第151話 砂粒ひとつのヒントは豪速の中で
笑顔で両手を振るスタッフに見送られ、クラリス達が乗ったジェットコースターがゆっくりと動きはじめる。一度でも乗ったことがある者であれば、きっとこの上り坂をじわじわ上がっていく感覚に期待と不安を募らせていたことだろう。
――けっこう高い所まで行くのね……。ただのジェットコースターだからって、ちょっと侮ってたかも。でも、これだけの高さもあれば遊園地全体を確かめることができそう。ヴィクターとシャロンさんは大丈夫かな……
高さが上がるのに比例して、安全バーを掴むクラリスの手にも力がこもる。余裕の無い視線を隣のヴィクターへと向ければ、彼は初めて体験するジェットコースターのドキドキに目を輝かせているところだった。
――絶叫マシンに乗るのは初めてみたいだったけど、この調子ならヴィクターは大丈夫そうね。さすが歴戦の魔法使い。心配はいらなかったみたい。
そんな相棒の子供のような姿に、くすりと微笑んだのもつかの間。クラリス達を乗せた先頭のコースターは、ついにレールの山頂まで辿りついた。
遠くに見えるのは、サントルヴィルの都心に生い茂る一面のビル群。普段見ることはできない景色を前に、乗客達からは続々と歓声が上がる。だが――その光景が長くは続かないことを、現代人であるクラリスは既に知っていた。
「――ッ! きた……!」
ふわり。一瞬、羽が生えたように体が軽くなる感覚に心臓が脈打ち――次の瞬間には一転。二十人を乗せたコースターは、遠慮も無しに下り坂を急降下しはじめた。
時速百キロメートルを超える風圧に、自然と髪がオールバックになる。終わることのない加速、加速、加速――勢いを増す毎に強くなる重力が、クラリスの全身へと容赦なくのしかかった。しかし――
――あれ……意外と大丈夫……かも? もしかして、日頃ヴィクターの無茶に付き合って飛んだり落ちたりしているうちに、私の体にも耐性がついたってこと……?
ジェットコースターの勢いは想像以上。しかしそれでもクラリスが悲鳴を上げることはなかった。まったくと言っていいほど恐怖心を感じないのである。
それはそれで純粋に絶叫マシンを楽しむことができず、残念なことではあるのだが……しかし今ばかりは助けとなる。なにせクラリス達の目的は、このジェットコースターを楽しむことではない。サンディ救出のため、高い視点からこの遊園地の全貌を把握することなのである。
――ヒントになるのは、あのウサギとクマの着ぐるみだよね。小さすぎて人の顔の区別はつかないけれど、着ぐるみの見た目くらいなら見分けられるはず……!
周囲を甲高い悲鳴が取り囲む中、クラリスは目を凝らして地上を往来する人々を――その中でも、特に人だかりができている場所を重点的に見て探す。
嗚呼、注視するべく目を凝らせば凝らすほど、目が乾いて仕方がない。だが、この乾きを我慢することで、少しでも自分がサンディ捜索に貢献できるのなら――その一心で、クラリスは例の着ぐるみ達を探し続けた。
パルク・ラピエセのアトラクションは、大きく二種類に分けられる。それは観覧車やメリーゴーラウンドといった屋外設置型のアトラクションと、サーカスのように屋内で体験する施設型のアトラクションだ。
着ぐるみ達はどうやら、アトラクション毎に施設の近くへ点々と存在しているらしい。子供達と写真を撮っている黄色い小鳥に、陽気に踊る緑のカエル。風船を配っているのは、ピンクはピンクでもブタ頭だろうか。
「――あっ! いた!」
その時である。ジェットコースターのレールも中間へと差し掛かった所で、クラリスはついにその姿を発見した。
遊園地の中心に立てられた、赤と白のストライプカラーのサーカステント。その入口でチラシを配る薄桃色の人影……頭から飛び出た二つの長い耳は、間違いない。あの監視カメラの映像に映っていたウサギの着ぐるみである。
それからコースターが初期位置に戻るまでの間、クラリスがあの着ぐるみから目を離すことは無かった。見たところ、チラシを配っていること以外に怪しいところは無し。場所から推測するに、あのチラシに描かれている内容もサーカスに関係するものだろう。
コースターが完全に停止して間もなく。安全バーが自動で上がり、次々に乗客が降りていく。こわばっていた体から緊張が解けると共に、クラリスは天井へ向けて大きく伸びをした。
「……ふぅ。思っていたよりも、けっこうハードだったわね。でも、手がかりに繋がる希望は少しだけ見えたかも。ヴィクターはどうだった? これを降りたら、いったん下で私達の見たものを整理して……ヴィクター?」
