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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第2部 序章『ハロー、世界の中心』
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第144話 その心の名付け方を、彼女はまだ知らない

《同時刻――とあるアパートの一室・リビング》


 草木が眠り、世界中が静まり返った深夜二時。その静寂を蹴破るほどの喧騒を響かせた男達がいる一方で、こちらのワンルームではコーヒーの香り漂う心地の良い静けさが保たれていた。

 部屋の隅には大事に手入れされた観葉植物が、大小合わせて二つ。若草色のテーブルクロスの上には、愛らしいピンク色をしたチューリップが花瓶に一輪挿しとなっている。……すると。その花瓶を遮るように、クラリスの目の前にはマグカップが差し出された。そこで彼女は、ようやく自分がこの美しく咲いた花をぼおっと眺め続けていたということに気がついたのだった。



「――はい、クラリス。寝る前にコーヒーって、微妙なのは分かってるんだけど……今はこれしか無くて。ミルクとお砂糖はここから好きなだけ使ってちょうだい。……それで、どう? そろそろ酔いは覚めた?」



 クラリスの向かいの席へと座ったサラは、そう言って自身のカップの中にスプーン一杯の砂糖とミルクを入れてかき混ぜた。

 現在彼女達がいるのは、町の中心を離れた住宅街の一角。サラの住むアパートであった。綺麗な夜景こそ見えないものの、田舎育ちのクラリスにとってはどこか落ち着く空気感。手前に置かれたカップを包み込むように手に取れば、じんわりと指先を伝う温かさに、彼女は自然と柔らかな笑みを浮かべていた。



「うん。おかげさまで、だいぶ楽になってきたかも。ごめんね、サラ? こんな時間に急に押しかけることになっちゃって。いつもはあそこまで酔わないんだけど、久しぶりに飲んだからか楽しくなっちゃって……。私、なにか変なこととか言ってなかったかな?」


「変なことか……。変なことは言ってなかったけど、ずぅーっとヴィクターのことは可愛い可愛いって連呼してたかも。クラリスでも、あんな風に褒めたりすることがあるんだなってビックリしちゃった」



 おかしくないとは言いつつも、その態度は余程サラの目には奇異に映ったのだろう。おぼろげな記憶の中、ある程度予想していた事実にクラリスが顔を覆って天を仰ぐ。その行動に、彼女自身思い当たる節があったのだ。



「やっぱりか……。それ、ヴィクター本人にも言われたことがあるのよねぇ。酔うとたまーに、普段言わないようなことをうっかり口走っちゃうみたいで……。今日は人前だから、気をつけるようにはしてたつもりなんだけど……みんな引いてなかった?」


「ふふっ。全然大丈夫だよ。むしろ二人の新しい一面が見られた気がして、アタシはすごく楽しかったけどなぁ」



 そうサラが茶化せば、はにかんだ笑顔を浮かべてクラリスがマグカップに砂糖を二杯落とす。だが、その笑顔がわずかな憂いを帯びていることに、今日一日彼女の隣で話を聞いていたサラが気がつかないはずがなかった。



「……クラリス。もしかして、ヴィクターのことが心配?」


「ちょっとだけね。たしか、ヴィクターはダリルさんの家に泊まることになったのよね? あの二人って共通点が無いし、ラクスではすれ違いもあって戦わないといけないこともあったから……。上手くやれてるのかが心配で」


「そっか。でも、ダリルさんならきっと大丈夫だよ。アタシが魔法局に来た時に最初に声をかけてくれたのも、それからずっと近くで面倒を見ててくれたのも、全部ダリルさんなんだ。面倒見がいいというか……多分、世話を焼くのが好きなのね。案外、性格の違う二人だからこそ、仲良くできることもあるかもしれないよ?」



 サラの言う通りだ。クラリスがヴィクターと離れ離れとなってしまった、あの一週間――エルマーに任されたからと口では言いつつも、ダリルは自分の意思で彼女の面倒を見続けてくれていた。思えば、クラリスが顔に怪我をした時だって。自分の怪我を(かえり)みず、最初に駆け寄ってきてくれたのも彼である。


 ――妹さんがいるって言ってたし、たしかにダリルさんってすごく人のために行動ができる人……なのかも。サラがこんなに慕ってるのも分かる気がするなぁ。


 もちろんそれが尊敬の意だけで終わらないことは、クラリスもよく分かっている。なにせサラがダリルのことを話す時の目は、まるで身近な誰かがクラリスのことを話す時と同じ、()()――と。そんなことを考えている間にも。突然なにかを思い出したかのように、彼女の目の前でサラが立ち上がった。



「あっ! そうだ、クラリス。まだ眠くない? アタシ、実はクラリスと会ったらやってみたいことがあったんだ!」


「やってみたいこと……? うん、私は大丈夫だよ。それで……サラのやりたいことって?」



 たしかに以前、サントルヴィルで再会したあかつきにはスイーツ巡りやショッピングをしようだなんて約束もしたが、それは真昼間の街中で行うようなことだ。こんな深夜ではどこの店先だって開いていやしない。

