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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 最終章『その名を呼んで。親愛なるファムファタル』
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第122話 空虚を詰めて、セピア色のクリーム・パフ

《一週間後――ラクス・ショッピングモール》


 ヴィクターがクラリスの前から姿を消して、早いもので一週間。なにかが欠けた『非日常』へと取り残された彼女は今、ひとつの大きな悩みへと直面していた。それは……そう。私物だ。

 現在クラリスの手元にあるのはスマホと財布、それから中身が半分以上も減ったスキンケア用品に、ポーチに入った小物が数点だけ――荷物の管理を任せているヴィクターがいない今、二十代女子が満足に生活できるだけの空間を維持することは不可能に近かったのである。


 ――ああもう。ヴィクターったら、せめてクローゼットは置きっぱなしにしててくれたらよかったのに。場所を取るからって、毎回ご丁寧にしまっちゃうんだもの……。さすがにずっと同じ服とパジャマで着回しするわけにもいかないし、着替えを買わないといけなくなっちゃったじゃない。


 これも大事な相棒が隣にいない反動か、はたまた寂しさを紛らわせるためなのだろうか。クラリスは心の中でここにはないヴィクターに文句を呟きながら、邪魔なステッキを抱えて次々に買い物を済ませていく。そんな彼女の財布から顔を覗かせていたのは、自分の物ではない金色のクレジットカードだった。

 資金不足に困り果てたクラリスを見かねたのだろう。彼女の生活に関する当面の費用を魔法局がまかなってくれるよう、裏でエルマーが手回しをしてくれていたのだ。

 これこそまさに、不幸中の幸い。その好意におおいに甘えることにして、この日――彼女は荷物持ちを申し出たダリルを連れて、ラクス一番の大型ショッピングモールまで足を伸ばすことにしたのである。



「――あの……クラリスさん? まだ見て回るつもりなんですか? 僕、そろそろ腕がちぎれそうなんですけど……」


「ごめんなさいダリルさん! 買い物は終わったんですけど、あと一箇所だけ……あっ、あれ! あそこのケーキ屋さんが、たまたま昨日テレビで特集されてたお店なんです。そこだけ見たら終わりますから!」


「特集って……ケーキは生活必需品じゃないでしょ」



 そんなもっともな意見を口にして、ダリルが自分の左腕に下がった紙袋達に視線を落とした。怪我を負った右腕を酷使することができない分、左腕に重さが集中していて紐の跡がついてしまっている。

 どうやら普段はヴィクターが魔法で荷物を収納してしまうらしいのだが、もちろんダリルにそんな芸当なんてできやしない。いくら荷物を持つと言ったのが自分だったとはいえ、クラリスがここまで遠慮無しに買い物をすると彼は思っていなかったのだ。



「……まぁ、こんなんでクラリスさんがストレス発散できるっていうのなら、僕は全然構わないんですけどねぇ……」


 

 お目当てのケーキ屋を発見したクラリスを見送って、ダリルは丁度よく空いていたベンチへと腰を下ろした。

 スキップ混じりに遠ざかる後ろ姿。あれから数日が経ったことで、少しずつではあるがクラリスにも元気が戻ってきている。――いや、そう見えるよう、気丈に振舞っているのだろう。ダリルは知っている。彼女が目の下にくまを作ってまで、明け方までラクスの町中を見下ろしていることを。勝手な外出を禁止している以上、彼女が言いつけを破って一人で出歩くことこそ無かったものの……やはりヴィクターのことが気になっているのだ。


 ――僕が隣の部屋を使わせてもらってる以上、仕方ないのは分かってるんですけど……一晩中()()()()()で動き回られるのも困るんですよねぇ。おかげさまでこっちまで寝不足だし。


 化粧で隠しているクラリスとは違って、ダリルの顔にできたくまは誰から見ても明らかで分かりやすい。案の定、出会って早々クラリスには心配をされたものの……優しい彼は素直にアンタのせいだとも言えず、ゲームのしすぎだと答えたのがまさに今朝の出来事なのである。



「――ダリルさん! お待たせしました!」



 そんなことを考えているうちに、うたた寝をしてしまっていたのだろう。ハッと顔を上げたダリルの元へ、小さな紙袋を抱えたクラリスが戻ってきた。



「ああ……すみません。うっかり寝ちゃってたみたいで……」


「気にしないでください。むしろこんなに長い時間ダリルさんを買い物に付き合わせちゃって、謝らないといけないのは私の方ですから。なので……えっと、お礼にシュークリームを買ってきたので、あっちで一緒に食べませんか? もちろん荷物なら私も持つので!」



