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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 最終章『その名を呼んで。親愛なるファムファタル』
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第126話 いってきます

 クラリスが、ヴィクターの帰りを待っている。フィリップの言葉はヴィクターの期待を上回るもの――だが同時に、後悔と罪悪感に苛まれた彼にとっては、そう簡単には飲み込むことのできないものでもあった。

 思わずフィリップの腕を掴んでしまいそうになるのを堪え、ヴィクターがパジャマの胸元に結ばれたリボンを握り込む。しかしその間も頭の半分ではぐるぐると考え事をしているのだろう。彼の目は動揺を隠す素振りすらなく、忙しなく揺れたままだった。



「クラリスが……ワタシを、待っている……? 馬鹿な。いったいなにを根拠にそんなことを言っているのかね。彼女から直接話を聞いたわけでもないんだし、許可も無しにのこのこと帰るだなんて。今更そんなことできるわけ……」


「……オマエには言ってなかったが、あの女と魔法局の動向はこの一週間ずっと使い魔(カラス)達に監視させていた。ただ……勘が良いのか、あの女もオレ(カラス)のことには途中で気がついたみたいでな。それからというもの、なにか言いたいことがあるのか毎晩ベランダで待ち伏せされるようになっちまったんだよ」



 そう。連日、深夜になるとベランダに出てはラクスの町並みを見下ろしていたクラリス。その彼女の行動は、ダリルだけではなくフィリップの目にも明らかに映っていた。――いや。正確には、わざとフィリップに見られるようにしていたのだろう。

 もちろんヴィクターの帰りを待つことが、クラリスの一番の目的であったことに間違いはない。しかしそれと同時に、彼女は監視の目が緩む夜を待ち、唯一の手がかりであるフィリップとコンタクトが取ることができないかを試みようとしていたのだ。



「別にちょっかいかけようだなんて微塵も思ってなかったんだけどさ。ただ……そう毎日何時間も外で待たせて、風邪でも引かれちゃあ(かど)が立つだろ。だから、オマエには悪いが昨日……一度だけ、アイツと話をさせてもらった」


「……は? クラリスと話しただなんて。フィリップ……キミ、ワタシになんの相談も無しになに勝手なことを――」


「まぁ聞けって。話したつってもほんの数十秒だぜ? 長居して魔法局に怪しまれるわけにもいかないし、かといってオレから用があるわけでもなし……。だから、あっちの聞きたい質問にひとつだけ答えてやることにしたんだよ。そしたらアイツ……なんて聞いてきたと思う?」



 わずかに、フィリップが目を細める。あくまで疑問形の形をとっているとはいえ、相手からの答えを待つ気などさらさら無いのだろう。テーブルに身を乗り出した彼は、大人しく自分の言葉を待つヴィクターへ顔を近づけた。



()()()()()()()()()()()()()()()()()――だってさ。なぁヴィクター。他のどんなことよりも優先して、たった一度きりの質問にわざわざそんなことを聞いてくるんだ……。アイツがどう思ってるのか、一番近くで見てきたオマエならもう分かったようなもんだろ」


「…………」



 フィリップの話を聞いたヴィクターは、視線を落として彼の話が意味するところを脳内にゆっくりと落とし込んでいた。『ちゃんとご飯を食べているのか』。そんなことを尋ねるだなんて、なんとも食べることが好きな彼女らしい――いや。そんな単純なことではない。そこに込められた意味がなんであるのかは、それこそヴィクター自身が一番よく理解をしている。

 うつむいたヴィクターの表情はボサボサの前髪に覆われてしまって窺うことはできない。しかし呼吸の合間に聞こえた鼻をすする音に、今の彼がどんな表情をしているのか……じっとその姿を見下ろすフィリップには想像がついていた。



「……ねぇ、フィリップ。本当に……本当に、クラリスは怒ってない……の?」


「さあな。そればかりはちゃんと自分で確かめな。……タイミングよく()()()この町(ラクス)に興味を持った頃なんだ。オマエがそのつもりなら、最後にお膳立てくらいはしてやるからよ」