 するとそうクラリスが心配しているのを見越してのことだろうか。サラはゆっくり着席し直すと、なにやら含みを持たせた笑みを口の端に浮かべた。



「ふふっ、そんな顔しないで。クラリス。アタシのやりたいことは、とってもとっても簡単なことなんだから。何を隠そう、それはね――恋バナ!」


「こい、ばな……?」


「そう! 女の子同士の秘密のお話っていったら定番でしょ? サントルヴィルに来てからは周りが男の人ばっかりで、恋愛相談できるような相手もいなくて……だからアタシ、クラリスがこっちに来るって聞いてからずっとやりたいと思ってたの!」



 恋バナ――恋愛相談――サラから提案されたのは、そんな突拍子もないお泊まり会では定番のイベントへのお誘いだった。

 もちろんその響きに興味が無いわけもなければ、クラリスには断る理由も無い。しかし……彼女がサラの提案に、すぐに首を縦に振ることはなかった。心の隅に、やんちゃな悪戯心(いたずらごころ)が芽生えてしまったのである。



「恋バナ……か。それって例えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()とか……そういうやつ?」


「えっ!? アタシがダリルさんをって……ど、どうしてクラリスがそのことを……!?」


「どうしてって、サラを見てたら分かるよ。今日もダリルさんが帰ってきたのを本当に喜んでいたし、最初に会った時も一緒にシロくんを探しに行くことができなくて残念がってたでしょ? さっきだって、恋する女の子の目をして彼のことを話していたから……気がつかない方が難しいかな……って」



 そうクラリスが指摘をしてやれば、サラの顔がみるみるうちに赤くなり、耐えきれなくなった彼女は両手で自分の顔を覆い隠した。もしや本人的には隠し通せているつもりだったのだろうか。数時間前のヴィクター同様、真っ赤に茹だった顔は、今にも煙が出てオーバーヒートしてしまいそうだ。



「アタシ、このことは誰にも言ったことなかったのに……。クラリスが知ってるってことは、も、も、もしかしてダリルさんにもバレて……!」


「うーん……それは多分、大丈夫なんじゃないかなぁ……。私と……多分、エルマーさんは分かってると思うけど。ダリルさんはそういうところ、ちょっと鈍感そうだから……」



 もしもダリルがサラの好意に気がついているのであれば、もう少し意識していたとしてもおかしくないはずである。

 するとサラはクラリスの言葉に安心したのか、彼女は胸に手を当ててほっと安堵(あんど)の息を吐き出した。



「そう、なんだぁ……。バレてないならよかった――じゃなくて! それならクラリスの方はどうなのよ! アタシの話だけ聞く流れに持っていこうだなんて、そんなの絶対に許さないんだからね!」



 ずいと前に身を乗り出して、クラリスの目と鼻の先までサラが迫る。ここで論点をズラしたのは、彼女なりに立場を対等(フェア)にしたかったためだ。断じて恥ずかしさを誤魔化したかったわけではない。

 そして突然自分へと向けられた矛先に、ちょうどコーヒーを飲もうとカップを手に取ったクラリスがきょとんと目を丸くする。その驚きは指先まで伝わったのか、カップの水面がとぷりと音を立ててさざ波が揺れた。



「いいけれど……私、サラが期待してるような話なんてできないかもしれないよ?」


「そんなことないって! だって、クラリスにはヴィクターが――」



 と、そこまで言いかけたところで。サラはハッとその先の言葉を飲み込んだ。なぜならその理由は他でもない。まさに話を振り終えたこのタイミングで。彼女は自分が重大な勘違いをしている可能性に気がついてしまったのだ。


 ――そういえば、クラリス達の関係ってなんなんだろう……? 恋人……っていうにしては、そういう雰囲気になってるのも見ないし。さっきのバーでのヴィクターの反応も、なんだか初心(うぶ)すぎるよね。ということは、もしかして……


 サラが椅子に座り直し、顔の前で両手の指を組む。その奥からじとりとクラリスを見つめる視線は、さながら探偵が不出来な助手を前に、今から推理を披露しようとするかのようである。

 どちらかともなく、息を呑む音が静まり返ったワンルームに響く。意を決したサラは、たった今湧き上がったばかりの疑問をクラリスへとぶつけることにした。



「……あのさ、クラリス。一応聞いておきたいんだけど……クラリスとヴィクターって、付き合っては――」


「えっ? ないけれど……だって、どう見たって釣り合ってないじゃない。私達。たまに聞かれるけれど、本当に……違うんだ。もちろん、ヴィクターが私のことを好きでいてくれてるのはよく知ってる。でも……」


