第148話 禁忌の魔法使いは今どこに
不老不死。魔法使い達が当たり前のように暮らすこの時代においてであっても、その言葉はあまりにも……そう。あまりにも、異端であった。
衝撃的なエドワードの発言に、最初に反応を示したのはヴィクターである。彼は顎に手を添えると、眉間にぐっと皺を寄せて短い唸り声を上げた。
「不老不死……人間はおろか、魔法使いの世界でも、暗黙の了解として長年探究すること自体を禁忌とされてきた究極の魔法……か。ワタシも一度は興味を持ったことがあるが、実際に試したことはない。なにせ過去にその禁忌を破った人間は、一人残らず全身の皮が引っ繰り返るほどの無惨な最期を遂げたと聞くからね。……まさかサンディくんとやらは、そんな危険を冒してまで不老不死の力を手に入れたと?」
「……ヴィクター様はよくご存知でいらっしゃるのですね。ですが、サンディ様はなにも自ら禁忌を破ったわけではありません。あれは魔法というよりも、もっと残酷な……この世に生を受けたと同時に与えられた、骨の髄にまで染み付いた呪いとも言えるものです。どうか、あの方が望んでそうなったわけではないのだと……それだけはご理解を」
ヴィクターの質問に声色を強めてそう返答をしたのはシャロンであった。
なにが彼女の神経を逆撫でしてしまったのか。先程の挨拶と打って変わった強い口調に、思わずヴィクターが身を引いてたじろぐ。
見かねたエドワードが咳払いをすれば、ハッと我に返ったシャロンは小声で謝罪の言葉を述べてソファの奥へと縮こまっていった。
「……話を続けよう。サンディが誘拐されたのは、今から二日前……シャロンと共に近所を散歩していた時のことだ。これを見てくれ」
パチン。エドワードが指を鳴らせば、ひとりでにカーテンが閉じられ、天井から吊り下がったプロジェクターがその上から投影を始める。
これは……どこかの監視カメラの映像だろうか。そこにいたのは、森林公園のような場所を歩く二人の人間。一人はシャロンであることに間違いないが、もう一人は見知らぬ金髪の男のようである。
――あれがサンディさん……たしかにエドワードさんと少し雰囲気が似ているかも。シャロンさんとは楽しそうに話をしているみたいだけれど……
クラリスがそう考えている間にも、映像の時間はどんどん進んでいく。
どうやらサンディはエドワードとは違って、ひとつひとつの反応が大きな人物であるらしい。身振り手振りを交えて会話をする様子は、彼が日頃から婚約者を楽しませようと努力していることを画面越しにも感じさせる。
だが……その映像に変化が訪れたのは、カメラの角度が切り替わった頃。サンディ達が人気のない小道へ入った――まさにその時のことであった。
「……えっ? な、なんですか……あれ。着ぐるみ……?」
そうクラリスが戸惑いの声を上げたのも無理はない。なぜなら映像の死角からサンディ達の元へと駆け寄っていったのは、クマとウサギ――それぞれの見た目をした二足歩行の着ぐるみ達だったのだ。
いち早く接近に気がついたサンディがシャロンの前に立ち塞がるものの、エドワードの言っていた通り、着ぐるみ達ははなからサンディを目的としていたのだろう。現れた『クマ』にひょいと抱えられた彼は、抵抗も虚しくそのまま画面外へと連れ去られてしまった。
それからというものの、画面にはサンディを追いかけて走るシャロンの様子が映り続けていた。しかし、それも長くは続くことなく――次の瞬間。画面が切り替わり、彼女がつまずき転んでしまったのを最後に映像は終了した。
「……見ての通りだ。謎の着ぐるみ二人組が、白昼堂々とサンディを連れ去っていった。最初は巷を騒がせている人喰い魔導士が関与しているのではないかと疑っていたんだが……エルマーに聞いたところ、どうやら違うようでな」
「うん。ハロルドの仕業なら、こんな誘拐なんてまどろっこしい手を使わなくても、シャロンごとひと呑みで処理すれば済む話だからね。これはまた別の存在が関わっていると見て間違いないはずだよ」
悲痛な面持ちで映像を見ていたエドワードとは違って、エルマーはまるでホームビデオでも見ていたかのように意に介していない様子である。
だが……一方でどうだろうか。これまで数々の魔導士や魔獣と対峙してきたクラリスであっても、こんなにも『現実的』な人の悪意の瞬間を目にするのは初めてのことだった。
