第三章(1) 夜
約37000文字(空白・改行含めず)
1
一粒の雫がこぼれる。
とても、とても長い物語を見た。
ある人物の、友と全く同じ顔した男の、その一生と、その続きを。
本当に、とても長かった。
長く、儚い物語だった。
ゆっくりと目を開ける。
視界には、見知らぬ天井。
(ここは、どこだ?)
体を起こす。
長い夢を見たせいか、自分の現状について、記憶が曖昧だった。
(そういえば、俺刺されなかったか?)
なのに、体に異常はなかった。
ちょうどベットの上で半身を起こした時、横に誰かがいることに気付く。
「おはよう、翔。」
有次は、穏やかな表情だったが、どこか悲しそうだった。
その顔を見て、涙が溢れてきた。
椅子に座ってる有次を、思いっ切り抱き寄せる。
ガタンと椅子が倒れる。
その頭を両手で包み込んで、胸に迎え入れた。
無理矢理、そして突然抱き寄せられたから、有次は上半身と腰あたりが、不自然にベットにのっかる姿勢になった。
翔の心音がしっかりと聞こえる。
とても安心する。
有次もその胸に身をまかせた。
「あれがお前なのか?カイと呼ばれた、鴇矢有という男が、お前なのか?」
鼻声を必死に抑えて、翔は聞く。
「ああ。」
そう答えた途端、翔はより一層有次を抱きしめた。
「辛かったな。」
「!」
友の多くを見てきた少年は、たった一言、そう言った。
有次は額を胸に押し付けた。
「ああ。」
さっきよりもくぐもった声だった。
「翔、お願いがあるんだ。」
翔は腕を緩め、有次は顔を離す。
お互い泣いていた。
「なんだ。」
「俺、一人じゃどうしようもできないんだ。俺一人じゃ、勝てないんだ。八方塞がりなんだ。どうか、力を、貸してくれないか?」
翔は泣きながら答えた。
「こんなことで泣くんじゃねえよ、バカヤロー。友達を助けるなんて、当たり前だ。」
そして、笑った。
有次はそれを見て、一瞬、悲しそうにうつむいて泣いた。
「すまな、………」
言葉を止めて、首を横に振った。自分の感情を振り払うように。
「ありがとう。」
泣きながら、だけどしっかりと翔の目を見て、笑った。
夕日が窓から差し込んできた。
完全に落ちるその時まで、二人を照らし続けた。
少年は、嬉しかった。記憶を知れて、本当の意味で友と呼べることを。彼の助けになれることを。喜んだ。
青年は、自分の戦いに巻き込んでしまって申し訳ないと後悔をしている一方、どんな形であれ、友が生きていることが嬉しかたった。
二人の戦いは、始まった。
2
落ち着いた二人は、保健室を後にした。
そして、有次の家へと向かった。
翔が見たのは、あくまで過去の有次の記憶。過去しか共有できていないのだ。
だから、今の二人には、話し合う必要があった。
現在、そして未来について。
すっかり日も落ちてしまって、街の外灯が灯り始めた。
家が見えてくると、丁度玄関外の照明が付いた。
ここが、彼の帰る家だ。
今の家族だ。
ズボンのポケットから鍵を取り出す。
そんな当たり前のことも、随分久しぶりな気がした。
ドアノブを捻る。
「ただいま、…………幸一。」
リビングから出てきた幸一は、一瞬驚いた顔をして、すぐに嬉しそうにこう言った。
「うん。おかえり、兄さん。」
(なんか聞きたいことがあり過ぎて、どこから聞けばいいのか。)
一気に知識を詰め込まれた影響で、翔は未だ困惑中であった。
夕食を済ませた後、改めて三人とも席についた。
「今まで、本当に迷惑をかけた。幸一、翔、すまなかった。」
誰も彼を責めはしない。そのことは一番彼が知っているが、あえて口にすることで自分の中で区切りを見つけたかったのだ。
「それで兄さん、話って。」
「ああ。……そうだな。一から全てを話そう。」
有次は語り始めた。
ゆっくりと、時間をかけて。離れていた時間を埋めるように。
ここではないもう一つの世界。今はなき世界。
世界を救い、人類を救い、そして自分を救おうとした、鴇矢有という男の人生の道のりを。
翔は、有次の記憶を映像として一度見ている。しかし、長い映画を一回見ただけだと、全てを理解するには心もとない。それに、映画を見た時の感想と、映画監督が発した映画の内容を聞いた時の感想では、微妙な受け取り方の違いが出る。
合いの手を入れながら、幸一と翔は話を聞いた。
有次は、客観的な事実よりも、自分が何を考えていたのかをより詳しく話した。
話すと楽になるというが、今まで隠してきたことを打ち明ける有次の表情は、どこか晴れやかだった。
(肩の荷が下りた……のかな。)
「おい、聞いてるか?」
有次の顔を見ながらぼーっとしてしまっていた。
「大丈夫だ。話を続けてくれ。」
幸一は何回も聞いた。
有次は何回も話した。
翔は何回も確認した。
有次は何回も説明した。
「それでいきなり学校を飛び出したのか。」
「あいつを野放しにはできなかったんだ。それからは、協力者みたいな人物のもとで暮らしてた。」
「兄さん、もしかしてそれって、月影って人?」
「知ってるのか?」
翔は話した。
公園で有次を見つけた後、家に連れ帰ったこと、後日月影と名乗る人物が現れたこと。
「その人は、自分のことは有次に聞けって言ってたけど。」
「……なるほどな。」
少し笑った有次は、その事情を察した。
「月影、あいつはな、いわば政府のエージェントだ。」
「政府!? 」
多くのことに合点がいった。
あの日、久遠家を特定したこと、自分の名前を既に知っていたこと。きっとその地位を利用して調べたのだろう。
政府、と聞いて、実は二人ともいまいちその実態を把握していなかった。
今や、政府より世界平和同盟の方が強い権限を持っている。そのため、政治家自体存在が問われているのが現状だ。それでも、何となく、世界平和同盟と同じような存在だと考えた。
「そんなお偉いさんが、どうして有次について知ってるんだ?」
「それは、俺が言ったからだ。」
「有次から?」
その意図はわからない。
「ちょっと待て。一体何人がこのことを知ってるんだ?」
「そういえば言ってなかったな。」
政府となると、月影だけではなくそれ以外にも知っている人がいてもおかしくない。
翔が見た有次の記憶は、有次がfakerとなったあたりで終わっていた。そのため、三年生になってからの記憶は共有されていない。知らないということは、ここ最近の話ということだ。
「あれは確か、翔がこっちに帰ってくる前のことだ。今の首相に会いに行ったんだ。」
「「首相!?」」
首相。内閣総理大臣。
世界平和同盟が台頭して百年。国の政治体形は、もはや同盟が主体となっている。そもそも同盟の活動は政治ではないため、政治という言葉自体が薄れているが、首相という政治のシンボルは周知されている。
「cipherとの戦いに備えて、俺には協力者が必要だと思った。どんなに仲間を集めたところで、cipherを倒せるのはfakerだけだ。能力によっては、核を撃ち込まれて平気な場合もある。それよりも、戦いの余波による甚大な被害の方が問題だ。もし街中で戦闘が始まれば、避難誘導をする余裕なんてないからな。だから、一緒に戦ってくれる仲間というよりは、後方を任せられる協力者が必要だったんだ。ある程度の権限を持ち、情報収集や情報統制ができるのは政府しかいなかった。それで首相と会って、協力を得ることに成功して、連絡要員として来たのが月影だ。」
「いやいや、さらっと言うなあ。普通会えないだろ。」
「さすがにな。裏からちょいと入ったんだよ。後は頑張って誠意を見せつけたんだ。」
「でも兄さん、いきなりこんな話をして首相は信じたの?」
「うーん、どうだろな。」
意外にも、そこははっきりしていなかった。重要なことだと翔は思うが、有次の論点はずれていた。
「もしかしたら、というか、多分完全には信じてないんじゃないか? 俺のことを見張っておいて、戦いの一つでも派手にやった後なら、俺の話を信じられるだろうさ。」
