第104話 ハッピーバースデー・ニューハピネス!
《数日後――マモナ国・とある病室》
「それにしても……検査結果に異常が無くて本当に良かった。ヴィクター、まだどこか痛いところはある?」
そろそろ慣れはじめた硬い木の感触。ベッド脇の丸椅子に座ったクラリスは、手元の診断書を見てはそう一息ついた。
元国王ポール・マモナが起こした一連の事件に決着がついて、何日かが経った頃。入院生活を余儀なくされたヴィクターは、ここのところ毎日のように病院のベッドに横になっていた。入院の理由は身体的な怪我だけではない。それこそ何度もポールの魔法を浴び続けていた彼は、後遺症が無いかを調べるため誰よりも優先して検査を受けることになったのだ。
検査結果が出るまでに時間を要したが、本日担当医師から受けた結果は目立つ異常はなし。それでも念のため、しばらくは安静にしているように――とのことだった。
この結果に機嫌を損ねたのはヴィクターである。もちろん体に異常が無いことは彼自身も万々歳だ。しかし……入院が長期化すればクラリスと会える時間が減ってしまう上に、明日も明後日も気が乗らない病院食のオンパレードだ。
当初は適当な理由をつけて逃げ出そうとも考えていたのだが――その考えは先程改めた。一日中一緒にいられるわけではないが、クラリスはこうして毎日面会に来てくれている。少し物足りないが、この機会にしっかり休養をとるのも悪くはないだろう。
「体はもうすっかり元気になったよ。むしろ寝すぎて頭が痛いくらいだ」
「そっか。それならもう二、三日様子を見て、退院できないかお医者さんに相談してみましょう。私ももう町の中は全部見て回っちゃったから……やること無くなっちゃって」
「……なんだかんだ楽しんでいるみたいだね」
ヴィクターが入院生活を送っている一方で、一人となったクラリスがどんな生活を送っているのか彼自身不思議に思っていたのだが……案外彼女はヴィクターがおらずともショッピングを満喫していたらしい。思えば初めてマモナを訪れた時もあのはしゃぎっぷりだったのだ。退屈させなくて良かったと思える反面、なんだか恨めしささえ感じてしまう。
すると、なにか思い出した様子でクラリスが診断書をチェストの上へと置いた。椅子をベッドの方へと近づけた彼女は、ようやく世間話をする体勢でヴィクターへと視線を向けた。
「そういえば、ジェイクさんの奥さんのマリーさんも無事に戻ってきたって。それで町中の人達がみんなアナタにお礼をしたいって言ってるらしいんだけど……ヴィクターあんまり騒がしいのは好きじゃないでしょ? そう話したら、明日は代表してジェイクさんとマリーさんがお見舞いに来るって言ってたよ」
「お見舞いって……適当な理由でもつけて断ってくれてもいいのだよ」
「美味しいものとか持ってきてくれるかもよ?」
「どうせプリンだろう……」
プリン屋がプリン以外を持ってきたら、それこそ驚きだ。
その時、ふと時間を気にした様子でクラリスが壁掛け時計に目を向けた。時刻はまだお昼を過ぎたばかり。美味しいものと自分で言っておいて、お腹が空いたのだろう。
「クラリス、そろそろホテルに戻るかい? こんな何も無い部屋にいたってキミも退屈だろう」
「うーん、それもそうだけど……もうしばらくはここにいようかな。町の中は見たって言ったでしょ? 面白そうな催し物もあったりしたけれど、どうせならヴィクターと一緒に見たいしね。それに……こうやってアナタと話してるのって、なんだか懐かしい感じがして、正直楽しいから」
「……そっか」
意外な返答にヴィクターはきょとんと目を丸くしたものの、すぐに破顔しては小さな喜びの花火をポコン。頭の上に打ち上げた。
――たまにはゆっくり……こうやって過ごすのも、案外悪くないかもしれないな。