自分事ではないというのに、ズキリと胸が痛む。あのたった数分間の映像は、彼女の心に忘れかけていた鈍い痛みを思い出させることに見事成功したのだ。
――いくら旅の中で精神が鍛えられたとはいえ、クラリスにとっては怪物を目にするよりも来るものがあったか。……いや、むしろ最近は感覚が麻痺していたと言った方が近いのだろうね。しばらくの安息を終えた今、彼女が改めて他人の悪意にショックを受けてしまうのも無理はないこと……か。
そうヴィクターが考察している間も、呆気に取られたクラリスは時間をかけて頭の中の整理を続けている。
なにか言葉をかけるべきだろうか。いや、きっとそれはかえって彼女の思考の邪魔になってしまうだろう。ヴィクターは迷った挙句、当事者であるシャロンへ代わりに質問を投げかけることにした。
「今の映像を見るに、たしかに誘拐犯の目的はサンディくんとみて間違いないようだね。シャロンくん。アレらはエドワードくんの言っていたように、その不老不死の体を目当てに?」
「……おそらくは。不老不死というのは、それだけで幾通りもの利用価値があります。なにせ死なない体ならば……ましてや、それが怪我すらをものともしない体なら。たとえどれだけ手足を千切られようとも、薬漬けにされようとも……何十年、何百年だって思うがままに扱うことができます。サンディ様の体のことは、ここにいる皆様、それからアレクシス様やロジャー様など、信頼できる一部の人間しか知らない機密情報のはず……。きっと、彼らはどこかでその情報を手に入れたのでしょう」
「なるほど。つまりキミ達が我々に依頼したいのは、そのサンディくんをあのふざけた着ぐるみ共から奪い返すことであると。……それで、場所は? ここまで丁寧な前置きをされたんだ。既に彼の居場所をキミ達は知っているのではないかね」
ヴィクターの質問の矛先は、流れるようにエドワードへと移っていく。
これは時間の経過が理由か、はたまたシャロンお手製のカモミールティーの効能なのか。はじめに向けられた怒りの感情がヴィクターから消えたことに安堵し、エドワードはずっと強ばっていた肩の力をようやく抜いた。
「エルマーの所の新入りは、噂の通り本当に優秀な人材みたいだね。もちろん分かっている」
そう言うと、エドワードは再び指を鳴らした。
プロジェクターが駆動音を立てて、新たな映像を映し出す。今度は町の中でも、森の中でもない。――それはまるで、どこかのアミューズメントパークを外側から映したような。そんな遠巻きからの映像だった。
「町中の監視カメラの映像と俺の情報網をもって特定したのが、この映像に写っている場所だ。『パルク・ラピエセ』……地方を転々と周りながら活動をしている、移動式の遊園地らしい。どうやら五日程前にサントルヴィルにやって来たみたいなんだが、どうにもこの遊園地にはおかしな噂があるようでね」
「噂? ……まさか、この遊園地が各地を転々としながら人攫いをしているだなんて……そんなベタなことを言うんじゃないだろうね」
「……いや。ヴィクター、君の言うそのまさかだ。なんでも、この遊園地が滞在している土地では行方不明事件なんてものが頻発しているらしい。とはいえ事件に関わっている証拠も見つからないことから、全ては偶然であると見過ごされてきたみたいなんだが……」
エドワードが映像に目を向けると、それまで静止画のごとく変化の無かった遊園地の様子に動きがあった。
画面の左下、死角部分――そこから前触れもなしに、あの着ぐるみ二人組が現れたのだ。『クマ』は肩の上でもがき続けるサンディなど気にも留めず、ドシドシと大股で園内へ向かって歩いていく。『ウサギ』も同様に監視カメラに気がついていないのか、ひょうきんなステップで『クマ』の後ろをついていっているようだった。
「ふむ……今回は場所と相手が悪かったようだね。さすがはサントルヴィル。至る所に監視の目があることが功を奏したか。たしかに相手の目的は不透明だが、不老不死の人間なんてものがいるのなら裏社会では引く手あまただ。人身売買に出されるにしろ、実験体として捌かれるにしろ、事は一刻すら争うといったところか……」
ヴィクターがそう呟く間にも、着ぐるみ達はサンディを連れて園内へと消えていく。
もしもここにタイミングよく客が訪れれば、事態は変わっていたのかもしれない。しかし遊園地はまだ準備中なのか、付近に人の気配は無し。待てど暮らせども、それ以降は画面に変化が訪れることはなかった。