彼にとって重要なのは、協力してくれるという事実のみ。裏の思惑などに興味はなかった。
有次のセリフで、翔と幸一は同じことを思い出した。
派手な戦いといえば、つい数日前の出来事が記憶に新しい。
朝陽第四自然公園。
「なあ有次。俺が見た記憶は、一年前の夏で止まってる。だから教えて欲しい。あの時あの夜、朝陽第四自然公園で何があったんだ?」
二人とも言葉の上では、fakerとcipherが戦うということは理解した。だが、どのような戦いなのかはまだ知らない。
有次の表情は曇った。
今日は全てを話すつもりだ。隠すつもりはない。しかし、公園での出来事の結果があの大怪我だ。悲惨な内容を饒舌には話せなかった。
「その前に、どうしてあいつと戦ったのか、その経緯から話さないといけない。先週の月曜、四月十三日。初めて草薙・ラーンウォルフ・新夜と出会った日から、俺はずっとあいつを見張っていた。学校内はもちろん、登下校から家にいる時間まで、ずっと。だけど、見張ってたのは、俺に戦う勇気がなかったからなんだ。初めての邂逅で力の差を実感し、戦いは避けるけど野放しにはできない。そういった前にも後ろにも進まない状態だった。もしその時暴れ始めても、俺には止められないとわかっていた。わかっていたのに、それでも見張り続けた。不思議とあいつは、一切不審な行動を起こさなかった。cipherとは、人類を滅ぼすことを目的としているはずだ。唯一の障害であるfakerがまだ弱いとなれば、すぐに実行に移すのが普通の考えだ。俺には全くあいつの思考が理解できなかった。もしかしたら、別の目的があるのかもしれない。そう思い始めた時だった。あいつは翔と接触した。翔から話しかけたことは知っていた。だが、これであいつには選択肢が生まれたんだ。俺の友人を使うなり殺すなりする選択肢が。状況が傾いたと、危機感が強く芽生えた。クラスでの何気ない日常風景の中、一瞬で翔や一、波澄を殺せるんだ。今まで以上に怖くなった。このままだと、いつまで経ってもあいつが主導権を握ったままだ。耐えきれなくなった俺は、あいつと戦うことを決めた。日曜の十九日、二十四時、朝陽第四自然公園。それが戦いの日取りだ。」
「そして戦いは行われた、か。」
有次の苦悩も知らずに日常にいたことが、翔や幸一にとっては悔しかった。特に翔は、毎日顔を見ていたのに何もできなかった。それに今の話では、翔が新夜に話しかけたことがトリガーとなっている。いずれ戦う運命にあったとしても、別の展開を迎えていれば結果は違かったのかもしれない。そう思うと、やるせない気持ちで一杯になる。
有次が新夜と戦った理由はわかったが、肝心な内容が欠けている。
彼らの戦いは、どういうものなのか。
木々は根っこから引きちぎれて吹き飛び、地面には大穴が空ける。地形を変えるようなあの戦いは、現代の重火器を用いても困難だろう。
幸一に至っては、現場を見てもいないため全くイメージができず、現場の惨状を見た翔ですらイメージがつかない。
そのことは有次も理解しており、加えて説明を続けた。
「この世界には、目に見えないエネルギーが循環している。生物に欠かせないこれをヴァイスと呼び、fakerとcipherは、生まれながらに常人とは比にならない量のヴァイスを有している。fakerもしくはcipherに覚醒すると、俺たちはヴァイスを視認し、扱えるようになる。人間にヴァイスが見えないのは、ヴァイスがより高次の概念だからだ。だから、普通目に見える形でヴァイスがこちらに干渉することはない。が、俺たちがヴァイスを操り一か所に凝縮させると、この次元に干渉できるようになるんだ。人間の目には見えないままだけど。」
そう言って有次はキョロキョロと首を回し、やがて、テーブルの端に置いてあった小型のテレビリモコンに目を付けた。
腰を浮かして腕を伸ばし、手に取った。
有次はそれを、机に置く感覚で、空中の何もないところにのせる動作を見せた。
リモコンは、空中で静止した。
「!!」
「……?」
幸一は、目の前の光景に驚いた。マジックショーでも見ているように、リモコンが宙に浮いているのだから。
翔は、幸一の隣で別の反応を示した。リモコンをじっと凝視している。
翔の反応も、驚きの一種と捉えることもできる。実際、有次はそう受け取った。
しかし、すぐに訂正した。
違う。翔は、目の前の現象を疑っているように見えた。
「……なあ、なんか、金色のものが見えるんだけど。リモコンの下に。」
「!?」
有次は、驚いた様子を隠しきれていなかった。
突然リモコンが机に落ちた。
次に、右手で何かを掴むような仕草をして、腕を翔の方へ向けると、
「うわっ!」
翔が、椅子に座ったまま勢いよく上半身をのけぞらせた。幸一には、何かをかわしたように見えた。
「……見えて……いるのか……?」
「見えてって、金色のこれのことか?」
「そうだ。これがヴァイスだ。」
「……え? ちょっと待て。ヴァイスは目に見えないんじゃ。」
有次は、翔に向けていた腕を下ろし、全く状況が飲み込めない幸一にもわかるよう説明した。
「俺は今、空中にヴァイスを凝縮させ、その上にリモコンを置いた。ヴァイスを消したから、リモコンは落ちた。そして次に、ヴァイスで創った棒を翔に振りかざした。それを、翔はかわした。」
机に肘をつき、両手を顔の前で組んで有次は考え込んだ。そのため、箇条書きのような説明になった。
「(そうなるか………)。」
有次が口元を手で隠しながら、ボソッと呟いた。翔や幸一には聞こえなかった。
「……いや、やめよう。翔がヴァイスを視認できる理由については後でだ。話を戻そう。今見せたみたいに、俺たちはヴァイスを扱うことが出来る訳だが、これが俺たちと人間の絶対的な違いと言える。ヴァイスによって、俺たちは遥かに強靭な身体能力や治癒能力を備えた。」
新夜の話では、一線を画すフィジカルも、圧倒的なスピードの治癒能力も、fakerやcipherに成った後生まれた機能であり、これにヴァイスの保有量は、関係しているが直結はしていない。恐らく、ヴァイス操作が可能になったことで、無意識の内にその機能へ充てているのだろう。
正確な説明をしてもよかったが、二人の理解を優先して、わかりやすい表現にまとめたのだ。
治癒能力といえば、二人の頭には有次の高速再生が浮かんだ。全治数か月の大怪我が一日二日で完治したのだ。常識離れの正体はヴァイスだった。
「家より高く飛び、コンクリートを板のように壊し、たちまちに傷を癒す。これらはヴァイスによる恩恵と言えるが、俺たちは他にも特殊能力を持っている。神眼とギフトだ。」
神眼。神の眼。
(確か、そっくりな奴との会話で出てきた言葉だ。)
単語だけは、見た記憶の中に出てきたが、神眼の詳細は知らない。
「さっきも言ったが、神とはここより上位の存在だ。人間が想像もできない能力や権能を有している。その一端を眼に宿したのが神眼、つまり神の眼だ。fakerやcipherに覚醒すると、右眼が神眼に変化し、固有の特殊能力が一つ発現する。」
これもヴァイスの説明時と同様に、二人はまだ理解が追いついていない様子だ。
「兄さんはどんな能力なの?」
「俺の能力は、これだ。」
右眼を一度閉じ、ゆっくりと開いた。
有次の右の瞳は、青い光彩を放った。
次の瞬間、三人の中央の空間に、霞がかったモヤのような灰色の空間が出現した。
「『拒絶』。」
二人は身を乗り出して、それを観察し始めた。一辺十五センチの正方形の形をしたモヤは、空間で固定化されている。覗き込むと、奥は見えず、灰色の空間だけが見える。モヤをじっと見ていると、動いているようにも見えるし、形は変化してないけど揺らいでいるようにも見える。だけど、もう一度見ると止まっているように見える。吸い込まれるような不思議な空間だった。
「万物を通さない絶対の『壁』。それが、俺の神眼の能力だ。」
