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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第2部 序章『ハロー、世界の中心』
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第143話 ヴィクター、現代文化に感銘を受ける

《数十分後――とあるマンションの一室・玄関》


 どれだけ仲の良い友人と飲もうとも、仕事でどれだけ高級なホテルに泊まろうとも。やはり自宅が一番落ち着くというものである。

 玄関のドアを開いてすぐにダリルを出迎えたのは、コンソールテーブルの上に置かれたアニメキャラのフィギュアと、買ってからというものの置物と化している趣味ではないスニーカー(コラボ商品)。久方ぶりに足を踏み入れた我が家は、外から入り込んだ夜風によって(ほこり)が舞い、冬の終わりにチラつく粉雪のごとく神秘的に(ほこりっぽく)彩られていた。

 嗚呼、たしか前にこのドアを開いたのは今から二ヶ月近くは前。サラと共に二体の魔獣の保護に向かった時だったはずだ。



「――ほら、遠慮せずにどうぞ。ちょっと散らかってますし、アンタにとっちゃあ僕の家なんて犬小屋みたいに狭いかもしれませんけど……まぁ、足くらいはゆっくり伸ばせるでしょ。一晩くらいは我慢してくださいよ」



 そうダリルが促すと、彼の後ろで物珍しげに周囲を見回していたヴィクターがひょっこりと室内を覗き込んだ。

 魔法局からそう遠くはないこの五階建てマンションは、サントルヴィルでも中の下のランクにあたる低家賃の良物件。ダリルの部屋があるのは、そのうちの三階角部屋にあたる場所であった。



「……本当にここに泊まれというのかね。やっぱり、今からでもワタシもサラくんの家に向かった方が……」


「ここまで来といてごねないでくださいよ。夜も遅いですし、今日のところはボクがアンタを、サラがクラリスさんを泊めるって約束で解散したでしょ……って。しばらく放心状態だったアンタは覚えてないか。とりあえずさっさと中に入ってください。こんな外でずっと話してちゃあ近所迷惑になりますよ」


「む……まぁ、ダリルくんの言うことも一理あるね……。クラリスも久方ぶりにサラくんと会って、積もる話もあるだろうし……あまり気は乗らないが、これも優しさと考えて今夜は譲るとしようか」



 時刻は街も寝静まった深夜二時。そんな正論を言われてしまっては、ヴィクターとていつまでもわがままを言い続けるわけにはいかなかった。

 ヴィクターが玄関に入ると、短い廊下にはシャワルームやトイレに繋がるドアが左右にひとつずつと、リビングに繋がる開け放たれたままのドアが正面にひとつ。後ろでダリルが電気を点けると、暗がりのリビングにはぼんやりとしたソファの輪郭が浮かび上がった。


 ――旅の途中で民泊なんかを利用することはあったが、こうして知り合いの家に招かれるなんてことは久しぶりだな。フィリップの隠れ家はほとんど無臭だったし、クラリスの家は香水の入った瓶に棒を挿してたから、部屋中良い匂いがしていたけれど……ここはバニラみたいな匂いがする。


 気の知れた相手ならばともかく、知り合ってそれほど日の経っていない相手と二人きりというのはなんとも落ち着かないものである。

 初めての場所に戸惑っているのか、リビングに案内されたヴィクターはどこに収まるべきかとソファの周りをウロウロとしている。道中買い込んだ飲食物を黙々と冷蔵庫に入れていたダリルは、その様子を遠巻きに確認すると隅のキッチンスペースから声をかけた。



「そんなにかしこまらなくても、その辺好きに使ってもらっていいですよ。僕の方は明日は休暇ですし、集中してやりたい作業があるんで寝室にこもらせてもらいます。さすがに、説明しなくてもシャワーの使い方くらいは分かりますよね? タオルは適当に使ってもらっていいんで、後はテレビ見るなりソファで寝るなり好きにくつろいでください。それと小腹がすいた時はここからつまみを……って、あの……ヴィクター……さん?」



