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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第2部 序章『ハロー、世界の中心』
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第137話 紳士と乙女と賑やかな帰路

 風が草木を撫でる音に代わって聞こえるのは、獣が唸るかのようなエンジン音。よく整備がされた果てのない道路を、たくさんの車がひっきりなしに行き交っている。

 少し目線を上げれば、目に入るのは地面にびっしりと生え揃ったビル群だ。壁面に飾られた巨大なモニターに流れる広告は、ネオンに夕暮れ間近の太陽を反射してギラギラと輝いている。果たしてどれだけの人間がこの都市に希望を抱き、憧れを寄せて、そしてたどり着くことができたのだろうか。


 しかしそんなネオンに負けないほどにキラキラと目を輝かせて、移り変わりゆく街並みを熱心に眺めている者がいた。颯爽と車道を走る黒い公用車の窓に張り付くように、外を見つめる女性――肩まで伸びた美しいブロンドヘアと真夏の海を思わせるシアン色の瞳を持つ彼女、クラリス・アークライトである。



「ここが中央大都市サントルヴィル……。すごい、本当に建物がみんな大きいのね! ほら見てヴィクター、テレビで見たお店がたくさんある。あそこのクレープ屋さんとか、オムライス屋さんとか……あっ! あそこのミルクチョコレート専門店、ずっと行ってみたかった場所なの! テイクアウトの飲み物がすっごい人気で、毎日行列が凄いんだって。ねぇ。よかったらヴィクターも、今度一緒に行ってみな――」



 と、そこまで話したところで。期待していたような返事がまったく無いことを不思議に思い、クラリスは()()が座る隣のシートへと目を向けた。思えばいつもはうるさいほどの合いの手や、毛布にくるまり眠る子犬のような寝息も、あの厄介な打ち上げ花火の音だって聞こえない。つまりは――


 ――あぁ……ヴィクターったら。だから言ったのに……


 そこにいたのは、顔を真っ青に染めてぐったりとシートにもたれ掛かる紅髪の美丈夫。過去に大陸ひとつを沈めるほどの大罪を犯し、通称『禍犬(まがいぬ)』とも呼ばれた大魔法使い――ヴィクター・ヴァルプルギスその人である。



「えっと……ヴィクター、大丈夫? もしかして車酔いしちゃった?」


「……ん。心配をかけてすまない……チョコのことだろう。大丈夫、ちゃんと話は聞いてるから。ただ……うぷ。ああ、これだから車は嫌いなんだ。こんなに何日も乗るだなんて聞いていなかったのだよ。車を破壊してでも別ルートを提案するべきだった。早くホテルでふかふかのベッドにでも横になりたい……この際ソファでもいい。じゃないとそろそろ本気で吐きそうだ……」



 そう忌々しげに口にしたヴィクターが、疲労を色濃く含んだ視線で前方のルームミラーを睨みつける。すると、タイミングよく運転席から後方を確認したアプリコット色の髪の男――エルマー・ウィークエンドのサングラス越しの瞳と目が合った。



「ヴィクター。君の気持ちは分かるけれど、公用車を汚すのだけは勘弁してね。気分転換なんかができればいいけど、その様子だとそうもいかなさそうだし……そうだ。窓を開けて外の空気でも入れようか。少しは楽になるかもしれないよ?」


「……いい。こんな汚れきった空気、吸ったところで気分が良くなるとは到底思えないよ。ここまで気分が悪いのなんて、魔導士が作ったクッキーを口にして以来だ……。いや、そもそもキミがもっと穏やかな運転を心がけてくれさえいればよかったのではないかね。そうすれば、ワタシだってこんな最悪な気分になんてならずに済ん――いでっ」



 その時。つらつらと恨み言を吐き出すヴィクターの頭に正義の鉄槌(てっつい)が落とされた。それが彼と同じく後部座席に乗ったクラリスからの一撃(チョップ)であったことは言うまでもない。

 嗚呼、こんな怒った時でもクラリスの顔は世界中のどんな花々よりも愛らしいものだ。そう。それこそこの停止信号を待つ間、興味津々に自分達を見つめる足元の小さな使い魔(ペロ)にだって引けを取りやしない――だなんて。ただでさえ頭の働かないヴィクターが、そんな的外れなことを考えているなどつゆ知らず。クラリスは手刀を収めると、まだ青さの残る彼の顔を心配半分、呆れ半分といった表情で覗き込んだ。



「もう……ヴィクター。気持ち悪いのはアナタが酔い止めを飲みたくないって意地を張ったからでしょ。せっかく運転してもらってるんだから、そんな八つ当たりなんてしちゃダメ。すみません、エルマーさん。長旅で疲れてるのは同じだっていうのに……」


「いいよいいよ、気にしなくて。そういう文句を聞くのは慣れてるし、慣れない移動に付き合わせてるのはこっちだからね。むしろボクとしては、こういうヴィクターのわがままひとつがオズを相手にしている感じと似ていて、ちょっと懐かしいというか嬉しいというか……おや」



 すると話の途中。突然襲った背中を揺らす振動に、エルマーの視線が再びルームミラーへと向けられた。座席が後ろから思い切り蹴りつけられたのだ。その犯人がミラー越しに自分を睨みつけるヴィクターだと気がついた時、思わず彼の口元は愉しげな弧を描いていた。



