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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 最終章『その名を呼んで。親愛なるファムファタル』
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第108話 『禍犬』ヴィクター・ヴァルプルギス

 チク、タク、チク、タク、秒針が時を刻む。

 細い針が()()()()()に一周すると、長い針が左にひとつ傾く。長い針が頂点を越えて()に傾くと、短い針が大きく一歩、時を戻す。

 カチ、コチ、カチ、コチ、不思議かな。クラリスの足元に咲く花々が、急速にしぼんでいく。蕾になっていく。双葉になっていく。土にかえっていく。それを彼女が目にした時――なぜだろうか。先程ランチタイムを終えたばかりだというのに、やけにお腹が空いてきた。



「エルマー、なんなんですかこの状況! あんなの見るからにヤバそうじゃないですか!」


「いやぁ……ごめん。この後の動きのためにも、一回大人しくさせたくてさ。先にメンタル抉って戦意喪失させてやろうとでも思ったんだけど……むしろ効きすぎて思いっきり地雷踏んだっぽい」


「はぁぁ……!? 地雷って……踏んでるどころか、タップダンス踊ってやったぐらいにぶっ飛んでそうですよ、あの人! とりあえずアンタに任せておけばどうにかなるって考えでいいんですよね!?」



 空いっぱいには敷き詰められた時計の文字盤。輪唱する秒針のリズムに合わせるかのように、おぼつかない足取りで揺れるヴィクターからは注意を逸らさぬまま。ダリルは戻ってきたエルマーへと、声を荒らげて尋ねる。しかしエルマーは少しの沈黙の後、ゆっくりと首を横に振った。



「……いや、申し訳ないけどダリルちゃんにも協力してもらうよ。ここからは()()との勝負だ。()()がいない以上、ボクと君でやるしかない。……いいかい。ヴィクターの魔法は時間を操作する魔法……つまり時を進めたり戻したりすることを得意とする魔法だ。今は反時計回りに動いているということは……このまま放置しておけば、いずれこの町(ラクス)ごとボクらが消滅するまで時間を逆行させられる可能性がある」


「消滅? それマジで言ってるんですか? 町ひとつ消滅させるって、何百年分の話してるんだよ……現実でチートキャラ使ってるわけじゃねぇんだぞ。……ああもう、それじゃあなにか対抗するための策があるってことなんですよね!?」


「策だなんて……ははっ、そんなもの無いよ。殺す気で止めにかかる。それだけだ。ひとつ幸いなことがあるとすれば、ヴィクターの魔力は今……その半分を()()()()()()()()()()()()()()ってことだね。だから彼は半分の実力しか出すことができないし、魔力の消費量を考えれば体力も長くはもたないはずだ」


「冗談でしょ。半分であれなのかよ……」



 そうダリルが口にした、まさにその時。不意に顔を上げたヴィクターの目が真っ直ぐに彼を捉えた。本来脅威となりえるはずのエルマーには目もくれなかった理由は単純明快。それはダリルの方が――クラリスの近くにいたからである。

 ヴィクターが赤く染まった苺水晶(ストロベリークォーツ)をダリルに突きつける。そして――ゆらり。杖先の宝飾内部で、魔力の奔流(ほんりゅう)が揺らめいた。



「ダリルちゃん……来るよ!」



 エルマーが言い放った次の瞬間、ダリルの眉間にじんわりと暖かい熱が広がった。その熱はまるで、草原の真ん中で陽だまりの中を寝転んでいるかのような。麗らかな日差し。小鳥のさえずり。花の香り。そんな穏やかな()()が、ヴィクターの魔力を通してダリルの脳内から五感へと流れ込んでいく。


 ――なんてものが突然見えるわけないだろ、馬鹿! 今は目の前の敵に集中しろ! このまま目を閉じたら――死ぬぞ!