やがて映像が終了すると、エドワードは無意識に深い溜め息を吐き出し、湯気の薄くなった紅茶で喉を潤す。
サンディの行方を追う上で、エドワード自身この映像は――いや、きっとこの一つどころか、彼は昼夜を通してサントルヴィル中の監視カメラの映像を何度も見返したのだろう。目の下に縁どられた濃いくまは、シャロンと同様に彼が弟の安否を本気で心配していることを感じさせる。
「……本来ならば、もっと段階的に捜査を踏むべきだと分かってはいる。だが、悠長に策を練るほどの時間は俺達には残されていない……それになにより、サンディの体のことはあまり公にはしたくないんだ。だから……どうか、弟のことを頼まれてくれないか」
「皆様。私からも、どうかよろしくお願いします」
エドワードとシャロンが深々と頭を下げる。その彼らの想いを受け止めたクラリスは、ゆっくりとヴィクターへと目配せをした。
バッチリ目と目が合った紅梅色は、いつものように「キミの好きにしたまえ」とでも言いたげに細められてはいたものの……クラリスにはよく分かる。彼の心の中では、既に答えは決まっているのだ。
「……任せてください、エドワードさん、シャロンさん。私達が必ずサンディさんを無事に連れ帰ってみせますから。……で、いいんですよね。エルマーさん?」
「もちろんさ。ボクははなからそのつもりだったからね。それじゃあ正式に依頼を引き受けたことだし、早速行動に移ろう。シャロン。すまないけど、ヴィクターとクラリスを先に外に連れていってもらえるかな。ボクはエドワードから場所の詳細を聞いてから合流するからさ」
エルマーの言葉にシャロンはこくりと頷くと、言われた通り二人を連れて部屋を後にした。
応接室は防音性に優れているのか、外の物音は一切聞こえない。静寂は一分近くの間エルマー達を包み込み、時計の長針の動く音だけが密室に響く。先に口を開いたのはエドワードだった。
「……そろそろ行ったか。まったく、君が連れてくる人間はいつだって癖が強くて困りものだな。オズにしろアレクシスにしろ……魔法局の雇用条件には『まともな人間ではないこと』なんて明記でもされているのか?」
「あっはは、そんなことないよ。もしもそうだとしたら、ダリルちゃんやサラが一緒に仕事できているはずがないからね。――それで……どう? エドワード。この事件が無事に解決したら、前に話した通り、君にはあの二人の面倒をここでみてほしいんだけれど……。仲良くやれそうかな」
そうエルマーが尋ねると、エドワードは意味ありげな微笑みを口元に浮かべて、ネクタイの首元を緩めた。
そして両腕の裾をまくった彼は、深呼吸と同時に大きく天を仰ぐと――次の瞬間。カップが跳ねることすら気にもせず、両手を思い切りテーブルへと叩きつけた。
「や……やれそうもこうもあるかぁ! あのヴィクターとかいう男、君から聞いていたよりもずっと怖い目付きをしているじゃないか! 君の話じゃあ、あの男がヴァルプルギスの夜の首謀者って奴なんだろう……? こ、こっちは初対面で殺されるかと思ったんだぞ!」
この部屋が防音性に優れていて本当に良かった。キンと耳をつんざくヒステリックな叫び声に目を丸くしながら、エルマーは頭の片隅でそんなことを思った。
迫真に語るエドワードの目は、先程までの威厳をまるで感じさせないような涙目で。友人が見せるその表情の落差に耐えられなくなったエルマーは、思わず短い笑い声を吹き出した。
「えぇ……そう? クラリスとセットにしておけば、少なくとも殺されることは無いと思うけど……ほら。キミが安易に彼女の手に触ったりしたから、怒りを買ったってだけじゃない?」
「手だなんて……。そんなことで、いちいち俺は命の危険を感じなきゃならないのか? 子供じゃないんだぞ? ましてやエルマー……君も君だ。人の弟が事件に巻き込まれているのを利用して、こっちが立場的に断れない状況を作るだなんて……」
頭を抱えたエドワードがそう嘆く間も、エルマーは愉快そうにケラケラと笑うだけである。
そしてカップに残った最後の一滴まで紅茶を飲み干した彼は、悲嘆する友人をなだめるように優しい声音で語りかけるのだった。
「ははっ。まぁまぁ、上手く行けばお互いウィンウィンってことでいいじゃない。心配しなくても、サンディのことは必ず無事に連れて帰ってくるって約束するから。……この出会いは必ず、双方にとって有益なものになる。きっと君も、最後には笑顔でみんなの帰りを迎えてくれる気になっているはずだよ」




