第24話 英雄を称える家畜讃歌
全身を使ったその一打は、実に気持ちの良いものだった。
たとえ日頃の筋トレをサボっているひ弱なヴィクターでも問題ない。女王蜂がステッキに触れるその刹那。宝飾に溜め込まれた魔力は魔獣の顔右半分を削り取り、軽々と打ち返してしまうだけの爆発力を引き起こしたのだ。
『Agyyy!?』
熱風が女王蜂の体表を焼き焦がし、膨大な圧力によって跳ね飛ばされた魔獣が空中で弧を描く。しかし――まだまだ足りない。
ヴィクターの心算では、女王蜂の身体はさっきの一打で巨木の根元まで打ち返されるはずだった。だが、あの無駄に二十メートルもある身体の長さが原因か、はたまた威力が足りなかったのが原因か。飛距離が圧倒的に足りていないのだ。
「ふん、最後の最後までしぶといデカブツだね。キミの母親があの中にいたのかは知らないが……丈夫に産んでもらったことに感謝したまえよ」
むしろ腹には穴を開けられ、顔を半分失ったとて生きている魔獣の今の状態を思えば、感謝するよりも呪うという方が気持ちとしては正しいだろう。
ヴィクターがステッキを持ち直し、前方へ宝飾を向ける。やはり慣れないことはするべきじゃない。自分に合ったやり方が一番カッコよく決まるのだ。
体内の魔力が高まるにつれて、解放のときを待ち望む苺水晶の輪郭がぼやけていく。表面には白い電流が弾け、触れれば火傷をしてしまいそうなほどに酷く、熱くなっていく。そしてついに。今にも暴発しかねないエネルギーは、ヴィクターの腕の先で魔力の結晶となり――
「さあ……ダメ押しだ!」
高出力のエネルギーによる光線が、女王蜂へ向けて撃ち放たれた。射程圏内にクラリスの姿は無し。彼女の避難は完了済みだ。もう巣が崩れることも気にしなくていい。
まるで光という概念自体が、牙を剥いて襲いかかってきたかのようだ。放たれた光線は女王蜂の全身を一瞬で飲み込み――押し出された衝撃でくの字に折れ曲がった魔獣の身体は、今度こそ巨木に向けて一直線に吹き飛んだ。
『GyyyyyyyAaaaaaaaa――Gyub!』
女王蜂の全身が巨木の根元へと叩きつけられる。
さて。あんな巨大な魔獣にぶつかられた違法建築物が、このまま無事なはずがあるだろうか。振動が直に伝わった幾何学模様の小部屋達はぐらぐらと互いの体をぶつけ合ってバランスを崩し、まだギリギリを保てていたパイプが次々に悲鳴をあげていく。
もちろん女王蜂の頭上に位置するあの崩れかけの小部屋からも一本、また一本とパイプが外れていき、そしてついに――
『――a』
落下。派手な落下音と衝突音を響かせながら、小部屋は遠慮することも無しに仰向けに横たわる魔獣の全身を押し潰した。
わずかに瓦礫の外へとはみ出た後ろ足は、もうピクリとも動かない。しんと静まり返った空間。その静寂こそが、今度こそこの戦いが終わったのだということを、ここにいる全員へと知らしめた。
「……ふぅ。まったく、本当に骨の折れる仕事だったね」
「ヴィクター!」
「ん? あぁ……クラリス。キミが無事でよかった。どこも怪我はしていないかね」
腕に抱えた小鹿と共に、小走りにヴィクターの元へとやって来たのはクラリスだった。元気そうなその姿を見て、ヴィクターはステッキをしまうと心底安心した表情で自身の胸に手を当てる。まだ心臓はドクドクと、いつもよりもワンテンポ速い鼓動を刻み続けていた。
「アナタのおかげで私はこの通り平気だよ。本当に……守ってくれてありがとう。ベンさん達にもお礼をしないとね。……ヴィクター?」
「……ああいや、その……さっきは本当に、すまなかった。ワタシがちゃんと魔獣を仕留めてさえいれば、キミに怖い思いをさせなくて済んだというのに……」
「そんなこと気にしてたの? たしかにあの時は怖かったけれど……でも、結果的にみんな無事だったんだし、それでいいじゃない。アナタがいなかったら、今頃あの魔獣に全員食べられちゃってたかもしれないのよ? もっといつもみたいに胸を張って、偉そうにしてたらどうなの」
「それは……うん。キミの言う通りだね」
口ではそう言いながらも、ヴィクターの顔は曇ったままだ。自分のせいでクラリスを危険に晒してしまった上に、一歩間違えば失いかねなかったあの瞬間のことをよほど悔いているのだろう。