「もしかして、クラリスには他に好きな人がいる……とか?」



 サラの投げた質問は、彼女なりに覚悟を決めて踏み込んだものだった。なにせクラリスに想い人がいたともなれば、それは彼女が向けられた好意を知った上で、ヴィクターに期待を持たせながらお飾りのように弄んでいるということになる。

 もちろんクラリスがそんなことするはずがないと、サラ自身分かってはいる。だが……そうではないという確信が、彼女は欲しかったのだ。完全な()()()ということであれば、それはあまりにもヴィクターが気の毒な話である。彼のためにも、ここは白黒ハッキリさせておきたいところなのだが――



「……私ね。実はこれまでの人生で、特定の誰かを好きになった経験っていうのが無いんだ。だから、いつもあんなに真っ直ぐに好意を向けてくれるヴィクターのことは純粋に尊敬してるし、その好意に応えてあげたい気持ちだって……もちろん無いわけじゃない」



 たっぷりと熟考の間をとった後。そう言って、クラリスはたっぷりのミルクを追加したコーヒーに口をつけた。彼女の声音はいつも通りで、真剣なサラの視線にすら動揺を見せることはない。

 しかし――サラは見逃さなかった。カップに隠れてはいるが、そのクラリスの頬がわずかに色付いていることに。そして彼女が次に語った言葉は、サラをこの日一番に驚かせることとなるのだった。



「でもね。彼も大概ロマンチストだけど、私だって女の子に生まれたんだもん。いつもみたいに、プロポーズまがいな着飾った愛の言葉を並べられるのも嬉しいけど……。せっかくなら、純粋な言葉だけで紡がれた『()()』くらい、いつかはされてみたいなって。最近、そんなことを思うようになったんだ」



 クラリスの目が、サラを逸れて手元のカップへと落とされる。

 もしもここにいるのが普段のクラリスだったのであれば、こんな話題はとっくに煙に巻いてサラへと話を振っていたことだろう。だが……今日のクラリスは少しばかり、素直だった。もちろんそれはアルコールの力もあるだろう。しかしなにより、旅に出てから初めて出会った同年代の友人――サラの存在が、彼女をここまで饒舌(じょうぜつ)にさせたのだ。



「今はまだ、自分が大切な人以上にヴィクターのことをどう思っているのか……それは私自身にも分からない。でも、いつかはちゃんと言葉にできそうな気がするの。見た目は釣り合ってなくても、せめて気持ちだけでも対等でいられるように……。ヴィクターには悪いけれど、今はもう少しだけ、このままの関係で待っていてほしいかな……なんて」



 そこまで言ってから、クラリスは恥ずかしさをごまかすかのようにもう一度カップへと口を付けた。

 きっとサラと同じように、今までクラリスも他人とこういった話をする機会が無かったのだろう。誰にも語ったことのない、自分の心の内に秘めていた言葉を口に自然と彼女の耳が熱くなる。

 だが……そんなクラリスよりも、さらに顔を真っ赤にして体を震わせている人間がここにはいた。サラである。


 ――分からないって……嘘でしょ? だってあんな言い方じゃあ、クラリスだってヴィクターのことが――。いやそもそもクラリスって、ヴィクターのあしらい方が上手すぎて、てっきりそういうところは淡白な性格なのかと思っていたけれど……。もしかしてこの二人って、脈ナシどころか()()()()ってことなんじゃあ……!?


 まるで世界の核心に触れてしまったかのような衝撃が、サラの脳天に走る。

 ヴィクターすら知らないクラリスの一面を知った彼女は、この(たかぶ)りを落ち着けるべく、マグカップを手に取りぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。そして――



「よし、決めた! もう恋バナでもなんでもいい! クラリス、今日は朝までたっくさんお話ししよう! アタシ、もっとアナタ達のことが聞きたくなっちゃったの。アタシもダリルさんのこととか、サントルヴィルのトレンドとか、クラリスが気になってることはなんでもお話しするから……だから、お願い! 今夜はとことん付き合って!」



 驚きのあまり呆気にとられるクラリスをよそに、サラが顔の前で両手を合わせる。そんな彼女の姿を見て、クラリスが無慈悲に断るような真似をするはずがなかった。



「もちろん。私でよければ何時間でも付き合うよ。……そうだ。それなら少し小腹も空いてきたし、サラさえよければ――」


「分かってる。せっかくだから、局長室から貰ってきたマドレーヌでも食べましょ。夜食だなんて、いつもは女の子の天敵だけれど……今日だけは特別。ね?」



 サラはいたずらっぽくそう笑うと、空になった二人分のマグカップを持ってキッチンスペースへと消えていった。

 こうして居場所こそ違えども、ヴィクターとクラリスがサントルヴィルで過ごす初めての夜は、新たな仲間(ゆうじん)達と共に穏やかに過ぎていく。二人にとって新しい発見ばかりのこの尊い時間は、彼らが翌日魔法局で顔を合わせるまで、余すことなく続いていくのだった。

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