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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 第1章『チープな英雄劇に立役者は二人いる』
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第21話 腹ペコ『女王蜂』はごちそうを前に狂乱する

 巨大な二つの眼球が、卵の内側から周囲を見回す。瞼は無いのか瞬きをする様子はない。いまだパリパリと殻を剥がす音は不気味に響いていて、大きな欠片が落下すると同時に暗闇の中に剥き出しの歯茎が姿を覗かせた。



『Brr? Barrr!』


『Barrrrr!』



 卵の変化には蜂人間達も気がついたようで、生き残った数体が卵へと振り返る。その間も乾いた音を立てて亀裂は広がっていき、魔獣達の見ている前で地面に落ちる殻の破片が一枚、また一枚と増えていく。

 やがてできた空間から現れたのは、今まで指先しか見えていなかった黄色く膨れあがった腕。突き出された五指の動きはバラバラで、明らかに人間とは違う関節の可動域をしている。ましてやそれが一本どころではなく、目視だけで少なくとも六本の腕が穴の縁を這い回っているのだ。

 するとそんな折に再び。殻の中からは不似合いに澄んだ二つの目玉が覗いて――パチリ。ついに()()とヴィクターの目が合った。



『――GyyyyyyAaaaaaa!』


「うるさっ……! 人の顔を見て奇声をあげるとは、失礼だとは思わないのかね!」



 耳を塞ぐ意味もないほどに、その声量は今までの比にならない。

 卵の内側から聞こえる絶叫は、今までヴィクターが聞いたどんな音よりも鋭く耳を刺し、目眩を起こすほどに彼の脳を激しく揺らした。その声に共鳴して、部屋全体が大きく震える。どうやらあの殻の中はよほど優秀な防音室となっていたらしい。この部屋がガラス張りなんかで作られていれば、今頃全て割れて吹き抜けとなっていたはずである。



『Barr!? Brrrr!』


『Barrrrrrr!』



 鳴き声が止んだ頃には蜂人間達は分かりやすく動揺し、仲間内で忙しくなにかを話し合っていた。様子を見るに、おそらくもうヴィクターへの敵意は無い。いや、敵意そのものを失ったというよりは、優先順位が変わったという方が正しいだろう。


 卵からは、殻を剥がす不穏な音が続いている。


 やがて蜂人間達は次にすべき行動を話し終えたらしい。話し合いの結果、魔獣達はあろうことか手にしていた槍を次々に地面へ置くと、次の瞬間――一目散にその場から逃げ出した。それも全身の筋肉をフルに活用した美しいフォームで、今度こそ地に足を付けた全力の逃走である。

 一見間抜けにも見える魔獣達の行動。しかしそれが生物としての正しい行いだったということは、完全に蚊帳(かや)の外へと放り出されてしまったヴィクターでもすぐに理解することができた。



「ふぅん……なるほど。魔獣達はこうなることを恐れていたわけか。そりゃあ身代わりにするための()探しにも気合いが入るわけだね」



 そうヴィクターが呟く視線の先。最後のひと欠片がほろり、落ちて。完全に卵が割れると、その中からは満を持して彼女が――恐ろしく長い胴体を携えたナニカがずるりと這い出てきた。それはあの金切り声の主――そして蜂人間達の新たな主。世間一般的にはきっと『女王蜂』と呼ばれるのであろう高位的な存在だった。

 生まれたばかりの女王蜂はまだ()()なのか、蜂人間達とは似ても似つかない見た目をしている。顔は首を折って無理やり横向きにくっつけた人間のようだし、無数に生える腕は水分を吸って膨らんだ水死体のようだ。唯一同じなのは全身を覆う黄色。少し濁った芥子色(からしいろ)に近い。


 そんな女王蜂が揺りかご(卵の殻)から降りて、一番最初に行った行動は食事であった。

 魔獣のすぐ近く、転がっていたのはヴィクターのガラス玉によって遠くへ飛ばされた蜂人間の死骸。その死骸に目を留めた女王蜂は考える間もなく飛びつくと――仲間内(なかまうち)など気にもせず、むしゃむしゃと頭から丸かじりにしてしまったのだ。



