彼女に呼ばれた当のヴィクターも、我に返った様子でハッと手元から顔を上げた。



「……失礼。クラリスの言う通り、我々は今からランチタイムでね。やっぱりこれは帰ってから食べさせてもらうとするよ。気遣いに感謝する」



 そう言ってヴィクターがステッキで床を叩けば、手にしていた袋は小さな花火の破裂音と共に姿を消した。先程はなんの疑いも無しに袋を受け取りはしたものの、なんとなく――このままあの袋を手元に置いていてはいけないと思ったのだ。他の菓子と同じく一時的にこの場から消しただけだが、ずっと視界に入れておくよりは幾分かマシなはずだ。

 するとそんな不思議な現象を前に、子供らしく興奮しているのだろう。目を輝かせたエイダが、テーブルに両手を置いてぴょこぴょことその場を飛び跳ねた。



「お兄さん、魔法使いさんだったんだ!」


「ああ。魔法なんてそんなに珍しいものでもないとは思うが……この辺りには少ないのかな。エイダくんは魔法使いを見るのは初めてかね」


「ううん。ついこの間、親切な魔法使いさんに会ったばかりなんです。すごいんですよ! 私の昔からの願いを叶えてくれた、とっても素敵な魔法使いさんで!」



 嬉々としてそんな話を始めたエイダに、ヴィクターの眉がピクリと反応した。もちろん自分以外の魔法使いの話が始まったことに機嫌を損ねたわけではない。今のエイダの短い発言の中で、彼は()()()()に引っ掛かりを覚えたのだ。



「実はその魔法使いさんが、私に美味しいクッキーの作り方を教えてくれた人なんです。作ったお菓子でたくさんの人を幸せにしたいんだって言ったら、喜んで作り方を教えてくれて。クッキー……いなくなっちゃう前に、あの魔法使いさんにも食べてもらえばよかったなぁ」


「ふぅん……それは世話焼きな魔法使いもいたものだね。そんなもの、わざわざ教えなくなって本でも見れば誰だって簡単に――」



 そこまでヴィクターが言いかけたところで、テーブル越しのクラリスが()()と彼を睨んできた。その目はまるで、子供相手に無粋なことを言うのはよせと言っているかのようである。

 彼女の言いたいことをすぐに理解したヴィクターは、再びコーヒーカップに口を付けるなり、会話の主導権をクラリスへと渡して口を閉ざした。



「もう、ヴィクターったら……。それじゃあ、エイダちゃんは残りのスイーツフェアの期間もまたクッキーを売りに来るのよね? 今日はおうちに帰ってまた準備をするのかな」


「はい! 色んな人にクッキーを食べてもらいたいので、夜は毎日頑張ってジャムを作ってるんです。明日は今日よりもっともっとたくさん用意できるはずなので……今度はぜひ、お姉さんも買いに来てくださいね!」



 そう話すエイダの表情は明日が待ちきれないといった様子だ。しかし今日よりもたくさんのクッキーを作るということは、先程よりもさらに多くの人々が彼女のクッキーを求めてワゴンへ群がることを意味する。それはたしかに、エイダにとっては幸せな光景なのかもしれない。だが、果たしてそれを良い事だと喜んでしまっても本当にいいのだろうか――。あの現場を目撃したクラリスの心に疑念が生じるのは当然のことであった。


 ――あの尋常じゃないお客さんの様子を見た後だと、やっぱり心配だよね。エイダちゃんはしっかりした子だけど、親御さんはそばにいないで一人でやってるみたいだし……私達がスモーアにいる間は気にかけてあげなくちゃ。ヴィクターがこんな調子でも、味方がいれば心強いはず。


 初めて出会った子供に対して、お人好しすぎるということは分かっている。それでもクラリスは、エイダに対してなにか声をかけてあげたいという気持ちを抑えることができなかった。



「うん、またエイダちゃんに会いに行くよ。でも……ひとつだけ約束して? もしもエイダちゃんがお客さんに怖いことを言われたり、なにかされそうになったりしたら、迷わず私とヴィクターを頼るんだよ? 私達、まだしばらくはこの町にはいる予定だから。困ったことがあったらなんでも言ってね」


「怖いこと? ……分かりました。なんか……えへへ。家族が増えたみたいで嬉しいです」



 エイダははじめ不思議そうにクラリスの言葉を聞いていたものの、やがて自分なりに腑に落ちたのだろう。照れた様子でそう笑った。

 二人に別れを告げた彼女は、付近にまだ落ちていた()()を拾い上げては、昨日と同じく重そうなワゴンを精一杯に引きずって帰っていった。その背中を見送ること数十秒――先に口を開いたのはクラリスであった。



「ヴィクター……どう思う? やっぱり少しだけ変……だよね」


「Um……ワタシの経験からして、言えることはたしかにあるね。だがクラリス、キミは先にランチを頼みたまえ。ワタシはコーヒー(これ)を頼んでいるからいいものの、今のキミはただ座っているだけで飲食店でなにも頼まない迷惑客にすぎない。意見を述べるのは料理が届いてからでも遅くはないだろう」



 普段は自分がその迷惑客になっていることを、果たしてこの男は理解しているのだろうか。ましてや現在だって、混雑する昼食時にコーヒー一杯でデカい顔をしているということにも。


 ――ヴィクターってば、すぐに自分のことは棚に上げるんだから。でも……さっきより口数も多くなったし、ちょっとだけ調子も戻ったみたい。ここはお言葉に甘えて、予定通りにランチタイムにさせてもらおうかな。


 ヴィクターの顔色を少しだけうかがい、クラリスは大人しくメニューを開いてパラパラとページをめくった。頼むものは既に決まっている。昨日からずっと目をつけていた、この店一番人気のランチメニューだ。

 注文したものはそれから十分と経たずにテーブルの上へと並べられた。その姿は――まさに極上。たっぷりのクリームと、季節のフルーツが添えられたふわふわのパンケーキ。香り高いチョコレートソースが皿の端にハートマークを描いた全体像は、パッと見ただけでも隣に置かれた水の入ったコップ分くらいの高さがある。

 記念に何枚か写真を撮ったところで、ようやくクラリスはナイフとフォークを手にした。どこから食べても美味しそうだが、まずはなにも掛かっていないプレーンなところから頂くのが彼女なりのこだわりだ。



「いただきます。……うん、美味しい! これ、ここの看板メニューで雑誌にもよく取り上げられてるのを見ていたの。スモーアにしか無いお店だから、今日来られて本当に良かったぁ。ヴィクターも食べる?」


「……いらない」



 目の前に差し出されたフォークの先のパンケーキを見て、ヴィクターは眉間に皺を寄せた。これをランチと言うだなんて信じられない。ほとんどクリームばかりで、これではデザートではないか。まさか彼女はこの甘さの権化(ごてごてのパンケーキ)すらを別腹とでも言うのだろうか。

 朝から続く胸焼けのせいか、はたまた先に胃が受け付けないと悟ったからだろうか。せっかくクラリスから食べさせてもらえるチャンスだったにも関わらず、ヴィクターは考える間もなく拒否を示した。……後の彼が、この時無理にでも食べさせてもらえば良かったと後悔することになったのは、もう少し先の話である。

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