 すると反応の薄いヴィクターを不思議に思ってか、冷蔵庫を閉めたダリルがシンク越しにリビングへと振り返った。

 どうやらヴィクターの興味はテレビ脇に大量に飾られたフィギュアやプラモデル、それからそのテレビの横からドアにかけて壁一面を覆っている本棚へと向けられているらしい。まるで珍しいものでも見たかのように、端から端を行ったり来たり。並んだ本の背表紙をしげしげと眺めた彼はそのうちの一冊を手に取ると、パラパラとページを捲っては小首を傾げた。



「ダリルくん。キミ、実は結構な読書家だったのかね。こんなにも本棚一面に本が並んでいるだなんて……正直イメージと違ったよ。見たところ全部のページにイラストが描いてあるみたいだが、これはいったい……」


「本? ……ああ、漫画のことですか。僕、漫画とかゲームが好きで、気になったものはついつい揃えちゃうんですよねぇ。その反応ってことはアンタ、もしかしてそういう娯楽は触ったことがない感じですか?」


「まんが……いや、それならクラリスがあのスマホとやらで見ているのを何度か横から眺めたことはあるよ。だが、書籍としてここまでたくさん実物が並んでいるのを見るのはこれが初めてだ」



 そう言って、本を戻したヴィクターが顎に手を添えてじっと本棚を見つめる。過去にクラリスが見ていたのは男女の恋物語のようであったが、先程彼が手に取ったのは剣を持った少年が巨大な魔獣に立ち向かう物語の一ページだった。本棚にズラリと並ぶ背表紙のタイトルを見た限りでも、ダリルが集めているジャンルの幅はかなり広いと見られるだろう。

 そんなことを考えていると、不意にヴィクターの後ろから伸びた手が、迷うことなく一冊の本を引き抜いた。その手の主はもちろん、この小さな図書館の主ダリルである。



「そうですか。せっかくですし、興味があるなら好きに見てもらっていいですよ。アンタがさっき見てたのは冒険活劇もので、こっちは小説が原作のホラーゴシックもの。あっちは映画化もされた青春恋愛ものです。テレビ挟んだ向こうは成年向けなんで、初めて読むにはハードルが高いかもしれませんね……。まぁアンタがなに好むかは分かりませんけど、巻数長いのは今日中に読み終わらないかもしれないですからね。迷ったら、とりあえず短いのから手をつけるのがオススメです。……あっ。それと一応、読んだら元の場所には戻してくださいね。これでも僕、配置にはこだわりがあるんで」


「ああ、うん……分かった。気が向いたら見てみるとしよう」



 人間、好きなものを説明する時にはつい熱をもって語ってしまうものである。

 隣に並ぶやいなや早口に説明をするダリルに気圧されて、一歩引いたヴィクターが生返事をする。しかしそんな返事にもどこか満足気に頷いたダリルは、椅子に置いたままのリュックを手に取ると、先の宣言通りに寝室へと向かっていってしまった。


 寝室の内装はいたってシンプルで、家具らしい家具はベッドがひとつとデスクがひとつのみ。数ヶ月も留守にしていたおかげで、デスクに乗ったパソコン周りには薄い(ほこり)が積もってしまっている。

 ダリルは早々にリュックの中の片付けを済ませると、頭の後ろまでをすっぽりと覆い隠すゲーミングチェアへと腰をかけた。ここからは、就寝前のもうひとつの趣味の時間だ。


 ――さて。仕事でしばらく配信はできないって告知はしてましたけど。さすがに動画のストックも切れそうだし、お客さんが来ている状態じゃあゲームはできても撮影はできませんからねぇ。今日は録り溜めてた動画の編集作業にでも集中するか。


 パソコンの電源を入れて、置きっぱなしだったヘッドセットを頭に装着する。キーボードや機材周りに溜まった埃を丁寧に拭き終えた頃には、パソコンの画面には見慣れたデスクトップがついていた。


 ――そろそろ貯金も貯まってきたし、もう一台モニターを買い足してもいいかもな。機材も良いのに新調したいし、次の給料が入ったら一式買い換えちゃうのもありか。明日、時間があったら予算内で収まるものがないか探してみよう。あとは……


 慣れた動作でマウスを動かし、編集ソフトが立ち上がるまでの時間でエアコンのリモコンを探し出す。――そんなダリルの耳に、やけに大きな足音が聞こえてきたのはその時である。



