第14話 潜入、そしてキノコパニック
小部屋の中は思った通り、蜂人間サイズの空間になっていた。あの長身なヴィクターでさえ見上げてしまうほどに天井が高い。部屋全体を覆う壁の手触りはザリザリとしていて、擦ると崩れた欠片が指の腹にくっついてくる。どちらかといえばコンクリートよりも土壁なんかに近いのだろう。
光源についてはよく分からないキノコだ。その辺に自生しているような丸い形ではない。ひらひらとしたフリルに軸が付いたような形をしていて、それが複数集まることで照明と同等の光量で部屋全体を照らしているのだ。
「なんだか不思議……もしかして、全部の部屋がこんな感じなのかな」
「テレビやビリヤード台でも置いていない限りはね。……クラリス? なにをしているのかね」
「ごめん。ここだけ写真撮らせて。こんなの見たことないし、あとで村の人に報告するのにも役立つから。外も撮っておけばよかったかなぁ」
そう言っているそばから、カシャリとクラリスのスマホから音が鳴った。この音で蜂人間に居場所がバレたらどうするというのだろうか。
「もう少し危機感を持って行動したまえ。アレらの身体能力の高さは、キミもさっき目の当たりにしたはずだろう」
「それはもちろん分かってるけど……」
「……まぁいいさ。どうせアレが襲ってきたとて、ワタシがどうにかすればいいだけの話だからね。それよりクラリス、これ」
クラリスはポーチにスマホをしまうと、部屋の奥で待つヴィクターの元へと駆け寄っていった。
ヴィクターがこれと言って指をさしたのは、彼らの頭上。そこには天井をくり抜いたかのように大きな穴が広がっていた。きっとここが上層階へと繋がっていて、蜂人間達は出入りしているのだろう。しかし――
「これ……どうやって登るの? 階段とかハシゴも無いけれど……」
そう。クラリスが述べたように、問題はその移動方法である。
飛ぶことのできる蜂人間達にとってはただの出入り口でも、クラリス達にとってのこれはまさにウォータースライダーの終点、高層マンションのダストシュートの排出口、滝壺から見た瀑布。つまり上がる手段が無いに等しいのである。
これにはヴィクターもお手上げのようで、彼は両腕を広げて首を傾げた。
「ワタシもそれに困っていたところなんだ。さすがにキミを抱えて空を飛ぶことはできないし、一時的な跳躍に爆発の衝撃を使うことはよくあるが……ここでやるのは良い選択とは言えないね。あまりにも目立つし、建物自体が崩れる可能性もある」
「じゃあどうする? よじ登る……って感じでもないわよね」
「Um……魔法で上昇気流を作って、傘で飛ぶとか……いや、そんな悠長に上がっている間に上から襲われるのは元も子もないし、なにかできるだけ短時間で移動できるような方法があれば……ん?」
そう言ってるそばから、ヴィクターがなにかを見つけたらしい。スタスタと部屋の隅へ向かう彼をクラリスが目で追っていく。
「ヴィクター、どうしたの?」
「見て、クラリス。違うキノコがあった」
たしかに彼の言うように、部屋の隅にはピザワンホール分ほどの大きさをしたクリーム色のキノコが生えていた。こちらは他のキノコと違って光っていることもなければ、ただそこに黙って生えているだけ。突然足が生えることもなければ、敵意剥き出しに毒ガスを噴出する様子もない。
ゆいいつ特徴があるとすれば、それが地面と並行と言えてしまうほどに平べったいということだろう。ぷるぷると瑞々しい様は、ピカピカに磨かれたローテーブルのようである。
「それ、そんなに近くで見て平気なの? 変な臭いとかしない?」
「そんなことはないよ。ちょっとつついてみようか」
そう言って、ヴィクターはそっと指を伸ばして――やっぱり直接触れるは嫌だったのだろう。すぐに引っ込めると、代わりにステッキの石突きを突き出した。
先がわずかにキノコに触れる。すると次の瞬間――
「うおっ!」
「わっ! ヴィクター、大丈夫!?」
キノコの傘に杖先が触れた瞬間、それは触れた時の何十倍――いや、下手すれば何百倍以上もの力でステッキを押し返したのだ。
まさかの勢いに、今回に限っては心の底から驚いたのだろう。ヴィクターはステッキを握っていた左手をぎゅっと胸元に寄せると、バクバクと音を立てる心臓に気を使う余裕も無いままクラリスへと振り返った。
「肩、脱臼するかと思った……」
あのまま指で触れていたら、今頃第二関節辺りから後ろに沿って折れ曲がっていたかもしれない。見た目や音に関してはコミカルにもボヨンという程度だが、実際の反動は大砲にでも撃たれたかのようだ。こんなものをうっかり踏んでしまったらと考えると……ゾッとする。
試しにヴィクターが拾った小石をキノコへ向けて放り投げると、上へ向けて弾かれた小石は天井でコツリと音を立ててから地面へと戻ってきた。
「ヴィクターがなんともないならよかったわ。……あっ、そうだ。そのキノコ、トランポリンみたいに使えないかな? それだけ押し返す力があるなら、さっきの穴の上まで跳んでいけそうじゃない?」
