何度も時間を巻き戻されて激怒したクロノーシャルの予期せぬ行動
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「クロノーシャル・ウェルガント公爵令嬢。貴女との婚約をここに破棄する!」
モンカード王立学院の大講堂で催されている卒業パーティーの最中。私の婚約者様である王太子のレクサンス殿下は、卒業生答辞を述べた後で声高らかに婚約破棄を宣言した。
金色の髪をかき上げると碧い瞳を細め、それを合図としたかのように数名の生徒が動き出す。
次に、彼の立つステージの中央へと側近達が集まる中に淡いピンクの髪色をした一人の令嬢の姿も見えた。
確か、彼女はナルダン男爵家の令嬢だ。
平民だった彼女が男爵家の養女となれたのは、珍しい魔属性保持者だったからだと記憶している。
聖魔法を行使し治癒を施すことが出来る彼女は、聖女と呼ばれているフローラ・ナルダン。そして、彼女は異世界からの転生者だと周知され、国の保護を受けることになったのだと婚約者様から聞いている。
「レクサンス殿下、これは何かの余興でございますか? それとも、わたくしの聞き間違いでしょうか?」
突然に名前を呼ばれ婚約破棄を告げられると、そう婚約者様に聞き返しはしたが……同時に、私の中で何やら違和感を感じたのだ。
この場面、何かが可怪しい。
私はこの婚約破棄を知っている?
……気がするのだ。
「余興などではない。クロノーシャル、貴女との婚約を破棄すると告げだのだ」
私の隣に立つ義理の弟であるカリュイロスに顔を向けると、口を一文字に結んでいる。
今も、私と二人の時にしか見せることのない黄金の瞳は漆黒の前髪で隠れているが、その下で眉間にシワを寄せ苛ついた表情を浮かべているのは見えずとも解る。
「どのような理由を以て、婚約を破棄するおつもりでしょうか。お教え願えますか?」
レクサンス殿下に向き直り、そう言って瞳を細め冷笑する。
王太子が相手だとしても、私は見下されるのを良しとしない性格だ。といっても、誰に対してもそうであるが。
この気質が生意気だと婚約者様には何度か言われたことがある。そう、目の前で私を睨みつけている彼にだ。 だが、生まれつきなのだから基本的には一生変わらないし、無論変えようとも思わない。
「その見下した態度は、婚約破棄を言い渡されたというのに変わらないのか。……理由は、貴女はここにいる私の大切な友人であるフローラ・ナルダン嬢に対して、あれこれと陰湿ないじめを繰り返していた。調べも付いている。なぜ、そのような事をしたのだ」
私の態度に、レクサンス殿下は顔を歪めギリリと歯軋りをしたが、卒業生たちからの視線に我に返ると言葉を選んだようだ。
「どのように調べられたのでしょうか? 調べたならば、私が何もしていない事が分かったはずですわ」
呆れ顔で二人を蔑むようにそう言えば、フローラ・ナルダン様の濃い桃色の瞳からハラハラと涙が流れだす。レクサンス殿下は、彼女の涙をハンカチで押さえると、鋭い視線で私を見据えた。
彼の側近達が証人達をステージに上がらせると、彼らは私が聖女を虐めた内容を次々と口にする。
彼ら曰く、彼女を階段上から突き飛ばした。誰も居ない教室へ呼び出し暴漢に襲わせた。下校時に氷の刃で彼女を傷つけた。
その内容は、酷い内容だった。
しかし、私は全く以てそれらの事に関係はない。
「全く身に覚えがありませんわ。仮に、わたくしが彼女に手を下すのならば……公爵家の令嬢であるわたくしならば自らの手を汚すことはいたしませんわ。それと、なぜわたくしが彼女を虐めなければならないのでしょうか?」
冤罪を掛けられる原因が何かあるのだろうか? 王太子の婚約者だから? そう考えては見るが、学院内において生徒同士でこれはやり過ぎだろう。
「貴女が私を取られると思って……嫉妬してフローラを虐めたのだろう? それと、フローラもまた珍しい魔属性の持ち主である。貴女の魔属性の方が劣るからだろう?」
「わたくしが嫉妬をしたと? 中々興味深い内容ですわね。殿下との婚約は、王家が押し決めたものですわ。わたくしの父は一度お断りしたのに、無理矢理わたくしを婚約者にしたのはレクサンス殿下でしたわよね」
自分が素敵な男性だとでも思っているのだろうか? 信じられないわ。私の隣にいるカリュイロスの顔は貴方より何万倍も見目は良く、腹黒くて良い男なのに? 胸がときめくカリュイロスがいつも隣にいるのに、どうして私が嫉妬をする?
