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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 最終章『その名を呼んで。親愛なるファムファタル』
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第129話 勝利の女神は明日の茜空を背に微笑む

 もしもあと一秒、タイミングがズレていたのならば。クラリスの耳に飛び込んできた声は、目にした赤は、()のものではなかったのかもしれない。

 彼女が振り向いた、そのわずか後方一メートル。鈍色の流星群が風を切り裂き、鋭利な()()()がハロルドの双頭へと降り注ぐ。そのうちの一つが魔導士の小さな眼球へと吸い込まれると、耳をつんざくほどの悲鳴がショッピングモールを震わせた。



「あれは、空を飛ぶ剣……? もしかして……ダリルさん!」



 そう。あの際限なく現れる無数の()()()に、クラリスとヴィクターは見覚えがあった。一度は敵として対峙し、ヴィクターに刃を向けた自律飛行の魔法の剣――ダリル・ハニーボールの魔法の仕業によるものだ。

 とっさにクラリスが周囲を見渡せば、探していた姿はすぐに見つかった。きっとエスカレーターが壊されたことで、遠回りに階段を駆け下りてきたのだろう。息を切らしたダリルが、二階の手すりから身を乗り出して声を張り上げた。



「僕のことはいいですから、ハロルドを! まだ終わってませんよ!」



 その言葉の通り、顔の右半分にダメージを負ったハロルドが逃げるように影の中へと首を引っ込める。その双頭が魔導士の足元から現れたのを確認すると、ヴィクターは地上へ向けて三度の小爆発を起こしながら落下の勢いを相殺――クラリス共々、ようやく着地へと成功した。



「クラリス、怪我は無いかね」


「うん。私は平気。でも……飛ぶならせめて、落ちるような心配をしなくてもいいようにしてよね? また次もこんなんじゃあ、命がいくつあっても足りなさそうだから」


「……ああ、そうだね。()があれば、善処するようにはするさ」



 そう口先に乗った言葉を自嘲するかのように笑い、ヴィクターはハロルドへと振り返った。

 どうやら先の榴弾(ガラス玉)による爆破攻撃……そして追い打ちをかけるようなダリルの援護射撃のかいもあって、ハロルドの体力は極限まで削られている。しかし、これこそが魔導士として生きるための――はたまた夢を追う人間の執着心とでも言うべきだろうか。それまで力なく垂れ下がっていた三つ首がゆっくりと前を向いたかと思えば、よだれと血液にまみれた口が獣のごとき咆哮を轟かせた。



『どいつもこいつも、そろってぼくのじゃまばかり……! ぼくがいちばんつよくて、おおきくて、かっこいい『さいきょうのまほうつかい』になるんだ……。だれも……だれも、ぼくの()()のじゃまを――するなあああああッ!』



 ハロルドの咆哮が床に散らばったガラス片を震わせ、ヴィクターと魔導士の足元で影が揺れる。

 お得意の不意をついた奇襲攻撃――そのわずかな揺らぎはクラリスの目にこそ映らなかったものの、敵の動きを注意深く観察していたヴィクターには今度こそ捉えることができていた。



「ふん。また影に潜り込むつもりとは、馬鹿の一つ覚えかね。ずいぶんと甘く見られたものだ……。ワタシを相手に、二度も同じ手が通用するとは思わないことだね!」



 瞬間、手元でステッキを反転させたヴィクターが宝飾の苺水晶(ストロベリークォーツ)を床に強く叩きつけた。

 クラリスの耳の奥でキンとした耳鳴りが鳴り、次に頭上から聞こえたのは、いつか聞いた秒針が時を刻む音。それがピタリと歩みを止めた時――彼女は今、自身が世界の重心から少し離れた場所にいるのだということに気がついた。


 ヴィクターとクラリス――それ以外の全てが、時間(うごき)を止めている。


 天井の穴を塞ぐかのごとく浮かび上がった巨大な文字盤の針は、ゼンマイが切れてしまったみたいに微動だにしない。もちろんハロルドも、ダリルもだ。

 これが時間を操作する魔法――その内側。不思議な感覚だ。見える景色は変わらないというのに、現実ではないみたいにふわふわとした曖昧な空気。しかしこの現象が隣で髪をかきあげた男の仕業であるということを、エルマーの話を聞いていたクラリスは既に頭で理解していた。



「ヴィクター、これ……!」


「……ああ。心身の消耗が激しいから、あまり使いたくはないのだが……また影に潜り込まれると厄介だからね。少しばかり、世界の(ことわり)に干渉させてもらった。だが……ッ、駄目だ、時間が無い。魔法が解けた一瞬の隙を狙う!」



 そう言ってヴィクターが掲げた杖先は、彼の浅く繰り返される呼吸に合わせて小刻みに震えていた。もちろん今度はなにかに怯えて震えているわけではない。理由は単純明快……体力がもたないのだ。

 心配そうにクラリスが見上げる先。宝飾に魔力が集中していくにつれて、上空の文字盤が軋んだ音を立てる。そしてヴィクターが汗の伝う顔を歪めた、次の瞬間――世界が再び、動き出した。



「――そこだッ!」



 ヴィクターが声を上げると同時に、苺水晶(ストロベリークォーツ)から魔力を凝縮した光球がハロルドへ向けて放たれる。だが――満足に照準を絞る時間が無かったことが災いとなったのだろう。光球は魔導士に当たるすれすれで明後日の方向へと逸れていき、ヴィクターの口から苛立ちを乗せた舌打ちが零れる。



