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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第2部 序章『ハロー、世界の中心』
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第142話 ほらね。かわいい

《数時間後――とあるバー・個室》


 魔法局を後にしたヴィクター達の姿は、そう遠くはないビルの一階に集められていた。

 賑やかな店内からドアひとつをもって隔てられた空間は、わざわざエルマーがこのために予約を取っていたという完全個室。革張りのソファに挟まれたテーブルの上には、キンキンに冷えたグラスとジョッキが合計五つ並んでいる。そのうちの二つはしゅわしゅわと泡の立つ半透明の炭酸ジュース、残りはアルコールが香る比較的飲みやすいカクテルやビールだ。



「みんな、注文した飲み物は届いたかな? 料理が来るまで時間もあるし、先に始めちゃおうか」



 全員の顔を見回しつつそうエルマーが声をかけると、ヴィクターとサラはジュースを、クラリスとダリルはカクテルを手元に引き寄せた。席順は局長室を訪れた時と同じで、クラリスを中心にヴィクターとサラが挟む形である。



「……クラリス」


「ん? どうしたの、ヴィクター」



 すると、ヴィクターが小声で隣のクラリスの名前を呼んだ。もじもじと落ち着かない視線が、彼女の手元のグラスへと向けられる。……カクテルが気になるのだろうか。しかしその目はグラスの中の赤みがかったオレンジを羨ましがるわけでもなく、苦虫でも噛み潰したかのごとく煮え切らない表情へと染まっている。



「その……本当にそれを飲むのかね。キミがお酒を選ぶだなんて、なんだか珍しいね。もしも注文を間違えたのなら、ワタシのジュースと交換してあげてもいいけれど……」


「なぁに。心配してくれてるの? たしかに旅の間は外で飲むのを控えてたけど、ヴィクターよりは強い自信があるから大丈夫。せっかく私達の歓迎会なんだもん。ちょっとくらい羽目を外したってバチは当たらないでしょ?」


「ああ、うん……。それはワタシも構わないと思うけれど……」



 もちろんクラリスが酒を(たしな)むことくらい、ヴィクターだって知っている。彼女が柑橘系の甘いカクテル(かしおれ)を好むことだってだ。だが、それでも彼がこうして浮かない表情で心配している理由は、他でもない。それは――



「ほらほらヴィクター。みんな待ってるんだから、早くグラスを持って準備して。お喋りならこの後いくらでもしていいからさ。まずは乾杯だけでもしちゃおうよ」



 エルマーからそう急かされてしまえば、さすがのヴィクターも皆の注目が自分へと集まっていたことにようやく気がついた。

 なかなかこんな人数でテーブルを囲む機会も無いものだから、作法だって分かりやしない。彼が慌ててジュースの入ったグラスを皆に(なら)って掲げれば、隣のクラリスがくすりと笑みを零した。



「……さて。みんなも知っての通り、今日からボク達『異変解決屋』には、ヴィクターとクラリスが仲間になった。二人にはこれから覚えてもらうこともたくさんあるし、ダリルちゃんとサラには先輩として頑張ってもらうことも増えるけど……まぁ、今日くらいは無礼講ってことで。とりあえず楽しく飲もうよ。それじゃあグラスを寄せて……せーの――」


「乾杯!」



 エルマーの掛け声に応じて、全員の声とグラスが高らかに重なる。ヴィクターは小声で合わせただけだったが、それでも二人で新たな旅立ちを祝った、あのラクスの昼下がり――あの時感じた幸福感とも違った心の温かさに、彼は照れくさそうに目を細めた。



「――そういえばエルマーさん。さっき、自分達のことを『異変解決屋』って言ってましたよね。もしかしてそれが、エルマーさんが所長をやっているっていう部署の名前……ってことですか?」