――駄目だな。クラリスもこう言っているんだし、気持ちを切り替えないと。
考えすぎるのは悪い癖だ。いつまでもくよくよしていては、格好がつかないのも分かっている。
ヴィクターは気持ちを切り替えるべく、ゆっくりと深呼吸をして呼吸を整えた。さすがは木々に囲まれた自然の中心。リラックス効果でもあるのか、清々しい空気を肺いっぱいに吸い込んで吐き出す間にヴィクターの気分はだいぶ楽になっていた。
「……よし。それじゃあ村へ戻ろうか、クラリス」
「そうね。早く村のみんなにも無事を知らせてあげたいし、この子にも元気になってほしいからね」
「そうだね。……ふふっ、ふわふわだ」
体力を消耗しているのか、小鹿は彼女の腕の中ですっかり寝付いてしまっていた。クラリスが優しい手つきで小鹿の背中をさすると、それに倣ってヴィクターも小さな額を撫でる。指先が毛の中にすっぽりと沈んで、柔らかい。
すると静かな寝息を立てていた小鹿の耳がぴる、と動いた。はじめは嫌だったのかと思って指を引っ込めたヴィクターであったが、すぐにそれは間違いだったのだと気がつく。――地響きがする。それも遠くからではない。震源地は彼のすぐ後ろからだ。
「わっ!? な、なんなんだキミ達――やめろ! 急になにをするのかね!」
「なにって、胴上げに決まってるだろ! 俺達を救ってくれた英雄に最大の感謝を示すんだよ!」
「いい! そんなことしなくていいから――ひっ、早くここから降ろしたまえ!」
その地響きの正体は、ヴィクターの周りに集まってきた村人達だった。
彼らはベンやマイルズを筆頭にしてヴィクターを取り囲んだかと思えば、慣れた手つきで彼の足を掬い上げて、ぴょい。身長百九十センチメートルもあろう男を軽々と空へ投げ飛ばしてしまったのだ。
ヴィクターの口から小さな悲鳴が漏れたのもつかの間。人生で初めて体験する景色と感覚に、彼はぎゅっと胸の前でコートの前立てを握っては全身を強ばらせることしかできやしない。
「ばんざーい! ばんざーい!」
「助けてくれてありがとう! 君の魔法、本当にかっこよかったよ!」
「ほらほら縮こまってないで背筋は伸ばして伸ばして! 落っことしてもしらねぇぞ!」
「なんだぁ兄ちゃん、デカいくせにずいぶんと軽いな! 村に戻ったら腹いっぱい食えるよう、ウチの嫁に頼んでおくから覚悟しておけよ!」
それはもはや脅しだ。この体育会系なノリ自体もそうだが、あちらこちらから大音量で飛ばされる野次やら感謝の言葉の波に飲まれて、ヴィクターの頭はもうパニック寸前であった。
「く、クラリス! これやだ、助けて……!」
「みんなアナタにお礼がしたいのよ。こんな時くらい、ありがたく受け入れなさい」
「そんな……」
予想もしなかった裏切りに、サッとヴィクターの顔が絶望に染まった。ピィピィ喚いて怯えた子犬のようになってしまった姿は、つい先程まで魔獣と戦っていた勇ましい人間と同一人物だとは到底思えやしない。
すると面白がってその様子を眺めていたクラリスにも矛先は向けられた。彼女のことを思い出したベンが、胴上げの輪から一人抜け出し近づいてきたのだ。
「そうだ。次はクラリスちゃんもどうかな。僕達、胴上げは村の就任式とか結婚式でよくやるから、結構慣れてるよ?」
「ありがとうございます、ベンさん。でも……私はこの子を見てないといけないので。お気持ちだけ受け取りますね」
「そうかぁ……残念だけど、それなら仕方ないね」
クラリスがわざとらしく腕の中で眠る小鹿を見せると、ベンは残念そうに頷いてまた輪の中に戻っていった。そして――
「よし、みんな! あと追加で十回だ!」
「おおーッ!」
矛先は再びヴィクターへと戻された。
ベンの掛け声と共に、大歓声が群衆の中で上がる。その声に圧されたヴィクターの顔色がますます悪くなってしまったのは言うまでもない。
「正気かね!? キミ達の腕ももう限界だろう! 落とす前に早く降ろせと、ずっと言っているのが聞こえないのか!」
聞こえてはいるはずだ。しかし止まる様子はまったくない。ヴィクターの叫びも虚しく、村人達の感謝の胴上げはその後も飽きることなく続けられたのだった。




