第25話 このちゃちな英雄譚で、最高の栄誉をキミに
《数時間後》
クラリス達が森を抜ける頃には、すっかり日は傾いてしまっていた。
当初の予定では、日が昇っているうちに村まで帰り着くはずだったのだ。しかし歩くのも大変そうな村人達に気を遣い、何度も休憩を挟んでいるうちに時間ばかりが過ぎてしまって――いや、なにより例の胴上げと感謝の言葉の雨あられで、げっそりと疲れ果ててしまったヴィクターを連れて帰るのが大変だった。
会話の中でクラリスは気がついていたが、村人達のコミュニケーション能力は驚くほどに高く、それでいて毒が無い。村まで帰る長い道のりで、この土地の話や日常の些細な出来事など時間を忘れて聞き入ってしまったくらいである。
しかし一方のヴィクターはそうでもないらしい。クラリスが自分以外の男と親しげに話しているのが気に入らないのはもちろん、かといって下手に会話に混ざって不必要に絡まれたくもないのか、長らく無言。彼はただただ彼女の後ろでムスッと口をへの字に曲げているだけだった。
「もう……ヴィクター。そうやって後ろで黙っていられると歩きにくいわ。なにをそんなに怒ってるわけ?」
「怒ってなんかいないさ。拗ねてるだけ」
「それ自分で言うの? もう少しで村に着くんだから、機嫌を直してくれると助かるんだけど――わっ、こらヴィクター!」
「……ふん」
必殺のクラリスのお願いだって、今のヴィクターには無意味である。それならキミがワタシの相手をしてくれればいいのにとでも言わんばかりに、彼はぐいぐいとクラリスとベンとの間に割り込んでいく。これでは甘えたがりな犬のようだ。
「アナタって人は本当に……無理やり入ってきたら狭いでしょ。すみませんベンさん」
こんなにデカい男が重なってしまっては、隣を歩いていたベンの姿も腹以外には見えやしない。
ひょっこりと前に身を乗り出して、クラリスが謝罪をする。しかしベンは笑顔で首を横に振ると、隣で嫉妬の種火を燃やしているヴィクターを見上げる。そしてずっと気になっていたあることについて、彼は質問を投げかけたのだった。
「いいんだよ。全然気にしてないからさ。それより二人共、すごく仲がいいみたいだけれど……たしか、一緒に旅をしてるんだよね。ひょっとしてお付き合いとかしてるのかな?」
「なっ! キ、キミね。そういうことを不躾に聞くのはどうなのかね。男女が一緒にいるのを見て、そうやすやすと恋仲と決めつけるのは……ああいや、別にワタシはそう見られても構わないし、むしろ嬉しいのだよ? だが突然そんなことを言われる彼女の身にもなってみたま――いや待てよ。まさかベンくん。キミ、あの短時間でもうクラリスに気がある、とか……そういうわけじゃあ……」
早口にまくし立てるヴィクターの様子は赤くなったり青くなったりと忙しない。そんな彼の反応だけで、ベンは聞かずとも彼の聞きたかった答えを推測することができてしまった。
「気を悪くさせちゃったならごめん。ただ気になっただけなんだ。僕にはもう奥さんも子供もいるから、心配しなくても大丈夫だよ」
「そうかね……ま、まぁキミの着眼点は悪くないと思うよ。ワタシとクラリスはご覧のとおり仲良しなのだからね! 関係が気になってしまうのは仕方のないことさ」
ほっと安堵したヴィクターの肩上には、ポコポコと小さな花火が咲き誇った。彼がドキドキしたり幸福感を感じたりした時に上がる、一種の感情表現のようなものである。よほどクラリスと仲良しだと言われたことが嬉しかったのだろう。
その花火を初めて見るベンは不思議でたまらないといった様子で驚いていたが、挟まったヴィクターの向こう側ではクラリスが笑いを堪えている。どうやらこの不思議な花火が打ち上がるのは彼らにとって日常茶飯事のことらしい。今の会話でヴィクターの機嫌もすっかり直ってしまったようである。
三人の前方に動きがあったのは、ちょうどそのタイミングであった。
「――あっ! あそこを見てくれ! 村のみんなが俺達のことを出迎えに来てくれてるよ!」
先頭を歩いていたマイルズがそう言って振り返ると、一行の中で次々と喜びの声が上がった。ポツポツと見える、煙突が突き出た屋根。探索隊はついに家族が待つ村へと帰ってくることができたのだ。
湧き上がるのは待っていた村人達も同じである。村に近づくにつれて、彼らを出迎える歓声はどんどんと大きくなっていく。
――そっか。ニコラスさんと初めて会った時も夕飯前だったっけ。きっと昨日だけじゃなくて、こうして毎日ベンさん達の帰りを待ってたんだろうな。
思えば今の時間は、昨日クラリス達が村に訪れた時刻に近い。家族の無事を祈りながら一日の仕事を終えて、ちょうど集まってくるのがこの時間なのだろう。
マイルズを先頭にした男達はそれまで歩き疲れていたにも関わらず、家族の姿を見ては一人、また一人とクラリス達の横を走り抜けていく。――もちろんベンも、その中のまた一人であった。
「ベン! 無事だったか!」
「叔父さん! 父さんもこんな所まで……待っててくれたんだね」
村で待つ人々の中にはロブソン夫妻の姿もあった。父さんと呼ばれたのは車椅子に乗った身なりのいい初老の男で、目鼻立ちはどこか彼やベンにも似ている。きっと彼が、ニコラスが言っていた村長のジェフリーなのだろう。
「おお……ベン。お前が無事で本当に良かった……ん? その腹……お前、そんなに出ていたっけか」
「あはは……これには色々事情があって。今のところ見た目以外はなんともないから安心して。……あっ、そうだ。叔父さんはもう会ってると思うけど、父さんには紹介するね。こちらがヴィクターくんとクラリスちゃん。僕達を助けてくれた命の恩人だよ」
そう言ってベンが道を開ける。クラリスが慌ててお辞儀をすると、ジェフリーはニコラスに合図をして自分で車椅子を動かしはじめた。
まさかこんなにも早く村長と話すことになるだなんて。クラリスは緊張した面持ちでジェフリーの次の言葉を待っている。しかし二人の前で止まったジェフリーは深々と頭を下げると、そんな彼女の緊張と不安を丸ごと包み込んでしまうほどに柔らかな笑みを浮かべた。
「これはこれは……話はニコラスから聞いておりました。まさか本当に村を救ってくださるとは。自分は村長のジェフリー・ロブソンと申します。ヴィクターさん、そしてクラリスさんと言いましたね。村を代表して、ぜひお礼を言わせてください」
「いえ! 私なんてオマケみたいなもので全然なにも……ほとんどヴィクターがなんとかしてくれたみたいなもので……ヴィクター?」
期待した反応が一向に無いことを不思議に思い、クラリスが隣のヴィクターを見上げる。普段の彼であれば、勝手に横から口を挟んでいらぬことまで話し出しそうなものなのだが。しかし待てど暮らせど彼はなにも言わない。
――あれ、どうしたんだろう。もしかして私、なにか変なことでも言っちゃった……?