私の魔属性は、大変珍しい氷属性だ。
歴代の国王が炎属性であるこの国では、火属性の者が多く水属性を持つ者の数は少ない。ましてや氷は、幻の属性とまで言われているのだ。
私が神殿にて無事に祈りを捧げ終わった後で、その力を欲しがったのは王家だった。
当時、国王陛下の御子は一人しか居なかった。レクサンス殿下は側妃様が生んだ子だ。今は、王妃様も二人の王子をお生みになってはいるが、まだ幼い。
その為、彼は地位を確たるものとするために、その一つとして公爵家の後ろ盾と氷属性の私を欲したのだろう。
そして、今は公爵家と私よりも、転生者であり聖女となった治癒魔法を行使する彼女の方が扱いやすく、王太子の地位を確保出来るとふんだわけだ。
「それと、魔属性が彼女より劣ると言われましたが? 取り消して下さいますか」
「これ以上の侮辱は許さん。証人もいるんだ。貴女が何もしていない証拠は? ないだろう!」
「この程度のことで、レクサンス殿下は真実を明らかにしたとでも言うのでしょうか? 笑えますわ。王太子ともあろう者が、この程度ですの? ふふっ。この先、この国の未来が心配されますわね」
「公爵家の令嬢であるにもかかわらず、王太子の私への言動とは思えぬ。口を慎め!これほどの事を聖女である彼女にしたんだ。クロノーシャル・ウェルガント公爵令嬢、貴女にはこの後で断罪が待っているからな!」
「……断……断罪?」
その言葉に、私の頭の中に激痛が走る。それと同時に、何らかの情報がグルグルと頭の中を回転する。
視界が遮られ頭を抱えると立っているのも辛く、膝がガクガクと震える。そんな私の腰に腕を回し倒れそうになるところをカリュイロスが支えてくれる。
――今のは……記憶だわ
「ク、クロノーシャル!」
「……カ……イロス」
抱える私を見下ろす彼は、漆黒の髪の隙間から黄金の瞳をキラリと光らせた。それと同時に、薄い唇の口が弧を描いた後で『moratorium(停止)』懐かしい言葉を発した。
◇◇◇
私の名は、クロノーシャル。ウェルガント公爵家の長女だ。
大好きな義弟であるカリュイロスとは、血が繋がっていない。
父様と私が、雪山から彼を家族の一員として我が家へ連れ帰ってきたのだ。
私の黒肌と違い、彼は真っ白な肌色をしている。だが、漆黒の髪に黄金の瞳は私と同じ色だ。彼を初めて見たときは、妖精だと思うほどの美しさに心臓が爆発しそうだった。
父様も、「神様の計らいだろう」と言って、彼を受け入れたのである。
それは、カリュイロスとの出会いがそう思わせた。衝撃的過ぎて、私と父様の中では忘れることのない出来事だ。
この国アルートゥ国では、ひとつの節目となる10歳を迎えるときに、神殿で祈りを捧げる古来からの習わしがある。自身の持つ魔属性の神に祈りを捧げることで、最大限の魔法を行使出来るようになるのだという。
私の魔属性は、大変珍しい氷属性だ。
歴代の国王が炎属性であり、民は火属性の者ばかりのこの国では、一年のほとんどが暖かい気候である。そのためか、この国では私の魔属性であるヘル神を崇めている神殿が無かった。
父様は、ヘル神が降り立ったことがあるという仮宿を調べた。様々な神が降りる仮宿とされる神殿へと祈りを捧げに行くことにしたからだ。といっても、仮宿もこの国にはない。そして、アルートゥ国の北に位置する隣国ファビラスの最北にある神殿へと赴くことにしたのだ。
邸を出発してから12日目。空を見上げれば雲一つない澄み渡る青い空で、これならば今すぐに雪が降ることもないだろうと、緩やかな山道を馬車で登る。
