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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 最終章『その名を呼んで。親愛なるファムファタル』
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第116話 《追憶》幸福のぬるま湯につかる

《数ヶ月後――ハイム・クラリスの家》


 この町の名前は『ハイム』というらしい。

 あれからクラリスと共にリハビリを重ねたヴィクターは、無事に退院することができるまでに回復をしていた。

 すっかり衰えた筋力では、当初は壁伝いに歩くことさえも困難だったのだが――それもこれも、魔法が使えるならば話は別だ。魔力は少しずつだが回復してきている。快方向かっていると見せかけるため、彼は筋力を強化する魔法にこっそりと頼ることにしたのだ。


 そうして見事、医者を騙してまで退院する権利を勝ち取ったヴィクターは現在――クラリスの家に居候していた。行き場の無い彼の面倒を、彼女は自ら見ると買って出てくれたのだ。あの責任をもって見届けるという発言は本当だったようだ。


 どうやらクラリスは両親とは離れて一人暮らしをしているらしい。とはいっても同じ町には住んでいるので、退院後すぐに一度挨拶をしに行ったのだが……案の定、最初は猛反対をくらった。突然現れた素性も知らぬ男を、娘と同じ屋根の下にするなど言語道断だというのだ。

 それでも時間をかけてクラリスが説得し、最後は過去にそうしたことがあるように――ヴィクターは得意の()を使うことで、母親を味方につけることに成功した。父親の方も近頃は親しげに声をかけてくるようになったので、もう許されたと見てもいいだろう。


 それからというものは平穏な日々が淡々と過ぎていき――この日もアークライト家には、朝から食欲を誘う香ばしい匂いが漂っていた。



「――クラリスくん。ずっと気になっていたのだが……キミがいつも触っているその板はなんなのかね。他の人間も皆持っているようだが……さっきから料理中にも関わらず、そればかり見ているじゃないか」



 暇を持て余していたヴィクターは、キッチンで鼻歌混じりにベーコンを焼くクラリスの背後に立ち、そう声をかけた。そんな彼の視線の先にあるのは、油が跳ねないようにと少し離れた場所に置かれた謎の板だ。



「板って……スマホのことですか? そっか。ヴィクターさんってたしか、長い間眠ったまま……だったんですっけ。これで友達と電話をしたり、ニュースを見たり、ゲームをしたり……あとはこうやってレシピを見たりするんです。なんでもできる便利な道具って言えば分かりますか?」


「……それはワタシの魔法よりも便利なのかね」


「あははっ、ヴィクターさんの魔法じゃ美味しい朝食の作り方も検索できないじゃないですか! 適材適所ですよ。ほら、フライパン動かすので離れてください。ご飯ができるまでテレビ見てていいですからね」



 優しくそう諭されては、ヴィクターも返事ひとつで席に戻らざるを得ない。

 この数ヶ月の間で、彼は多くのことを学んでいた。まずこの時代は自分が魔法局に捕らえられた時から四百年が経過しているということ。文明が発達しているのだということ。どうやらヴァルプルギスの夜という事件については天災という形で伝聞されており、真実を知っている人間はこの町にはいないということ。


 ――ここに住む人間が無知だというよりは、意図的に情報がシャットアウトされているのだろう。ヴァルプルギスの夜の首謀者……そんな人間が世に紛れて潜伏していることを公表すれば混乱が起きるからね。マーリン(最高の魔法使い様)や魔導士についての情報がほとんど無いのも似たような理由だろう。アレらの存在は……きっと誰も知らない方が幸せだ。


 そんなことを考えながら、ヴィクターがテレビの電源を入れる。このリモコンとやらの操作にもすっかり慣れたものである。



「……また魔獣の被害、か。最近多いな」



 テレビをつけて最初にヴィクターの目に飛び込んできたのは、そんなニュースだった。なんでも魔獣の群れによる人的被害がこの数週間で増加しているらしい。画面の向こうでインタビューを受けている女性も、不安そうに表情を曇らせている。