「――ダリルくん! この漫画の続きはどこにあるのかね! これから主人公がヒロインをデートに誘おうとする大事な場面だというのに、良いところで終わってしまった。ワタシはそこが見たいのだよ! こういった漫画はクラリスへのアプローチに――ああいや、共通の話題として大変参考になる。ぜひともこの後も拝読させてもらいたいのだが!」



 荒々しい衝突音を響かせて開く寝室のスライドドア。興奮した様子で部屋に飛び込んできたのは、一冊の漫画を両手で大事に抱えたヴィクターだった。

 いつもの暑苦しいコートこそ脱いではいるものの、キッチリボタンの閉められたシャツとベストを見るに、シャワーよりも先に漫画を読むことを優先してしまったのだろう。あれだけの中から少女漫画を選ぶだなんて、なんとも恋に不器用な彼らしい選択である。



「えっと……気に入ってもらえたなら嬉しいですけど。その作品、上下巻っていっても下巻がまだ発売されてないんですよ。申し訳ないですけど、暇つぶしするなら他のやつでも適当に読んでもらって――」



 すると、そこまで言いかけたところでダリルが言葉の続きを飲み込んだ。彼はパソコンをスリープモードに切り替えると、ヘッドセットを置いて席を立ち上がった。

 たしか、買ったまま放置していたゲームがベッド下の収納にあったはずである。お目当てのものを無事に探し出し、ダリルがまだ興奮の収まらないヴィクターへとビニールを被ったままのパッケージを差し出す。好奇心の塊と化したこの男が、その新たな娯楽に対し興味を示さないはずがなかった。



「……まぁ、それが気に入ったなら近い作品を見た方が楽しめるでしょ。漫画だと完結してないのが多いので、それなら恋愛ゲームなんてどうです? メインルートをクリアするだけなら――というか、キリのいいところまでやるなら多分二時間以内に終わりますし。ほら、これ。買ってから手をつけてなかった、ちょうどオススメのやつがあるんです」


「それは本当かね? ならそのダリルくんオススメのゲームとやらをやろう。いやぁ、こういった現代の大衆文化には積極的に触れてこなかったが、案外いいものだね。たしかにクラリスがのめり込むわけだ。さぁ、早くやろう! 今のうちに知識をつけて、いつかクラリスを驚かせてあげたいのだよ!」



 そう前のめりに語るヴィクターの目は、新しいオモチャを買い与えられた子供のような純粋な輝きに満ちている。

 ダリルがヴィクターと出会ってから数ヶ月、彼のこんな一面を目にするのは今日が初めてのことだった。ラクスでの一件以降、どこか怖い、何をしでかすか分からないといったマイナスイメージばかりが先行していたものの――どうにも、このヴィクター・ヴァルプルギスという男は、クラリスの言葉通りに可愛らしい一面を隠し持っていたようである。



「ははっ。そんなに慌てなくても大丈夫ですって。ちょっと準備に時間をもらうんで、その間にシャワーでも浴びてきてください。アンタは僕と違って、明日の朝からエルマーに集合かけられてるんでしょ? 操作も慣れてないでしょうし、せっかくなら一緒に付き合いますから」



 ゲームを使ってのレクリエーションは、相手と距離を縮めるためのダリルなりの付き合い方だ。

 ヴィクターは何度も頷いてから漫画を元の場所へ返すと、シャワールームがあるだろう廊下の方へと急ぎ足で向かっていった。きっとあの様子ではカラスの行水、長くても十分と経たずに帰ってくることだろう。


 ――まさかヴィクターがあんなに興味を持ってくれるなんて。今まではクラリスさんと地方を歩き回ってたみたいだし、こういう時代の変化についていけてなかったのも納得か。とりあえずさっさと配線の確認をして、飲み物とツマミでも準備して待ってましょ。


 そう少なからずワクワクしている自分の胸に、おかしなものだと鼻で笑って。深夜の一室に不躾(ぶしつけ)な口笛の音色を響かせ、ダリルはゲーム機の準備を始めるのだった。

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