「壁?」
ゲームに例えるならば、シールドや盾のようなものだろうと、幸一は認識した。詳しい理屈まではわからないが。
翔も同じような認識だったが、壁、と表現したことに何か意図を感じた。
「実は、俺の能力はこのモヤのような空間を創り出すものじゃないんだ。俺の能力は、空間を抜き取る能力だ。」
ますます頭上にはてなマークを掲げた幸一と、眉間にしわを寄せて天井を仰ぐ翔。
「二人ともこう考えてみよう。生物は体を自由に動かす。空気を吸う。光を目に通す。音を聞く。どれも当たり前のことだが、もし、目の前の空間がなくなったら、この手は前に進めると思うか?」
自身の右手を、前に突き出した。当然のようにそこに空間は存在し、障害物もないから手は前に進んだ。
もし、空間がなければどうだろうか。
空間がない、というのは想像しづらい現象だが、
「空間がなければ、それ以上先には進めない?」
「そう、空間がなければ、光や音、空気や物質はそこを通れない。これが絶対防御の正体だ。空間を抜き取ると、その空間はモヤのようになり、光を遮断し、音を弾き、物質を拒む。」
右眼を閉じると、モヤの空間が消え、瞳の色も元に戻っていた。
「ちょ、ちょっと。有次、今目の色が何か、」
そういえば説明してなかった、と思った有次は、もう一度能力を使用させた。
「青……どうなってんだそれ?」
幸一は、青の輝きに見惚れていた。
「神眼を発動させると、こんな感じに眼が輝くんだ。この色は、強さによって変化するから、今後別の色になる可能性はあるってことだ。」
実際は、眼の色は樹の階位を表している。樹の階位は進化の度合いを示し、強さに直結する。
樹の説明をするとややこしくなるため、簡潔にそう言い表した。
「神眼は強力な武器だ。俺たちの戦闘の最も重要な要素が、神眼だ。どう使い、どう活用するかが勝敗を大きくわける。この神眼をサポートするために、神眼にはギフトとして別の能力が一つ付随するが、神眼ほどの特殊能力ではない。」
「それで、あいつの、新夜の能力はわかったのか?」
「……『支配』。対象の全てを支配するの能力。同時対象人数、規模、範囲、詳細は一切不明だ。」
二人は、戦慄した。
強い能力といえば、真っ先に大火力な能力を想像する。つまり、直接的な殺傷能力が高いほど『強い』、と感じるが、新夜の能力は部類が異なる。
人を操る。精神を支配する。
間接的な攻撃、例えば人質をとったり、誑かして仲間割れを起こしたりなどは、闘争において最も忌み嫌われる行為だ。新夜の能力の詳細は不明だが、精神支配を容易く行えるのは脅威でしかない。
「その能力は兄さんにも効くの?」
もし新夜の神眼が有次にも効くのなら、それは勝負にすらならない。
「いや、俺には効かない。けど、それ以前に、あいつには手も足も出なかった。まさしく完敗だ。」
「でも、お前の能力があれば、負けることはないんじゃないのか?」
勝てなくても最強の守りがあれば、あそこまで無残なやられ方はしないだろうと、翔は考えた。
一つ、有次の説明に語弊があった。
「俺の能力は、常識の範囲内では絶対無敵だ。だけど、俺たちの戦いっていうのは、常識から外れたケモノの殺し合いだ。」
そう、彼らは人間ではない。
ある人には人を超えた存在に、ある人には退化したケモノの姿に、ある人には暴力の塊に見えるだろう。
どちらにせよ、近しい者以外にとって、彼らはもう人間として映らない。
だから、人間に彼らの戦いを理解するのは困難だ。
「問題は、俺が生きてるってことだ。」
「…………兄さん……。」
二人は明らかに気持ちが沈んだ。二人にとって、有次が生きていることは、この上なく嬉しいことなのに、それを否定するような言葉を本人が吐いたのだから。
「違うんだ。そういうことじゃなくて、あいつの目的を考えるとおかしいって意味なんだ。」
「目的?」
「地上を浄化し、新世界の創造を果たす。そのために、cipherは人類を滅ぼす。その最大の障害がfakerだ。人類への攻撃の前に俺との決着をつける、その筋書きなら納得できるが、俺との実力差が歴然でありながら、俺を殺すことも人類への攻撃行為もしない。…………俺には、あいつが何をやりたいのかが全くわからない。それが怖いんだ。」
「でも有次、生きてるならチャンスはいくらでもある。新夜がどんなことを企んでいても、その企みごと潰しちまえばいいだけのことだろ?」
肯定も否定もしなかった。
「………………俺は、二人に俺のことを知ってもらいたくて、今日全てを話した。でもそれは、戦いに巻き込みたくて言ったことじゃない。むしろ、戦いから遠ざかってほしかったのに、…………話はそう上手く進んでくれない。」
「どうして?」
「お前だよ。」
「俺!?」
翔は自分を指差して驚いた。ここまでのことがあったというのに、自覚がないというのが実に彼らしいと言えるが。
有次は呆れたように、
「さっきヴァイスが見えてただろ?」
「あ、ああ。でもなんで。」
「……多分、多分だ。屋上で翔を助けた時に、何か変化があったのかもしれない。」
翔は、自分の胸に触れる。数時間前、訳も分からないまま背中から刺された場所だ。
どくどくと穴から何かが溢れ出す感覚だけは残っていた。
自分は、あの時死んでいたはずだ。直感的に本能が死を悟ったのだ。
しかし、今自分は生きている。
有次が何かをしてくれたのだろう。
計らい通りなのか、それとも奇跡だったのか。
「あの時、俺に何が起こったんだ?」
「………俺は、俺のヴァイスを翔に分け与えたんだ。さっきも言ったように、俺たちの力の源はヴァイスだ。確証はなかったが、万にも一つ、翔が助かる可能性があるのなら、試す価値はあると思ったんだ。でも同時に、それは危険な可能性も孕んでいた。」
翔が刺されてからの短い時間で、有次はあらゆる可能性を導き出していた。
自身の行動に対する責任は、果たさなければならない。
「俺が問題にしているのは、どのようにして翔の傷が治ったのかだ。」
「それは、有次がヴァイスを俺にくれたからじゃないのか?」
「そうだけど、ヴァイスによって傷が治ったのか、それともヴァイスによって体が変化し、その結果傷が治ったのか。ここには大きな違いがある。」
faker、cipherと呼ばれるものたちは、人間よりも膨大なヴァイスをもっている。それによって、常識外れの身体能力や治癒能力を得た。
そう有次は説明した。
そのことから、有次が与えたヴァイスが、傷を癒すためではなく翔の体を変質させるために使われ、翔の体の治癒能力が向上し、傷が塞がった。そういった可能性も考えられるのだ。
ここでやっと理解した。自分を助けた話とヴァイスが見える話が、どう繋がっているのかを。
「もしかして、俺の体が変化したから、ヴァイスが見えるようになったってことか?」
「おそらく。……そして、それを裏付ける証拠が一つある。与えたヴァイスが、俺のもとに還ってこないんだ。」
「つまり?」
「つまり、与えたヴァイスが翔の体に残ってる可能性が高い。」
「……つまり?」
「……お前は、俺と同じように、通常の人間がもちえない量のヴァイスを有した存在になってしまった、ってことだ。」
「…………。」
もう一度、塞がった胸を触る。この穴を満たしてくれたものは、今でもここに残り続けていた。
服越しの感触はいつも通りだ。特に体に変化は感じられない。
とても喜ばしいことだと思った。
結果的にヴァイスが見えるようになったのなら、新夜との、cipherとの戦いに参加できる。
有次を助けることができる。
今はまだ、全てのヴァイスが見える訳じゃない。扱うこともできない。でもいずれ、些細な力でも役に立つことができれば嬉しい。
たとえ、それを有次が望んでいなかったとしても。