山道を登り終えたところで、明日には神殿へ着くだろうと案内人が言い、山を下った先にある村を目指した。
馬車の小窓を開けると、冷たい空気に白い煙のような息が出る。馬に跨った騎士達は、寒さで頬と鼻を赤く染めながら今日は野営をしなくて済むと大喜びだ。
村までの道中で、案内人から言われ騎士達は弓を使いノウサギを3匹とシカを2頭捕獲した。トナカイにも遭遇したが、体重が重いので馬では運べないのだと案内人が笑う。寒い中の移動にもかかわらず、騎士達が腕自慢だと狩りを楽しんでいる様子にほっこりしながら村へと移動した。
村の入り口を通過すると村長と話をし、捕獲した動物と案内人から言われて用意してきた乾燥トウモロコシ3袋を渡した後で、村の外れにある大きな家に案内された。
家には、大部屋が4室あり各部屋にはベッドが4床置かれている。私と父様で1部屋、案内人と騎士6人で2部屋を割り当てることにした。
荷解きをしていると、家の扉がノックされ村の女性3人が食事を作りに訪れた。
この村では、神殿に向かう人達から外の食料と交換で宿を提供しているのだと女性達が話す。ファビラス国の最北の神殿には神様が降り立ち、神殿の近くには精霊王達が集う場所もあるのだと手を動かしながら彼女達が楽しそうに告げる。
「精霊王? 精霊って、見えるのですか?」
「見えるわよ! 木の精霊王は地面から根っこが出ているから見つけやすいわ!」
「山の精霊王は、動物よ。さっきの鹿で例えるとしたら、あの3倍の大きさがあるわ!」
「でも、山の精霊王は色々な動物に姿を変えるから通常より大きい動物を見たらそれが山の王よ!」
「そうそう!今なら雪の精霊王に会えるかも知れないわ!」
「雪? 雪の精霊王は、どんな形をしているのでしょうか?」
「全身真っ白で、ふわふわした丸い毛玉ね。でも、雪の王は恥ずかしがり屋だから、そーっと近づくのよ」
「そのくせ、雪の積もった上で転がったり跳ねたりしているわ。遊ぶのが大好きなのよ」
「遊びに夢中で、私たちが近くにいるのにも気づかないことがあるの。その後で、人間に見られていたことに気がつくと、白銀の瞳を真っ赤にして逃げて行くの」
料理を作りながら村近辺の色々な事を語る彼女達の話は胸をワクワクさせる。
「精霊王か、会ってみたいな」
「ふふっ。会えるといいわね」
「会えなかったら、また来ればいいわ」
「そうよ。山の麓にある温泉に連れていってあげるわ」
温泉か……。
うん。もう一度、ここに来たいわ。
「じゃぁ、私が一人で外出できるような年齢になったら必ず来ます。そのときは、温泉に連れていって下さい」
3人が料理を作り終えた頃、騎士たちがダイニングへとやってくる。夕食の時間になったら料理を温め直して食べるのに、火の付け方を教わっているが。
「騎士様たちの火魔法で温めればいいのよ」
私の発した言葉に、彼女たちは目を丸くする。
「火魔法を使えるのであれば、浴槽の水もお湯にできますね」
「では、浴室の使い方を教えますね」
「浴室はこちらです」
火魔法で水をお湯に変えれば、外で薪を燃やして浴槽に張った水をお湯にする苦労をしなくて済むらしい。
そう説明した後で、彼女たちは水魔法を行使して浴室の壁面にある4つの大樽に水を張る。大樽の水は浴槽の足し湯にて使用する為、一樽ずつ熱いお湯にするようにと告げ、宿を後にした。
その日の夜、胸がザワザワとして寝付けなかった私はベッドを下りると部屋の小窓から夜空を見上げた。
夜空に浮かぶ大きな真ん丸の月。
その光が辺りを照らし、深夜だというのに広い景色を見渡すことが出来る。雲一つない美しい空で星が流れては消えていく。