 それから料理が運ばれるのを待つ間。乾いた喉にカクテルを半分ほど流し込み、クラリスが向かいのエルマーへそんなことを尋ねた。

 魔法局という組織が、世界中で悪事を働く魔法使いや魔獣を取り締まるための組織であるというのは子供でも分かる周知の事実だ。そんな魔法局へのスカウトというのだから、きっとクラリス達に課せられる仕事もそれに関するものであると――そこまでは最初から理解していた。しかし度々エルマーの口から放たれる『異変解決屋』という言葉。その言葉にクラリスは違和感を覚えていたのである。



「そうだねぇ。ほとんど合ってるけれど、実は異変解決屋っていうのは略称みたいなものなんだ。正式には魔法局特例異変解決本部っていうんだけど、それじゃあ毎回呼ぶにも長いからね。ボク達のことは、()()()()のための機動力を重視した少数精鋭部隊……って言えば分かりやすいかな」


「対魔導士のための、少数精鋭部隊……?」


「うん。クラリスも知ってると思うけれど、魔導士っていうのは世間一般的には知られていない特殊な存在だ。ではなぜ、あんなにも危険なものが大々的に公表されていないのか……それは彼らの存在が『非人道的』なものであり、()()()()()()()()()()()()()()()()だからだ。ある日突然、隣人が狂人である可能性があるなんて言われちゃあ生活だってままならないだろう? 世界的な混乱を招かないためにも、魔法局としては今はその存在をできる限り隠しておきたいのさ」



 カラン。エルマーの言葉に合わせるように、ヴィクターのグラスの中で氷が揺れる。まるでそれが彼の心に波立つ波紋であるかのように、泡が水面を震わせる。――しかし。そのわずかな揺らぎに今更動揺するほどヴィクター自身も、そしてそんな彼の心の内に一歩を踏み込むことができないほど、クラリスももう臆病ではなかった。



「近年……ですか。でも、ヴィクターが四百年前にヴァルプルギスの夜を起こした原因には、その魔導士達が関わっているって……。前にエルマーさんはそう言ってましたよね。それって、なんだか今の話と矛盾してしまいませんか?」



 そう。大陸ひとつを沈めるまでに至った、ヴィクターの時間操作魔法によって生まれた大量殺人事件――ヴァルプルギスの夜。彼のファミリーネームが名付けられたその事件の犠牲者の大半は、最高の魔法使い様によって魔力を与えられ、人間性を歪められた魔導士だったという。となれば、たった今エルマーが口にした『近年になって魔導士が現れた』という発言は、クラリスの言った通り早々に矛盾を生み出すことになるのである。


 ダリルとサラの手が止まり、クラリスの目が恐る恐る隣のヴィクターを見上げる。きっと数ヶ月前の彼であれば、自分の過去へとこんなにも直接関わる話、取り乱すか言い訳を並べるかで誤魔化すことを優先していたことだろう。

 しかしヴィクターは静かに一度深呼吸をすると、テーブルの上で両手の指を組み――意を決した様子でゆっくりと口を開いた。



「……クラリスが言っていることは間違いじゃあない。ワタシは……たしかに、過去に魔導士達を(ほふ)るため、多くの人間を手にかけたことがある。だが……これはワタシの推測にはなるが、もしかして魔導士達の発生はその時に一度止まったのではないのかね。それが近年……いや。正確には、ワタシが魔法局を脱獄した二年前あたりから再び現れるようになってきた。……つまり、あの最高の魔法使い様とやらの活動が再び活発になったのも、その頃なのではないか、と」


「その通り。表向きは魔法使いや魔獣の仕業として処理できる事件も、蓋を開けてみれば甘い(魔力)を啜った人間達による私利私欲にまみれた人的災害だ。彼らの起こす事件が魔獣なんかよりもよっぽどタチが悪いことは、君達もよく知ってるだろう? だからそれらを迅速に解決へ導く精鋭部隊を設立するため……そして魔導士を作り続ける『最高の魔法使い様』を捕らえるため。ボクは二年前にアレクシスに魔法局長の座を引き継いで、この異変解決屋を立ち上げることにしたんだ」