もしや今の発言にどこか無礼なところがあったのだろうか。そう思っている間にも、不安の渦中にいるクラリスの心境をちょうど感じ取ったのだろう。ヴィクターが視線で前方を見るように指示する。
すると――驚きのあまりクラリスの目が大きく見開かれた。ジェフリーだけではない。ベンやニコラス、それどころかこの場にいた村人達が一同にして、彼女達の方を向いていたのだ。もちろんそこに敵意は無い。あるのはただひたすらな感謝の気持ちと、離れていた家族の無事を喜ぶ涙。
戸惑うクラリスを前に、彼らを代表して口を開いたのはベンだった。
「クラリスちゃん……そんなことないよ。君が僕達を説得して連れ出してくれたから、こうして誰も欠けずに家族と再会することができたんだ。あの時君が見つけてくれなかったら……それに説得を諦めていたら。僕達はきっと崩壊に巻き込まれて死んでいたはずだ。ここにいる全員、君のおかげで生きているんだよ。本当に感謝してる」
「ベンさん……皆さん……」
すると、ヴィクターがクラリスの肩に手を置いた。
「分かったかね。今日のMVPはキミなのだよ、クラリス。キミがいなければワタシは彼らを助けようとすら思わなかったし、キミが一人でも果敢に行動を起こしたからこそ彼らの命は助かった。胸を張ってふんぞり返る権利はキミにだってあるんだ。謙虚なキミも素晴らしいが、今くらいは堂々としていたらどうかね」
「私が……」
いまだ信じられない様子でいるクラリスの言葉に、ヴィクターが頷く。
人の命を救うだとか、怖い魔獣に立ち向かうだとか。今までそんな大層なことを成し遂げた経験なんてクラリスには無かった。しかし今日。ヴィクターという武器を手に、彼女はひとつの悲劇を断ち切ることに成功した。これは彼女が戦うことを選んだからこそ起きた奇跡。手にするべき栄光なのだ。
このまま口を開いたら一緒に涙まで出てしまいそうで。クラリスは言葉を飲み込むと、もう一度深くお辞儀をすることで村人達からの気持ちを正面から受け取ることにした。
間もなくして、誰かが全員へと聞こえるように大きく一度手を叩いた。ジェフリーである。
「――よし。たった数日間の別れだったとはいえ、各々積もる話もあるだろう。日も沈んできたことだし、今日は帰ってゆっくり休むといい。ベン達は明日隣町の病院へ連れていってもらうから、起きたらまた自分の所まで来なさい」
彼は車椅子に座ったまま村人達の顔を見回すと、皆が帰路につきはじめたのを見届けていく。それから改めてヴィクター達の方へと向き直った。
「お二人さえよければ、この後ウチで夕飯でもいかがですかな。妻がベンの家族と一緒に隣町まで買い出しに行っているんです。あなた達を信じて、今日は皆が帰ってきたらいいものを腹いっぱい食わせてやろうと張り切っていましてね」
「……それはもしかして、山菜だけの質素な食事には……」
「ハッハッハ! 安心してください。肉も魚も用意すると言っていましたから。クラリスさんが抱えているその鹿も、すぐに村の獣医に診てもらうとしましょう。詳しい検査が必要ならば、明日ベンに街まで連れていかせますよ」
「聞いたかねクラリス! 今夜は肉だって!」
よほど山菜フルコースを回避したことが嬉しかったのか、ヴィクターは子供のように目を輝かせて飛び跳ねた。
クラリスとしては昨日の料理も十分美味しかったのだが、とはいえ二十代前半の彼女はまだまだ食べ盛り。本当のところは彼と同じく、少しだけ味の濃いお肉が恋しかったのだ。
「うん。……ジェフリーさん、この子のことも気にかけてくださってありがとうございます。それじゃあお言葉に甘えて――ぜひご一緒させてください!」
クラリスのその返事を聞いて、ジェフリーは満足そうに首を縦に振った。
こうして小さな村を襲った、世界という規模から見れば実に取るに足らない事件。そんな事件を見事解決した二人の英雄の物語は、甘辛い夕食の匂いに混ざって賑やかに幕を閉じたのだった。