視線をゆっくり下へとずらす。そびえ立つ雪山の頂上、中腹、麓。最後に森が広がり真っ白な庭まで視線を下ろす。神秘的な美しい光景だ。
その様子に酔いしれていると、遠くから私を呼ぶような声が薄っすらと頭に響いてくる。声は山から聞こえてくるようだ。
自分の吐く息で曇る窓を拭きながら、段々近づいてくる声がする方をじっと見つめ集中する。見つめた先に、雪が積もった木々の隙間から金色の小さな丸い光がポツポツと見え出した。
こんな寒い夜に、蛍が居るわけない。でも、私を呼ぶ切なげな声はあの丸い光から聞こえている。夢じゃない。頭の中に直接聞こえているんだもん。
そう思うと、私は急いでベッドに寝ている父様を起こすことにした。
「父様、起きて下さい。父様、早く起きて下さい」
「……ん?……ど、どうした?」
目を開いたばかりの父様の手を引っ張りベッドから下ろすと、そのまま手を引いて部屋の扉を出る。扉前にいた護衛も私が手を引く父様の後に付いてくる。
「あ、開かないわ……」
扉に手を掛け開こうとすると、鍵がかかっていたらしく、扉はびくともしない。
「突然どうしたんだ? なぜ外に出ようとするのか訳を言いなさい」
「外に出れば分かるわ。お願い、早く!早く扉を開けて下さい」
鬼気迫る私の様子に、父様が後ろに控えている護衛に扉を開けるようにと声を掛ける。
開かれた扉から、先ほど小窓から見えていた森へと視線を向ければ、また私を呼ぶ声が聞こえる。それに釣られて数歩足を運び、声がする方をじっと見つめる。やはり、雪が積もった先の木々の隙間から金色のたくさんの丸い小さな光が見える。
父様と護衛の騎士がそれに気づくと、慌てて私を二人の後ろへと隠した。
あの光はなんだろう。次第に近づいてくる2つの光。目を凝らして見ていれば、なんと大きな白銀の狼なのだろうか。
驚く光景に目が釘付けになっていると、護衛の騎士が抜刀し、私と父様に宿の中へ戻るようにと告げる。
「剣を仕舞って下さい。あの大狼は、私のお客様なのです」
「はっ?……お、狼ですよ? あんなに大きい狼は……初めて見ました。私一人では……は、早くお逃げ下さい」
「大丈夫です。見れば分かると思いますが、普通の狼ではないでしょう? 仲間を置いて、1頭だけが姿を見せて下さっているではありませんか」
護衛の騎士は渋々剣を鞘に納めたが、私の前からは退く気がないようだ。震えながらも両手を広げ懸命に私と父様を護ろうとしている。
「……あなたは、山の精霊王様ね」
巨大な狼に驚きはしても恐怖は全く無い。
見た目と違って、金色の瞳からは暖かさが漏れ出ているかのようだ。狼と呼ぶには、言葉が相応しくない。そう、形容しがたいのだ。
「……クロノ」
やはり、声の主は目の前の大狼だ。
大きな口に咥えていた物を優しく地面に置く。私は大狼が置いたそれを見に近づけば、布に包まれているのは人間? 包の隙間から横顔がチラリと見える。
布をずらし顔を覗いて見れば、漆黒の髪に黄金の瞳を持つ男の子の姿があった。
――私と同じ色
「この男の子は、何処の子かしら? 名前はなんというのかしら?」
「……クロノ」
あら? 私を呼んでいたのはこの子だわ。
キラキラと金色の瞳を輝かせ私の顔をじっと見つめる彼は、白銀の狼の毛色のように肌が真っ白だ。
「タシカニオクリトドケタゾ」
大狼はそう言葉を発し、その子を私に託し山へと帰って行った。
……どうしよう。いや、どうしたら?
体に布を巻きつけた男の子は冷たい雪の上に立ち上がると、私に向かって手を広げた。
「僕のクロ……ノ……」
……どうしよう。いや、どうしたら?