「ああごめんね! オズと一緒にされるのは嫌なんだっけ。いわゆる同族嫌悪ってやつに近いもんねぇ……君達。別に顔を合わせる度にいがみ合わないで、仲良くすればいいのに。……そうだ。彼が戻ってきたら、せっかくなら二人で魔法局のイメージキャラクターなんてどう? 黙っていれば顔とスタイルだけはいいんだし、引き立て役が必要ならボクも参加してあげるからさ」


「……キミは一度開いた口を閉じるということを知らないのかね。誰があの男と仲良くなんてするもんか。そこまでして喧嘩を売りたいのなら、オズワルドよりも先に今すぐここでキミの息の根を止めてやったっていいのだよ」


「ボクを殺したら困るのはそっちでしょ……なんて。ほら、そんなこと言ってる間に着いちゃったよ。さぁさぁ後部座席のお二人さん、左手をご覧ください。サントルヴィルに数ある観光名所のひとつといえば、やっぱりここ! あれこそが僕達の目的地――()()()の本部がある建物だ」



 左折を意味するハザードランプがチカチカと点滅し、ピッタリと閉じられた巨大な門が一行を乗せた車を出迎える。

 言われるがままにクラリスが左方向へ身を寄せれば、不意な肩肘の接触にヴィクターの体がびくりと跳ねた。……だが。そんなことに今更構っていられるほどクラリスも暇ではない。なぜならエルマーが反時計回りにハンドルを回すと、その建物は一気に彼女達の視界へと飛び込んできたからである。



「わぁ……旅先で見たお城にも負けないくらい、すっごく立派で大きな建物。これが、魔法局……!」



 ざっと目で見ただけでも二十階は越えているだろうか。見上げれば首を痛めてしまいそうなほどに背の高い建物が、クラリス達の前へとその姿を現している。黒を基調とした(おごそ)かな佇まいは、いかにもお役所仕事に向いているといった印象さえも受けるだろう。

 よく、建物をコンサートホール何個分と例える人間がいるが、その例えをハイムという田舎町に住んでいたクラリスは今までよく理解することができなかった。だが……今ならその例えも、なんとなくどんなものか想像することができる。それほどまでに、この魔法局という場所は広大な敷地を有していたのだ。


 門の前には警備員と思わしき男が左右に一人ずつ立っていたが、それもエルマーが運転席から片手を上げれば、示し合わせたかのように門の開閉スイッチを押しに小屋の中へと消えてしまった。事前に話を通していたのか、それかいわゆる顔パスというものだろう。

 ゆっくり門が開くと車が前進しはじめ、綺麗に舗装された一本道をタイヤが滑らかに滑っていく。それから車が再び停車したのは、同じ見た目の車がいくつも並んだ駐車場の一角であった。



「はーい、到着ぅ。どう? ヴィクター。ボクとお喋りしたおかげで、ちょっとは気が紛れたでしょ。降りたらちゃんとストレッチして体を伸ばしてね。それだけでもわりと良くなったりするからさ……って、ほらほらダリルちゃんも起きて。これ以上寝てたら一人だけ置いてっちゃうよ」



 冗談()じりにエルマーがそう言えば、サイドブレーキが掛かる音に混ざってヴィクターの舌打ちと、助手席で寝こけていたダリルの「んえ?」という間抜けな起き抜けの声が車内に響く。

 それから慣れた様子でダリル達はすぐに車を降りていったが、車移動に不慣れなヴィクターはシートベルトを外すだけでも一苦労だ。慌てて右往左往する彼に苦笑をひとつ零し、クラリスが座面近くのスイッチへと手を伸ばす。小気味よい音と同時にヴィクターの体が解放されれば、その簡単なギミックにようやく気がついたのだろう。彼は照れた様子で唇を巻くと、恥ずかしさを誤魔化すかのように早口で言い訳を述べた。



「あっ……そこにスイッチがあったんだね。もっと分かりやすい場所にでも設置されていると思っていたよ。こんなことにも気がつけないなんてすまない。わざわざクラリスの手をわずらわせてしまったね」


「ううん、いいの。それじゃあ私達も行きましょうか」



 そんな緊張感のないやり取りに笑顔を返し、クラリスも自分のシートベルトを外してはひと呼吸。念願だったネオン。念願だった喧騒。念願だった大都会。嗚呼、できることならば、今すぐヴィクターと共にここを駆け出して、町中の全てを見て回りたい。

 だが――旅の目的でもあった、この中央大都市(サントルヴィル)を探索するのはもう少しだけお預け。今はそれよりも大事な、彼女達の今後に関わるひと仕事を行う時間だ。


 ――魔法局(ここ)で、これから私とヴィクターの新しい冒険が始まるんだ。そのためにもまずは魔法局長さんに会って、必ず私達のことを認めてもらわないと。


 (たかぶ)るように踊り出す胸の鼓動をそっと秘め、そんな決心を心に抱く。

 そして。新たな物語の幕を開くため、クラリス達は世界の中心地へとその一歩を踏み出したのだった。

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