第22話 蹂躙するなら上品に、見栄えよく
《現在――巨木の根元》
起き上がった女王蜂の四つの瞳は、しっかりとヴィクターの姿を捉えていた。
既に魔獣には、獲物どころか明確な敵として認識されているのだろう。ヴィクターに向けられた視線には、他のなによりも優先された怒りの感情が含まれている。下手すればこの魔獣、仲間が来ないことすらも彼のせいだと思っているのではないだろうか。
「Hmm……ワタシに怒るのはお門違いなのではないかね。ワタシはただ、自分が食べられないようにと正当防衛の義務を果たしただけで、キミの仲間を食べたのはキミ自身だ。……ああいや、ワタシも少し殺しはしたか」
ヴィクターがさりげなく、魔獣から隠すよう後ろ手にクラリスを下がらせる。可哀想に震えてはいるが、あんな化け物を前にして失神しないだけ上出来だ。
あとはここをどう切り抜けるか――それだけである。
「……とにかく。キミは既にお腹いっぱいで、我々の方もクラリスのおかげで目的はほとんど達成されたも同然だ。提案しよう。もうワタシがキミと戦う理由は無くなった。ここはお互い水に流して、お開きにでもしないかね。ここを離れて、どこでも好きな所へ消えたまえ」
『Guuu……Gyyyyyyyyy!』
「しまった。そもそも言葉が通じないんだった」
交渉失敗。女王蜂は左右に糸を引く縦型の口腔を惜しみもなく見せつけてきたかと思えば――聞くにも耐え難い長い咆哮。ヴィクターに向けて突進を仕掛けてきた。
これでは言葉で説得しようとも脅そうとも馬耳東風。いくら異形であっても顔がギリギリ人間の造形をしているのだから、人語くらい理解してくれてもいいのではないだろうか。
――引かれたくはないからね。クラリスの前で、あまり先程みたいに手荒な蹂躙はしたくないのだが……いや、待てよ。むしろワタシがここでカッコよくアレを制圧することができたなら、その勇ましい姿を見て彼女が惚れ込んでくれるという可能性もあるんじゃないか? 試してみる価値は……あるな。
あちらがその気ならば、こちらにだって考えがある。それも上手く行けばクラリスの好感度をグッと上げることができるかもしれない――ヴィクター的勲章ものの考えがだ。
「クラリス、離れていたまえ。こうなってしまった以上、せっかくの機会だし改めて見せてあげるよ。ワタシという魔法使いのやり方っていうものをね」
「やり方って……えっ? 待ってヴィクター。アナタまさか、今からここで暴れる気!? さっきの爆発でこの木がいつ崩れてきてもおかしくないのよ!」
「もちろん、なるべく気をつけるつもりさ! 文句なら人の話を聞かないあのブサイクにでも言いたまえ!」
そう言ってすぐ、ヴィクターが走り出した。
脇目も振らずに飛び掛ってくる女王蜂の顎下へと滑り込んだ彼は、魔獣の喉元へとステッキを押し付けて挨拶代わりのゼロ距離爆発をお見舞いする。
たまらず天を仰いで悲鳴を上げる女王蜂。その背中にヴィクターは飛び乗ると、軽快に指を弾いて手元になにかを呼び出した。黄色い花火が破裂すると共に現れたそれは、これ見よがしに怪しい紐がついた細い筒状の物体。
「たまには物理的な爆破も、風情があっていいよね」
彼はそう言って、躊躇いも無しに空高くへとその物体――ダイナマイトを投げ捨てた。宙で弧を描き、大きく広げた女王蜂の口に吸い込まれるダイナマイト。ヴィクターが再び指を弾くと、魔獣の口内で導火線に火がついた。
ごくり。魔獣が嚥下したのを確認して、ヴィクターは左手のステッキに魔力を流し込む。時間にしてあと十秒程度。爆発予定時刻まではもうすぐだ。
「マナーだからね。食事中は口を閉じていたまえよ」
