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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第2部 序章『ハロー、世界の中心』
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第139話 のしかかるプレッシャー、一輪の微笑みに癒されて

《数分後――魔法局三十階》


 エレベーターに揺られ、上へ上へ。移動をすること二分弱。軽快な電子音と共に開いたドアの先に広がっていたのは、一面に赤いカーペットが敷かれた長い廊下であった。相変わらず壁や天井を覆う黒大理石の輝きは、まさにRPGゲームでいうところのボス戦手前にも似た緊張感を訪れた者に与える。

 見たところ、この階には局長室の他にもいくつか客室が存在するようだ。案内を申し出たエルマーとダリルを先頭に、後列ではクラリスを挟んでヴィクターとサラが続いている。自分達の他に歩いている人もいなければ、横に三人並んでもまだ余裕があるだなんて。緊張感に反して、居心地だけはいいものである。



「……ねぇ、クラリス。ちょっと聞いてもいい?」



 すると、廊下の途中でサラがクラリスへと耳打ちをしてきた。話す側が小声になると、ついつい聞く側も小声になってしまうものだ。わずかに体を傾かせ、クラリスもサラ同様に声量を抑えたヒソヒソ声で話を始めた。



「どうしたの、サラ?」


「ヴィクターのことなんだけど、もしかしてここに来る前になにか良いことでもあった? なんだか前に会った時よりも視線が優しいというか、雰囲気が柔らかくなった気がして……」



 そんなことを聞かれれば、こっそりと。二人の視線がすぐ隣を歩くヴィクターへと向けられる。

 このサラの感じたヴィクターの変化には、クラリス自身も前々から気がついていた。きっかけは、きっとあのラクスでの出来事。クラリスと共に過去と向き合い、肩の荷が下りたことで、今までまとわりついていた彼自身の影から心が解放されたのだろう。

 他人の目から見ても分かるその変化が、クラリスにとってもどこか自分事のように嬉しく感じる。無意識のうちに、ヴィクターを見上げる彼女の口元はふっと笑みを描いていた。



「うん……ここに来るまでに色々あってね。たしかに少しだけ成長して、周りの人にも優しくなったのかも。……ただ、相変わらず薬は飲みたくないって逃げ回るし、エルマーさんにからかわれた時なんかは運転席を蹴ったりもしてたけどね」


「ええ? もう、エルマーもヴィクターもどっちもお子様なんだから。いい大人なんだし、わざわざ喧嘩するようなことなんてしなければいいのに」



 そんなことをサラがぼやいたところで、突然クラリス達の足が止まった。先を歩いていたエルマー達が立ち止まったのだ。

 一行の前に現れたのは、ここまで見たどれよりも大きくて重厚な両開きのドア。しっとりとした木の質感が、ひと目で他とは違う空間が待っていることを想像させ、見る者へと圧迫感を与える。エルマーはダリルと数言なにかを会話した後、珍しく真面目な顔をしてクラリス達へと振り返った。



「着いたよ。一応再確認しておくけれど、今回の目的はラクスで起こった事件の報告だけじゃない――ヴィクター。そしてクラリス。君達を正式に魔法局に迎え入れるための説得だ。基本的にはボクが話をするけれど、あの堅物局長のことだ。もしかしたらあらぬ角度から質問を投げかけてくるかもしれない。重ねてにはなるけれど、態度には気をつけてね」


「ふぅん……なら、その魔法局長がノーだと言えば、晴れてワタシとクラリスは解放されるということかね。ワタシからしてみれば、むしろそっちの方がありがたいのだけれどね」


「そんなの今更ボクが許すわけないでしょ。……まったく。いいかい、ヴィクター。普通の魔法使いを雇うだけならまだしも、今回ボクが引き入れようとしてるのは過去に重要指名手配犯だった(おとこ)なんだから。いつもとは勝手が違うんだよ。変に目をつけられないためにも、今だけはお利口さんにしていてくれよ」



 改めて釘を刺したところで、三度のノックの後にエルマーが取手に手をかける。ゆっくりとドアを押し開けば、彼の隣でダリルの顔がわずかに(こわ)ばった。そして――



「――やぁ、アレクシス。待たせちゃってごめんね」



 そうエルマーが声をかけたのは、部屋の奥。西日が射し込まないようにとカーテンによってまぶたを閉じられた、サントルヴィルが一望できるほどに大きな窓のちょうど手前。この局長室唯一のデスクにて、椅子に深く腰を掛けた細身の男だった。

 男がまとうのは、ツーブロックに刈り揃えられた金色の髪に、眩しいほどの白色のスーツ。なにより特徴的な鋭い翠玉色(すいぎょくいろ)の三白眼が、まるで静寂を切り裂いた無法者を睨みつけるかのようにエルマーへと向けられた。



「遅い。ウィークエンド。事前に貴様から聞いていた話では、面会の予定時間はもう一時間程前だったはずだが」


「いやぁ、それに関しては本当にごめん。道路が混んでてなかなか辿り着けなくてさ。お詫びといっちゃあなんだけど、後でお土産を持ってくるよ。車に置いてきちゃったから、渡すのは明日でもいいかな?」