 どうやらハイムはサントルヴィル(中央大都市)からはかなり離れているらしく、魔法局だって分局はあるものの数分で着くような距離ではない。幸いにもこの付近に魔獣が現れるまで至っていないものの、この女性のように人々が不安がるのは当然のことであった。



「おまたせしました、ヴィクターさん。なに見てたんですか?」


「……ただのニュースだよ。それにしても良い匂いだね」


「今日はシンプルにベーコンエッグにしたんです。カリカリにしようと頑張りすぎて、少し焦げちゃいましたけど……」



 そう言ってクラリスがテーブルに並べた皿には、端の焦げたベーコンエッグが乗せられていた。

 ヴィクターはそれを見てふっと頬を緩めると、テキパキと皿やコップを並べる彼女を見上げる。嗚呼、今日もクラリスは可愛い。だが……本当にそれだけなのだろうか。可愛いは可愛いのだが……これは、使い魔達に抱くのとはまた少し違った感情な気もする。長らく感じているその違和感の正体を、この時のヴィクターはまだ掴めずにいた。

 するとそうして見つめるヴィクターの姿に、なにか勘違いを起こしたのだろう。クラリスはくすりと笑うと、この食卓のメニューには似合わぬ木製のスプーンを彼の目の前に置いた。



「大丈夫ですよ。これだけだと物足りないんで、お野菜をたくさん入れたキノコスープも作ったんです。今持ってきますからね」


「えっ? ワタシは野菜はあんまり……」


「知ってます。だから野菜を細かく切ったり、レシピを見て子供でも食べられる味付けのやつにしたんですよ。まだ本調子じゃないんですから、たくさん食べて栄養をつけないと。魔法使いも普通の人間と同じでそうなんだって、お医者さんから聞きましたよ」


「いや、待ってくれクラリスくん。ワタシは食事よりも睡眠で回復するタイプだから、無理して野菜を食べなくても全然元気で……あ……」



 虚しく空を掴む手。ヴィクターの言い訳はクラリスに通用することはなかった。

 近頃のクラリスは、ヴィクターが苦手とする野菜を食べさせようと趣向を凝らした手料理を振る舞うようになっていた。その甲斐あって、克服まではいかずともほとんど残すことが無くなったくらいである。

 誰かに見守られながら食事をするのは幼少期以来だ。それこそ――優しかった母や、全てを失い死の淵にいた自分へと手を差し伸べた、()()()と過ごした時間と同じように。


 ――こんなに落ち着く生活、いつ以来だろう。ずっとここでクラリスくんと一緒に過ごしていたい。だが……ワタシは本当に、彼女の隣にいてもいい人間なのだろうか。こうやって素性を隠して、騙していることに罪悪感を感じながらこれならも過ごしていくだなんて……


 クラリスに優しくされるその度に、ヴィクターの過去は彼の心に影を落として執拗についてまわる。

 きっと言いたくない彼の気持ちを汲み取り、気を遣ってくれているのだろう。最初にファミリーネームを伏せて以降、クラリスがヴィクターの過去を尋ねてくる様子は無い。しかし、もしも自分が過去にたくさんの人間を殺した罪人なのだと――復讐に駆られた殺人鬼であったのだということを知ったら、彼女はどんな顔をするのだろうか。想像することすら恐ろしくて、月が隠れる暗く静かな夜はソファの上で震えて眠ったこともある。


 このままクラリスの厚意に甘え続けていては、駄目になる。それは罪悪感に心が押し潰されてしまうことを意味するのか、はたまたぬるま湯に浸かりすぎてヴィクター・ヴァルプルギスという魔法使いが駄目になってしまうことを意味するのか……。どちらにせよ、ヴィクターは日々感じる幸福感と隣り合わせで、常に危機感を感じ続けていた。


 そして――決断の時。彼がクラリスの元を離れることを選んだのは、それからまた半年近くが経ってからのことである。

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