 そう言ったフィリップが、パチリ。指を弾いた次の瞬間――ヴィクターの周りを黒い羽根をまとった風が吹き荒れる。

 間もなく突風の中心地に立たされたヴィクターが身につけていたのは、見慣れたチョコレートブラウンのロングコートに、桃色から青色へと不思議なグラデーションが施されたイヤリング。ボサボサだった髪は、彼の性格を表すかのように遊びがありつつもきっちりと整えられていて――最後に吹いた風が、眼鏡を運ぶと共に目元の(しずく)を優しく拭い去っていった。



「こんだけ毎度手助けしてやってるんだ。ヴィクター。見返りはよろしく頼むぜ」


「……ああ。()()()()()()()()()()()だろう。別に忘れたりはしてないよ。目の前に都合よく転がった不幸は彼女の好感度アップのために利用させてもらう……。あの忌々しい『最高の魔法使い様マーリン・ファンタジスタ』にこき使われている憐れなカラスにだって、もちろんそうするつもりさ」



 そうヴィクターが言い切っても、フィリップが特別驚くことは無かった。

 魔導士達の楽園を創り出し、ヴァルプルギスの夜を引き起こす原因となった最高の魔法使い様(マーリン)。一度は殺そうとしたはずのその男に、現在フィリップが協力しているという事実を彼はヴィクターに話した記憶が無かった。だが、彼はマモナ――パルデ――いや、そもそも最初にスモーアで魔導士による事件が発生した時からもう既に、フィリップとマーリンの関係のことを察してはいたのであろう。


 だから彼は、スモーアの事件が解決した後の酒の席で、わざわざ()()()()()()()のだと。そんな言葉を口にしたのである。そしてこの『事情』という言葉の意味についても、おそらく――



「そんじゃあちなみに、そのこき使われてる原因も実はオマエだって言ったら?」


「さぁ……なんのことだろうか。あの男の性格から考えて、今更四百年前の復讐なんてことは企まないだろうからね。どうせアレが言葉巧みに囁く『善意』とやらに、キミが引っかかったのだろう。ずっと魔法局に捕まっていたワタシにとっては……すまないが、まったくもって()()()()()()()()だね」



 とぼけるように、ヴィクターが赤くなった目元を細めて微笑む。まるで要領を得ないその返答に、フィリップは少し意表を突かれた様子で彼を見つめていたものの――やがて目を伏せ、くすりと笑った。

 ヴィクターの足元を柔らかい羽根がくすぐると、全身が浮くような感覚に包み込まれる。その感覚に身を任せれば、自分が次にたどり着くための着地点――暗闇の中にただひとつ輝く、まばゆい恒星が見えた気がした。



「そうか。オマエがそう言うのなら、これ以上は何も言わないさ。だから……そろそろ行ってこい。ヴィクター」


「うん。……ありがとう、フィリップ。じゃあ……また」



 刹那――ヴィクターの足元に渦巻いていた風が天井まで吹き上がり、一陣のつむじ風が彼の全身を覆い隠した。やがて風が止むと、そこにあったはずの気配が跡形もなく消え去り――ようやく静かになった部屋の中で()()、残されたフィリップがゆっくりと椅子に腰を下ろした。


 ――ヴィクターはクラリス・アークライトの所に行ったか。アイツがうっかり時間の操作なんてしちまったせいで、あそこは魔力に釣られたハロルド(マーリンのお気に入り)の狩場になろうとしている。どうやらあの女も巻き込まれたみたいだが……まぁ、そこはヴィクターのことだ。あとは上手くやるだろ。


 すると、ふと。フィリップの視線が皿がはけてまっさらになったはずのテーブルへと向けられた。……知らない間に、買った覚えのないティーカップに紅茶が満たされている。

 ふわりと香るダージリンは、まだ淹れられてから間もないのだろう。薄い橙色の水面から上がる湯気を見た彼は、思わず苦笑を漏らしてそのカップを手に取った。



「まったく……こんなところにカップひとつ置いていって、どうやって返せばいいんだっつーの。本当……いつまでたっても世話の焼ける弟だよ。オマエは」

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