すると彼のステッキから溢れた魔力が、女王蜂の背中を伝って魔獣の頭上へ巨大な光球を打ち上げた。それを頭の中でこねて、丁寧に形を整えてやれば――真円はやがて巨大な杭を形作った。
ヴィクターが人差し指を曲げると、杭は木槌で頭を叩かれたかのごとく勢いをつけて落下。見事女王蜂の後頭部を貫き、暴れる魔獣の頭を地面へと縫いつけてしまったのである。
『――ッ! Mmmm――!』
「あっはは。仕込み中なんだから、そう焦らないでくれよ。……クラリスが気に入ってくれるといいんだけれどな」
残り五秒。じたばたもがく女王蜂の腹の中で、今か今かと爆発を待ち望むダイナマイト。だが高揚しているのはヴィクターも同じだ。魔法を使っての爆発は手軽で心身共にスッキリするが、現物を使った爆発はこのワクワク感がたまらない。
そして――待ちに待った、起爆の時。女王蜂の背中の固い装甲の下。魔獣の柔らかい腹が膨れて、胃の中の内容物達がふにゃりと溶解する。きた、きた、きた。準備は万端だ! 到底抱えきれない圧力を健気にも耐えていた皮膚が、一気に裂けるその瞬間が――今、まさに。
「――BOOM!」
刹那。ヴィクターの掛け声と共に、ついに女王蜂の腹は膨らんだ風船ガムのごとく派手な破裂音を立てて弾け飛び――鮮やかな赤、橙、それから黄色。魔獣の腹の中へと詰め込まれていたたくさんのキラキラが、辺り一面へと解き放たれた。
「わっ……! とっても綺麗な光……これをヴィクターが……?」
見とれてしまうほどの幻想的な光景を前に、思わずクラリスが呟く。目を奪われたのは隠れていたベン達村人も同じである。
それはまるで、夜空に散りばめられた星々や水辺を舞う小さな蛍のような、はたまた誕生日会を彩る特大のクラッカーのような。そんな神秘と派手さをごちゃ混ぜにした不思議な光景だった。
本来、女王蜂の腹の中に詰まっていたのは、それは目を背けたくもなる臓物や食べ終えたばかりの蜂人間達である。それがこうも幻想的なビジュアルに変貌したのは、ひとえにヴィクターの魔法のおかげに他ならない。
仕組みは単純。それは潜入の際――彼が見張りの蜂人間の体内の水分を水で溶いた絵の具に変えてしまったように、胃の中のものを綺麗なキラキラに変換しただけ。魔力の抵抗力が低い相手にしか通用しない魔法だが、幸運にも条件が合致した結果――今回はヴィクターの思惑通り、クラリスへと魅せつけることに成功したのだ。
「どう? クラリス。キミの目の前だし……なるべく見苦しくないように、見た目だけでも楽しくしてみたんだけれど」
「うん。初めて見る景色で、すごく綺麗でびっくりしちゃった。……楽しいかは置いといて」
そう答えたクラリスが、ヴィクターの足元で動かなくなった女王蜂に目を向ける。
あのキラキラさえ無くなれば、残るのは腹に大穴が空いた巨大な魔獣の死骸だけだ。現実と言うべきか、正直こちらは楽しくない。それでも一般人であるクラリスを気遣ったヴィクターの不器用な思いやりの気持ちは、今の戦いを見ていた彼女にはしっかりと伝わっていた。
「とにかく、無事に一件落着……ってことなのよね? 色々あってまだ現実味が無いけれど……ヴィクター。アナタさえ良ければ、村に戻る前にみんなの様子を診てもらえないかな。捕まってる間、あの巣の中で変なものを食べて生活していたみたいなの」
「分かったよ。といっても、ワタシは医者じゃないからね。簡易的なチェックぐらいにはなるけれど」
「ありがとう、それだけでも助かるわ。……あれ?」
女王蜂から飛び降りたヴィクターにクラリスが笑いかける。
すると、そんな彼女の視界の端――女王蜂の死骸の向こうでなにかが動いた。まさか蜂人間の残党が? そんな警戒心を胸によく目を凝らしてみれば、それは魔獣よりも遥かに小さい見覚えのある生物だった。
