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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 第1章『チープな英雄劇に立役者は二人いる』
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第11話 いざ、羽音鳴り響く森の奥へ

《翌日――森の入口》


 今朝の食卓に並んだのは、ふわふわのパンと採れたばかりの卵を使った目玉焼き、そして昨夜と同じ山菜の味噌汁のみ。これだけといえばこれだけだが、クラリスにとっては十分な朝食であった。

 せっかくお世話になっているのだからと、彼女は早起きしてロブソン夫人の手伝いをするべくキッチンへ向かって行ったのだが……さすがは田舎の朝。クラリスが起きた頃にはほとんど支度は終わってしまっていた。


 ――これだけ良くしてもらったんだから、必ず村の人達を無事に連れて帰らないと。


 そう。今回の一番の目的は魔獣の討伐ではなく、帰らぬ村人達を探し出し、連れて帰ること。もちろん全員生きての生還が前提ではあるが、仮に最悪の事態が待っていたとしても――クラリス達にはその目で確認し、伝える義務がある。

 クラリスは村人達のために。そしてヴィクターはそんな彼女の役に立って、少しでも好感度を上げるために。それぞれ目的は違えど、()()()()()に彼らはこうして肩を並べていたのである。



「ヴィクター、準備は大丈夫?」


「もちろん。むしろ心の準備が必要なのは、クラリス。キミではないのかね?」


「それは……ま、魔獣くらい見たことあるし、言い出しっぺは私なんだから。今更ビビってなんていられないわ。でも……ヴィクターは迷惑じゃなかった?」



 おそるおそる、クラリスがヴィクターを見上げる。すると彼はきょとんと目を丸くして、「なにがかね」と聞き返した。



「だって提案したのは私なのに、アナタにほとんど頼る形になっちゃって……本当は嫌だったりしてないかなって……」


「なんだそんなことを気にしていたのか。心配する必要はないよ。嫌とも迷惑とも思っていないし、長い旅の途中だ。たまにはこういうのもいいだろう。そもそもワタシには人助けをするなんて発想すらなかったからね……キミの正義感はワタシには無い美徳だ。そのままずっと大事にしていたまえ」


「うん……ありがとう、ヴィクター。それじゃあ、いこっか」


「ああ」



 申し訳程度に置かれた三角(通行止め)の看板を乗り越え、二人は薄暗い森の奥へと歩みを進める。

 まだ昼前だというのに、枝葉が折り重なる隙間から差し込む光はどこか頼りがなくて。とてもではないが、レジャーシート片手に楽しむピクニックなんかには向いていない。

 それでも頻繁に村人の出入りがあるというだけあってか、歩道の整備は昨日通ってきた林道よりもしっかりしている。しかし今となっては人はおろか、そこを通る野生動物すら誰もいやしなかった。



「ねぇヴィクター。この森、私達が昨日通った場所とは横に繋がっているのよね? だいぶ雰囲気が違うし、生き物なんていないけれど……これも魔獣の影響だったりするのかな」


「Um……元々を知らないからなんとも言えないが、少なからずその可能性はあるだろうね。魔獣が肉食だった場合、テリトリー外に逃げようとする動物なんていくらでもいるだろうし……昨日村に着くまで小動物が多かったのも、そういう理由があったからなのかもしれないね」


「肉食って……怖いこと言わないでよ……」



 ヴィクターに怖がらせるつもりはなくとも、そんなことを言われては警戒するなという方が難しい。クラリスが不安げに視線を泳がせていると、それに目ざとく気がついたヴィクターが鼻先で笑った。



「今更ビビっていられないなどと言ったのは、どこの誰だったかね。クラリス。そんなにビクビクせずとも、ワタシがいるんだから安全は保証されたも同然だ。それでも不安なら……コートの端でも掴んでいるかい」


「えっ? うーん、ヴィクターの邪魔じゃなければそうしようかな……。だんだん薄暗くなってきて、景色も不気味になってきた気がするし……」


「……」



 案外あっさりと提案を受け入れられたことに驚いて――いや、珍しくクラリスが甘えてきたことに驚いて、ヴィクターの口の端がピクリと跳ねる。

 てっきり馬鹿にするなと怒られるものかと思っていたのだが。思いのほか、ここは彼女の精神を消耗させる場所となっていたらしい。先程のヴィクターの肉食発言は、クラリスの潜在的恐怖心を煽るには十分すぎるほどに働いていた。