 これが危険な白昼夢であると瞬時に気がつくことができたのは、ひとえにダリルの本能だ。彼が意識を失いかけた瞬きの間に、ヴィクターの放った紅い(いかづち)は彼の眼前数センチメートルまで迫っていた。

 とっさの判断で左に飛び退いたダリルの足先すれすれを、高濃度の魔力による光の帯が通り過ぎていく。その光の通り道で地面が次々に隆起し、火薬も無しに轟音鳴り響く大爆発が起こったのを見た時――彼の喉からはひゅっと音にならない悲鳴が漏れた。



「ッ! あ――ぶねぇ! あの人、僕のこと真っ二つにするつもりですか!? ビーム出してくるなんて聞いてないんですけど!」


「それどころか、なにが飛び出てくるか分からないビックリ箱みたいな相手だからね! とにかダリルちゃんは死なないように気をつけて! ヴィクターに隙ができたタイミングで、ボクが一発殴って気絶させる!」


「死なないようにだなんて、ずいぶん簡単に言ってくれるじゃないですか……。なら、僕だって本気でやらせてもらいますからね!」



 ダリルが剣を片手に最前線へと躍り出た。ヴィクターが再びステッキを構えようとするよりも早く、駆け出した彼は剣の切っ先を前方へと向ける。あちらがその気ならば、こちらにだって考えはある。なにも飛び道具を扱うことができるのはヴィクターだけではない。剣が接近戦だけで活躍できるだなんて――誰が決めたというのだ。



「――展開ッ!」



 するとダリルの声に合わせて、何層ものドーム状に重なった剣の檻が現れた。ヴィクターを取り囲むその数は、概算でも二百本以上。自分へと狙いを定める幾本もの鈍いきらめきを前に、ヴィクターの片眉がわずかに持ち上がった。



「奥の手なんて隠してる暇は無さそうですからね……。早めに手を打たせてもらいますよ! 目標補足――総員、一斉掃射ッ!」



 その号令が掛かると共に、ダリルの魔法によって生み出された剣が雨となって逃げ場の無いヴィクターへと降り注いだ。

 後方で上がったクラリスの悲鳴をかき消すほどの、空を切る鋭い音。いくら剣の達人だろうと、あれだけの数の刃が同時に落ちてくればひとたまりもない。対象を跡形もなくなるまで切り刻もうとする雨は、その先頭の切っ先がまさにヴィクターの左目へと吸い込まれていき――



「なっ……爆発した!?」



 そう。ダリルの放った剣の雨は、その全てがヴィクターへと届くまでもなく、ひとつが起爆したのをきっかけに次々と誘爆を重ねてゴム風船のごとく破裂してしまったのだ。

 もちろん剣自身に起爆剤が付いていたわけではない。その謎の爆発の正体を……ダリルの目は黒煙のその向こう。まるで雷雲の中を泳ぐ魚のごとき紫色の残像を目にしていた。



「……ふぅん。今の魔法局の実力なんて、しょせんこんなものかね。……正直期待はずれだな」



 煙が晴れた中心。そうぼやくヴィクターの周囲をめちゃくちゃな軌道で飛び回るのは、小さな紫色のガラス玉だった。まさかあれが襲いかかる全ての切っ先から、主を守ったとでもいうのだろうか。

 ヴィクターは足を止める様子の無いダリルを呆れた様子で一瞥すると、慣れた手つきでパチリ。ひとつ、指を鳴らした。――刹那、ダリルの視界いっぱいへと広がったのは、透き通るほどに美しいロイヤルパープル。


 景色が、スローモーションに見える。


 あのガラス玉が自分の顔面目掛けて一直線に突撃してきたのだと、ダリルが気がついた時――反射的に仰け反った彼の鼻先では既に、例のガラス玉は起爆の準備を始めていた。



「――ガッ!?」


「ははっ、すごいね。その速度を避けるんだ。惜しかったなぁ……直撃してたら顔ごと吹き飛んでたところなんだけど。棘でも飛び出すようにしとけば良かったかな」



 爆風に飛ばされて、ダリルがその場で尻もちをつく。その様子を見て乾いた笑い声を上げるヴィクターの言葉は冗談に聞こえるものの、すっかり据わっている紅梅色(こうばいいろ)の瞳はけっして今の言葉が冗談ではないのだと物語っている。


 ――あっ……ぶねえ! なんでさっきから顔ばっかり狙ってくるんだよ、あのデカ男! 恨みを買うなら僕じゃなくて蹴りまくってたエルマーの方でしょ!?

