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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 第1章『チープな英雄劇に立役者は二人いる』
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第26話 嗚呼、なんて素晴らしき誉れ日和

《翌日――ロブソン家・二階》


 その日朝一番に顔を合わせたヴィクターの顔は、それは酷いものであった。



「……おはよう、クラリス」


「おはよう。……ヴィクター、大丈夫? だいぶ顔色が悪いみたいだけれど……」


「ああ……これでもキミの顔を見たおかげで少しマシになった方だ。まだ頭がズキズキする……だから酒は嫌いなんだ」



 朝とはいっても時刻は昼前。いつもより遅い時間にクラリスの部屋をノックしたヴィクターが、慣れない鈍い痛みに眉をひそめる。心なしか日課のクラリスへの賛辞にもキレがない――というよりも、いつにも増してほとんど内容が無い。かろうじて今の挨拶に称賛の要素があったとすれば、彼女の顔を見て頭痛がマシになったと述べた部分だろうか。

 彼はフラフラと覚束ない足取りで部屋に入ってくると、遠慮もなくソファに沈み込んでは背もたれに大きく体を預けた。思わず口から漏れた溜め息だってあまりにも深い。よほど体調が良くないのだろう。



「二日酔い?」


「うん……そもそも、ワタシは最初に飲まないと断ったのだよ……それなのに人のグラスが空いたのを見ては次から次へと……酒は回りやすくて得意じゃないんだ。ましてや寝落ちたせいでデザートも食べ損ねたし」


「ヴィクター、ベンさんにもジェフリーさんにも気に入られてたもんねぇ。デザートなら冷蔵庫で冷やしてもらってるから取りに行ってこようか? それか具合が悪いならもう少し寝てる?」


「いや、今はいい。それよりも今後をどうするのか考えよう。今お茶の準備をする」



 ヴィクターが指を鳴らすと、花火を散らして空中にティーセットが現れた。ひとりでに動くポットが二つのカップへと紅茶を注いでいく。

 促されたクラリスが席に着くと、彼女の手元に宙を舞ってカップとソーサーがゆっくりとやって来た。主人の影響だろうか。こちらもなんだか普段と比べて元気がない。



「ありがとう。うん……美味しい。私、これけっこう好きかも」



 クラリスがカップに口をつける。酸味がある香りと、さわやかな後味。今日は柑橘系のフレーバーのようだ。


 ――底に沈んでるのはオレンジピールかな。


 なぜ柑橘類の皮は美味しいのだろうか。こうしてアクセントにするもよし、スライスして甘酸っぱくするもよし。クラリスは朝食のパンに塗るジャムはマーマレード派だったが、ヴィクターはたしかバターだけを塗って食べるのが好きだったはずだ。



「クラリスの口に合って良かったよ。次にフレーバーに迷った時はこれにするとしよう」



 ヴィクターはそう言って、早くも二杯目を口にした。いつもならもう少し味わって飲むところなのだが、このペースの早さには空中で待機していたポットもさすがに驚いているように見える。

 それから早速二度目のおかわりが来たことに焦ったのか、慌てて淹れようとしたポットはヴィクターの手元のカップに派手な音を立ててぶつかってしまった。幸いにもヒビが入ることは無かったようだが、それを間近で見ていた主人の眉間には対称的に深い皺が刻まれる。



「こら、急がなくてもいいよ。割れたらどうするのかね。……まぁいいや。クラリス、おかわりならいくらでもあるから。飲みたくなったらそこにカップを出してくれればいい」


「分かった、ありがとう。それで……今後のことを考えたいって言ってたけれど、それって次の行き先のこと?」


「ああ。いつも特に決めてはいないが、ニコラスくんの話じゃあ隣町までは距離があると言っていただろう。せっかく恩を売ったんだ。楽して連れて行ってもらおうかと思ってね。……ちょうどキミにとって、少し耳寄りな話を聞いたところだったし」


「耳寄り?」



 そんな話がヴィクターから出るのは珍しいことだった。

 彼女達の旅の目的はサントルヴィル(中央大都市)へ向かうというただ一点のみで、その道の過程や到達時期などについてはまったく決めてはいない。よく言えば気ままに、悪く言えばノープラン。行き当たりばったりの旅なのである。

 そんな中、果たしてあのヴィクターがわざわざ言うほどの耳寄り情報とは、本当にそのままの意味で受け取ってもいいのだろうか。クラリスはわずかな不安を感じながらも、彼の次の言葉を待つ。結果は――彼女の杞憂であった。