「なるほどそれは名案だね。さすがはクラリス、よく物事を観察している。問題はこれをどう運ぶかだけれど……」
ヴィクターがステッキを横に薙ぐと、キノコの根元がすっぱりと切れて地面へと滑り落ちた。だからといって、もちろんキノコが勝手に穴の下まで移動をしてくれるわけではない。
彼はまたもやステッキの石突きを使って傘の裏側に恐る恐る触れると、今度は何も起こらなかったことにほっと息を吐き出した。
「下から手を入れれば持ち運べそうだね。よいしょ――おっもいなこれ!」
できる範囲でコートの袖をまくって、しゃがんだヴィクターがキノコの下に腕を差し込む。そして持ち上げてはみたものの――ずっしりとした重さは、まるで水がたぷたぷに入ったバケツを両腕にぶら下げたかのようだ。ましてや傘自体にぬめりけがあるためか、右に左にと滑っては安定しない。
あれだけ物質を跳ね返す筋力があるのだ。ある程度の重量感は予想していたが、まさか予想を超えてくるだなんて。
「腰とか痛めないように気をつけて……私、半分持つよ!」
「へい、きだから……クラリスは、そこで応援してて……」
そう言って、よろよろとヴィクターは穴の下に向けてキノコを運んでいく。正直に言うとへっぴり腰だ。きっと重いものを運び慣れていないのだろう。
――こういうのは、魔法でどうにかとかしないんだ……
思わずクラリスもそんな感想を抱かざるをえない。彼なら魔法でなんとかできそうなものではあるが、その手間を惜しんだのか、はたまた今回は自分の力で運びたかっただけなのか――
「がんばって、ヴィクター……」
言われたようにクラリスが控えめな声援を送ると、ポコン。ヴィクターの肩の上に小さな花火が咲いた。なんだ応援されたかっただけだったか。
ようやくキノコが指定の位置に落ち着いたのは、ヴィクターの全身が限界を迎える寸前になってからであった。
「――ふぅ。あぁまったく……ほんと、なんというか……さっきからいらぬ手間をかけさせるキノコだね……」
「本当におつかれさま、ヴィクター。少し休憩する?」
「いや……いつ外の死骸がバレて追っ手が来るか分からないし、先を急ごう。ワタシが先に行って様子を見てくるから、クラリスは少しだけ待ってて」
「うん。分かった」
クラリスがこくりと頷く。
ヴィクターは息を整えてから、意を決してキノコの上へと足を乗せた。次の瞬間――
「わっ、すごい……もう見えなくなっちゃった」
トランポリンどころかパチンコの弾にでもなったかのような速さで、クラリスの視界からヴィクターが消えた。穴を見上げてみても、先は真っ暗でなにも分からない。まるで闇の中にでも吸い込まれてしまったかのようである。
――光るキノコ、持っていった方がいいかな。
ちょうどすぐ近くの壁から生えていたキノコのヒラヒラを、少しだけ千切ってみる。しかしクラリスの手の中に入った途端に、キノコは朽ち果ててポロポロと指の隙間から零れ落ちてしまった。どうやら発光するのは壁についている間だけのようである。
「――おーい、クラリス! こっちに来て大丈夫だ! キャッチするから飛んで来てくれ!」
「分かった! ……よし。それじゃあヴィクターのいるところまでこれで――ふぎゃあ!」
そうこうしている間に頭上にいるヴィクターからお呼びがかかり、うっかりと。心構えも満足にしないうちに、ぴょん。クラリスはキノコの上へと飛び乗ってしまった。
マズいと思った時にはもう遅く――足が触れて間もなく、ヴィクターと同じく彼女の体はパチンコの弾よろしく長い暗闇の先へと打ち上げられてしまった。
――速い速い! ま、まさかこのまま天井にぶつかったりとかしないわよね!?
この速度でぶつかろうものならば全身がバラバラになってしまう。
ゾッと背中が粟立つ中、彼女の視界の端には上から下へと流れていく光が見えた。あれは――通路だ。この穴の途中から横道に逸れるように、不規則にいくつもの別の穴が空いている。その壁から生えたあのヒラヒラのキノコが光を放っているのだ。
「クラリス!」
通路の中のひとつに、彼女の名前を叫ぶヴィクターの姿があった。
彼は近づいてくるクラリスに向けて手を伸ばし、その手に応えるべくクラリスも手を伸ばす。そして指先が触れる寸前で――彼女の体はヴィクターの前を通り過ぎていった。
――えっ……なんで!?
クラリスがその理由に気がついたのはすぐのことだった。掴むのが間に合わなかった。跳ぶ勢いがつきすぎたのである。
離れていくのに比例してヴィクターの姿はどんどん小さくなっていき、彼女の体はさらに上を目指していく。そして――
「わっわっ!」
じょじょに昇る速さがゆっくりとなり――やがて上昇が止まった。となれば、あとは落ちていくだけ。クラリスの喉から引きつった悲鳴が漏れ、今度は重力に引かれて急降下が始まる。
――さ、さすがにこれは死ぬかもぉ……!
気持ちの悪い浮遊感。広げたところで役に立たない手足。パラシュートも命綱も無いままに、彼女の体は真っ逆さまに暗闇を落ちていくのだった。