「これで篝翔は、草薙・ラーンウォルフ・新夜の敵になってしまった。誰の意思にも関係なく。だから、戦いから遠ざけることが最善とは言えない状況になった。これからはヴァイスの扱いを学んで、自己防衛できる程度には戦えるようになってもらうつもりだ。」
有次が乗り気でないことは、表情が物語っている。
戦う。その言葉は、自分が考えるより有次から口にされたときの方が、より重みを増した。
戦えることは嬉しい。力になれるのは嬉しい。
でも、あの公園での惨状をいとも簡単に作ってしまうような敵と、果たして戦えるのか。
実力だけじゃない。いざ新夜を前にしたとき、自分は刃を向けることが出来るのだろうか。人を殴ったことすらないこの身で。
歓喜と焦燥が入り混じり、はやる気持ちがどんなものなのかがわからない。
今はただ、漠然とした時間の流れに身を任せるしかない。
「ねえ兄さん。」
「なんだ。」
翔の話に口を挟みたくなくて黙っていたが、一段落したのを確認してから有次に質問した。
「僕は……、その、………………さっきの話からすると、兄さんには兄弟がいるってことだよね。」
「ああ。」
これまで有次は、自己の来歴と世界の真理の一端を話してきた。
地球、世界、神、樹、faker、cipher。
これらの話を聞いて、恐らく最も幸一が聞きたかったことが、このことだった。
faker、そしてcipherとなったものたちは、生まれつき常人より多くのヴァイスをもっている。それは星のエラーによる誤分配であり、その発生条件は、双子や三つ子などの多胎児だ。有次がfakerであるということは、有次には血を分けた兄弟がいるのだ。兄弟が既に死んでしまった可能性も十分にある。その兄弟のことが忘れられず幸一を養子として引き取った、という筋書きも考えられる。しかし、久遠勝武が我が子のように自分を扱ってくれること、決して自分の出自について教えてくれないこと。その理由とこの話を考慮すれば、一つの帰着点が見えてくる。
「その兄弟は、……今、どこにいるの…………。」
その可能性を、どれだけ夢見たことか。
父親や兄が、自分のことを本当の家族と思っていることは知っている。けれども、幸一は欲しかったのだ。自分が、本当に彼らの家族なのだという、確固たる証拠が。形のある証明が。
有次は、一度大きく息を吸った。
そして、和やかに微笑んだ。
「今、目の前にいる。」
「っ!!」
上手く息ができない。
胸に溢れる感情で、苦しい。
「僕は…………僕は…………兄さんと本当の兄弟だったら…………どんなに良かったのに、って、ずっと思ってて…………だから……だから…………」
有次は立ち上がった。幸一に歩み寄り、膝をついて手を握った。
「ごめん、今まで黙ってて。」
「うっ……うっ…………」
手を握ったまま立ち上がり、幸一に立つよう誘導した。引っ張られるままに席を立った幸一を、有次は抱き寄せた。
「幸一の悩みは、俺も父さんも知っていた。できるだけそんな心配させないように頑張ってたけど、ごめんな。」
「ううん。ありがとう。…………ありがとう…………」
幸一も腕を有次の後ろに回し、服をギュッと握りしめた。
見ているこっちが微笑ましくなるような光景だ。
以前、屋上で有次に言われたことを思い出した。
“お前は俺に、……いや、兄弟というものに対して、美しい目で見過ぎだ。”
(いいんだ、これで。俺は、二人のこういう姿に憧れたんだ。)
どんなに嘘をついても、どんなに拒絶しても、篝翔は知っている。
本物の兄弟愛を。
何があっても揺るぎない、二人の愛を。
「兄さん、お父さんは兄さんのこと知ってるの?」
「そうだな、そのことも話さないと。重要なことだからな。」
幸一は体を離し、涙をぬぐった。
「これは父さんから聞いた話だ。母さんが身ごもったのは、今の時代では許されない双子だった。子供が双子だと判明した時、どうするかわかるか?」
「うん。子供が生まれてこないようにするんでしょ?」
「そうだ。その時、一人だけは産むのか、全員を諦めるのか、選択を迫られる。父さんと母さんは、一人だけは産むことを選んだ。そうして誕生したのが、俺だ。」
「じゃあ、どうやって幸一が生まれたんだ?」
翔も幸一も、てっきり双子の片割れが幸一とばかり思っていたが、薬で片方しか生まれてこなかったのなら、幸一はその後できた子供ということだ。
(いや待てよ。有次と幸一は年齢が違うから、双子の線はないのか?)
であれば、もう一度二人の母親が妊娠したことになるが、そんなこと望むだろうか。
およそ二十年前であっても、世界平和同盟が台頭してから八十年近く経っている。同盟の一人っ子政策は、当時であっても当然のように普及し、受け入れられている。その環境下で、もう一人子供が欲しいと願い、それを実行するだろうか。それで妊娠したとしても、子供は生まれてくるはずがないのに。
「俺が生まれてから数年後、母さんが再び妊娠したんだ。これは二人に覚えのないもので、病院で検査してもらったところ、その子供が数年前生んだ子供の双子だと判明したんだ。」
「そんなことって、自然的にあり得るのか?」
「いいや、あの薬に例外事例は確認されていない。ただ現実問題、数年前に断念した子供が生きていたんだ、母体の中で。これを受けて、父さんと母さんは、あらぬことを考えてしまった。…………単なる二人目の子供じゃない。それだったら諦めることを受け入れられた。……二度目は耐えられなかったんだ。」
三人とも、想像しか出来ない。
我が子を二度も諦めろと言われる苦悩を。
世界平和同盟は、争いや差別をなくすために平等を掲げている。
今の世界では、平等を乱す行為が悪とされる。
子供は一人までしか産むことができない。それが統一されたルールであり、二人を産むことは厳粛に裁かれる対象だ。
「問題だったのは、二人には手段があったってことだ。当時父さんの企業は、医療関係機器を世界規模で取り扱っていた。今電脳業界で躍進してるのも、その時のノウハウを活かしてこそのものらしい。ところで、現在、世界平和同盟は全世界に浸透してると思うか?」
二人とも悩みもせず首を縦に振った。
「今でも、二十を超える国と地域で同盟は浸透していない。」
まず、その事実を二人は知らなかったし、理由に見当はつかない。
ここでは、同盟の定めた決まりごとが新たな秩序体制となっている。満足しているのだから疑う者はいないし、世界がこれを平等に享受している。きっと誰もがそう思ってるだろう。
「過去の第二次世界大戦。それから百年後、日本では水準の高い生活が送れた。子供は学校に通い、道は舗装され、蛇口をひねればきれいな水が溢れ出る。だけどな、世界にはそんな当たり前がない地域がごまんといた。子供は教育を受け将来を夢見るものではなく、労働力の一人として数えられる。生まれてから濁った水しか飲んだことがない。砂混じりの食事が当たり前。今の同盟も同じだ。百年経っても全世界には適応できなかった。土地の気候、地理、資源、宗教、人種、そういった事情が複雑に絡み合い、受け入れがなかなか進まない地域はたくさんある。考えてみろ。紛争やテロ、政治クーデターが頻発する場所に行って、すんなり同盟が受け入れられる訳がない。九割も浸透しているなんてデータを見れば、全員がこれを享受していると勘違いする。九割も浸透してるんじゃない。まだ一割は残ってるんだ。その事実を正確に認識するのは、今の社会では難しい。父さんは、そういった整備が整っていない地域を支援するようなプロジェクトに携わっていたことがあるんだ。アジアのその貧しい国では、当時同盟が満足に機能していなかった。プロジェクトの一環として建設された大病院に、父さんの知り合いが幾人かいて、その内の一人が産婦人科の医師だった。ここまで条件が揃っていれば、あとはやるかやらないかの問題さ。その医師に話を通し、母さんとともに海外へ。秘密裏に出産し、その地域で拾った子供だと主張したんだ。案外、すんなり認められて、その子は養子という形で久遠家の子供となった。」
