第149話 作戦開始はアレグロ奏でるざわめきの中で
《数十分後――サントルヴィル郊外》
キングスコート邸を発ち、郊外へ向けて車を走らせること、しばらく。その場所は、山を切り開いた広大な土地の上に存在していた。
木々に括り付けられたスピーカーから聞こえるのは、パレードを彷彿とさせる愉快なメロディ。定期的に聞こえる悲鳴の合唱は、恐怖の中に興奮と楽しさが入り交じったこの施設特有の現象だ。
「本当に、こんな所に遊園地があるだなんて。『パルク・ラピエセ』……ここのどこかに、サンディさんが……」
車を降りてすぐ。クラリスは目の前に広がるアミューズメントパークを見て、開口一番にそう呟いた。
移動遊園地というものが、いったいどういうものなのか。いまいちクラリスはピンと来ていなかったが、実際目にすればなんてことはない。普通の遊園地となんら変わりのない、アトラクション施設のようである。
――怪しい噂があるってくらいだから、ちょっとは警戒して来たつもりだけれど……お客さんは結構入ってるのね。子供連れの人も多いみたいだし、今はまだ怪しいところは見当たらないな。
じっと周囲を観察するクラリスの後ろで、ヴィクターとエルマーも次々と車を降りては辺りに異変が無いかを目視でチェックする。その結果は、もちろんオールクリア。わずかに安堵した空気が一同の中へと流れた。
「思ったよりも賑わってるみたいだねぇ。エドワードの話だと、たしか一団が来てからは一週間も経っていないんだろう? それから準備を始めて営業しているだなんて、ずいぶんと手際がいいもんだ」
「戯言はいいよ、エルマー。それで……我々はどう行動すればいいのかね。事前に作戦会議もなにもしてこなかったわけだが……。キミ、まさか後は自由行動ではいどうぞ、なんて無責任なことを言うつもりじゃあ――」
「えっ? いや……ボクはそのつもりだったけど」
きょとんと目を瞬かせてそう答えるエルマーの反応に、ヴィクターはまるで玄関先に転がる虫の死骸でも見るような目つきで彼を見下ろした。態度が癪に障ったのもそうではあるが、なにより食い気味に自分の言葉を遮ったところが気に入らない。それがわざとならば、なおさらである。
「いくらワタシとて、自分が集団行動に向いていない自覚くらいは持っている。だが……それでも、立場的に上の人間が下の人間に指示を出すことが社会の常であることくらいは知っているよ。エルマー……キミはまさかそれすら放棄して、我々にただこの中をほっつき歩けと。そう言うつもりなのかね」
「人聞きが悪いねぇ。そう心配しなくても、その指示っていうのが、まさに今言った自由行動ってことなんだよ。指示を強制するよりも、君達には感覚で動いてもらった方がよさそうだからね。そもそも手がかり自体も、あの監視カメラに映ってた着ぐるみしか無いわけだし……正直、頑張って探そう以外に出せる指示が無いっていうのが本音かな」
「……ハッ。そうかい。所長様とはずいぶん楽な仕事のようで、羨ましい限りだよ」
そんな皮肉を混じえた捨て台詞を残して、ヴィクターがいつもの定位置へと移動する。その後ろ姿を見つめるエルマーの目は、たった今突き放されたばかりにも関わらず、機嫌を損ねた幼子を見守る親のように温かく向けられていた。
「ふふ、そうだね。……ということで、ヴィクター。クラリス。これからパルク・ラピエセの調査の方は君達に任せるよ。基本的に調査に使ったお金は経費として魔法局に請求していいけれど、だからといってあまり不要な買い物はしないように。それと、困ったことがあったらいつでもボクに連絡していいからね」
「任せるって……エルマーさんは一緒に来てくれないんですか?」
「うん。そこはすまない。ほら……ボクって一応、元魔法局長ってことで顔が割れてるからさ。魔法局の動きに勘づかれて、まんまと逃げられたくはないからね。今回は見張り役に専念させてもらうよ。その代わりといっちゃあなんだけど……どうやらボクとは交代して、君らには可愛らしい同行者がついて行ってくれるみたいだからね」
そんな言葉と共に、車の反対側へ回り込んだエルマーが執事さながらの手つきで助手席のドアを開ける。
次に車内から聞こえたのは、柔らかくしっとりとした女性の声。その声の主が靴先を動かすのに合わせて、ドアの隙間を黒いワンピースの裾がひらりと揺れた。
「――ありがとうございます、エルマー様。車の助手席に乗るなんて、私には初めての経験で……いつもと違う景色を見ることができて、とても貴重な体験をさせていただきました」
そんな謝辞を述べて助手席を降りたのは、キングスコート邸よりここまで共に車に乗車していたシャロンであった。