窓の外に目をやれば、崩れた城の周りには何台もの大きなクレーンが来ていた。
修繕に取り掛かることはまだできなくとも、瓦礫の撤去のために他の町から応援を呼んだのだろう。そうなってくればこちらの役目はもう終わり。次は残された人々のターンだ。
そして日が陰り、面会時間が終わるまで。ヴィクターとクラリスは他愛もない話に花を咲かせたり、昼寝をしたり。ずいぶん久しぶりに許された余暇を楽しむことにした。
彼らの冒険が再開するのは、もう少しだけ――先のお話。
………………めでたし、めでたし。
「――いやあ、とっても素敵なハッピーエンドだったねぇ! ほらフィリップ、あの幸せそうなパピーちゃんの顔を見たかい? 愛する人や親友との喧嘩を乗り越えて、悪逆非道な王を打ち倒し、そして人々から感謝をされる……実に素晴らしい! せっかくの英雄譚だ。君も混ざってくればよかったのに……。お礼のひとつくらいは言われたかもよ?」
病院から遠く離れた建物の屋上。オペラグラスを片手に病室のヴィクターとクラリスの姿を盗み見ていたのは、夜空のごときネイビー色の髪が特徴的な長身の男であった。
男は興奮気味に隣のフィリップに向けて話しかけていたようだが、一向に反応が返ってこないことを不思議に思ったのだろう。彼が足をタン、と打ち鳴らすと同時にオペラグラスが消えて、あらわになった瑠璃色の瞳がフィリップに向けられる。彼が思った通り――フィリップの口元は、横一直線にキツく結ばれていた。
「おやおや。そんなにムッとして……ずいぶんご機嫌ななめだね。そんなにパピーちゃんに嫌われたのが辛かった?」
「……うるせぇな。オマエには関係ねぇだろ。というか、見るもの見たなら使い魔でも貸すからさっさと帰れ。最高の魔法使い様っていうのは暇じゃねぇんだろ」
そう言って、フィリップはようやくネイビー髪の男――改め、『最高の魔法使い様』に視線を向けた。
これが、世界中で魔導士を生み出している張本人。顔の良さこそヴィクターには及ばないものの、目鼻立ちはハッキリしていて常に笑顔は絶やさない。見た目の印象はいかにも人に好かれそうな好青年――といったところだろうか。きっとなにも知らなければ、町中ですれ違ったとしても気にすらとめないだろう。しかしこの男は夢を見る人間の匂いを巧みに嗅ぎ分け、甘い言葉を利用して近づいてくる悪魔のような魔法使い。
そう。彼こそが人々の夢と幸せの象徴。他人に無償で魔力を与えることができる『最高の魔法使い様』と崇められた、唯一無二の存在――マーリン・ファンタジスタ。フィリップは昔からこの男のことが嫌いだった。
「ねぇ、ひとつだけ聞かせてくれないかな。フィリップはパピーちゃんが自分のところに戻ってくることを望んでるんだよね。それなのに……引き剥がすチャンスを無駄にしてまで、彼らが最高のエンディングを迎えるための手回しをしていたのはどうして? パピーちゃんが囚われのお姫様を助けに行くための……それこそこの国を救うためのシナリオをわざわざ用意してあげるだなんて。ずいぶん気前がいいじゃないか」
マーリンはそう言って首を傾げた。今の話の通り、彼はずっとあることが気になっていた。それはクラリスをポールへ捧げるようなことをほのめかし続けていたフィリップが、実際には裏でヴィクター達のサポートを行いながら事件を解決へと導いていたことである。
仮にこの事件に関わった人間に役職をつけるとなれば、フィリップの役職は――運び屋。スモーアやパルデの時と同じく、世界各地へ幸せを届けるために奔走するマーリンを空間転移で送り届けることが役目である。そんな彼はヴィクター達の目的とは公私共に反対の立場にいるはず……そう。今回のフィリップの目的と行動は、誰の目から見たとしてもちぐはぐなのだ。
