第127話 再会の舞台は茶番をこねた皿の上で
《現在――ラクス・ショッピングモール》
魔導士の巨体と共に天井から剥がれた瓦礫がエスカレーターを押し潰し、悲鳴のような轟音がショッピングモール館内にこだまする。
まるで、ごうごうと音を立てて、ガラクタの滝が流れ落ちてきたかのようだ。そしてこの直下にできた滝壷の中心で、避ける間もなく崩壊に巻き込まれたはずのクラリスの姿は――現在。そんな滝の雨を越えた遥か上空にあった。
今は懐かしい香水の匂い。これが日常となるまで嗅ぎ慣れるようになったのは、果たしていつ頃からのことだっただろうか。
いつものように雑な抱え方とは違って、壊れ物を扱うかのように姫抱きにされた自分の姿がなんだかおかしくて。目を閉じたままクラリスはふっと笑みを漏らす。右半身に感じる体温に惹かれるがままに体を預ければ、頭上からは呆れ混じりの吐息が聞こえた。
「――本当にキミという人間は。少し目を離した隙に、また面倒事に首を突っ込んでいるのかね。もう少し自分の価値というものを理解したまえ。いつだってワタシが近くにいるとは限らないのだよ」
「そんなこと言って、いつもなんだかんだ助けに来てくれるのはどこの誰だったかしら。いくらなんでもタイミングが良すぎない? もしかして、どこかで見てたりでもした?」
「……さあ。なんのことだか」
それまで閉じられていたクラリスのまぶたがゆっくりと開き、頭上からの声の主を見上げる。すると彼女を抱き抱えていた人物――ヴィクターは一度はその視線に応えたものの、やはりまだ心のどこかで引け目を感じているのだろう。クラリスの頬に貼られたガーゼを一瞥すると、彼はすぐに目を逸らしたきり口を閉じてしまった。
どうやらクラリスが潰される直前で、フィリップの魔法が二人を引き合わせてくれたらしい。彼女達の周りを黒い羽根が舞い、何羽ものカラスがギャアギャア声を上げて天井に空いた穴から外に向かって飛んでいく。
空中に放り出されたヴィクターがつま先で宙を蹴ると、足元に咲いた花火の中からは大きなガラス玉がひとつ現れる。半透明のそれに足を乗せてやれば、ガラス玉はひとりでに地上へ向かってゆっくりと下降を始めた。
「……驚かないんだね」
「なにが?」
「ワタシがここにいることにさ。普通はもっと驚いて、あれこれ聞いてくるところだと思うのだけれど」
一階のフロアまで降りる途中、思わずヴィクターがそんなことを口にした。彼からしてみれば、不思議だったのだ。こんなにもクラリスがいつも通りに……それこそ、つい先程まで一緒にいたかのような態度で自分に接してくるだなんて。
すると、ヴィクターの腕の中のクラリスがきょとんと首を傾げる。その顔はまるで、なにを当たり前のことを聞いているのかと呆れているかのようでもあった。
「今更驚くわけないでしょ。ヴィクターなら絶対助けてくれるって分かってたもの。むしろ……思ってたよりも、ずっと遅かったくらい。さっきまで何回も食べられそうになっちゃってたんだからね?」
そんな文句を口にして、クラリスが地上へと降り立つ。……それにしても。まさかあれだけ拒絶され、罵られることを恐れていたヴィクターへと最初にぶつけられた非難の言葉が、遅いだなんて。これではまるで――本当にフィリップが言っていた通り、彼女がずっと自分の帰りを待ち続けていたかのようではないか。
クラリスの言葉を聞いて、強ばっていたヴィクターの口元がわずかに緩められる。そして彼が目を向けたのは、先にこのフロアへと落ちてきていたハロルドだった。
「それはすまなかったね。ただ……せっかくの再会だが、こういう込み入った話は後にしようか。状況は? 見たところ、あのデカブツが暴れ回っているということまでは理解できたが……なんだアレ。酷いビジュアルだが、人喰い魔獣かなにかかね」
「ううん……あれは魔獣じゃなくて、魔導士なんだって。魔法使いを食べる魔導士ってダリルさんが言ってた」
「魔法使いを食べる……か。よくもキミはああいうタイプの厄介者と縁があるものだね。……ん? いや待てよ。それならどうしてキミが襲われているのかね。魔法使いを狙うのならば、どう考えても魔法局の小僧を狙う方が妥当というものだろう」
そうヴィクターが尋ねると、クラリスはそれまで両腕で抱えていたステッキを彼に向けて差し出した。
「そのことなんだけど……あの魔導士、このステッキに残ったヴィクターの魔力に反応してるみたいなの。だから私が逃げ出したタイミングで、ダリルさんから私に狙いを変えてきたんだと思う」