美しく妖艶な男の子から目が離せない。心臓はドキドキと波打つ。そして私に抱きつくと彼は意識を手放した。
聞き間違えていなければ、『僕の』と彼は言っていた。
◇◇
「moratorium(停止)?……あぁ……思いだしたわ」
「そうか。それよりも、体は大丈夫か?」
「えぇ。ありがとう」
私と同じ黄金の瞳が柔らかに揺れ動く。心配そうに私を覗き込むその瞳に、私は苦笑いを返すしかなかった。
「えっと……カリュイロス、ごめんなさい」
「ん? 謝らなければならないことも思い出したのか?」
「えーっと……思い出しました」
「ならば、さっさとこの場を終わらせてくれ。その後で、時間を掛けて深い謝罪の気持ちを聞くことにしよう」
「深い謝罪……も、もちろんよ」
彼が空を切るように手を動かすと、停止させていた時間が動き出す。
レクサンスの「断罪」という言葉が鍵となって忘れていた記憶が思い出せたのだろう。それは、私が最も許せなかった過去のレクサンスの言動だ。それと、それを当たり前だとでもいうようなフローラ・ナルダンの嗤い顔。何度、見聞きしても腹が立つ。
この場面。この二人。私は何度も、見てきたのだ。……だから私はここに来た。このループを終わらせる為だけに――。
私は、カリュイロスの腕の中から離れるとステージに向かって歩みを進める。その様子に怪訝な表情を見せるレクサンスとフローラ・ナルダン。
ステージの上にあがり、証人達と側近達の前に立ったところで私は穏やかに微笑んだ。
「さぁ、証人となった者達よ、当時のことを詳しく思いだしなさい」
私は人差し指で空中に大きな輪を描く。証人の彼らの時間を巻き戻すと彼らの思い出した場面をキャッチする。すると、輪の中には戻った時間が映し出された。
次々と証人達の膝が床を着く。
聖女の魔法は、彼らに夢を見せてそれを現実だと思い込ませていたようだ。
聖魔法が治癒だけだと?
いや、違う。
聖属性である彼女は、魅了の魔法も使えるし、痛みを和らげる為の幻覚魔法も使えるのだ。
フローラ・ナルダンはこの世界に転生し、何度も時間をループしているうちに、治癒以外の魔法も使えることを知ったのだろう。
いや、もしかしたら?
転生前の世界で、聖属性の使える魔法を知っていたのかも知れない。
だからといって、転生も時間の巻き戻しも創造神が望んだことではなかったはず。
彼は手を出せないと言っていた。
だから私が終わらせにきたんだ。
次に、彼女に向かって小さな輪を空中に描く。その後で、カリュイロスの指から放出された力が私の描いた輪の中をくぐり抜ける。彼の力が矢となって、彼女の心臓を直撃した。
フローラ・ナルダンは、この状況に両手を広げ首をひねりニヤリと微笑んでいる。
こんなに大胆に彼女の力を放出させたのに、全く何も気がついていないようだ。彼女の体から放出された魔力の歪みが見えていないとは。
それにしても、言う前に私のすることが分かっていての後押しとは……というのも考えものだ。カリュイロスの無表情がドヤ顔に見えてくる。
「さぁ、もう一度詳しく状況を説明するのです」
証人であったはずの彼らは夢から覚めた。
「も、申し訳ございません。聖女様を階段上から突き飛ばしたのは俺です。聖女様に突き落とすようにと言われて断ったのですが、そこからの記憶が……ありません」
「聖女様に教室へ呼び出されて彼女の服を破りました。襲われたように服を破いて欲しいと言われたのですが。そこからの記憶がなくて……。気がつけばレクサンス殿下が目の前にいて、彼女に上着を掛けていました」
「魔法授業中に風の刃で彼女を傷つけたのは俺です。人に向かって刃の風魔法を行使してしまいました。聖女様は血だらけになって……どうして、俺はそんなことをしたのか覚えていないのです。申し訳ありません」
泣きじゃくる彼らに、フローラ・ナルダンは「つかえない奴ら」と言い蔑んだ目を向ける。
レクサンスは、豹変した彼女に顔を向けると大きく目を見開いた。
「フローラ? い、今のは……」
動揺しているレクサンスを無視し、フローラ・ナルダンは私に視線を向ける。
「あんたさぁ、今回はどうしてそんなに強気なの? ヒロインの私がこんなことになるなんてあり得ないんだけど! あんたは、悪役令嬢なんだからさぁ。悪役らしくしてくれないと、ゲームが進められないのよ。今回は、もうやり直すから、次からはちゃんと断罪されなさいよ。あっ、あんたが死なないとリセット出来ないのよね。今すぐ、死んでくれるかな? レクサンス、クロノーシャルを殺してくれる?」