「もしかして、私達を案内してくれた、あの小鹿……?」
それはクラリス達が巣を脱出する際、彼女達を先導してくれたあの小鹿であった。
外に出た後は姿を見かけなかったはずだが。おそらく巣の崩落に巻き込まれたか、ヴィクターと女王蜂の戦闘に巻き込まれてしまったのだろう。動けないところを見るに、どうやら足を怪我しているらしい。
――大変。あそこじゃ木の上から瓦礫が降ってきた時に下敷きになっちゃう。あの子も一度村に連れて帰って手当しないと。
相手は動物といえ、クラリスにとってはかけがえのない命の恩人である。そう思うといてもたってもいられず、彼女は小鹿の元に向けて走り出した。
「クラリス?」
「ごめん、先に行ってて! 逃げる時にあの小鹿が私達を助けてくれたの! 怪我をしているみたい。私はあの子を連れてくるから、ヴィクターは先にみんなのことをお願い!」
「む……そうかい。キミが言うならそうするよ」
横を走り抜けていくクラリスの言葉に、不本意そうにヴィクターは返事をする。彼は巨木の根元まで一直線に向かっていく彼女の背中を見届けると、とぼとぼと重い足取りで村人達の元へと歩き出した。なにが悲しくて、クラリスもいないのに見知らぬ男共の世話などしなくてはならないのだ。
しかしそんな彼の思いとは裏腹に、村人達はヴィクターがやって来るやいなや大歓声と拍手で彼のことを出迎えた。
「兄ちゃんすごいじゃないか! あんなデカい魔獣をやっつけちゃうだなんて!」
「さっきの綺麗なあれ、魔法だろう? すごいなぁ。僕、本物の魔法使いなんて初めて見たよ!」
「ああ……まぁワタシくらいになれば、あれくらい楽勝なものさ。気が向いたらまた見せてあげてもいいけれど」
はじめは引き気味に警戒していたヴィクターも、どうやら褒められること自体は満更でもないらしい。彼は口々に自分に向けられる賞賛の言葉を耳に、ふふんと得意げに鼻を鳴らした。
――クラリス以外に感謝されるのも存外悪くないね。どれ、少し診てやるとするか。
チョロいものである。彼はその場に村人達を座らせると、一人ずつ検査を始めた。
たしかに全員命に関わる外傷は無さそうだが、代わりに通常ではありえないほどに腹だけが膨れ上がっている。傷痕を塞ぐ皮膚がやけに引きつっているのも、再生したばかりの薄い皮膚が周りに引っ張られてしまったからだろう。
――なるほど。短期間による栄養の過剰摂取といったところか……。この辺りにそんな効果のある食料なんかは無さそうだし、魔獣の体内で分泌された物質の可能性もあるな。どちらにせよ、詳しい原因はそれこそ医者にでも任せればいいか。
こんな腹を治すだなんて、それこそプロの役目だ。
ヴィクターはそれまで診ていた村人を座らせると、隣に控えていた次の村人を立たせる。ベンの番である。どうせ診断結果は同じだろうが、クラリスの顔を立てなければならない以上、形だけでも全員行っておくのが筋というものだろう。
すると、立った拍子に視界に違和感を感じたらしい。なにかに気がついたベンがヴィクターに向けて声をかけてきた。
「……ん? なぁ兄ちゃん、あれ……」
「なにかね。今は診察中だ。少しの間くらい大人しくしていたまえ」
「いや、それはそうなんだけどさ。あの死んだ魔獣……さっきからあっちなんて向いてたっけか」
「――なに?」
ベンの言葉を聞いて一瞬、ヴィクターの思考が止まった。あっち? その言葉の意味に嫌な予感が背筋を駆け抜け、彼は堪らず振り返る。
その予感は、見事的中。死んだと思っていた女王蜂が――光を失ったばかりの濁った瞳が向けられていたのは巨木の根元。一度折られたはずの魔獣の矛先は、まさに傷を負った小鹿の元へとしゃがみ込んだばかりのクラリスへと向けられていたのだ。




