第1話 紳士と乙女と痴れ者達
空は快晴。麗らかな日差しは目には見えない桜色。髪にしっとりまとわりつく潮の匂いに、浮かれた三本足のカモメが遠くで鳴いている。
その声に導かれるように半日近くを歩き通して、すっかり重くなった彼らの足がふと、意図せず歩みを止めた。今夜の休憩地点まではあと少し。今更こんな場所で立ち止まっている暇など無いというのに。
「……ごめんヴィクター。もう一回、私達の旅の目的を確認してもいい?」
「もちろんだとも、クラリス。キミが望むのならば何度だって復唱しよう。我々の目的は、世界の中心――中央大都市サントルヴィルに定住することを最終目標に世界各地をまわること。そのついでに美味しいものをたくさん食べることも忘れず、適度に娯楽を楽しみ、人と交流をする。ただし危険はなるべく避ける方向で……違うかね?」
そう言って、美しい顔立ちをした紅髪の男――ヴィクターが軽快に指を鳴らす。すると七色の花火が弾けて、破裂音がパチン。それまでなにも握られていなかったはずの彼の手元に、どこからともなく姿を現したのは黄金色のステッキだった。
ステッキの先端に鎮座する薄桃色の苺水晶からは、臨戦態勢を知らせる火花がバチバチと音を上げて弾けている。宝飾の内側で渦を巻く魔力が炎のように揺らめくと、ステッキ全体がひとつ、温度を上げた。
この指先に微かに感じる熱さが心地良い。
ヴィクターは知らず知らずに口角を上げては、潮風になびく前髪をかき上げる。どんな時も見栄えは気にしなくてはならない。特にそう――好意を寄せる相手の前でカッコイイところを見せたい時は、なおさらだ。
「うん、正解。私達は大都会を目指すために、住み慣れた町を離れて旅に出た。……危険はなるべく避ける方向で。じゃあ目の前のこれはなに? 明らかにただ事じゃなさそうなんだけど」
ヴィクターの隣で呆れた表情を浮かべる彼女――クラリス・アークライトは真夏の海のように透き通ったシアン色の瞳を細め、目の前に広がる光景に疲れの混ざった吐息を漏らした。
彼女達がいるこの場所は一本道。
地面についた轍を見るに、二台の車が余裕をもってすれ違えるほどの広さはある。右手に砂浜、左手に草原と自然に溢れた景色が広がってはいるものの、通りかかる人間はそこそこいるのだろう。
そして正面遠くにわずかに頭を覗かせるのは、高いビルが建ち並ぶリゾート地。あそこが今夜の休憩地点だ。
事前にクラリスがスマホで確認した情報によると、あの町はテレビで特集が組まれるほどセレブ達に大人気。サントルヴィルから芸能人がお忍びで来るほどの観光地らしい。
今が夜ならば、さぞやネオンが映えたことだろう。大きく飛び出す高級ホテルやリゾート施設が、それは希望溢れる光景を二人に見せてくれるものだと思っていたのだが……その景色を隠すかのように、突然。そこらの岩陰や木陰、あらゆる死角から男達がゾロゾロと姿を現したのだ。
「よぉ、綺麗な兄ちゃん達。すまねぇがこの道は有料なんだ。通りたいんだったら、俺達と一緒に向こうまで来てくれねぇか? なぁに……悪いようにはしねぇさ」
「そうそう。少し身体検査をして、通行料分きっちり払ってもらえれば解放してやるからよ。まぁ、アンタらにそれだけの金が払えればの話……だけどな」
そう勝手なことを口々に話す男達は、下卑た笑みを浮かべてヴィクターとクラリスの全身をじっとり舐め回すかのように値踏みしていく。きっとその大層な通行料とやらが払えるかどうかをチェックしているのだろう。
結果は――どうやらお気に召したらしい。男達がくつくつと笑い声を上げる。
果たしてお眼鏡にかなったのはヴィクターのステッキに取り付けられたこの拳大の宝飾か。はたまたヴィンテージもののチョコレートブラウンなロングコートか……それ以外か。そんなもの、どれだっていい。どれにしたって、彼らに捧げる気など毛頭も無いのだから。
「Hmm……おそらく彼らが、この地域を騒がせているという強盗団の一味だろうね。ほら、クラリス。ひとつ前に訪れた町でちょっとしたニュースになっていただろう。この先にはリゾート地がある関係上、金持ちが集まりやすい……それを狙った強盗なんかが、近年はびこるようになったって」
「聞いてはいても、まさかたまたま通りかかっただけの私達が襲われるだなんて思ってないわよ……。それでヴィクター、見た感じ十人どころじゃなさそうだけれど……どうする? 走って逃げる?」
強盗団を前にしても他人事なヴィクターへ一応、クラリスが尋ねる。
そうこうしている間にも、男達は大振りな得物を手に二人を逃がさぬよう包囲網を作っていく。
しかしヴィクターはそんな男達のことなど気にとめることもなく鼻で笑い飛ばすと、手元でくるりとステッキをひと回転。挑発的な笑みを浮かべてクラリスの提案を一蹴した。
「逃げる? HAHA! ずいぶん悠長な提案をするのだね、クラリス。たしかに危険を冒すなとは言われたが、あちらがその気ならば仕方ない。こんな虫ケラ相手……逃げるよりも、全員蹴散らしてやった方が早いだろう?」
「やっぱり、そうなるのよねぇ……」
危険は避ける方向と再確認した直後に、これである。