ここでは語らなかったが、それ以外にも数々の好条件が揃っていた。
まず、普通の人はその国に立ち入ろうとしないが、勝武は過去にプロジェクトに携わった経験がある。それまで数々の慈善活動に参加してきたため、貧しい海外の国で訳アリの子供を拾ってきたとしても、辻褄は合う。企業の社長であるため、お金にも困らない。また、勝武は海外出張に妻を連れていくことがあったため、海外旅行も不思議じゃない。
産婦人科の医師が承諾してくれたのも運が良かった。それ以外にも、病院内で何人かが協力してくれたそうだ。勝武の活動の賜物と言うべきか。
彼ら夫婦は、二人目を産む手段を持っていた。
しかし、幸一が生まれた幸福も束の間、幸せは突然崩れた。
「幸一を産んでから、母さんは一気に容態を崩した。出産時は特に異常はなかったが、日本に帰ってきてからのことだった。そこから数年後、母さんはそのまま回復することなく、息を引き取った。」
有次と幸一に、はっきりとした母親の記憶はない。遊ぶことはおろか、毎日会うことも出来なかったのだ。今では、リビングに飾ってある病室での一枚が、唯一母親を収めた写真だった。
「幸一がこのことを知れば、きっとお前は自分の生に疑問や責任を感じてしまう、そう思って話してこなかったけど、本当にすまなかった。」
「ううん。いいんだ。でも、じゃあ父さんは兄さんのことも知ってるってこと?」
普通なら、有次も幸一が双子の兄弟だと知らないはずだ。幸一に話さなかった理由が、有次にも当てはまるからだ。
有次が自分が双子の兄弟と知った発端は、fakerに覚醒した時に得た知識だ。fakerになるということは、自分は双子であり、隣には世にも珍しい養子の子が一人。疑うには十分だ。
勝武の話を知っていることから、有次と勝武は兄弟の真実について話し合ったことがあると想像できる。であれば、有次の正体についても勝武に開示している可能性が高いはずだ。
だから幸一は、父の勝武が兄の正体について知っていると考えたのだ。
「父さんは知らないよ。」
3
「実際に触れてみるのが一番だ。」
そう言って、有次はヴァイスで、翔の手元に小さなナイフを創り出す。
二人は、有次の家の裏にある、ちょっとした雑木林の密集地に来ている。家がそもそも朝陽の端に位置していることと、住宅街から少し離れた所に位置することから、目に付きにくく、朝陽の円周近くは多くの自然に溢れている。
昼間だろうと、そう人目が気になる場所ではない。
つまり、人に見られたくない彼らの訓練場にはうってつけなのだ。
翔は、ついさっきの会話を思い出す。
「大気中に存在するヴァイスに俺たちは干渉できないから、自分の保有するものを取り出して使ってる。そのせいか、自分から遠く離れた場所に、ヴァイスで何かを創り出すことはできない。」
「逆を言えば、近い範囲なら創り出すことができる、ってことか。」
「付け加えて、固定化もできる。ヴァイスの扱いに長ければ、その範囲も持続時間も変化するぞ。」
不思議な感触だった。
持っている感覚が極端になかった。
「試しにあの枝を切ってみ。」
言われた通りに、近くに伸びていた細い枝を切る。
ほんの軽い気持ちで横に振っただけだった。
普通のナイフなら枝を撫でただろう。
スパッと、綺麗に枝が切れて地面に落ちた。
(すごいな………。)
それから、しばらく空を切ってみたり、強く握ってみたりと、ヴァイスの存在に触れた。
「重要なのは、イメージだ。創り出したい形を想像し、次にどこに出すかを想像する。その想像を強く固定し、そこにヴァイスを流し込むような感じだな。」
「イメージ………。でも、俺にヴァイスが扱えるのか…………。」
右手に持っていたナイフを左手に持ち替え、それを見ながら右手の上に、全く同じナイフを想像する。
しかし、まだ翔はヴァイスが見えるだけで、知覚するには至っていない。
「目を閉じて。…………深く息を吸って、………吐いて。」
言われた通りに、目を閉じて集中する。それから、深呼吸でさらに神経を研ぎ澄ます。
「今、体のあらゆる所にヴァイスは存在している。想像しろ。頭、首、胴体、指先、腰、足、つま先。体の中に、確実に存在するそれを、想像し、感じろ。」
呼吸が、無意識の内に遅くなる。
頭のてっぺんから指の先まで、一つずつ、ゆっくりと、確認作業みたいにイメージを固める。
これが、感じる、ということなのかはわからない。
「次に、全てを胸の一点に集めろ。ぎゅっと凝縮するように。」
それでも、体中に存在するそれを、胸の中央に集める。
集まる。集まる。集まれ。もっと。
次第に、翔の胸がほのかに輝き始める。本人は気付いていない。
「胸が始点、右手が終点。この二点を結ぶ道をイメージし、固定。胸からゆっくりと右手へ、集めたヴァイスを流す。」
この時翔は、高所から低所に物を落とすようなイメージを持った。物が上から下へ自然に落ちるように、胸の一点から右手の一点へ、落とす。
「右手に集まったヴァイスは、まだ形を得ていない。鋳造をイメージしろ。液状の鉄を鋳型に流し込む。翔が自由に形を決めろ。全体像を構想、外骨格をイメージし、そこへヴァイスを流し込め。」
先ほど見た、有次の創ったヴァイスのナイフと同じ形を想像する。中身のない、骨格だけのナイフ。それでいい。
右手に集めたヴァイスを、今度はナイフの中へ落とす。型をヴァイスが満たしていくのを想像する。
想像のままに、満たしていく。
作るのではなく、創る。
一本一本の糸を編んで、作品を紡ぎ出す。
ゆっくりと、目を開ける。
右手には、左手と全く同じ形状のナイフが置かれていた。
「有次!できたぞ!」
子供みたいにはしゃぐ翔に、腕を振るジェスチャーをする。
頷くと、周りをキョロキョロと眺め、手頃な木の枝を見つけると、揚々と切りにかかった。
しかし。
「あれ?」
切った、よりは、折った、に近かった。
力を入れずとも綺麗に切れた時とは異なり、自分のかけた力の重みで枝が折れたのだった。
「それは俺のと違って、まだまだ中身が詰まってないんだ。形だけは同じに見えるけど、密度が違う。」
(なるほど。)
ヴァイスの質に変わりはない。有次が扱うヴァイスも、新夜が扱うヴァイスも同じものだ。だから双方が武器を創った時、その性能は、ヴァイスの密度による。
翔は自分なりに考え、もう一度ナイフを創り始めた。
有次は、必要以上に口を挟まなかった。ヒントだけを与えて放置した。その方が、早いと考えたからだ。
翔の飲み込みは、想像以上に速い。たった十数分で扱いを覚えるなど、有次の比にならない才能だ。
(さて、どうしたものか。)
翔だけが強くなっても意味がない。
自分も、今まで以上に強くなる必要がある。むしろ自分が主戦力なのだ。翔がどんなに強くなろうとも、有次の二割程度のヴァイスしか持っていないのだから。
今までは、その方法を勘違いしていた。
翔の一件で、有次は自分の過去について思い返した。
(全ては過去に手がかりがある。)
そこで、気付いた。自分の大きな勘違いを。
(よく思い出せば、ちゃんと言ってな。)
その意味を理解出来たのが遅かっただけの話。
もう、上ってなどいない。
その逆。
下っているのだ。
“『樹は反転させた。』”
神は、有次にそう言った。
樹とは、生命の樹。セフィロトの樹。
それと対をなす樹。正しく言葉通り、セフィロトを反転させた樹。
その名は、クリフォトの樹。
そもそも、fakerとは、神を拒んだもの。そしてセフィロトとは、神への昇華の過程。堕ちた彼らが、この樹を上る必要性はないのだ。しかし、樹を上り、高次に近づくことで強くなることは事実。では、fakerは強くなれないのか? そんなことはない。だからこそ、神はfaker達の樹を反転させたのだ。
(あいつ、真理とか言っておきながら、あれが全てじゃないな。何か隠してやがる。)
