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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 最終章『その名を呼んで。親愛なるファムファタル』
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第134話 そして彼は未来を掴み取った

 からかっているわけでも、冗談でもない。ヴィクターへ向けられたエルマーの目は、その真意を探るまでもなく真剣そのものであった。この男は本気でヴィクターを魔法局へ勧誘しようとしている。本来、相入れるはずのないこの災厄のような魔法使いを前にして、本当に手を結ぼうと。そう口にしているのだ。

 しかしそんな突拍子もない提案を前に、ヴィクターが安易に首を縦に振るはずもなかった。なにせ相手は小賢(こざか)しいほどに頭の回るエルマー・ウィークエンドなのである。あの切れ者が、ただ単純な提案をしてくるはずがない。相手の手札の全容が見えていない以上、そう易々と判断を下すことはできなかったのである。



「力を貸す……ね。ワタシが魔法局のことを快く思っていないことは、キミもかねてより知ってのことだろう。もしもワタシがこの場で嫌だと言ったらどうするつもりなのかね」


「もちろん、ボクはそれでもかまわないさ。ただ……その瞬間に交渉は決裂。ヴィクター、君は――いや、()()は。今度こそ世界中の魔法局を敵に回しながら旅を続けることになる。ここを無事に逃げ切れたとしても、昔みたいに指名手配されちゃあ毎日ビクビクして過ごさなきゃいけなくなるだろうね」



 エルマーがそう答えると、ヴィクターは目に見えて不快感を顔に滲ませた。

 それはすなわち。ここでエルマーの言うこと聞かなければ、彼は今度こそ世界中へとヴァルプルギスの夜の真相を公表するつもりでいる。ひいてはその主犯格であるヴィクターを匿ったという容疑で、クラリスすらも指名手配すると言っているのだ。

 人質だなんて卑怯だと糾弾するべきか。殴りつけて唾でも吐きかけてやるべきか。しかしこれは、エルマーがヴィクターを手なずけるために用意した数ある手札の内のたったのひとつにすぎない。きっとここを退けたところで、あの男は()りずに新たなカードを切ってくるに違いがないのである。



「……なるほど。ワタシを脅すというのかね」


「脅すだなんて人聞きの悪い。それならもっと分かりやすく言ってあげようか? 君がボクのもとで大人しく言うことを聞きさえすれば、君が過去に犯した罪には一時的に目をつむってやるって言ってるんだ。ボク達は世界各地で好き勝手を繰り返す魔導士を止めるための戦力を手に入れることができて、君は大好きなクラリスとこれからも安心して一緒にいることができる。正直、ボクが考えられる限り一番ウィンウィンな関係だと思うんだけれど……どうかな」


「……それは――」

 


 そこでついに、それまで反抗的な姿勢を崩そうとしなかったヴィクターの口が閉じられた。初めて、彼の心の中に迷いが生じたのである。

 魔法局と敵対していた経験のあるヴィクターにとって、エルマーの提案を受け入れることは屈辱にも等しいことだった。だが……この提案を飲み込みさえすれば、これ以上クラリスを自分の過去で振り回す心配は無くなる。今度こそ胸を張って隣を歩くことができるのだ。ましてやクラリスのことだ。魔導士の被害を食い止めるため、微力だろうと自分が力になれることがあるとすれば、彼女は喜んで手を貸すことを選ぶだろう。おそらく――そこに、断る理由は無い。


 それでも。そこまでの結論にたどり着いた上でもなお、ヴィクターは決断に踏み切ることができないでいた。なにせその選択は最善であると同時に、彼が大切にし続けてきたクラリスとの旅の()()()を意味することにもなってしまうからだ。



「……」



 ヴィクターの視線がゆっくりと地面をなぞっていき、それからクラリスを見上げる。

 ここまでの会話の中で、クラリスが横から口を挟むことは無かった。だが、聡明な彼女のことである。エルマーの言葉の意味はちゃん理解しているはずだ。



「クラリス、キミは――」



 そう、ヴィクターが言いかけたまさにその時。彼の唇になにかが触れた。それがクラリスの人差し指であると彼が気がついたのは、ひと呼吸の間の後に指が離れていってからのことだった。



「ストップ。……ヴィクター。アナタ、もしもここで自分が魔法局に行くことを選んでしまったら、せっかく続けてきた旅が終わってしまって私に申し訳が立たない……とか思ってるんでしょ。自分じゃ決められないし、私に決めてほしいなぁって顔してるよ」


「……うん」



 やはりなにを言おうとしたところで、ヴィクターの思っていることはクラリスにはお見通しであった。きっと最初から彼が迷うことを分かっていた上で、二人の会話を聞きつつ自分の考えをまとめていたのだろう。

 すると。ヴィクターが素直に頷いたのを見て、クラリスが彼の前へと右手を差し出した。急に握手なんて求めて、どうしたというのだろうか。そんな突然の彼女の行動を不思議に思いながらも、惹かれるがままにヴィクターがその手を取った。次の瞬間――