 改めて、自分がどれだけの量をダリルに任せていたのかを思い出したのだろう。クラリスは慌てて片手をあけるべく、試行錯誤をしてステッキと袋を同時に抱えようとしたのだが……どうやって持とうとしても袋の中のシュークリームが潰れてしまいそうになる。それなりに重さのあるヴィクターのステッキが、まるで他人との関わりを許さぬかのように邪魔をしているのだ。

 すると、そうして悪戦苦闘する彼女の姿がよほど間抜けに見えたのだろう。ダリルは小さく吹き出すと、再び紙袋を手にして立ち上がった。



「大丈夫ですよ。荷物持ちをするって言ったのは僕ですし、少し休んで元気になりましたから。それじゃあ……お言葉に甘えて、ご馳走になっちゃいましょうか」


「は、はい……なにからなにまで本当にすみません。……あっ。ちなみにこれは、ちゃんと自分のお金で買ったやつですから! エルマーさんから渡されたカードは使ってないので、そこは安心してくださいね!」


「そうなんですか? 別にいいのに……お菓子の一つや二つくらい買ったって、あの人なら気にしないと思いますよ?」



 それから数分をかけて館内をうろついたクラリス達は、三階にあるオープンスペースへとたどり着いた。室内であるというのに木々が生い茂った不思議な空間は、天井がガラスでできたドーム状になっていて、晴れた空がよく見える。残念ながら中央に設置された舞台は無人であったが、休日になれば催し物でさぞや賑わうのだろう。

 手頃なベンチへと腰掛けたクラリスは、早速袋を開けて紙ナプキンにシュークリームを包み込む。そしてゆっくりと取り出すと、指が触れぬようにと気をつけながらダリルへと手渡した。



「はい、ダリルさん。粉砂糖、たくさんついてるので気をつけてくださいね」


「ありがとうございます。へぇ……本当に美味しそうなシュークリームですね。僕、こう見えてけっこう甘いものは好きなんですよ」



 そう微笑んだダリルの横顔を見て、クラリスが内心ほっと息をつく。

 実のところ、ケーキ屋がテレビで特集されていたという話はクラリスが考えた真っ赤な嘘。彼女はただ、何日にも渡って自分の面倒を見てくれているダリルに、なにかお礼をする口実が欲しかっただけなのだ。彼から香るタバコ(バニラ)の匂いをヒントに直感で選んだものだったが、どうやらお気に召してもらえたようである。



「……ん、カスタードとホイップどっちも入ってるやつですか。こういうのって、なんかお得感があっていいですよねぇ。昔はよく妹と食べたりしたもんです」



 早速シュークリームを一口食べたダリルは、ふと。昔を懐かしむようにそんな言葉を口にした。



「ダリルさん……妹さんがいるんですか?」


「ええ。幼い頃に親を病気で亡くしてから、僕達兄妹はずっと施設で暮らしてたんです。学校を卒業してからはアルバイトをしながらなんとか食い繋いでいたんですけれど……ケーキなんて、あの頃は高くて手が出せなかったんですよねぇ。だから誕生日は近所で安売りされてるシュークリームを買ってきて、こうやってよく……二人並んで食べていたんです」


「そんなことが……。それじゃあ今も、誕生日には妹さんとシュークリームで?」


「ははっ、そんな……まさか。今じゃあもう懐かしい思い出ですよ。ケーキなんて今はいくらでも買えますからね。僕を雇ってくれた魔法局様様って感じです」



 そう言って、大きく口を開けたダリルが残りのシュークリームを一気に頬張る。だが……どうやら彼が思っていたよりも、二層構造となったクリームは量が多かったらしい。意図せず口の周りについたクリームに目を丸くした彼を見て、今度はクラリスがくすりと笑みを零した。

 こんなこともあろうかと、たしかポーチには常にポケットティッシュを入れていたはずである。慣れた様子でクラリスがティッシュを渡すと、ダリルはひとつ頭を下げてから口元を拭った。



「あはは……みっともないところを見せてすみません。ありがとうございます」


「いいんです。よくヴィクターもあんな感じで食べてたので。彼、ああ見えて意外と中身は子供なんですよ? お箸は使えないし、シュークリームもホットサンドも食べてる途中で中身を零しちゃうし……何回言っても、ニンジンとブロッコリーだけは皿の端によけようとするんです。私達より何百年も長生きしてるっていうのに、本当……困っちゃいますよね……」



 話の途中、クラリスの視線が膝上に乗った苺水晶(ストロベリークォーツ)へと向けられる。もちろんダリルにその気は無かったのだが、どうやら思わぬところでヴィクターのことを思い出させてしまったようである。


 ――この感じ……もしかして僕、なんか悪いことしちゃいました……?