 するとそこまで話したところで、ふと。エルマーの口が止まった。誰もが皆うつむき気味に、神妙な面持ちをしている。楽しく飲もうと言ったのは自分であるのに、ついつい真面目な話をしてしまったようである。



「ああ、ごめんごめん。こうやって話すとなんだか難しく聞こえるよね。分かりやすくまとめると、君達は今まで通りの活躍をしてくれれば十分ってこと。もちろん魔導士に繋がる事件だけを対応するわけじゃないし、緊急性の高い依頼は関係なしにどんどん舞い込んでくる。これからは今まで以上に仕事が回ってきて忙しくなるだろうけど……ふふ。実はね。ボク、君達と仕事ができるのを少しだけ楽しみにしてるんだ」



 アルコールが回ってきたのだろうか。赤く色付いた頬で照れたように笑い、エルマーがそんな言葉を漏らす。

 人様の不幸を楽しみと言うだなんて、不謹慎だとでも言うべきなのだろうか。しかしヴィクターが魔法局へやって来たのも――いや、そもそも彼がこれまで事件に首を突っ込んできた理由だって、クラリスの願い半分、彼女へ良い所を見せるための私欲が半分だ。

 思わず喉まで出かかった小言を飲み込むと、ヴィクターは気持ちを切り替えて、運ばれてきた料理へとフォークを伸ばした。


 それからまた小一時間ほども経てば、すっかり空気は一変。

 各々(おのおの)が好きに料理をつまみ、酒やジュースを飲んでくつろぐ中。部屋の端ではただ一人、気まずそうにソーダのストローに口を付ける男がいた。ヴィクターである。



「……」



 普段の彼であれば、他人がクラリスと話そうものならば割ってでも間に入り、怒涛(どとう)のマシンガントークを披露するなどして彼女を独占しようと動くことだろう。だが、今だけは黙々と食事をしながらうつむくだけで、クラリスとの距離もいつもと比べて拳ひとつ分は離れているようにも見える。

 チラリと顔を上げたヴィクターの視線が、サラとの談笑に花を咲かせるクラリスへと向けられる。情けなく垂れ下がった彼の眉は、いつもの自信に満ちた態度を見る影もなく覆い隠し、萎縮(いしゅく)した体は雨に濡れた子犬のようにひと回り小さくなってしまっている。

 ヴィクターがそんな状態になってしまった理由は、他でもない。それは今のクラリスの振る舞い――そして、その会話の内容にあった。



「――でね? その時のヴィクターがすっごく可愛くてぇ。一気に食べちゃったせいでリスみたいにほっぺまで膨らませちゃって。鼻の頭にソースを付けたまま、私が言うまでずぅっと自慢話ばっかり続けてたんだよ? 全部聞き終わった後に教えたら、顔を真っ赤にして慌てちゃってぇ……」


「そうなの!? アタシもその現場、見てみたかったなぁ……。それでそれで? 他にはどんなことがあったの?」



 上機嫌に思い出話を語るクラリスの一言一句を、サラは絵本を前にした子供のごとくキラキラと目を輝かせて聞いている。それに気を良くしたクラリスが重ねて次の思い出を披露すれば、既にぺしょぺしょにしぼんでしまっていたヴィクターがさらに小さくなってしまった。

 その彼の変わりようは、まだ知り合って日の浅いダリルでもよく分かるほどである。


 ――あぁ……なんというか、さっきヴィクターがクラリスさんの飲酒を止めようとしてた理由が分かった気がするな。好意を抱いている人間が、突然あんな饒舌(じょうぜつ)に自分のことを喋りはじめたら、そりゃキャパオーバーも起こしますって。つーか、これって恋愛ゲームならルート入り後確実でしょ。マジでここまで進展してるのになんで付き合ってないんだ。この人ら。