ヴィクターが左腕を振り上げると同時に、杖先の苺水晶が熱を帯びる。弾ける火花の勢いがどんどんと増していき、宝飾が白く発光していく。
横目にその光景を見たクラリスはいち早く嫌な予感を察知し、コンマ一秒。反射的に両手で耳を塞いだ。そして次の瞬間――ステッキの石突きが地面に叩きつけられた。
「――BOOM!」
高らかに叫んだヴィクターの号令の元、宝飾の内側で暴れ回っていた彼の魔力が解き放たれ――雷鳴のごとき轟音が遥か遠くの空にまで響き渡った。
風に乗るのは煙と火薬の匂い。音と共に耐え難い振動が地面を揺らし、思わず強盗団のバランスが崩れて突破口が――否。その振動が起きた時、既にそこに男達の姿は無かった。
もちろん消失マジックよろしく存在を消されてしまったわけではない。彼らは皆、起爆剤も無く起きた爆発の衝撃波によって、軽々と空へ吹き飛ばされてしまったのである。
「クソッ! あの男……魔法使いか!」
折り重なる悲鳴に混じって、男の一人がそう口にした。
魔法使い――そう。今しがた起きた突拍子もない爆発は、ヴィクターの魔法によって引き起こされたものだった。
それこそ種も仕掛けもありやしない。脳が無意識に息をするように、手足を動かすように命令するのと同じ。目の前の地面を起爆したいと思ったから、そうなるように内なる魔力が命令を下した。それだけのことなのだ。
べちゃりべちゃりと地上に降ってきた男達は、起き上がるとすぐにヴィクターから距離をとって彼の動きを注意深く観察する。
戦闘に特化した魔法使いが相手では、普通の人間にとっては分が悪い。しかし紅髪の魔法使いの隣。恐る恐る耳を塞いでいた手を離す、金髪の女――おそらくこちらは反応からして、普通の人間なのだろう。
先程声を上げた男が、ニヤリと口の端を吊り上げる。そして手にしたナイフを高々と掲げ、こう言い放ったのだ。
「テメェら! あの女の方から狙え! 女を盾にすりゃあ、いくら魔法使いでも簡単に手出しはできねぇだろうからなぁ!」
「えっ? あの女って……私!?」
突然矛先を変えて向けられる敵意に、思わずクラリスが自分に指をさす。
雄叫びを上げて賛同を示す男達から次々飛び出す怒号に、彼女は飛び上がってヴィクターの背中に飛びついた。すると勢いが強すぎたのだろうか。ピクリと彼の体が反応して、ゆっくりと紅梅色の瞳がクラリスに向けられる。
「ヴィクター、ちょっとこれ……どうしよう!? あの人達、お金どころかもう私達の命ごと貰うつもりでいるんじゃあ……」
「……」
「ヴィクター?」
反応の返ってこないヴィクターを不思議に思い、焦りの表情を浮かべたクラリスが隣を見上げる。……なんだかやけに真剣な目をした彼と目が合った。
しかし故郷を離れ、旅を始めて早くも半年。クラリスは既に、ヴィクターのこの真剣な表情がろくな方向に働かないのだということを知っていた。
「クラリスは、ワタシが華麗にキミのことを守り抜いたとしたら……カッコイイと思ってくれる?」
「……は?」
「いや、だから……アレらを追い払ったら、ちょっとはキミの好感度とかが上がるかな……って……」
急にもごもごと歯切れ悪く喋りだしたヴィクターは、どことなく恥ずかしげにそう脈略も無い言葉を口にする。まさか命が脅かされかねない局面において、好感度とは。
だがクラリスはそんな彼の思考回路にピンとくるものがあったのか、わずかな思案の後に素直に思ったことをヴィクターに伝えた。
「そうね。たしかにカッコよく守ってくれる人がいたら少しときめいちゃうかも。ヴィクター、任せられる?」
そうクラリスが笑いかけると、目に見えてヴィクターの瞳がパッと輝いた。
「……ふ、ははっ! もちろんさ! ワタシがアレらをいなしている間、キミは休憩でもしているといい!」
「休憩?」
「そう! ここに座って!」
ヴィクターが右手で指を弾くと、クラリスの目の前に花火の爆発に紛れて黒色のオシャレなガーデンテーブルと二脚の椅子が姿を現した。
軽く肩を押されれば、彼女は椅子に深く腰をかけてきょとんと目を丸くする。
「クラリスが大好きな、チョコレートを使用した美味しいクッキーと?」
次に指が弾かれると、これまた花火が弾けてテーブルの上にチョコチップクッキーが乗った丸皿が現れる。
「淹れたての紅茶でも楽しみながら、事が終わるのを待っていたまえ」
最後にステッキの石突きが地面に打たれると、テーブルの上に現れたのは滑らかな白色の陶磁器。いわゆるティーセットだった。
彼らが見ている前で、くるり、くるり。ポットはひとりでに踊り、揺れて、待ち受けるカップの一つへ温かな紅茶を注いでいく。カップはソーサーと共にゆらゆらと空中を移動すると、今度はクラリスへ向けて頭を差し出した。
「えっと……ありがとう」
なんと言うべきか迷った末に、クラリスがそう礼を述べるとヴィクターは満足そうににっこりと微笑んだ。
彼はクラリスがカップを受け取ったのを見届けると、振り返ってぽかんと呆気にとられている強盗団を睨みつける。そして指先から込めた魔力を杖先の苺水晶へと送り込んだ。
「さて、キミ達。ワタシの愛しいクラリスはこれからティータイムの時間なんだ。景観にそぐわない痴れ者共には……ここで退場してもらうよ」