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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 第1章『チープな英雄劇に立役者は二人いる』
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第17話 黄白色に囚われた村人達

《同時刻――とあるパイプの中》


 場面は変わり、クラリスが最上階から穴へと落ちていった時のこと。彼女は下層へ向けてどこまでも続くパイプの中を、止まることなく滑り続けていた。



「いたたたた! ちょっとこれ、いつまで落ちるのよぉ!」



 クラリスと一緒に落ちてきた床材がいい具合にクッション――いや、ソリのようになっているためか、滑りは上々。もしもこれが無ければ、今頃摩擦で彼女のお尻は無くなっていたことだろう。

 そのまま落ちて、落ちて、落ちて、落ちて。どこまで続くかも分からないパイプの中で、クラリスはただ流れに身を任せることしかできずにいた。

  そんな天然物の絶叫アトラクションに終わりが訪れたのは突然で、勢いづいたクラリスはパイプが途切れると同時にポイと出口から投げ出される。最後に盛大な尻もちをついたものの、久方ぶりの地面に彼女はようやく肺に詰まっていた息を吐き出した。



「あだっ! ……うぅ、よ、よかった……このまま終わらないかと思った……」



 どうにか怪我をせずに降りることができたようだ。

 クラリスは起き上がって早々、一度状況を確認するために辺りを見回した。ここも小部屋同士を繋ぐパイプの中なのだろうか。見た目は上層でヴィクターと通った通路と同じだが、おそらく初めて来た場所だ。


 ――距離的にかなり降りてきたと思うけど……もしかして地上? さすがにここからまた上がるのは無理よね。ヴィクターのことだから、私が落ちたことはもう分かってるはず。ここで待ってた方がいいのかな……


 下手に動いて離れ離れになるのはまずい。そう思ってクラリスはヴィクターが降りてくるのをしばらく待っていたのだが――



「……来ない、な。もしかして上でハプニングがあったのかも」



 待てど暮らせど彼は来ない。あれだけ見晴らしのいい空間だったのだ。クラリスが落ちた直後、運悪く蜂人間達に見つかってしまった可能性だっておおいに考えられる。


 ――もしもヴィクターが見つかったのなら、早く彼の所に行って……ううん。私が戻ったところで足でまといになっちゃう。それなら私は私で、今できることをやらないと。


 どうせ戻ろうにも上る手段も無いのだ。クラリスは意を決して、この場所を探索することにした。……とはいえ、右も左もただの土壁でなにか目印があるわけでもない。とにかく手当り次第歩き回るしかないのは、上層だろうが下層だろうが変わらないようである。


 ――ここ、私達が通ったところよりも道が広い……魔獣が頻繁に行き来するところなのかな。


 横道からチラリと顔を覗かせて、クラリスは付近の様子を観察する。仮にあの正面玄関の近くにここが位置しているのであれば、かなり慎重になって先に進まねばならない。しかし――



「……誰もいない」



 ここはあまりにも静かすぎた。むしろ泳がされているのではと疑ってしまうほどに、辺りには気配も物音も一切感じられない。まさか魔獣達は全員どこかに出払ってしまったのだろうか。


 ――もしかしたら今がチャンスかも。誰もいないうちに村の人達を探そう。なにか手がかりがあるといいんだけれど……


 今の状態がしばらく続くのであれば、それは好機だ。クラリスは通路を壁伝いに進み、捕らわれているだろう村の人間達を探すことにした。

 右に進めばいいのか、左に進めばいいのか。そんなことは分からなかったので、勘で右を選ぶ。そちらの方が光るキノコが多く生えていて、道が明るかったのだ。



「……あれ。あそこにあるのは……血? 奥まで続いてる……」



 少し歩いていると、クラリスの視界の端になにかが映った。今まで気が付かなかったが、明らかな存在感を放つそれに近づいてみれば――確かに、クラリスの言うように地面に染み込んだ血痕であった。

 これと同じようなものを、彼女は最近どこかで目にしている。たしか……森の中。蜂人間と出会う直前に、ヴィクターが見つけた村人のものと思しき血痕だ。



「まさか……!」



 クラリスははやる気持ちを抑えきれず、地面に続く血痕を追いかけて走り出した。

 点々と、彼女を誘うように等間隔に地面を汚す茶色い痕跡。きっとこの先がゴール地点(村人がいる場所)なのだ。湧き上がる期待感からか注意力は散漫になり、一歩を踏みしめる力も強くなる。


 ――あそこに見える光……外じゃない。もしかして、あそこに村の人達が……!


 通路の先に溢れているのは、キノコの光源とは違った色を放つ黄色い光。それに気づくと同時にクラリスの鼻腔(びこう)を甘酸っぱい香りがくすぐった。なんだか美味しそうな匂いだ。蜂蜜にも似ているようだが、少し違う。これは……いったい?

