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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 最終章『その名を呼んで。親愛なるファムファタル』
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第114話 《追憶》四百年の時を超えて、ぼくはきみに拾われる

《二年前――中央大都市サントルヴィル》


 意識を失っていたのは、ほんの数分のことだった。

 硬い地面の感触、お世辞にも美味しいとは言えない()()()の空気、喧騒、喧騒、喧騒。暗闇に慣れすぎた目にはほんの少しの光すらも眩しすぎて、目をつむったままの他の感覚に神経を集中させる。


 ――ワタシは、外に出ることが……できた、のか……?


 地面に突っ伏したままのヴィクターの四肢に感覚が戻ったのは、それから数分が経ってからのことだった。

 少しの痛みを感じながらも、彼はゆっくりと起き上がってまぶたを開く。そして目の前に広がる光景を前に――絶句した。


 ――ここは……これは、なんだ。ワタシはまだ夢を……まだ、オズワルドの()()の中にでもいるのか?


 そうとでも考えないと、頭がおかしくなってしまいそうだった。それほどまでにヴィクターを取り囲むこの景色は、彼の知っている世界とはまるで別物だったのである。

 風が草木を撫でる音に代わって聞こえるのは、獣の咆哮のごとき騒音。一面細かい石のようなものが敷かれた地面を、馬の繋がっていないキャビンが右に左にと凄いスピードで行き来をしている。しかしそれよりも驚いたのは建造物だ。山のように大きな柱状の建物が何本も地面から生えていて、壁面に飾られたチカチカ眩しい看板の中で大きな人間が喋っている。あの人間はまさか、魔法であそこに入り込んだとでもいうのだろうか。いったい、なんのために。


 この世界がヴィクターの暮らしていた四百年前とはすっかり様変わりしてしまったのだということを、この時の彼はまだ理解することができなかった。なにせ今がいったい何年で、自分がどれほどの間閉じ込められていたのかも分からないのだ。見るもの、聞くもの、全てに戸惑うばかりで事態の把握なんてできやしない。

 呆然と口を開けたままの彼がようやく我に返ることができたのは、近くであがった見知らぬ誰かの怒号を聞いてからのことだった。



「くそ、あの男……どこに逃げたんだ。エルマーさんとオズワルドさんは!?」


「……駄目だ、どっちも連絡が取れない。今は緊急でアレクシスさんが指揮を取っているらしい。ここは他の奴らに任せて、俺達は一度上に戻ろう」



 そう壁一枚を隔てた距離で話す男達が去るまでの間、ヴィクターは両手で口を塞ぎ、息を殺し――哀れな小動物のように建物の影で体を震わせていた。

 幸運にも、どうやらここは男達からは死角となっていたらしい。エルマーとオズワルド――この生まれ変わってしまったような世界の中で、唯一覚えのある名前に安堵感を覚えると同時に、ヴィクターの心臓はだんだんとその鼓動を早めていた。


 ――もしかして、この建物は魔法局なのか? じゃあここは……まさかサントルヴィル(中央大都市)? だとしたら早く離れないと……今あの二人と鉢合わせになんてなれば終わりだ。また捕まるだなんて、あの空間で孤独を味わうだなんて……そんなの絶対に嫌だ……!


 ヴィクターがそう考えている間にも、今度は別の人間の足音が彼へと迫りつつあった。果たしてこの辺りに何人いるのだろうか。もしも魔法局が探している男が自分のことで間違いないのなら……今出くわすのはかなりまずい。


 ――体の中の魔力がほとんど空っぽだ。たしか捕まる前、エルマーの魔法で持っていかれたところまでは覚えてる。回収は……できるはずもないか。時間が経てばある程度は回復するかもしれないが……今の今じゃあ時間稼ぎすらできないな。


 武術の心得があるわけでもなく、ましてや体が思うように動かない今のヴィクターではせいぜい物陰に隠れるくらいが関の山。いくら格下の魔法使いが相手とはいえ、昔のように指先ひとつで太刀打ちできる自信は到底無かった。

 その間にも、足音はどんどんと彼の元へと接近してきている。止まる気配が無いところを見るに、ここに留まり続けていれば数十秒も経たずに見つかってしまうだろう。

 つまり……迎撃ができない今、ヴィクターに残された道はただ走って逃げることのみ。少しでも距離を稼ぐべく、彼はすぐにその場へ立ち上がろうとしたのだが――嗚呼、可哀想なヴィクター。何百年もの間ろくに使われず、歩き方を忘れてしまった彼の足は、自身の体重を支えることもできずにバランスを崩してあえなく倒れ込んでしまったのだ。



「誰かいるのか!」


「ッ!」



 転んだ拍子に立てた物音で、曲がり角の向こうにいる相手に気づかれてしまった。

 駆け足で迫る足音。焦燥感であがる息。戦うことも逃げることもできないヴィクターは、地べたに腹這いになったままロクに働かない脳みそを必死にフル回転させてこの場を離れる方法を考える。


 ――まずい、まずいまずい。早く逃げないと連れ戻される! でもどうやって……歩くことも、立つことだってできないのに! せめて残った魔力でここを離れることができれば……でも、ワタシにはフィリップみたいに空間を超えることなんて……!