首を左右に振りながら「嘘だ。信じられない」と、戸惑う彼に彼女の魔法はかからない。なぜなら、もう魔法を行使することができないからだ。
先ほど、私は彼女の魔力を転生前の時間まで戻した。そして、魔力が無くなるまで時が戻った時点でカリュイロスが魔力の時刻だけをその場に留めたのだ。
「フローラ・ナルダン。貴女はもうループは出来ません。……レクサンス。貴方はこれから先の王太子である未来は潰えました」
私の言葉に彼女の表情が歪む。
「はぁ? 何で? 今まで何度もリセットしてやり直していたわよ!」
「それと、今回……私は死にません。あぁ、言い忘れましたが、婚約破棄を喜んでお受けいたしますね。では、卒業式の途中で申し訳ありませんが悪役なので退場しますわ。皆様、ごきげんよう」
ステージから降りると、カリュイロスが私に手を差し出す。彼の手を取ると、私をお姫様抱っこしてスタスタと会場の扉へ向かって歩き出した。
「ふぅー。やっと、終わった」
「おいて行かれるなんて……二度とごめんだ」
あらら……お怒りだったのですか。黄金の瞳が、ギラリと光り私を睨む。なのに、彼は悲しそうな表情を浮かべている。
「済まなかった。許してくれぬか?」
「許す。……次は、許さない」
優しい彼は、直ぐに許してくれたが、おいて行かれたのが悔しいのだろう。ちょっぴり泣きそうになるような表情で私に視線を落とす。
――思い出した記憶
私は、時間の神で……
彼は、時刻の神……
何度も時を戻し悪役令嬢となる少女。毎回断罪を言い渡されて、殺されるのだ。時間の神である私は幾度となくそれを見てきた。しかし、今回ばかりは彼女を助けたくて、私が代わりに悪役令嬢として人間になったのだ。
『彼女の魂では、今回が最後になりそうだ。生まれ変われずにして、消えていくのか……』
冥王様の言葉で、彼女の灯火が終わりを告げることを知る。人は死を迎えると、新たな生を受けるまで魂の年輪へと入る。だが、彼女の魂は死してなお眠ることを許されず何度も同じ時を巡らせられ消耗し、消失しようとしていたのだ。
神は、人間の世界に関与してはならない。そう神仲間は言う。しかし、私は首を左右に振る。
何度も時間をやり直している人間が神に関与しているのに? 人間の世界を造った創造神は誰だ? 時間の繰り返しなど、私の仕事に介入させているではないか?
そうして、私の時間に介入したことを咎める代わりに、創造神の仕事に干渉させてもらうことにしたのだ。
私は彼女の魂を年輪の輪へと戻し、ループを終わらせる為に彼女に代わって人となった。
赤子から始まったことですっかり忘れていた。いや、人間となる時に若い創造神が『記憶が無くなるかも知れない』と……言っていた様な気がするが。
会場から出ると、カリュイロスが口を尖らせる。
「知らぬ間に……居なくなるな……」
彼にこんな顔をさせてしまうとは。何も告げずに事を起こしたことを、私は深く反省しなければなるまい。
人間となった私が、『人間の男と結婚するのだろうな』と冥王様が悪戯にカリュイロスの不安を煽ったことで、彼もまた創造神に詰め寄ったらしい。
悪役令嬢となった私が役を終え、人間の男と結婚するなど断じて許さないと創造神に責任を問うたのだと……。
その為、創造神が彼の記憶を持ったままこの世の私と同じ年齢で新たな人物を造ったのだということだ。
「ふむ。……この後は、どうする? 人生を全うしなくてはいけないのだろう?」
「冥王様が、休暇を楽しんで来いと言っていた」
ずっと私をお姫様抱っこしてくれている彼は無表情のままそう告げる。が、どうもウキウキしているようだ。これからの残りの人生が楽しみで仕方が無いというような様子が窺える。
神に戻るには、寿命を迎えなければならない。ならば命尽きるまで、二人でこの世界を楽しもう。
「せっかくなので……我は温泉に行きたい。旅をしながらファビラス国の最北にある温泉に行くのはどうじゃ?」
「そうか。では混浴のある温泉へ行こう」
「また来ると約束したでな。……そういえば、ヘルなんかに祈りを捧げてしまったのぅ。嘲笑っていたのを覚えているのだが」
「親に対して無礼な子だ。説教が必要だな」
「うむ。それと、あのとき会った山の主を紹介してくれぬか? もふもふしていたでな。ちょっと触ってみたいのじゃ」
「……駄目だ。アヤツは雄だ」
口を尖らせて、宝物を抱き抱えているかのようなカリュイロスの腕が優しく強められると、私は彼の胸に頭をもたげた。
誤字脱字がありましたら
申し訳ございません。
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