 そんな軽口を叩くエルマーの口調は、とても先程まで態度に気をつけることを念押ししていた人間の発言だとは思えない。目に見えてアレクシスの顔が渋くなり、ただでさえ寄っていた眉間の皺がさらに深く刻まれる。


 ――え、エルマーさん……どうしちゃったの? なんだか局長さん、とっても渋い顔をしているみたいだけれど……


 そうクラリスが心配している間も、エルマーはつい数秒前とは打って変わってニコニコと上機嫌な笑みを浮かべている。

 果たしてこんなスタートで、穏やかな説得なんてできるのだろうか。アレクシスの三白眼が、部屋の外で気まずそうに縮こまるダリルと、わずかに表情を曇らせたヴィクターへと向けられ――それから、ドアの影から顔を覗かせていたクラリスとサラへと向けられた。彼の口から大きな溜め息が零れたのは、そんなタイミングのことである。



「……はぁ。土産はいい。そんなことより、いつまでも突っ立ってないで中に入って適当に座ってくれ。このまま客人を立たせて長話をするわけにもいかないだろう。ロジャー、茶菓子でも出してやれ」



 そうアレクシスが指示を出すと、彼の横に控えていたチョコレートブラウンの髪の男がこくりと頷いた。

 髪よりも少し淡いブラウンのスーツには、服の上からでも分かるほどに筋肉質な体のシルエットがくっきりと現れている。対照的に瞳と同じタフィーピンクのベストには美しい黄金の花の刺繍が施されており、見た目の力強さに反した品性をクラリス達へと印象づけた。

 

 一方、ロジャーと呼ばれたその男が席を外すのと同じくして、エルマー達はローテーブルを挟むように置かれたソファへと着席していた。自然と先程と同じメンバーで分かれたからだろうか。狭い空間でヴィクターとサラに挟まれたクラリスが、居心地が悪そうに身を少し前へと寄せる。そんな彼女の前へと、湯気の立つコーヒーと茶菓子が置かれたのはその時である。



「あっ。ロジャー……さん? ありがとうございます」


「……」



 クラリスのお礼に、ロジャーは言葉ではなく先程同様に頷きひとつで返事をした。無愛想だというよりは、彼なりに空気を読んで余計なことは口にしないようにしているのだろう。


 ――もっと警戒されるかと思っていたけれど、局長さんもロジャーさんも快く出迎えてくれた……って感じなのかな。コーヒーもすごく良い匂い。話が本格的に始まる前に、先にひと口頂こうかな。


 どうやら緊張感から口の中が乾いてしまっていたようである。一度喉を潤すため、クラリスがコーヒーカップへと手を伸ばした――まさにその瞬間。そんな彼女の手が、空中でピタリと止まった。丸々大きく見開かれた目が見つめていたのは、皿に綺麗に盛られた色とりどりの包装紙。見覚えのあるロゴが印字された、来客用の焼き菓子達である。


 ――このマドレーヌ……もしかして、予約してから数ヶ月は待たないといけないっていう超有名店ドルレアの一番人気マドレーヌ食べ比べセット!? ただでさえ予約するのに抽選が必要なレア物だっていうのに、それを自分で食べないでお客さん相手に出すだなんて……本当にこれを私達が食べていいっていうの!?


 思わずここがどこであるかを忘れてしまうほどに、クラリスの意識は既に目の前のマドレーヌに集中してしまっていた。なにせこのマドレーヌは、サントルヴィルに来たらいつかは食べてみたいと彼女が焦がれ続けていた憧れそのもの。そうそうお目にかかることのできない、伝説の焼き菓子(激レア商品)だったのである。

 すると、そんなクラリスを見かねたのだろうか。不意に彼女の背中が優しく叩かれた。はじめはてっきり、お菓子に夢中な彼女をたしなめるためにヴィクターが叩いたのかと思ったが、どうやら違う。その手の主はヴィクターとは反対側――そう。クラリス同様に目をキラキラと輝かせたサラであったのだ。



「クラリス、お菓子食べよ? アレクシスが出してくれるお菓子って、いつもすっごく美味しいんだよ。アタシ、このマドレーヌはチョコレート味が大好きなんだ」



 固まるクラリスの横からひょいと茶色い包装紙を取り上げ、サラが嬉しそうに笑ってみせる。その笑顔を見て、クラリスはエルマーがサラを一緒に連れてきた理由をなんとなく理解した。

 そこにはもちろん、これまでの経緯を説明する手間を省くためや、アレクシスへの抑制のようなものも含まれているのだろう。だが……きっと、こうしてクラリス達の緊張を(やわ)らげるためにも、彼女の存在は必要不可欠だったのだ。



「サラ……うん。そうだね。せっかくだし、頂いちゃおうか」


「やった! みんなが食べなかったら、アタシ達で全部貰って帰っちゃおうね!」



 周りには聞かれないよう、そんな密かな悪巧みに花を咲かせて。緊張張り詰める空気の中、二人の少女だけが静かにソファの端で顔をほころばせていたのだった。

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