隠すということは、即ち見られたくないもの。単に価値がないから見せなかったのかもしれないけど、そんな勝手な選別を神が行うとは思えない。
次に考えることは、どうやって下るのか、だ。
セフィロトとクリフォトが照応しているなら、これも同様に、逆を考えるのだ。
何事にも対極が存在する。片方が分からないなら、もう片方の逆を考えればいいのだ。あっちがAなら、こっちはnot A。あっちがBなら、こっちはnot B。積み重ねて集めたnotの情報を統合し、形を浮き彫りにする。そうすれば、答えを導き出せる。
………
「―――。」
思考にノイズが入る。
「――じ!」
目を開ける。
一体どれくらいの時間経ったのだろうか。
真っ先に翔の顔が飛び込んでくる。
「有次!」
「?」
名前を呼びながら、肩を揺さぶっていた。
「有次、起こしてすまない。」
「寝てないから大丈夫。どうした?」
有次は地面にあぐらをかき、木に軽くもたれかかった状態で目を閉じ、意識を沈めて深い思考状態にいた。はたから見れば、寝ているように見えてもしょうがないというもの。
翔が何かを言おうとした時、視界から別の顔が現れた。
知っている顔だ。
「月影か。」
「久しぶりですね、有次さん。」
*
「みなさん、改めまして、月影です。」
久遠家の庭に、有次、幸一、翔、月影の四人が集まった。
月影の突然の来訪によって、翔の特訓は一時中止となり、家の中にいた幸一も庭に出てきたのだ。
「既に私のことは聞き及んでいるのでしょうか。」
「まあ、ざっとな。」
質問というよりは、確認だった。
ここを訪れた時の翔の反応で、自分について有次が話したと察していたのだ。
「私は、内閣総理大臣柏田浩之様の付き人のような立場の人間です。以前の非礼をお詫びします、篝翔君、久遠幸一君。どうしても、有次さんの安否を確認する必要があったのです。」
「あ、その、こちらこそ、申し訳ございませんでした。」
翔はそう言ってぺこりと頭を下げた。幸一も一緒に頭を下げる。
「よしてください、お二人とも。」
「俺たち、有次の事情については聞きました。今は、月影さんの行動も理解しています。」
「そうでしたか。ありがとうございます、翔君。」
三人のわだかまりが解消したようで良かったと思う一方、有次は少し興味を持った。
「月影、お前何をしたんだ?」
「はは、勘弁してください、有次さん。」
「また揺さぶったのか。その癖やめろって言ったろ?」
「すみません。」
はぁ、とため息をこぼした有次は、気を取り直して本題に移る。
「月影、昨日も話したが、この二人には昨日、全てを話した。」
「承知しております。」
「それでだ、ここではっきりと立場を明確にさせる必要がある、と思うんだ。」
「と、言いますと。」
「昨日話してないんだけど、翔は今、ヴァイスが見えて、扱うことが出来る。」
表情は変わらないが、有次には月影が驚いているのがわかる。
そのまま固まっていたが、
「………………それはつまり――」
「違う。」
言いかけた言葉を、発せられる前に有次が否定した。
月影は、まるで何かを確かめているかのように、有次の瞳をじっと見つめた。
しばらくして、満足したのか視線を外して微笑んだ。
月影はこう言いたかったのだ。
これで、彼は戦力の一員になるのですか、と。
それを否定した。
正確には、戦力となることは否定していない、という眼差しだった。あくまで、それが本意ではないという固い決意を感じた。
月影がそう言ったのは、意地悪に近い。あえてそう言うことで、有次の本心を見極めようとしたのだ。結果は、言う前からわかっていたけれど。
「すまないが、翔には戦いを手伝ってもらう可能性がある。」
「別にいいってことよ。」
翔は、できるだけ有次を元気づけようと、ニッコリ笑顔を見せつけた。
これでさらに決意が固まった。
強くなればいいんだ。
強くなれば、有次の不安も、自分の後悔も、全て解決できる。
「兄さん、……その…………」
「どうした、幸一。」
何か言いたそうにもじもじとする幸一。言いたいことに自信がないのだ。
「昨日の話を聞いて思ったんだけど、翔さんの状態を説明するとき、兄さんは、自分のヴァイスが還ってきてないって言ってたよね。」
「……やっぱり、幸一にはばれちゃうか。」
「え、なに、幸一どういうこと?」
ここまで言えば、有次には幸一が何を言いたいのかがわかった。翔の察しの悪さは、今に始まったことでもない。
「多分だけど、fakerやcipherの基本能力の源はヴァイスで、その一部が翔さんの中で定着して還ってこなかったのなら、今の兄さんのもっているヴァイスの総量が前より少ないんじゃないかなって。」
「おい、それって、ホントか!?」
「…………本当だ。俺の総量のおよそ二割のヴァイスが、今は翔のものになってる。単純な計算なら、俺の力は二割減ってことだ。あ、でも後悔なんてしてないからな。」
そう言って、有次はこっちを安心させるように顔を緩ます。
(くそ、なんだよそれ。)
そうさ。久遠有次という男は、そういう奴だ。
自分の弱い部分は、決して他人には見せない。
拳を強く握りしめる。
(ヴァイスを失う前ですらコテンパンにやられたっていうのに、さらに弱くなって、挙句お荷物抱えて、幸一やみんなを守らなくちゃならない。状況はさらに悪くなってんじゃねえかよ。)
浮かれていた。完全に。
錯覚していた。自分が戦闘に加われば、どんなに弱い力でも、状況が好転すると。
違かった。最大の戦力である有次自身が弱体化していた。純粋な足し算なら、元の値より下回ってしまうだろう。
昨日の自分を殴りたい。
自分が、一緒に戦えるかもってわかった時、その時気付くべきだった。
余計に、強くならなければならない理由ができた。
「俺は必ず、有次より強くなってみせる!」
「いや、それは無理。」
抱負も兼ねた宣言が、瞬殺で有次のツッコミとともに沈んだ。
月影は、変わらずに微笑んだままこちらを見ている。小さい子供を見守るような、温かい目で。こういう場では、逆にこんな反応が一番心にくることを、月影は知らない。
「翔さん、二割のヴァイスじゃさすがに無理なんじゃないですか。」
そっと耳打ちしてくる幸一。こういう無駄に現実的なところは、兄弟そっくりだ。
「べ、別にいいだろ。目標は高くだ。」
「それと、翔は後方支援だけだから。」
「いや、俺も一緒に戦う!」
「ダメだ。」
「強くなればいいだろ?」
「強くなれれば、な。」
「言ったな。男に二言はないからな。」
やる気に満ち溢れた翔は、プイッと踵を返して裏庭へ入っていった。修行に戻るつもりなのだろう。
「いいんですか、有次さん。」
「俺も月影のことは言えんな。」
「迫真、というのも、虚しいだけですから。それで、彼は強くなりますか?」
「ああ。俺たちと対等までは流石にいかないが、後ろを守ってくれるだけで相当助かる。まあ、ここはポジティブに考えるさ。翔が強くなれば、その分生存確率が上がるんだ。お互いにな。」
「私は何を?」
「幸一を頼む。」
「わかりました。」
淡々と話は進んだ。これが二人の日常のやり取りだ。
「兄さん。」
幸一は、有次の前に回り込む。
「兄さん、僕も!」
言葉は最低限に、瞳に強い意志を蓄えて、真っすぐ見つめる。
小さな体を精一杯大きく見せようと、背筋を伸ばす。
「………幸一。」
片手を肩に乗せる。
「兄さん!!」
「幸一、わかってくれ。」
涙を必死に抑えながら、それでも兄を見つめる。
「これ以上力を分ける訳にはいかないんだ。それに、翔と同じように成功する保証もない。」
「…………いつも建て前ばかり。」
「すまない。幸一には、戦ってほしくないんだ。」
「それは、僕が『被害者』だから?」
「弟だからだ。」
「……………。」
そう言われては、それ以上何も言えなかった。
初めから、望み薄だった。