「わわっ! クラリス!?」



 まるで待ってましたと言わんばかりに、力のこもったクラリスの手がヴィクターの体を引っ張りあげる。だが……それでもクラリスの腕力だけでは、力の入らぬ成人男性を持ち上げるのは至難の(わざ)だったのだろう。バランスを崩したヴィクターが慌てて左手のステッキを地面に突き立てるものの、それすらもう遅く……あえなく。彼らの額同士はぶつかりあい、鈍い音が周囲へと響き渡った。



「いった……く、クラリス。すまな――」



 頭も痛ければ、距離も近い。その事実を意識しはじめる前に、ヴィクターはとっさにクラリスから身を引こうとしたのだが……残念ながらそれは叶わなかった。カラン。ステッキを握っていたはずの左手も、右手と同じくあえなく彼女によって捕まってしまったのである。

 吸い込まれてしまいそうなほどに青く透き通った瞳が、目と鼻の先で唖然とする自分の顔を映し出している。ここまで彼女と目線の高さがぴったりと合うことなんてそうそうない。息がかかるほどまでに近づいたその距離は、彼の余計な思考を奪うために十分すぎるほどの効果があった。



「――私のことはいいから、ヴィクターが最善だと思う方を選んで。たしかに世界中を見て回るっていうのにはまだまだ物足りなくて、少し残念な気もするけれど……でも、大丈夫。予定が少し早まっただけだもん。アナタがどこに行くことを選んでも私は着いていくし、もう絶対に離れたりしない。いっつも大事な場面は私に選択を任せようとするんだから。たまにはさ。アナタが私を導いてよ」


「ワタシ、が……?」


「そう。どっちを選んだとしても、私に申し訳ないだなんて思ったり、後悔なんてしないで。ヴィクターが選んだ道を、私は……信じるよ」



 重ねられた手を、上から強く握りこまれる。その指先から伝わる期待と不安に、ドキリと心臓が跳ねた。次に口にする自分の言葉で全てが決まるだなんて。嗚呼、どうして今日はこうも緊張の連続なのだろうか。

 まぶたを閉じ、両手を包む温もり以外の感覚をシャットダウンして、ヴィクターは考える。頭の中に何通りもの未来図を描いては、クラリスが……いや、自分達が幸せに生きることのできる()()()()()を求めて彼は想像を巡らせていく。そして――



「……ワタシは、行くよ。サントルヴィル(中央大都市)に」



 そう言って、ヴィクターのまぶたはゆっくりと開かれた。



「本当に、いいのね?」


「ああ。もちろん魔法局に協力するだなんて、死んでもごめんこうむりたいところだが……。まぁ、我々が世界中で善行の真似事をしながら旅していたのは事実に他ならないからね。困った人間を助けたいというクラリスの願いを叶えるのに、あの場所がこれ以上無く適任な環境であることは間違いない。あちらがワタシを利用するというのなら、ワタシだってそれ以上に利用し返してやろうというわけさ」


「もう……。ヴィクターってば素直じゃないんだから。そんなあまのじゃくな言い方しないで、ただこれからよろしくお願いしますって伝えたらいいだけなんじゃないの?」


「なぁにがよろしくだ。お願いしてきたのはあっちの方だろう。ワタシはキミを盾に脅されて、渋々了承してやっただけなのだよ。こんなの理不尽だ。無理強いだ。別にここで今すぐ彼らの首をもいでしまって、トンズラこいてやったって本当はかまわないのだから――」



 と、そこまで話したところで、ふと。自分が至近距離でクラリスと触れ合っていたことをようやく思い出したのだろう。ヴィクターの脳が改めて現実を認識した、その瞬間――彼はボッと()だった顔を明後日の方向へ逸らし、胸の前へと両腕を引っ込めてしまった。

 人間、理解が追いつかない時にはつい口が開いてしまうものだ。クラリスは初め、ポカンと口を開けたままじっとヴィクターの顔を凝視していたものの――やがて耐えきれなくなったのか、()()と一声。一度吹き出してしまったのを境に歯止めがきかなくなってしまった彼女は、腹を抱えたままケラケラと笑い声をあげてうずくまってしまった。



「な、なんで笑うのかね、クラリス。人の顔を見て笑うだなんて、失礼にもほどがあるだろう」


「ごめんなさい。だって……ふふ。その反応を見ていたら、なんだか本当にヴィクターが戻ってきたんだなぁって感じがして嬉しくなっちゃって。……ねぇ。今の驚いた顔、もう一回だけでいいから見せてくれない?」


「もう一回? そんなの見せようと思って見せられるわけがないだろう。人をオモチャみたいに扱うのはやめてくれたまえ」



 片手でパタパタと首元を扇ぎ、ぷいとヴィクターがそっぽを向く。……しかし、そんな彼の目が横目にクラリスを一瞥(いちべつ)したかと思えば、作られた不機嫌顔はすぐにでも破顔した。

 彼女の笑顔を守ることができるのなら、多少の文句くらいはまるっと飲み込んでしまおう。この懐かしいやり取りが嬉しかったのはクラリスだけではない。……彼もまた、こんな日々が戻るのをずっと焦がれ続けていた一人に違いなかったのである。

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