 こんな時は話を逸らして気持ちを切り替えるに限る。とはいっても、この場でできる話など片手で数えられるほどに限られているのだが。



「……いなくなった探索隊の人達、どこだろう。もっと奥まで行っちゃったのかな」


「村人どころか、魔獣すらも見当たらないね。ここまでなにも無いと、ニコラスくんに嘘でも吐かれたのではないかと疑ってしまうところだが……ん?」



 ふと、なにかを発見したヴィクターがその場にしゃがみ込んだ。クラリスもコートを掴んでいた手を離しては、続くように彼の前に回り込む。



「どうしたの?」


「見て、クラリス。血の跡だ」



 そう言ってヴィクターが指をさしたのは、なにかの液体が飛び散った跡であった。乾いて茶色くなってはいるが、きっと彼の言う通り血なのだろう。それは二人のいる場所から点々と、足跡のごとく森の奥まで続いている。



「これ、もしかしていなくなった人達の……?」


「うん。ここで魔獣に襲われたのだろう。来た道を戻らなかったのは、きっと背後から襲われて進むしかなかったのだろうね。ここはもう、魔獣のテリトリー内なんだということだよ」


「背後からって……」



 バッとクラリスが振り返り後ろを確認する。……なにもいない。本来の目的と矛盾することは分かってはいる。それでも周りに魔獣の姿が無いことに安心して、彼女は無意識に止めていた息を吐き出した。



「……血があるってことは、襲われた時に怪我をしてる人がいるってことよね。早く助けて治療してもらわないと」


「そうだね。最初のニコラスくんの話と、この血の乾き具合からして数日経過していることは間違いないみたいだ。……もしかすると、一刻を争う状態の可能性もある。少し先を急ぐとしようか」



 そう言って、ヴィクターが立ち上がった――その時だった。



「……ん?」


「ヴィクター、どうしたの?」


「シッ。聞こえないかね、クラリス。……どこからか、虫の羽音がする」


「羽音?」



 口元に人差し指を寄せて、ヴィクターが周囲を警戒する。促されるままにクラリスも耳を澄ますと、微かにも彼の言う虫の羽音が聞こえてきた。音の出どころは木立の奥。数は一匹だろうか。



「たしかに聞こえるけれど……昨日写真を見た時、アナタあの魔獣は飛ばないって言ってなかった?」


「飛んでいないとは言ったが、飛べないとは言っていない。蜂に近い見た目をしているのなら、羽くらい持っていたとしても不思議ではないさ」


「それじゃあ、今聞こえてる音っていうのはやっぱり……」



 コソコソと自分達だけに聞こえる声量でクラリスが呟く。

 羽音は確実にこちらへと近づいてきている。今度は二人から見て、向かって左側だ。ガサガサと、葉を掻き分ける音。不快に感じるほどの虫の羽音が、それに混ざって距離を詰めてくる。


 迷いがない――きっと居場所がバレているのだ。



「ヴィクター、どこかに隠れないと!」


「分かっている。だがどこに? ここには木しかないのだよ。後ろに隠れたって、キミはともかくワタシはこのコートを着たままではどう頑張ってもはみ出てしまう」


「春先にそんなの着てるからでしょ! それなら脱げばいいじゃ……あれ?」



 そう口論するのもつかの間。ピタリ、とこちらへ迫ってきていた羽音が止んだ。

 諦めたのだろうか。それとも、そもそもクラリス達のことなんて気づいておらず、たまたま近くを通りかかっただけだったのか。どちらにせよ聞こえないほど遠くに行ったのならば、これ以上無意味な言葉の売り買いなどせずに済む。



「……よかった。てっきり人探しの前に追いかけっこでもしないといけなくなるのかと思った」



 ほっと一息ついて、クラリスが顔を上げた――それと同時に、十数メートル先の草むらが揺れる。

 誰だ? 彼女もヴィクターもここにいる。昨日見かけたような鹿やウサギの類はここにはいない。ではなぜ、風も吹いていないのに草木は揺れるのか。ここにいるとするならば、それは帰らぬ探索隊の面々か、あるいは――



「――ひっ」



 ()()が現れた時、クラリスの喉は思わず引きつった声を漏らしていた。それもそうだろう。木の陰からぬるりと現れたのは、ヴィクターの身長すらを遥かに超える、三メートル近くもある巨体だったからだ。


 ――もしかして、これが村の人を襲った魔獣なの……!?


 心の中でそう叫んだところで、実際にクラリスから悲鳴が出ることはなかった。それほどまでの衝撃。

 大きな人間の身体に、()の頭が乗った魔獣――それが今まさに、二人の前に姿を現したのだ。

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