「クラリス。()()()()という町は知っているかね」


「スモーア? うーん……行ったことはないけれど、なんか聞いたことはある……かも」



 薄ら聞いたことある程度だが、クラリスの記憶の片隅にその名前はある。しかもそう遠くはない最近の記憶だ。

 するとヴィクターは指を鳴らして、一枚のチラシを呼び出した。パッと見ただけでも分かる。これは――シュークリームにチョコレートケーキ。それからマドレーヌに色鮮やかな氷菓子……極めつけにこの世の果物全てを盛り込んでしまったのではないかと思うほどに大きなフルーツタルトの写真が載せられた、スイーツのチラシだ。そのタイトルは――



「スモーア・スイーツフェア……どうやら今週開催される町を挙げての一大イベントらしい。地元の銘菓はもちろん、サントルヴィル(中央大都市)どころか世界中からも名店が集まるようだけど。キミ、この前ホテルのテレビで食い入るように特集を見ていただろう」


「ああっ、そうだ! スイーツフェア……行きたいと思ってはいたけれど、どうしても場所が遠くて……。イベント自体は一週間あるけれど、最終日まで間に合いそうになかったのよね……」



 たしかにヴィクターの言う通り、クラリスがその名前を聞いたのは今から数週間前。ホテルでテレビを眺めていた時のことだ。

 スモーア・スイーツフェアは世界で一、二を争うスイーツの祭典。普段は予約がいっぱいで手が出せないようなスイーツや、ここでしか味わうことのできないスイーツが集まる、甘いものに目がない人間にとってはまさに天国のようなイベントである。

 しかし開催地であるスモーアは遠く離れた場所にあるため、歩いて向かったところで間に合う可能性は限りなくゼロ。クラリスは早々に諦めてしまったのだ。彼女はそのことすらすっかり忘れてしまっていたのだが、まさか隣でつまらなそうにテレビを眺めていただけのヴィクターが覚えていたなんて。



「言っただろう。耳寄りな話だと。ここに来る前にロブソン夫人から聞いたのだが、なんでもスモーアは隣町から急行列車に乗れば直通で行ける場所にあるらしい。数時間はかかるだろうが、それでも歩いて向かうよりは断然早いはずだ」


「それじゃあスモーアに行けるってこと……なのよね? ということは……」


「間に合うよ。イベント」



 ヴィクターがそう言うと、クラリスの瞳がパッと輝いた。まさか一度は諦めたあの夢の祭典を、この目で拝むことができる日が来るだなんて。



「本当に!?」


「嘘なんてつくはずないだろう。イベントは昨日から始まっているみたいだから、明日に()ったとしても数日間は楽しめるはずだ。誰に頼もうが、今日はどうせベンくん達を病院に連れていくのに忙しいだろうし、暇なことに変わりはないんだ。そのスマホとやらにもスイーツフェアの情報は出回っているのだろう? 出発の準備を済ませて、ゆっくり下調べでもしてるといい」


「うん、そうする! まさか私が憧れのスモーア・スイーツフェアに参加することができるだなんて……夢みたい。今のうちに情報収集しておかなきゃ。ありがとうヴィクター! こんなに楽しみなのは生まれて初めてかも!」


「ああ……うん。えへへ。キミが喜んでくれてよかった。今回は頑張ったんだから、自分へのご褒美だと思いたまえ。きっとスモーアでは素敵な毎日を過ごせるはずだよ」



 足をパタパタさせて全身で喜びを表すクラリス。今のうちから高鳴る胸に、楽しみを隠しきれずにニヤニヤと上がってしまう口角。そんな彼女からの感謝の言葉に、ヴィクターは照れ笑いを返した。


 窓から入ったそよ風が、カップに張った水面を撫でていく。さわさわと揺れる葉擦れの音に混ざって、歌うような鳥の声が聞こえる。――窓辺には、一羽の小鳥が止まっていた。

 もう、あの不気味な虫の羽音は聞こえない。

 小鳥はヴィクターと目が合うと、愛らしい声でひと鳴き。飛び立った小鳥は小さな羽を一生懸命に動かして、村を越えたその向こう――家族の待つ、豊かな森の住処へと帰っていくのであった。






第1部 第1章『チープな英雄劇に立役者は二人いる』――完

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