第147話 第一印象は、そう。ブラックオパールの天然石
ほどよく空調のきいた応接室は、クラリスが想像していたよりもずっとシンプルに整頓がされた空間となっていた。
ここには高価な絵画や壺が置いてあることもなければ、大勢のメイド達が控えていることもない。この景色を例えるのなら、昨日訪れた魔法局長室に近い雰囲気だろうか。
エドワードに促され、ヴィクターを中心とした三人は彼の向かいのソファへ揃って腰を下ろした。
本格的な革張りのソファは複数人が座ることを想定して作られているのか、座面が広く、ほどよく張りがあって座り心地も一級品だ。悠々と足を組んでも余裕のある広さに、これにはヴィクターも満足のようである。
「――エルマー、今日は弟のためにありがとう。隣の彼らが前に言っていた魔法局の新人だね。早速話を始めたいところなんだが……こんな時でも、せめて簡単なもてなしくらいはさせてほしい。今はシャロンが紅茶を淹れているから、その間に俺の自己紹介だけでも済ませておこうか」
そう言って、エドワードは着ていたスーツの襟元を素早い手つきで正した。
「既にエルマーから聞いているかもしれないが、俺はこの屋敷の主人、エドワード・キングスコートだ。こう見えて、普段は宝石商をしている」
「宝石商……ですか?」
思わずクラリスがその単語を繰り返すと、エドワードは作り慣れた品の良い笑みを浮かべた。
「ああ。……そうだ。君、片手を出してみてくれないか」
そうエドワードに言われるがまま、クラリスが右手を差し出す。すると、次の瞬間――彼女の手をまるごと包み込むように、その上からエドワードの両手が重ねられた。
これに最初に反応を示したのは、もちろんヴィクターである。ソファを蹴り倒しかねない勢いで立ち上がろうとした彼をの肩を、エルマーがなんとかギリギリで押さえ込む。
エドワードを睨みつけるヴィクターの表情は、牙を剥き出しにした魔獣のごとき形相だ。それほどまでに、彼は見知らぬ男が突然クラリスに触れたことが許せなかったのである。
「……えっ? これ……もしかして、アクアマリン……ですか?」
しかしそんな隣で起きている攻防を知るよしもないクラリスは、エドワードの手が離れていった後、自分の手の上に残された水色に透き通る小石を興味津々につまみ上げた。
小指の先にも満たないその小石は、角が削られ、目視でも分かるほど表面がなめらかに加工されている。素人目に見たとしても分かる。これは――本物だ。
ひくりと口元を痙攣させたエドワードの視線が、一瞬ヴィクターへと向けられ……それから逸らすようにクラリスへと向けられる。次に彼から放たれた第一声は、まるで天敵を前にした小動物かのごとく震えていた。
「あ、ああ……よく分かったね。これが俺の魔法だ。宝石を生み出す魔法……って言えばいいかな。この力を使って、富裕層向けに特注のジュエリーデザイナーなんかもやっているんだ。あまり価値の高い宝石を生むと、市場の相場を崩すことになるんでね。こんなものしかプレゼントできないが、よかったらお近付きの印に貰ってくれ。そっちの君も、よかったら――」
「そんな石ころ、ワタシはいらない」
どうやらヴィクターは今の一件ですっかり機嫌を悪くしてしまったようである。沈んだ紅梅色の瞳は、貰った宝石をシャンデリアに透かして遊ぶクラリスを面白くなさそうに眺めている。
そんなヴィクターの意思に賛同するかのように、彼の耳元では二人の瞳の色を象った模造品のイヤリングがひらりと揺れた。
すると、その時。応接室のドアが外から控えめにノックをされた。
間もなく部屋に入ってきたのは、給仕の手押しワゴンに人数分のティーセットを乗せた、喪服のごとき黒いワンピースを着た女性。きっと、幸の薄い美女とはこういう女性のことを言うのだろう。緩いウェーブのかかった腰まで伸びた灰色の髪に、憂いを帯びた藤色の瞳――彼女はまるで、精巧なビスクドールが意思を持ったかのような美貌をしていた。
「エドワード様。皆様。お待たせいたしました」
「シャロン……! 良いところに――ああいや、よく来てくれたね。おもてなしならパメラに頼んでいたはずなのに、わざわざ君に手間をかけさせてすまない」
「いいのです。これはパメラ様に無理を言って、私が好きでやらせてもらったことなのですから。せっかくサンディ様のために皆様がお越しくださったのです。こんなことでもよければ、私もぜひお役に立たせてください」
そう言って、シャロンと呼ばれたその女性は次々とカップに紅茶を注いでいく。
この香りは、カモミールティーだろうか。匂いだけで判別できるようになるとは、クラリスも少しは紅茶に詳しくなったものである。