『あはっ……! へたくそへたくそ! どこをねらってるのかなぁ……はずれちゃったよぉ!』


「……ハッ。たかが一度外れたくらいでそんなに喜ぶなよ、愚か者。今のはちょっとした準備運動だ。軌道が逸れた時の保険くらい――初めから、そこらじゅうに()()()()()



 そうヴィクターが口にした、まさにその時。たった今彼方へ向けて飛び立っていったはずの光球が空中で急旋回し、天高くへと昇っていく。一瞬にしてたどり着いた距離は、高度にして三階のフロアとだいたい同じ程度だろうか。まるで小さな太陽のように。煌々と輝く魔力の結晶が、何十倍にも膨張を重ねた次の瞬間――()()。前触れも無しに、彼らの見ている上空でそれは破裂した。

 たぷたぷに水を入れた風船に、針を突き刺したみたいだ。そんな感想が思わずクラリスから漏れてしまったのは、裂けた光球から溢れる眩いばかりの『白』にあるだろう。殻の中へと閉じ込められていたヴィクターの魔力が、地上へ向けて一気に解放されたのである。



『な、に……これ……!?』



 逃げる間もなく降りかかったクリーム状のエネルギーは、数十メートルにも及ぶ魔導士の身体の動きを封じるよう、ゆっくりと全身を包み込んでいく。すると時を同じくして、ハロルドの足元で沈黙を貫いていたガラス片達にも変化が見られた。その小さな欠片ひとつひとつが意思を持つかのように、一斉にハロルドの全身へとまとわりついたのだ。

 びっしりと張り付いたガラス片は熱を持ち、鋭利な欠片が魔導士の肌にくい込んでは互いに擦れて火花を散らす。身動きの取れないハロルドの小さな瞳が見開かれたのは、まさにその時だった。



『あ、ぎっ!? ああああッ、から、だ――とけて……!』


「……お気に召したかね。ソレはにはもう爆ぜる力こそ無いが、キミの動きを封じ、じわじわと溶かしていくだけの力はある。今度はもう……外さないよ」



 そう言って、ヴィクターがステッキの照準を再びハロルドへと合わせる。だが……短時間で魔力を使いすぎた影響だろうか。腕に力が入らない。両手の平から滑り落ちそうになる柄を何度も握り直し、彼は自分に言い聞かせるように呼吸を整える。

 もちろんあの拘束だって、無限にできるわけではないのだ。そうこうしている間にも、ハロルドを覆うガラス片がひとつ、またひとつと熱を冷まして剥がれていく。それでも合わない照準に、焦りからヴィクターが下唇を噛んだ――その時。



「……クラリス……?」



 ヴィクターの両手を包み込むように、上からそっと手のひらが添えられる。

 思わず視線を横に向ければ、ちょうどタイミングが重なったのだろうか。どこか呆れたような――しかしながら、隠しきれない嬉しさを滲ませた表情で微笑むクラリスと目が合った。



「はぁ……。やっとちゃんと目を見てくれた。ヴィクターってば、いつにも増して私を置いてけぼりに一人で戦おうとするんだもん。自分をいたわらないで、倒れるまで無理しようとするのはアナタの悪い癖。アナタが勝手に悩んで、勝手に気まずくなってるのは構わないけれど……ほら。助けが必要な時くらい、迷わず私を頼ってよ。今までだって私達、こうやって支え合ってきたでしょ?」



 そう言うやいなや、肩を割り込ませるようにクラリスがヴィクターの腕を下から支える。……その手は彼の手に重なったまま。

 すると、不意な密着に驚いたのだろうか。久方ぶりにドキリと跳ねた胸の高鳴りが、なんだかおかしくて。ヴィクターは前方へ視線を戻すと、人知れずくすりと笑みを漏らした。



「……ははっ。それは間違いないね。ただ……前々から気になってはいたのだが、そのキミの行動力の源はいったいどこから来ているというのかね。特に最近のキミは自分をお荷物どころか、さもワタシの最終兵器であるかのように自信をつけてしまって……」


「愛想を尽かした?」


「いいや。むしろ……そのポジティブさには、特大の花丸をつけてあげたいくらいだ!」



 ヴィクターが右足を踏み込み、杖先の苺水晶(ストロベリークォーツ)に全魔力を集中させる。

 体の半身から、そして手の甲から指先にまで伝わるクラリスの体温。いくら補助をしてくれようとも、きっと彼女の力自体はたいした支えにはなってはいなかったはずだ。だが。それでも確かに心が満たされていく、胸の奥がじんわりと温かくなっていく感覚に――もう、彼の手の震えは止まっていた。



「――今だッ!」



 刹那、ヴィクターの掛け声で放たれた光線が、クラリスの視界いっぱいを埋め尽くした。

 強大な魔力は腹を空かせた狼のごとく牙を尖らせ、拘束に悶えるハロルドへと真正面から食らいつく。その反動からバランスを崩したクラリスの耳へと、怪物の悲鳴に混ざった慟哭(どうこく)が聞こえたのはすぐのことだった。



『なん、で……なんでぼくが……さいきょうになるはずの、このぼくが! こんなまほうつかいどもなんかに、まけるわけがあ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!』



 するとその時。ヴィクターが右手の人差し指をクイと上に曲げた。途端にクラリス達の足元に現れたのは、複数の正方形へと開かれた鋼鉄の六面体。重い音を立てて組み上がるそれに、数秒先の未来を予知した彼女がヴィクターへと身を寄せた。次の瞬間――

 ハロルドを覆う魔力の層が化学反応を引き起こし、膨張した熱が一気に外へと放出される。そして魔導士の断末魔をかき消すほどの轟音を響かせ、ショッピングモール全体を巻き込む大爆発がフロア一帯を焼き尽くしたのだった。

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