するとフィリップは短い溜め息を吐き出し、病院の方角へと目を向けた。日当たりの良い室内で、どうやらヴィクター達は会話の途中で眠ってしまったらしい。あの時とは違って、安らかな寝顔をしている。オペラグラスなんて使わずともよく分かる彼らの寝顔を見て、フィリップはようやく強ばっていた顔の筋肉を緩ませた。
「……別に無理やり引き剥がすのが本望なわけじゃない。オレはたしかに、アイツが慣れない恋愛ごっこで心を痛める前に帰ってきてほしいとは思ってる。ただ……その恋を応援してやりたいとも、同じくらいに思ってるんだ。だからまぁ、なんだ。城に乗り込む乗り込まないなんてしょうもない理由で喧嘩をしてるのを見たら、兄としてなんとかしてやらないとって思ってな」
「だから無理やり彼女を攫いに行ったってこと?」
「ああ。あのまま馬鹿正直に話し合いになんて行ってみろ。ヴィクターの話術で追い詰められたポールちゃんが自暴自棄になったりでもしたら、洗脳した女を全員自害させるような命令だってしていたかもしれない。そんなの……夢見が悪いだろ。だからわざとヴィクターが怒るように誘導して、分かりやすく暴力で解決できるように仕組んだ。まぁ、ポールちゃんには悪いことをしちまったけどな」
「ふぅん……なるほど。それが彼の言ってたちぐはぐな行動の真相ってわけか。つまりフィリップはパピーちゃんに元気を出してもらうために、俺の可愛い魔導士を裏切るような行動をしたってことなんだね。それなら――君とパピーちゃんが今感じている幸せっていうのも、全部俺のおかげってことだ!」
一人納得したマーリンは、そう突拍子もないことを言って後ろへツーステップ。振り返ったフィリップの前で大仰に両腕を広げて、くるり、くるりとその場で回りはじめた。そして――高らかにこう言い放ったのだ。
「スモーアで出会った少女は夢を叶えてたくさんの人に手作りのお菓子を食べてもらえた。パルデの町長は町がひとつの問題を乗り越えて、新たな一歩を踏み出すための責任を果たすことができた。国王ポールは私利私欲にまみれた願いだったが、彼は夢にまでみていたハーレムを築き上げることができた! そして……可愛いパピーちゃん。彼は困難を乗り越えて、今日もまた小さな幸せを手元に縛り付けることができた。それもこれも、元を辿れば全部――俺のおかげ、でしょ?」
回り続けてさすがに目も回ったのか、マーリンはフラフラと覚束無い足取りながらも、絶えず狂ったように笑い声を上げている。
その顔を見れば、フィリップだって嫌でも分かる。この男は純粋に他人の幸せを喜んでいるのだ。そしてそれと同じくらい――いや、それ以上に――
「さぁ、フィリップ! ここに新たな幸せの誕生を共に祝おう! ハッピーバースデー、ヴィクター! ハッピーバースデー、ニューハピネス!」
この男は自分が他人から感謝されることに――感謝されているという妄想にすら取り憑かれて、悦に浸っている。人々の幸せを作り出す『最高の魔法使い様』であり続けることに対し、最大限の喜びを感じているのだ。たとえその幸せの先にあるものが、不幸の連鎖を生み出す恐ろしい化け物だったのだとしても……そんなことはマーリンには関係ない。
ぐるぐる回り続けた脳みその遥か向こう。花畑から、拍手喝采が聞こえる。人々が口々に叫ぶ。嗚呼、マーリン! 貴方こそが最高の魔法使い! 私達は貴方のお陰で夢を叶えることができました! この世界のまだ見ぬ夢追い人へもその手を差し伸べて! 世界中に幸福を振り撒いて! 自分にしか聞こえないその声を耳に、マーリンは恍惚と両の目を見開き天を仰いだ。
「嗚呼……人のために働いて、人に感謝される人生って――最ッ高に気持ちがいいッ!」
第1部 第5章『王族殺しは他人の城で幸せの花火を打ち上げるのか』――完