「……え?」
「大丈夫? なんだか……すごい汗みたいだけれど」
そうクラリスが顔を覗き込めば、ヴィクターは汗に濡れた間抜け面をもって声のする方へと振り向いた。
どうやら、日頃あれだけ好き勝手に飛び回っているにも関わらず、彼は絶叫マシンが得意ではなかったようである。それはきっと、本人も計算外だったのだろう。放心状態だったヴィクターはハッと我に返ると、慌てて表情を取りつくろって席を立ち上がった。
「あ……ああ! 愚問だね。もちろんこれくらい、ワタシにとってはたいしたこともない。ただ……この拘束具を付けての走行だけは気に入らなかったな。自分が思う通りに体をコントロールできなくて散々だった。これなら爆風に揉まれていた方がまだマシだと言えるね」
「ふふ、そっか。シャロンさんも大丈夫でしたか?」
コートについた皺を伸ばし、恥ずかしさを隠すようにさっさと降りていくヴィクターの姿がどうにもおかしくて。クラリスはつい漏れ出した笑みもそのままに、後ろのシャロンへも続けて問いかけた。
「ええ。実は私、あんな提案をしておきながらジェットコースターに乗ったのは生まれて初めてでして……。あまりの速さに驚いているうちに、いつの間にか終わってしまっておりました」
「そうだったんですね……。なら、今度はサンディさんも入れて四人で乗りませんか? あの調子だと、ヴィクターは嫌がるかもしれないですけど……でも、その方がもっと楽しいはずですから」
「まぁ……! クラリス様はとっても素敵な提案をされるのですね。お出かけだなんて、普段はキングスコート家の皆様とだけでしたから……こんなにも賑やかなご友人ができるなんて、サンディ様もきっと喜んでくださるはずです」
しかし『素敵』と明るく口にはしたものの、そう語るシャロンの表情にはどこか陰りがあるようにも見えた。
もちろん、嫌がっているわけではない。だが素直に喜んでいるとも言いきれない、彼女の憂いげな目の真意を尋ねるべく、クラリスは口を開きかけたのだが――
「ほら、クラリス。シャロンくんも。いつまでもそこにいると次に乗る人の邪魔になってしまうよ。早くこっちに来たまえ」
「あっ! す、すみません、今降ります!」
クラリス達がいつまでもやって来ないことを不審に思ったのだろう。引き返してきたヴィクターの言葉に急かされ、クラリスとシャロンは口々に謝罪の言葉を述べては慌ててコースターを降りることにした。
そんな喧騒から、わずか数分後。久しぶりに戻ってきた地上は、最初にやって来た時よりも遥かに人で賑わっていた。
太陽は頂点を過ぎた午後一番。遠出の客はそろそろ帰る時間なのか、各地に点在するスーベニアショップでは小銭で膨らんだ財布を手に子供達が駆け回っている。
人混みを避けるように木陰に移動したヴィクター達は、ようやく肺に詰まっていた息をほっと吐き出した。
「クラリス、水分補給は必要かね」
「ううん。私は大丈夫。それよりも――」
「分かっているよ。あのジェットコースターから見た情報を共有したいんだね。ならば、まずはキミが見たものを教えてくれたまえ」
そうヴィクターが柔らかに問えば、クラリスは周囲を注意深く確認してから口を開いた。
「私はサーカステントの近くで、あの監視カメラに映っていたウサギの着ぐるみを見つけたの。ただ……アレが、本当にサンディさんを攫ったのと同じ着ぐるみなのかまでは分からない。だって、その……あそこにいるのは、映像にいたのとは他のウサギ……っていう可能性もあるでしょ?」
「Um……なるほど。それは着ぐるみという特性上、判断が難しいところではあるね。中の人物が違えば、容疑者は別にいると考えることもできる。ましてや着ぐるみ自体にスペアが用意されているともなれば、アレと同じ見た目の個体が園内各地にいるはずだ。ひとつずつ頭を外して、中の人間に聞き回ってもいいが……そんなことをすれば、さらに悪目立ちしてしまうのは確実だろうね――って。なにかね、クラリス……その目は」
じとりと睨めつけるクラリスの視線につられて、自然とヴィクターの眉間にも訝しげな皺が寄る。
クラリスがこうして咎めるように睨んでくる時のほとんどは、ヴィクター自身の悪意の無い失言が原因である。もちろん今回もその例に漏れるはずがなく、再びキョロキョロと辺りを見回した彼女は一層声を潜めて彼へと詰め寄った。
「中の人だなんて……せっかくぼかして言ったのに。いくら緊急事態でも、頭を外すのだけは最終手段にして。ここにはただ遊園地を楽しみに来てる子供達だって、たくさんいるんだよ」