わかっていたんだ、理屈では。これ以上の力の分散が得策ではないことぐらい。個々人的にも、全体的にも。
それでも、と求めてしまう。自分だけ後ろで守られてばかり。戦う覚悟も勇気も足りないかもしれない。
それでも、隣に立つことぐらいは許されるのではないだろうか。
「幸一君、私が言える立場ではないかもしれませんが、待つということも簡単ではありません。そして、恥じることでもありません。命を懸けて戦う者にとって、帰る場所があるだけで救いになるのです。帰る場所を持たない者が戦地に赴けば、そこは戦地ではなく死地となってしまう。心がそこに囚われてしまう。それを、戦いなき現実世界に引き戻すことができるのは、待つ者のみです。」
月影の言葉には、説得力があった。
柔らかな話し方と聞き取りやすい速さ、そして、言っていることが上辺だけの綺麗ごとに思えなかった。
まるで、自分のことを話しているみたいな現実味を感じた。
「…………わかったよ、兄さん。」
「ありがとう、幸一。」
再びポンポンと肩を叩くと、有次は手を離し、
「そろそろ昼食にしよう。」
「では、私はこれで。」
月影は丁寧にお辞儀してこの場を去ろうとしたが、有次が呼び止めた。
「月影。」
ただ名前を呼んだだけじゃない。誘っていると表情から判断できた。
「しかし……。」
「仕事じゃないからか?」
月影は答えなかった。既に有次が答えを言ったから。
「なら、これもお前の『仕事』の範疇だ。四の五の言わずに付き合え。」
有次は月影の『仕事』の内容をしっかりと理解した上で、こう言ったのだ。
(あなたって人は。)
月影は折れた。
「なら、私が腕を振るいましょう。」
「好きに使っていいぞ。」
アイコンタクトを交わすと、月影は庭に面したリビングの大窓から家に入った。
「幸一、手伝いに行ってくれるか? 俺は少し翔を見てくる。」
「うん。」
一旦別れた有次は、裏庭を突き進んで木々の濃い場所まで来た。
「……こいつは驚いたな。」
強くイメージしやすいナイフで練習をしているらしく、何回もナイフを創っていた。
ただ、少し前に見たナイフとは全くの別物だった。
もう一度、手の上にナイフを創り始める。速さが格段に違う。先程有次は、イメージしやすいように全身のヴァイスを一度胸に集めるよう教えた。応用は基礎があってこそのもの。しかし、既に翔は基礎をすっ飛ばす段階に入っていた。ヴァイスの流れを確認すると、全身から集める一点を右手に変えていた。全工程毎に費やす時間が短縮されており、また、費やすヴァイスの量も多くなったため、創られるナイフの輝きは一層増していた。
(中身に天と地ほどの差がある。)
出来上がったナイフを掴み、辺りの枝に向かって振ると、綺麗に切れた。
「どうだ!?」
途中から有次の存在に気付いており、見せつけるように披露していたのだ。
「俺よりか才能あるぞ。」
「まじか。」
「マジだ。」
ほんの数時間でここまでできるなら、この先確実に、有次よりヴァイスの扱いに秀でるだろう。
有次も、どちらかと言えばヴァイスの扱いは得意な方だ。それもそのはずで、前世の頃からヴァイスを近くに感じていたため、親和性はずば抜けていると考えられる。その有次と同等かそれ以上の成長スピード。何より、これまでヴァイスを知覚せず、後天的にヴァイスを授かったという条件でここまでの成長を見せた。
完全に想定外だった。
fakerやcipherにとって、『歩く』レベルの段階まで行ければ上々というのが有次の見立てだった。翔は二割のヴァイスを保有しているが、それしかない。だというのに、ここまでの成長を見せつけた。本人も遊び気分だったため、お互いが驚く状況になった。
「神眼もギフトも持たず、全ての基礎能力において劣っている翔が、唯一対抗できる手段がヴァイスだ。向き不向きもあるし、馴染みがないから不安だったが、杞憂だったな。」
有次の反応を見て新たな可能性を感じた翔は、言い難い高揚感を募らせた。
「次は形を変えて同じことをやるんだ。繰り返せば、イメージした形を瞬時に創り出すことが可能になる。連続して異なる形のものを創れるようになれば、次は体から離れた位置に創ってみろ。」
「わかった!」
上機嫌で練習を再開させた。
月影が家に入ってから三十分。外にいた有次と翔を呼びに来た。
子供みたいに走って家に駆け込んだ翔は、うわぁーと大きな歓声を上げた。
どれどれと覗くと、食卓に沢山の料理が置かれていた。
高級店みたいに綺麗に盛り付けされた数々は、腹ぺこの二人の食欲を一層かきたてた。
翔は待ちきれずに、料理にかぶりついた。
「うおっ!このハンバーグ、中にもチーズが入ってる! このソーセージは肉汁がハンパねぇな! ……んっ! スープの辛めのスパイス、意外といける!」
「食レポでもしてんのか。」
夢中で貪る傍ら、有次と幸一も皿を片手につまみ始める。
「月影、お前も一緒に食え。」
「私は余ったのを頂くので。」
月影は、料理が出来上がったというのに、エプロンを着たままだった。
「まだそんなこと言ってんのか。いいからこっち来いよ。」
渋々エプロンを脱いだ月影を交えて、あっという間に料理は消えていった。
「そう言えばさ、どうして月影さんは有次のことだけさん付けなの?」
機嫌が良いからなのか、それとも打ち解けてきたからなのか、どちらにせよ、食事中唐突にそう話題を振った。
幸一も、言われてみれば確かに、と興味を持った様子だ。
「有次さんは、年上ですから。」
「え! 月影さんって俺たちより年下なの?」
有次や翔が今年で十八歳になるのだから、そう捉えても仕方ないが、有次はくすくすと笑いを堪えており、月影は小さな子供を優しく諭すような柔らかい笑顔で、
「実年齢の話ですよ。」
流石に、この見た目で未成年は無理があった。顔立ちだけでなく、雰囲気や落ち着き、仕草、佇まいが未成年を主張するには無理がある。それに、ここまでスーツを着こなす未成年など、有次すら知らない。
有次は笑いながら、月影の背中をバンバンと叩いた。
「良かったな。若く見えるってよ。」
「からかわないでくださいよ。」
意味が理解出来ず、固まっていた翔が、やっと気付く。
有次には、鴇矢有としての過去があることを。
鴇矢有の年齢が、二十代前半だとすると……
「お前、もうジジイじゃん。」
「待て。聞き捨てならないぞ。翔の中のジジイは何歳からだ?」
「呼び方を変えた方がよろしいですか?」
「真面目にそんなことを聞くな。」
月影に冗談など通用しない。そして、真の受け方が怖い。
「そういえば兄さん、fakerやcipherになった人たちは、ヴァイスによって寿命が長くなったりするのかな?」
有次の年齢の話から、ふと幸一は疑問を口にした。そういう観察眼は、兄との共通点の一つだろう。
「あ~、それはどうだろうな。俺にもわかんないな。」
「勝てばわかるだろ、そんなの。」
口いっぱいにほうばったまま、まるで当たり前のことのように言い放った。
翔は、勝つことは信じて疑わない。驕りでも油断でもない。何故なら、翔は公園での戦いを直に見ている。その時はまだ無知だったが、知識を得た上で、勝てると信じている。
お調子者の翔がそんなことを真面目に言ったせいか、妙な共感が生じた。
「それもそうか。」
勝つために戦うのだ。
負ける話をしても仕方ない。
どんなに絶望的な状況でも。
4
週末、久しぶりの我が家だ。
「ただいまー。」
自宅に帰る父親が一人。時間は正午。
どうしてこんな時間に帰って来たのか。
早く仕事が終わったからではない。
ここ最近、仕事に追われて家に帰ってなかったのだ。ようやくひと段落ついて、こんな時間の帰宅になってしまったのだ。かれこれ数週間は帰っておらず、これだけの期間家を空けたのは初めてだった。
「有次! 幸一!」
玄関から、家中に聞こえるぐらい大きな声で名前を呼んでみたが、帰って来たのは自分のこだまだけ。
(出かけてるのか?)