 そんなことを考えている間に、彼女がたどり着いた先。その光と匂いの正体を目にした彼女は、思わず立ち止まって大きな目をさらに丸くした。



「なんなの、ここ……?」



 その小部屋は、今までクラリス達が見てきたどの部屋とも違う、異様な雰囲気を放っていた。

 最初に目を引いたのは内装。部屋の中は壁一面が黄白色のナニカで覆われていて、頭上から射し込む一筋の光が反射することで部屋全体を明るく照らしている。あれはペンキかなにかなのだろうか。そのナニカには粘度があり、壁を上から下へと緩く流動している。おそらく外まで漂う甘酸っぱい香りの正体はこれで間違いないだろう。


 ――足元がベタベタする。奥は暗くて見えないけど、かなり上から流れ続けてるみたい。でも、そんなことより……


 クラリスの足元には、そんなナニカを()き止めるための柵がある。足を上げれば簡単に跨ぐことができる高さで、役割としては床に溜まったあの黄白色のナニカを外に漏らさないようにする程度。

 しかし、そんなものよりも彼女が一番目を疑ったのは――人。この場に座り込む()()()()()()の存在である。



「――んん? あれ……君、どこから入ってきたんだい?」


「どうしたんだ、ベン? ……ああほんとだ。助けに来てくれた村の誰か……ではないみたいだけれど」



 のんきな口調でそう話をしていたのは、二十代から三十代ほどの若い男達であった。

 彼らは部屋の中に、()()()()()十人以上。異常なほどに腹()()が膨れ上がり、水風船の上に頭を乗せたような男達が、不思議そうにクラリスを見ていたのだ。

 ベンと呼ばれた男も顔だけ見れば普通の人間だが、どう考えたとしてもあの局所的に膨れた体型は普通に生活していてなるものではない。ましてやこの場の全員がそんな状態ならばなおさらだ。



「わ、私……ニコラスさんから魔獣の話を聞いて、皆さんのことを助けに来たんです!」


「叔父さんが? 助けは嬉しいけれど……こんな女の子一人を寄越すだなんて、いったいなにを考えているんだあの人は」



 そう言ったのはベンだ。どうやら彼はロブソン夫妻の親戚にあたるらしい。

 反応はどうであれ、彼らに助けに来た人間だと認識してもらえるのであれば話が早い。彼らをここから外に連れ出して、村まで送り届ける。あとはヴィクターと無事合流することができればオールクリアだ。一人だからといって、怖気づいてたまるものか。



「ここには私ともう一人で来ているんです。でも皆さんを探す途中ではぐれてしまって……それからこの部屋に着くまで誰にも会いませんでした。もしかしたら彼は今、蜂にん――魔獣達を引き付けて、逃げる時間を作ってくれているのかもしれません。きっと今が脱出するためのチャンスなんです! だから皆さん、私と一緒に村に帰りましょう!」


「おお、そうか。それなら早く脱出を……と言いたいところなんだけどなぁ」


「えっ?」



 ベンの思ってもいなかった回答に、クラリスは面食らってしまった。

 躊躇った? 彼らとて、一刻も早くこんな場所からは離れたいはずだ。ましてやあの異常ともいえる人体の膨張が起きている以上、蜂人間達によってなにかされているというのは確実。逃げない選択肢があるというのだろうか。



「いや……帰りたい気持ちはもちろんあるんだけれどねぇ。それと同じくらいここを動く気力も起きないんだよ。ほら、僕達こんな体だろう? 今までは魔獣が見張ってて出られなかったっていうのもあるけれど、いざ逃げられるとなると……あんむ。……んん、それはそれで重い腰が上がらなくてねぇ」


「ひっ。ベン……さん、ですよね? それ、なにを食べてるんですか……?」



 ベンや彼の周りの男達の行動を見て、クラリスはサッと顔を青ざめさせた。

 彼女が聞いたのは、彼が今しがた話の途中で手で掬って口にした――この、壁や床一面を覆う黄白色のナニカについてである。こんな魔獣の巣に溜まった謎の物体、口にしようなどと普通は思うだろうか。

 しかしベンから返ってきた答えは、さらに彼女を困惑させるだけだった。



「僕らもよく分からないんだ。でも……ほら見て。ここ、あの魔獣に刺された所なんだけれど、このドロドロを食べたら一日で傷が塞がったんだ」


「そうそう。それにここ、他に食べるものも無いからね。しばらく食べているけれど、特に体調におかしなこともないし。退屈なこと以外は不自由していないんだよ」


「特におかしなことも、ない……? 冗談ですよね……?」



 ベンが伸びたシャツの裾を捲り、その隣の男が何度も頷く。

 一日で傷が塞がったなどと言う信じられない話、クラリスは「そんな馬鹿な」とでも笑い飛ばしてしまいたかった。しかし痛々しくベンの腹に刻まれた傷痕が、これが嘘偽りのない(異常)だということを証明している。


 おかしい。彼らの会話は、まさにこの空間に毒されてしまった人間そのものの会話だ。これが冗談ではなくて、なんだというのだろう。


 そこでクラリスは、この部屋の入口――彼女の足元にあったあの小さな柵が、正真正銘床に溜まったあのナニカを塞き止める以外の役目がないのだということを知る。

 疑問には思っていた。跨げば通れるような、こんな柵に意味はあるのか。その答えは、無い。なぜなら中の生物達には逃げる意思が無いからである。


 ――まさか誰も動かないだなんて。いったい、どうすればいいの……?


 ヴィクターの安否も確認できず、ついに見つけた救助者達はこちらの言うことを聞く様子がない。クラリスはただひとり、呆然と目の前の光景を見ていることしかできなかった。

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