そこまで言われて、ようやくヴィクターは周囲を取り巻く人々のその半分が幼い子供であるということに気がついた。思えば今日は、平日は平日でも週末。パッと見だけでも家族連れが多いというのが現状だ。
さすがにこれでも意味が分からないほど、ヴィクターとて鈍感ではない。クラリスから離れるように一歩身を引いた彼は、バツが悪そうに鼻頭を掻いては早口に弁明を始めた。
「む……たしかに、今のはワタシの配慮が足りなかったようだ。さすがクラリスはこんな時でも他人のことをよく考えている。分かったよ。なら、そのウサギの着ぐるみには後でこっそり会いに行ってみるとしよう。シャロンくんは? キミは何か見つけたものはあるかね」
「いえ……お力になれず申し訳ありませんが、私の方はなにも。ただ、ひとつだけ違和感を感じたとすれば……あの観覧車。あそこで私達のことを見下ろす観覧車のことが、なぜだか無性に気になっているのです」
そこまで言ったところで、シャロンが上空を見上げる。もちろん、緩やかに流れる雲の切れ間を眺めているわけではない。先の言葉通り、彼女の視線はここへやって来た時からずっと、自分達を見下ろすあの観覧車へと向けられていたのである。
「観覧車……ですか?」
「はい。見ていると、不思議とあそこに行かなければならないような……そんな気持ちになってしまって。でも、どれだけゴンドラを眺めたところでサンディ様がいるはずもなければ、おかしな物が乗っていることもありません。それでも、私の直感があそこへ行かなければならないと……ずっとそう告げているのです」
シャロンが述べた意見は、ジェットコースターを提案した時と同じく完全なる彼女の感覚によるものだ。
しかしその感覚を、ヴィクターが鼻で笑うようなことはなかった。理論に基づいた根拠こそなけれども、その第六感こそが確かな根拠たりえることを、彼はよく分かっていたのである。
「……なるほどね。観覧車か。現時点での優先度は低いが、シャロンくんが感じたその違和感は最後まで大事にしているといい。この中でサンディくんのことを知るのは、婚約者であるキミだけだ。もしかしたら後々、キミのその直感こそが助けになる可能性だってあるかもしれないからね」
そう言うとヴィクターは指を鳴らし、手元に七色に光る小爆発を引き起こした。
クラリスに喉が渇いていないかと聞きはしたものの、実際水分を欲していたのは彼の方だったのだろう。手の中に現れたペットボトルの蓋を開けて、オレンジの風味香る水をひと口。慣れない絶叫マシンで乾いた喉を潤し、ようやくヴィクターは話の続きを始めた。
「さて、残るはワタシか。正直、あまり周りをゆっくり見ていられる余裕は無かったのだが……ひとつだけ、ワタシもあるものを発見した。あのクマの着ぐるみだ」
「クマっていうと、映像でウサギの着ぐるみと一緒に映っていた……」
「ああ。アレはこのジェットコースターの近くにある建物へと入っていった。一応客はいるようだから、なにかのアトラクションということは間違いないようだが……いかんせん、あの距離と速さじゃあ看板までは見えなかった。実際この目で見てみる方が早いだろうね」
パチン。半分ほど中身の減ったペットボトルを指先ひとつで消し去り、代わりにヴィクターは左手に苺水晶の輝くステッキを呼び出した。
するとまるでそれが、非日常へ飛び込む合図であるかのように、クラリスの表情にも緊張が走る。彼女はヴィクターの言っていた謎の建物がある方角へ目を向けると、意を決した様子で提案を口にした。
「それなら、最初はヴィクターが見つけた建物に行ってみるのはどう? ウサギの着ぐるみはチラシを配っていたみたいだから、まだしばらくはサーカステントの前にいると思うの。会いに行くのは、先にその建物の正体を確かめてからでも遅くないかも」
クラリスの言葉に、ヴィクターとシャロンがそれぞれ頷き肯定の意を示す。
キングスコート邸での依頼を受けてから、早いもので数時間。監視カメラに映ったクマとウサギの着ぐるみ――たった一つしかないヒントを頼りに始めた捜索は、シャロンの奇策によって早々に思わぬ進展を見せることとなった。
まずは、サンディ誘拐の実行犯であるクマの着ぐるみを探るため。ヴィクターとクラリスは、はやる気持ちを抑えつつ次の目的地に向けて歩き始める。
そんな中、二人の後ろをついていたシャロンは不意に足を止めると――最後にもう一度だけ。振り返り、天高々とそびえ立つ観覧車を見上げるのだった。