――シャロンさん……言葉で表せないくらい、本当に綺麗な人……。顔が良い人なんて、ヴィクターのおかげで見慣れたかと思っていたのに。この人がまとう独特の雰囲気もあって、なんだか同じ人間だとは思えないみたい……
近くで見ると、その陶磁器のように白い肌と、小鹿のように長いまつ毛に思わず目が釘付けになる。彼女の美しさは、同性であるクラリスさえも見惚れさせてしまうほどの魔力を秘めていた。
「え、えっと……シャロンさんって、もしかしてエドワードさんの奥様……なんですか?」
こんな裕福な暮らしをしているエドワードならば、これだけ美しい女性を娶っていたとしてもおかしくない。
しかしそんなクラリスの質問は、どうやら二択ある選択肢のうちハズレを引いてしまったようである。エドワードは首を横に振ると、自嘲気味に笑って彼女の質問に答えた。
「いや。俺は残念ながらこの歳まで独り身でね。シャロンは弟……サンディの婚約者なんだ」
「婚約者……?」
その一部の人間にとってはある意味魅力的ともとれる言葉に、ヴィクターがぴくりと反応をする。
ようやく興味をもったヴィクターの視線が、じっとシャロンへと向けられる。すると彼女はなにか思い出した様子で手押しワゴンへティーポットを置くと、その口元へ人形のように整った微笑みを浮かべた。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ただいまエドワード様より紹介にあずかりました、シャロン・オールドリッチです。……話に聞いていた、ヴィクター様にクラリス様ですね。皆様、本日はサンディ様のためにお集まりいただき、本当にありがとうございます。私はしがない居候の身ではありますが……皆様のお力となれるよう、微力ながらも誠心誠意協力をさせていただきます」
ふわり。両手でつまみ上げたワンピースの裾が舞い、シャロンが軽く膝を曲げて挨拶の意を示した。
たったそれだけの動作で感嘆の声を上げそうになるクラリスとは対照的に、基本的に他者への関心が薄いヴィクターはすましたものである。だが、そんな彼が匂いに釣られて、淹れたての紅茶に口をつけた。その時――
「……美味しい」
紅茶に関して人一倍口うるさいはずの彼は、驚いた様子でそう一言だけを呟いた。
エドワードの隣へ座ったシャロンも、同じく薄い湯気の立つカモミールティーを口に含んで、ほっとひと息をつく。
クラリスが旅に出て間もなかった頃、カモミールティーにはリラックス効果があるなんて話をヴィクターから聞いたことがある。不安の多かった最初の頃は、よくクラリスも淹れてもらったりしたものである。
――たしかパメラさんは、そのサンディさんって人がいなくなったんだって言ってたよね。魔法局に相談してくるくらいだもん。婚約者の身に危険が迫っているかもしれない状況で、シャロンさんも心配なはず……。絶対、私達でなんとかしてあげなきゃ。
化粧でも隠しきれないシャロンの憔悴した様子は、初対面であるクラリスにもしかと伝わっていた。そしてその助けたいという想いは、ここにいる他の者達も一同に感じていたことだった。
「それじゃあシャロンも来たことだし、そろそろ本題に移ろう。エルマー、この二人にはどこまで説明を?」
「まだなぁんにも。時間も無いだろうし、このままエドワードから話しちゃってよ」
そうエルマーが言うと、気合いを入れる時の癖なのだろうか。エドワードは再びスーツの襟元を正すと、これまでのにこやかな表情からは一転。彼の顔は形の整った眉が凛と上がった、キングスコート家当主のものへと変化していた。
「……そうだな。それならこれ以上は時間も惜しいし、単刀直入に話そう。……今、俺の弟であるサンディ・キングスコートは、とある事情によって誘拐されている」
「ゆ、誘拐……ですか……?」
その聞き馴染みのない単語に、クラリスが思わず聞き返す。失踪などではなく、確実に悪意ある第三者の手による誘拐であると。エドワードはそう口にしたのだ。
「ああ。それもおそらく身代金目的ではない。正真正銘、アイツ自身を狙って行われた犯行だ。俺がそう考える理由は……そうだな。ここはエルマーを信用して、君らにも包み隠さず話をさせてもらうが……」
エドワードが横目に隣のシャロンの様子を伺う。彼がなにを言いたいのか……それを察したシャロンがこくりと頷けば、エドワードは意を決した様子で小さく息を吸い込んだ。
「…………実は、サンディは魔法使いなんだ。それも普通の魔法使いなんかじゃあない。彼の魔法――それは、肉体に与えられた不老不死の力のことなんだよ」