 そう考えたところで、ハッと思考が止まった。()()()()。ここから逃げ出すための唯一の希望は、もうそれしか残されていなかった。

 しかしヴィクターにはまだ少しのためらいがあった。フィリップはいとも簡単に町から町を移動することができるが、それはその魔法自体を得意とする()だからこそできる(わざ)だ。ヴィクターがこの世界でただ一人時間を操作できるように、空間をノーリスクで移動できるのはフィリップくらいのものなのである。

 普通の魔法使いが真似をしようものならば、きっと大怪我を負うか――最悪死んでしまうことも考えられるだろう。だが、ヴィクターはそのリスクを分かっていながらも、もうそれに(すが)ることしかできないまでに追い詰められていた。


 ――また魔法局に捕まるくらいなら、それより先に空にでも海にでも身を投げてやる! 残された魔力を総動員しろ……行先はどこだっていい! とにかくここから遠く……ただ遠くに! 飛べッ!


 わずかに体の内に残った魔力を集中させ、ヴィクターは使ったことも無い空間移動へと手を伸ばす。そして次の瞬間――



「――ッ!」



 包まれる浮遊感。視界いっぱいに広がる極彩色の景色。ヴィクターの体は今、確かに。サントルヴィル(中央大都市)を離れ、空間を超越していた。一か八かで使った魔法が成功したのだ。

 だが――そうやって喜んだのもつかの間。彼が危惧していた異変はすぐに全身へと襲いかかってきた。


 痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


 四肢を同時に引かれ、引き裂かれ、脳と内臓を直接かき混ぜられたかのように強烈な痛みと吐き気がヴィクターの体を蹂躙する。それこそ、いっそのこと殺してくれと叫び回りたくなるほどに。自分が生きているのか死んでいるのかの境すらも曖昧になるかのように。

 自身の性質に合わない魔法を使うことの危険さと愚かさを、この時彼は身をもって経験した。

 もしかすると、五体満足で命を落とすこともなかったのは奇跡か、はたまたヴァルプルギス家という名門に生まれた彼だったからこそ許された神の慈悲だったのかもしれない。それほどまでに、彼は一生分とも言えるほどの苦痛をこの時体験したのだ。


 次に意識が戻った時、ヴィクターがいたのは草むらの中。暖かい日差しと肌寒い風の感触が柔く肌を撫でていく。もしかして雨上がりなのだろうか。湿った土の匂いだけが、ここがサントルヴィル(中央大都市)から離れた地であるという事実を彼へと教えた。

 遠くではきゃんきゃんと甲高い声で犬が鳴いていて、指先すら動かせないヴィクターの元へと少しずつ近づいてくる。だが……次に聞こえた声は、その犬の鳴き声とは程遠い人の声だった。



「――ちょっと待って! アナタ、私をどこまで連れていくつもり? ずっと案内してくれるのはいいけれど、こっちは獣道なのよ! もう町からはだいぶ離れちゃって――えっ? そこ? そこに何かがある、の……」



 やかましい犬の鳴き声はもう聞こえない。その代わりに草むらをかき分ける音が響いて、ヴィクターはようやく自分の目と鼻の先に人がいることを認識した。

 魔力を使い果たして虫の息となったヴィクターの視界は、もやが掛かっているかのように不明瞭。しかし逆光でも分かるほどの美しい金色の髪の輪郭と、緊張した声音から相手が女性であるということだけは分かった。

 その女性はまさかこんな場所に人間が倒れているだなんて、夢にも思っていなかったのだろう。ほとんど意識の無いヴィクターを前にして、息を呑む音が聞こえる。



「そんな。人……? 大丈夫で――か! 大変、早く病院――つれ、いか――と――」



 肩が揺すられる。耳元で女性がなにか言っているようだが、被さるような耳鳴りが酷くてヴィクターには彼女の言葉を聞き取ることはできなかった。

 不思議な感覚だ。昔から女性は苦手だったはずなのだが……これも誰かに出会うことができた安心感からだろうか。触れられた肩の暖かさが心地よくて、無意識に彼は感じる熱の方へと身を寄せてしまっていた。


 しかしそうしている間にも、無理な魔法の発動に伴う痛みと倦怠感はヴィクターの全身を蝕んでいく。

 すぐに肩に触れる熱も、湿り気を帯びた土の匂いすらを感じなくなって、暗転。そして――今度こそ長い眠りにつくため、彼は意識を完全に手放した。

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