音も無く降り立ったシャロンは、早くも皆の注目が自分に集まっていることに気がついたらしい。なにやら合点のいった表情のヴィクターと目が合うと、彼女は異国の王女を彷彿とさせる気品ある微笑みを浮かべた。
「……なるほど。たしかに、ずっと気にはなっていたのだよ。どうして依頼主であるはずのシャロンくんが、我々と共に車に揺られているのか……。最初はてっきり道案内のためかと思っていたが、あの……なび? とかいう機械のおかげで、そういうわけでもなし。つまりは……」
「はい。同行者というのは私のことで間違いありません。このシャロン・オールドリッチ……サンディ様救出のため、必ずや皆様のお役に立ってみせると誓いましょう」
そう言い切るシャロンの後ろで、エルマーが「そういうことだから」とでも言いたげにひらりと片手を上げる。
すると、これに早くも懸念を示したのはクラリスであった。他者の気持ちをなるべく汲み取りたいと考えている、彼女のことだ。もちろん、シャロンの同行自体に不満を抱いているわけではない。彼女はただ、自分と同じく魔力を持たない身であるシャロンことを気にかけていたのである。
「シャロンさん……本当に良いんですか? この遊園地に変な噂がある以上、調査が危険を伴うことは間違いありません。アナタにもしものことがあれば、それこそサンディさんが悲しむことになってしまいます。それでもアナタは、私達と一緒にサンディさんを探しに行きたいと……そう言うのですね」
例え相手が魔獣でも、魔導士でも。きっと凶器を持った犯罪者が相手だって。非力な人間が無闇に立ち向かうことの危険性は、旅の中でヴィクターと共に戦場を駆け抜けてきたクラリスが一番よく知っている。
覚悟を問うようなクラリスの質問を受け、シャロンは遊園地の入場ゲートを越えたその向こう――空高く回り続ける観覧車を一瞥する。そしてひと呼吸の間の後、彼女は意を決した様子で胸の前で両手を重ね合わせた。
「……クラリス様の言う通りです。本来、私が出る幕でないということは十分承知しております。ですが、このまま黙って帰りを待つことなんてできない……今度こそ、サンディ様をこの手でお守りしたいのです。自分の身ならば自分で守ります。なので、どうか……どうか! 私を、お二人の調査に同行させてはいただけないでしょうか」
そう話すシャロンの言葉の端々には、目の前で連れ去られたサンディに対して、なにもできなかった悔しさが。そして無力だった自分を許すことのできない自責の念が滲んでいる。
彼女の思いを聞き届けたクラリスは、反射的に開こうとした口を一度閉じることにした。人の命を預かる選択だ。このような大事なこと、一人で決めることはできない。なにせシャロンの同行を許可することで、負担が増えるのはクラリスではない。――有事の際に最前線に出る役目を担っているのは、彼女の隣に立つ魔法使いなのだ。
「ヴィクター、アナタはどう思う? 私はシャロンさんの気持ちを尊重してあげたいと思うけれど、でも実際になにかが起きた時、ここで私達が頼れるのはヴィクターだけだから……。アナタの意見を聞かせてほしいの」
「……うむ。ワタシは別に構わないよ。シャロンくんの愛する人を想うその気持ちは、痛いほど分かるからね。心配せずとも、キミのことはクラリス同様ワタシが守ろう。だから安心してついて来るといい」
あっさりそんな返答をするヴィクターを見て、クラリスはパチリと瞬きをした。クラリスの意思がある以上、彼が首を縦に振るということはなんとなく想像がついてはいたが……まさかここまで簡単に了承するとは、彼女自身も思ってはいなかったのである。
その理由は、はたして一度は大切な人を奪われかけた自分をシャロンと重ねているのか、はたまた単純に哀れんでいるのか。――そもそも本当にそんな理由なのか? どちらともつかない彼の反応は、なぜか場違いにも高揚しているように。そんな風にクラリスの目には映っていた。
「だってさ、シャロン。二人もこう言っているんだ。エドワードにはボクから話を通しておくから、君もサンディを探しに行ってくるといい。でも、無茶なことだけは絶対にしないって約束すること。それだけは守るんだよ?」
「はい! ヴィクター様……クラリス様も、本当にありがとうございます。ふつつかものではございますが、どうぞよろしくお願いいたします!」
エルマーにしっかり釘を刺されながらも、自分が調査に加わることができるのがよほど嬉しいのだろう。シャロンはペコペコと何度も頭を下げて、感謝の言葉を述べ続ける。
そんな彼女の想いを叶えるべく、そして噂の謎を解き明かすべく。一行は不気味な賑やかさを奏でる『パルク・ラピエセ』――その奇妙な遊園地へと足を踏み入れるのだった。