 これはもはや、防ぎようのない事故である。なにせヴィクターの存在は、クラリスの生活において心の奥深くにまで根付いてしまっているのだ。何気ない言動ひとつで彼を連想させてしまうというのも無理はない。

 すっかり表情を曇らせてしまったクラリスと、焦りからか目が泳ぐダリル。はたから見れば男女が別れ話をしているようにも見える空気の中で、彼は次にかけるべき言葉を探して必死に頭をフル回転させた。そして――



「ああえっと……そうだ、クラリスさん! 喉、乾きませんか? さっき来る途中にレモネード屋があったんです。中央大都市(サントルヴィル)で一度飲んだことがあるんですけど、すごく美味しいんですよ。シュークリームのお礼に、今度は僕が奢りますから」



 苦し紛れにダリルの口から飛び出たのは、そんな当たり障りのない提案だった。レモネード……まさか大人を相手に、飲み物で釣ろうとする日が来るだなんて。子供扱いするなと怒られやしないだろうか。

 しかしそんなダリルの不安をよそに、どうやらこの提案はクラリスには見事に刺さったらしい。レモネードという言葉を聞いた彼女は、顔を上げてパッと目を輝かせた。



「奢るだなんて……いいんですか?」


「はい。僕も歩き回って喉乾いちゃったんで、そのついでくらいって思ってもらえれば。荷物はここに置いていくんで、アンタは少し待っててください」



 これくらいしかダリルにしてやれることは無いが、こんなことで少しでもクラリスが気分転換できるのであればそれでいい。

 ポケットに財布が入っていることをしっかり確認して、ダリルが立ち上がる。さて。来る途中見かけたとは言ったものの、初めて訪れた場所であっては思い出すにも一苦労だ。ゲームのように、視界の端にミニマップでも表示されるのならば話は別なのだが――そう彼がこの場を離れようとした、まさにその時だった。


 危険。危険、危険、危険――下方()()センチメートル。巨大な魔力の出現を感知。到達まで残り五秒。ただちに避難せよ。ただちに避難せよ。さもなければ――



「――まずい。クラリスさん、すみません。レモネードはまた今度です。前言撤回……アンタは早くここから離れてください!」


「えっ? 離れろだなんて……急に慌ててどうしたんですか。ダリルさ――わわっ! なに、この揺れ!?」



 瞬間、突き上げるような強い揺れがショッピングモール全域へと襲いかかった。あちらこちらから聞こえる悲鳴。座っているにも関わらず飛ばされてしまいそうな振動に、クラリスがベンチを掴んで耐えしのごうとする。

 地震だろうか。いや……それにしては、なにかが不自然だ。その感じる違和感を分かりやすく言うのであれば、震源地が移動を続けているかのように波がある。それも、ただ動いているだけではない。この移動の仕方はまるで――


 ――これ……もしかして、建物の下になにかがいる!? それも、だんだんこっちに近づいてきて……!


 クラリスの考えがそこまでに至った、まさにその瞬間。彼女の視線の先――木陰がざわり、揺らめいた。



『――おいしそうな、まほうつかい……みぃつけた』



 その声は果たして、少年のものだったのか。それとも少女のものだったのか。影の中から飛び出してきたのは、光を吸い尽くしてしまうほどに塗り潰された黒。黒い蛇のような生物がガラス張りの天井を突き破り、自分を見上げる人間達を一瞥(いちべつ)してはゆっくりと(こうべ)を垂らす。

 クラリスを守るように彼女の前へと立ち塞がったダリルは、既に剣を握って臨戦態勢を整えていた。そんなものを見てしまっては――ああ、そうか。クラリスはもう、戻りようのない本当の非日常へと落とされてしまったのだと理解する。


 ――あれは……いったい、なんなの……?

 

 腰が抜けてしまったかのように背筋が凍り、足が震える。まだ危害を加えられたわけじゃない、怖いことなんて起きていない。それでもクラリスの心は、ハイムが悲劇に見舞われたあの日と同じ――底の見えない恐怖によって、じわじわと追い詰められはじめていた。

 あんな巨大な敵になんて、何度も立ち向かってきたじゃないか。それなのに……こんなにも恐ろしいと感じてしまうのは、どうしてだろう。ここにはクラリスを守ってくれる存在(魔法局)も、共に事件に立ち向かってきたお守り(ステッキ)だってあるというのに――嗚呼、可哀想なひとりぼっちのクラリス・アークライト。情けなく足を震わせた彼女の隣には唯一、心の拠り所となる相棒(ヴィクター)の姿だけが無かった。

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