 そんな心の声がひと息に出てしまうほど、クラリス達の様子を正面から見つめるダリルの目には今のヴィクターが滑稽(こっけい)に映っていた。

 先程から、クラリスの話は旅における世界各地の美味しかった食事や綺麗な景色、その地域ごとのお祭りや特色など、今までの冒険のことをメインに語られていた。しかし……それが大体四十分を超えた頃だろうか。彼女の話は次第に、行く先々でヴィクターがどんなポンコツ具合を披露したのかを『可愛い』『子供みたい』といった表現を多用しながら赤裸々に語られるまでに至っていたのである。



「……クラリス。キミ、少し酔っているのではないかね。お水を飲むなら貰ってくるよ。あまり一方的に話すとサラくんも疲れるだろうし、休憩した方がいいんじゃないかな。……そうだ。ここはひとつ、エルマーに余興(よきょう)でもしてもらって――」


「あっ! 分かった……ヴィクター、私がサラとばっかり話してるからヤキモチ焼いてるんでしょぉ? アナタってば、いっつもそうやってぷくぷくほっぺを膨らませちゃって……。こういうところが可愛いのよねぇ。ほら、そんなに端に行ってないで、こっちに混ざったらどう? お料理も美味しいし、まだまだたくさんあるから――そうだ! 私が食べさせてあげよっか」


「うん……気遣いありがとう。でもワタシは自分で食べられるから、頬をつつくのはやめてくれないかね。クラリス……」



 まるで会話になりやしない。もちろんヴィクターがクラリスの言動に引くわけはない。どちらかといえば、この彼女の変わりように戸惑っているという方が正しいだろう。

 クラリスはけっして酒に弱いわけではないが、時おりこうやっておかしな酔い方をしては、ヴィクターを甘やかすべくあの手この手を尽くそうとしてくることがある。いくらクラリスが気遣いの人間で、ヴィクターが世話を焼かれることに慣れているとはいえども、これはあまりにも――そう。あまりにも、これは彼にとって供給過多なのである。


 ――二人で飲んでる時なら適当に流して済ませるが、まさか大勢の前でこんなことになるだなんて。別にスキンシップが激しいわけじゃないから、いつもは目をつむっていたけれど……。距離感がいつものクラリスと違ってて、やっぱり調子が狂うんだよなぁ……


 けっしてこのクラリスが嫌いわけではないのだが、それはそれとしてなんとも複雑な心境だ。

 そんなことをヴィクターが考えている間にも、どうやらクラリスはまたもやサラとの談笑に戻ってしまったらしい。話の所々で、またもや『可愛い』『わんちゃんみたい』といった言葉が聞こえてくる。こうなることが分かっていたからこそ、ヴィクターは彼女がカクテルを頼んだことを知って動揺していたのだろう。


 すると、不意に部屋のドアがノックされ、個室にはトレーにコップをひとつ乗せたウェイターが入ってきた。見かねたエルマーが水を頼んでくれていたのである。

 ヴィクターが視線だけを向ければ、これでも使えと言うかのごとくエルマーが顎先で合図をする。まだまだかつての宿敵に心を許しきれていないヴィクターからしてみれば、ここで厚意に甘えることはプライドが許せないことだ。だが――今ばかりは背に腹はかえられない。



「――ほら、クラリス。お水が来たよ。ひと口でもいいから飲んだらどうなのかね。そんな状態じゃあ、後でキミを連れて帰るにしても一苦労――」



 と、次の瞬間。



「ぴ」



 水の入ったコップ片手にそんな異音を発したのは、紛れもないヴィクター自身で。振り向きざま、鼻先わずか五センチメートルまでに接近したクラリスに心臓が飛び出るほどの驚きを味わった彼は、今がどこで、誰の前であるのかさえも忘れて硬直してしまっている。

 一方、きっとサラとの話の流れでそう言ったのだろう。みるみるうちに赤く茹だっていくヴィクターの顔をじっと眺めたクラリスは、すっかり酒の臭いが濃くなった吐息を震わせて(たの)しげに微笑むのだった。



「ほらね。見て、サラ。今日のヴィクターも――すっごく()()()()でしょ?」

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