『Yaaaam……Aaam』



 バリボリと骨を砕く音がこだまする。

 わずか数秒で三メートル近くもある巨体をペロリと平らげてしまった女王蜂は、次の獲物を求めて重い頭を持ち上げた。生物の匂いはそこかしこから漂っている。まだまだ腹を空かせた魔獣の目に真っ先に入ってきたのは――逃げ惑う、活きのいい蜂人間達だ。



『Gyyy!』



 そう女王蜂が短く叫ぶと、ピタリと蜂人間達の動きが止まった。細胞レベルで刻まれた本能。きっとあれが静止の命令なのだ。

 そして女王蜂は壁を這い、身体を引きずり移動を始めると――早々に次の食事を開始した。頭では逃げ出したくも、身体は言うことを聞かないのだろう。女王蜂に逆らうことのできない哀れな蜂人間達はもちろん、既にヴィクターの手で程よく火の通っていた焼き蜂人間すら好き嫌いせずに全てが平等。彼女の前では餌に他ならない。


 魔獣達の悲痛な断末魔が広い空間を反響する。しかし数分も経てば、それすら無かったかのように静寂が辺りを包み込み――目に見えて腹の膨れた女王蜂は、最後の生存者であるヴィクターに向けて振り返った。

 距離はおそらく五十メートルも無い。ゆっくりと右に左に身体を揺らしながら距離を縮める魔獣の様子は、さながら獲物を前に食らいつく機会をうかがう肉食獣のようである。



「なんだ。ワタシのことは襲ってくれないのかと思って見入ってしまったよ。もしかして、口直しのデザートにでも取っておいてくれたのかね」


『Gyrrrr……』


「肯定かい? なら嬉しいね。デザートってなんか特別感があるし、甘いものならクラリスも大好きだ」


『Gy――Aaaaaaa!』



 瞬間、女王蜂がヴィクターに向けて飛び掛った。無数に生えた腕で地面を踏みしめ、あの長い身体からは考えられないような跳躍。だが真正面から魔獣を迎え撃つヴィクターに避ける様子はない。

 彼はステッキを上空の女王蜂に向けて高く突き上げると――カチリ。照準を調整。魔力を凝縮した輝く光球を撃ち放った。目にも眩しい昼光色。その軌道にはぐれた光の粉を撒き散らし、ぐんぐん高度を上げて光球は女王蜂に接近する。

 そして光の輪郭が魔獣の柔らかい腹に触れた、その刹那――凝縮されていた魔力は解き放たれ、この巨木全体を激しく揺らしてしまうほどの大爆発を引き起こした。



『Gyyyaaaaa!』


「けっこうタフだな……ワタシの魔法はあまり屋内で暴れるのには向いていないのだけれど」



 記憶では、この巣は巨木を中心に枝分かれした複数の小部屋からできていたはずだ。ひとつひとつがパイプのように繋がり支え合ってはいたものの、自然界で、ましてや魔獣の手によって建てられたものならば耐久面には不安がある。

 現に今の爆発の影響で地面は絶えず揺れている。遅かれ早かれ崩壊するのは時間の問題なのだろう。


 ――最悪の場合、村人のことは捨ててでも、ここが駄目になる前にクラリスを連れて脱出しないといけないな。彼女がこの揺れに気づいて逃げてくれればいいのだが……


 そうヴィクターが考えている間にも、べちゃり。打ち上げられていた女王蜂が地面に落ちて土煙を上げる。しかし魔獣は息つく間もなく体勢を立て直すと、考え事の真っ最中なヴィクターを狙って煙の中を飛び出してきた。