「残った魔力……?」
ヴィクターが疑わしそうに片眉を上げ、クラリスが差し出したステッキに視線を落とす。崩れた天井から射し込む光に照らされた宝飾は、主との再会を喜ぶかのように艶やかな瞳に彼の姿を映している。促されるがままに手に取ってみれば、いつもより軽く感じるそれは彼の手によく馴染んだ。
「…………そうかい。ワタシがこんな物を置いていったばかりに、怖い思いをさせてすまなかった。でも……大事にしててくれてありがとう」
「どういたしまして。長いし重いしで持ち運ぶのも大変だったけど……。でも、ヴィクターがいつ帰ってきてもカッコつけられるように、どこに行く時だって肌身離さず持ってたんだから。その分カッコイイところ、ちゃんと私に見せてよね?」
そんな冗談交じりの言葉を口にして、クラリスがヴィクターの左胸を軽く叩く。すると彼は分かりやすく目を丸くした後、そのわずかな動揺を隠すかのように左手のステッキをひと回転させた。
「ああ……もちろん、期待には応えるさ」
そうぎこちない笑顔を浮かべたヴィクターの注意が、のっそりと頭をもたげたハロルドへと向けられる。――彼らが再会し、言葉を交わし、体温を分け与えたたったの数分間。最後まで、二人の視線が交わることは無かった。
『うぅ……あれぇ? ぼくのおやつ、どこにいったの……?』
「キミの探し物ならばここだよ。デカブツ」
『んん?』
聞き覚えのない男の声に反応して、ハロルドが砂埃の沁みる目をよく凝らす。するとそこにいたのは、彼が先程まで追っていたクラリスと――その前に立ち塞がるかのように仁王立ちをした、紅髪の男。
ハロルドはその小さな金色の瞳をきゅるきゅる回してじっとヴィクターを見ていたかと思うと、とぷり。影の中に身体を沈ませ、数秒もしないうちに今度はヴィクターの影から顔を覗かせた。
『わぁ……! おいしそうなしふぉんけぇき! たっくさんあじがしみこんでいて、とってもおいしそう……。ねね、きみのこともたべていいの?』
「は……シフォンケーキ? 人のことを食べ物みたいに呼ぶだなんて、まったく失礼にもほどがあるね。答えはもちろんノーだ。そんなに甘い物が食べたいのならばスモーアにでも行くといい。ケーキだろうがなんだろうが……あの町になら、砂糖を吐き出したくなるほどに甘ったるいスイーツが山ほど置いてあるはずだよ」
あんな呼ばれ方をされてしまっては、あの町で起きた嫌な記憶を思い出してしまいそうだ。その記憶を振り払うかのようにヴィクターが言い捨てると、ハロルドはフクロウのように首をぐるりと百八十度回転させた。
まるで好物の餌を目の前にした犬のように、不思議そうにヴィクターを見下ろす彼の口元からは湿った息が漏れている。正直……臭うと言ってしまえばそれまでだ。顔を背けようとも息のかかってしまう距離感に、ヴィクターがあからさまな嫌悪感を示す表情で顔をしかめた。
『うーん? どういうこと……? あのね。ぼくがたべたいのは、ほんもののけぇきじゃなくて、まほうつかい! ぼくがかんがえた『さいきょうのまほうつかい』になるために、ぼくはたくさん『まほうつかい』をたべなきゃいけないんだ!』
「……」
『だからいいよね? あまぁいにおいで、いまにもよだれがたれちゃいそう。そろそろ、あたまからまるかじり……してもいいよねぇ? しふぉんけぇきさんっ!』
ヴィクターの目と鼻の先で、ハロルドの三つの頭が花びらのごとく口を開く。――しかし。不意にその口先に感じた違和感に、彼の動きはピタリと止まった。
熱い。まるで熱した鉄球を近づけられたかのように、口内の粘膜が焼かれてしまいそうな感覚。
「……――な」
『あう?』
ぼそりと呟いたヴィクターの声は、メインディッシュを目の前に興奮しきったハロルドでは正確に聞き取ることができない。だから――きっと、聞き返した拍子にまた顔へとかかった吐息に、我慢の限界が訪れたのだろう。タイミングを同じくして、ヴィクターの手元から伸びた杖先の苺水晶が火花を散らした。
「だから……そのドブ臭い口を近づけるなと言っているのだよ。キミ――もしかして、もう既に何人か混ざっているね?」
苛立ちの色を濃くしたヴィクターの左目が大きく見開かれる。
刹那、宝飾が白い光のもやを纏い――閃光弾のごとく、一閃。ダリルの放った大砲などをはるかに超える轟音を轟かせ、ヴィクターの魔力はハロルドの顔面を吹き飛ばすほどの爆発を起こしたのだった。