 

 寸前でガラス玉を避けたダリルに爆発が直撃することはなかった。しかし、それでも熱に(さら)された彼の鼻先は空気に触れてヒリヒリと痛みを訴えている。いや……むしろこうして痛いと思えていること自体が奇跡なのだ。

 そうこうしている間にも、ダリルの見ている前でヴィクターの腕が再びステッキを持ち上げる。――しかし。



「ちょっとぉ――それ以上ボクの可愛い部下をいじめるのはやめてよねぇ!」


「ッ! この……足癖の悪い男だね。他人が手にしているものは蹴ってはいけないと、わざわざ口で説明してやらないと分からないのか?」



 魔法が発動する間もなく、ヴィクターのステッキを蹴り飛ばしたのはエルマーだった。

 奇襲は失敗、しかし成果は上々。煙にまぎれて接近したエルマーの足は、得物を弾いてすぐに体勢を整え、今度は敵の顎を目掛けて蹴り上げる。とっさに両腕で受け止めたヴィクターは骨まで響く激痛に顔を歪めたものの、すぐに表情を取り繕って皮肉混じりの言葉を返した。

 地面に転がったステッキは、今から駆け出したとしても簡単に手の届く距離には落ちていない。飛び退いたエルマーがダリルの方を確認すると、彼は自分の無事を知らせるように大きく一度頷いた。



「足癖が悪いのは知っての通り昔からでね。そんなことより……君が愛用しているあのステッキは飛んでいっちゃったわけだけど……どうする? 昔に比べて魔力が足りない分、特殊な鉱石を使ったアレで補ってるんでしょ。つまりそれを失くした今の君はほとんど丸腰状態だ。この場で無様に骨を砕かれたくなかったなら……ボクが手加減してあげてるうちに降参した方が身のためなんじゃない?」


「……は? 降参?」



 エルマーの提案を聞いたヴィクターはそう間の抜けた声で復唱すると、パチパチとわざとらしい瞬き。そして、しばしの沈黙の後――彼は肩を震わせくつくつと笑いはじめた。



「――ふ、あっはは! 降参……降参かぁ。四百年も会わない間にずいぶん冗談が下手になったものだね、エルマー! あの棒切れがワタシの魔力の代わりだって? ふふ、馬鹿は休み休み言いたまえ。まぁ確かに、精度を高めたり狙いをつけるのには役立っているけれどねぇ。あんなもの――ただ、オシャレでカッコイイから使ってるだけだよ」



 そうヴィクターが口角を吊り上げたその瞬間、カチリ。上空に佇む時計の一つが、長針を左に傾けた。()()()エルマーの左胸へと押し付けられていたのは――元の色すら分からないほどの赤を纏った、ここにあるはずのない苺水晶(ストロベリークォーツ)。ヴィクターの左手には、エルマーが蹴り飛ばしたはずのステッキが握られていたのだ。

 この時、後方に控えていたダリルは確かに見ていた。今、あの時計の長針が左へ傾いた時――転がっていたはずのステッキはひとりでに起き上がり、瞬く間にヴィクターの元へと吸い込まれるように戻っていった。そう、飛ばされる前まで時間が()()()()()のだ。



「ワタシはフィジカルで攻められる戦いは得意ではなくてね。身体強化の魔法で馬鹿力を発揮してくる、キミの戦闘スタイルは少しばかり……邪魔だ」



 刹那、彼らの上空で時を刻みつづけていた時計の秒針が、ひとつ残らず――止まった。あえてそれを時間で数えるのならば、わずか一秒の出来事だったのだと言えよう。


 たったの一秒。世界中。ヴィクター以外の全ての時間が止まる。


 しかしそのわずかな間に、彼がエルマーの左胸へと押し付けた宝飾は熱を(たくわ)えて、解放の時を待ち望んでいた。

 そして再び時間が動き出した、一秒後――全身を駆け巡る熱と悪寒に、この空白の一秒の存在を理解したエルマーの目が見開かれた。なにせその一秒さえあれば、彼が逃げ出すための十分な猶予はそこに存在していたはずなのだ。それが無いということは、つまり。今更彼が攻撃を避けきるための手段は、絶たれて――



「ふふっ……()()


「ッ――!」



 ヴィクターの掛け声に合わせて、二人の間で赤い光が弾ける。

 圧縮された魔力はエルマーの派手なシャツを噛みちぎり、薄い皮膚へと食らいつく。そして、その先に脈打つ心臓を目掛けて――弾丸となった光線が、いとも容易く彼の左胸を貫いたのだった。

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