「おっと……ははっ、大きい犬とでも遊んでいる気分だね。ならば食後の運動だ。キミ達、手伝ってあげたまえ」



 正面からの突進を避けると共にヴィクターが指を鳴らす。するとそれまで隣で命令を待っていたガラス玉達が一斉に動き出した。

 赤いガラス玉が女王蜂の二対の目の前を通り過ぎ、注意を引く。誘導に掛かった女王蜂の目がぐるりと右後ろへと回り、わずかに頭が持ち上がった隙を狙って――青いガラス玉が顎の下から魔獣の顔面を殴り上げた。堪らず仰け反った女王蜂の横っ腹には、すかさず回り込んだ二つのガラス玉が体当たりを仕掛け、その二十メートルにも及ぶ巨体を軽々と殴り飛ばす。



『Gyeeeeee!』



 飛距離はぐんぐんと伸びて、伸びて――ようやく。部屋の隅まで飛ばされた女王蜂は、行き止まりの土壁に叩きつけられると苦しげなうめき声を上げて崩れ落ちた。今の衝撃で壁にはヒビが入り、隙間から外の光が漏れ出している。

 ヴィクターは左手でくるくるとステッキを弄び、起き上がる気配の無い女王蜂へと近づいていく。そのタイミングで帰ってきたのは、あの二つのガラス玉だ。ガラス玉達は彼にひと撫でされると嬉しそうに水を揺らして笑い、杖先が地面を打ちつける音と共にその場から姿を消した。



「……さて。そろそろここも限界みたいだ。キミがまだ続けたいのなら、場所を変えて相手してあげるけど。どうする?」


『Aaaaa……』


「んー、なに言ってるのか分からないな。とりあえず崩れる前に移動しようか」


『Aa?』



 会話なんて、はなから期待していない。ヴィクターは転がる女王蜂の身体に片足を乗せ、ステッキを逆手にして持ち直した。体重を乗せれば靴底が魔獣の腹に沈み、皮膚の下から食べたばかりの食事の形が伝わってくる。……まだ少し固い。

 そして。ヴィクターの指先から流れた魔力はステッキの()から宝飾へと流れ込み、溜める間もなく地面へと放出される。刹那、ジェット機が離陸するかのように、ロケットが宇宙へ飛び立つかのように。その噴出した膨大なエネルギーを利用して、ヴィクターは自身の何十倍もの大きさがある女王蜂を蹴り飛ばした。



『Agyy!?』


「――ッ、眩しいっ……」



 その勢いは壁を破壊して、この部屋の外へと飛び出してしまうほどであった。

 仰向けのまま空中に投げ出される女王蜂の身体。腹の上に乗ったヴィクターは、急にひらけた視界に射し込むたっぷりの光を前に思わず目を細めた。

 ずいぶん高いところにいたのだろう。瞼の隙間から見えたのは、どこまでも続く広大な森と空。空気が美味しいなどと思ったこともなかったが、あの広くも閉鎖された空間で、煙と焦げた肉の臭いを嗅ぎ続けていた後だ。こんなにもただの空気が清々しいと思えたことは、ヴィクターにとって初めての体験である。



「ん……? あそこにいるのは……」



 光に目が慣れてようやく、彼は落下地点を見定めるべく地上の様子に目を向ける。

 するとそこにいたのは――人間だ。風に吹かれたゴミのごとく、彼らは飛来する具現化された恐怖を前に散り散りになりながら逃げ惑っている。しかし――そんな人間達の中に一人だけ、その場を動かずこちらを見上げている者がいた。


 ――あれは……


 自然と口角が上がって、それまでの眩しさすら忘れて大きく開く彼の瞳孔。顔はよく見えなくとも、ヴィクターは考える間もなくその人物が誰なのかが分かった。答え合わせは必要ない。なにせ彼が彼女を見間違えることなど、天地がひっくり返ろうとも起こるはずがないのだから。



「クラリス!」



 はやる気持ちを極限まで抑え込み、脳の端の端に残されたほんのわずかな理性で地面との距離を計算する。そうして女王蜂を足蹴に空へと舞ったヴィクターは、実に短かった別れを終えてクラリスとの再会を果たしたのだった。

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