そう思いながら、二人の息子の予定を全く知らない自分に反省した。
彼が不器用な人間だというのは周知の事実だが、私生活や育児においては如実に表れてしまっている。
しょんぼりと肩を落としながら、お風呂に入り、簡素なシャツとズボンに着替えた。
(久しぶりにご飯でも作るか。……そうだ! 二人の分も作っておこう。たまには、父ちゃんできるぞってとこを見せなければ。)
『父さん、やればできるじゃん。』『お父さん、美味しいよ。』『ンフフ。あまりお父さんを、舐めるんじゃあないよ。』
何故だか、普段より透き通ったカッコいいボイスと、キラキラとした漫画みたいなキャラデザの脳内妄想が流れ始めた。
誰に見られてもドン引きされそうだってことは、自分でもわかっていたらしい。すぐに正気に戻った。
何を作ろうかと考えていると、ピンポーン、とインターホンが鳴った。
(そういえば今日は土曜日だったか。お友達でも来たのかな。)
モニターを覗くと、制服姿の少年が一人立っていた。
有次と同じ高校の制服だった。
「はーい。有次のお友達かな?」
通話モードに切り替えて、画面越しの少年に声をかける。
「はい、そうです。」
「ちょっと待っててね。」
廊下に出て玄関へと向かう。
途中でふと、足を止めた。
引き返して、洗面台の前に来て、自分の身だしなみを気にし始めた。
友人が家を訪ねて来たのだから、待ち合わせか、それとも家で遊ぶのか。
どちらにせよ、有次本人がいないのだから、そのことを伝えれば良いのだが、勝武はそうしなかった。
チャンスだと思ったのだ。学校での有次についてや、その他もろもろと、普段の有次にまつわることを聞き出そうと考えたのだ。
(大丈夫。有次の父親として、恥じのないような振る舞いを崩さなければ。)
同時に、こんなことしていて惨めな感情が湧き上がってきたが、この際背に腹はかえられない。そんな感情は水に流すことにした。
髪の毛を整えて、再び玄関へ向かう。
(そういえば、有次のお友達、どっかで見たことあるような。)
考えても、どうせまもなく会うのだから意味がないと思い、迷うことなく玄関を開ける。数段の階段を降りて、正門で立っている少年に歩み寄る。
「ごめんね、有次は今いないんだ。待ち合わせだったのかな?」
「そんなところです。」
不思議と少年は、驚く様子を見せなかった。
勝武は、彼の頭のてっぺんから爪先まで観察する。
(この特徴的な髪と、纏っている独特な雰囲気。……あっ!!)
むしろ、どうして今まで気付かなかったのか。
「君はウィリアム氏の!」
「はい。初めまして、ですね。父がお世話になっております。」
青年は、爽やかに髪を靡かせた。
「草薙・ラーンウォルフ・新夜です。」
*
「じゃあ、また明日。」
「おう! また明日!」
夕焼け空の下、有次と幸一が段々遠くなって見えなくなった。
週末に入ってから、有次、幸一、翔、月影の四人は、翔の家に集まっていた。
ここ数日久遠宅で過ごすことが多く、特に深い理由もなく翔の家に移動しようという流れになった。
翔は家に泊まってけよ、と提案したが、いつ父親が帰ってくるか知れないからあまり家を空けたくないと言い、有次と幸一は一度家に帰り、明日再び翔の家を訪れることとなった。
残ったのは、この家に住む少年一人と、機械的なスーツ姿の男性一人。
初対面こそ好印象が持てるものではなかったが、今では月影という人物が誠実で真摯的な人物だと知っている。
「さっきは有次と何話してたんですか?」
隣よりか半歩下がった位置に、ひっそりと立っている月影に声をかける。
さっき、というのは、二人が家を出る直前、有次が月影を離れた場所に誘って、コソコソと話していたのだ。
時間的に一言二言だが、何を話したのか気になってしまった。
「これからは、極力幸一君を一人にしないよう言われました。それと、翔君や幸一君にも連絡用の端末を手配するようにとも。」
「そうですか。相変わらず他のことにもちゃんと気使って、俺なんてそんな余裕ないですよ。ここだけの話、今でもやっぱり怖いです。新夜が怖いんじゃなくて、自分の想像を超えた世界に足を踏み入れることが、怖いです。でも、だから、せめて前だけ向いて戦えるようにしたいなって、そう思ってます。」
月影は、半歩前に出て、翔と並んだ。
「それでも、翔君は彼のそばにいることを選んだ。それも、常人の域を超えた戦いを見て、その渦中に身を投じることをわかっていながら。いつでも逃げられたはずです。見て見ぬふりをして、背を向けて日常に戻れたはずです。でも、それらの選択肢を捨てて、あの恐怖に立ち向かおうとしている。……私は今まで、仮初の関係しか築いてきませんでした。友達といっても、結局は他人です。だから私にはわかりません。どうしてですか?どうしてそこまで、彼に協力するのですか?」
口調や抑揚も平坦だったが、真剣さを感じられる問いかけだった。
翔は、オレンジ色の空を見上げた。遠い記憶に、思いを馳せているようだ。
「実は俺、中学生ぐらいの頃から、有次と幸一のことを知ってたんですよ。ただ遠くから見ていただけで、名前も知らなかったんですけど。あの日も、今日みたいな綺麗な夕暮れでした。ぱっと見た時の見た目が似てたので、噂の兄弟かなと思い、何となく目で追いました。ただ二人で、一緒に歩いてるだけ。変哲のない風景です。でも、二人とも、とても幸せそうな顔をしてたんです。それから、」
「それで、翔君は何を思ったのですか?」
「兄のことを、有次のことを、とても優しいやつだと思いました。有次と一緒にいる幸一は、いつも幸せそうで、そんな幸一を見た有次もまた、幸せそうだった。俺もこんな風になれたらなって、純粋にそう思いました。…………そして今は、あの二人の幸せを守りたいと願ってます。」
月影も、同じオレンジ色の空を仰いだ。翔の言葉をゆっくりと噛み砕いていった。
「あなたも、優しい人だ。」
ボソッとそう呟いた。翔は何も反応しなかった。聞こえなかったのかもしれない。
「ところで月影さん、今日はうちに泊まっていきませんか?」
大丈夫です、そう答えようとしたが、言葉は発せられなかった。
迷惑だと考えたが、それは自分勝手の考えだと気づいた。特に断る理由もないため、いつも相手の半歩後ろにいる月影にしては珍しく、その提案を素直に受け入れた。
「わかりました。お世話になります。」
その答えを聞いた途端、翔はバッと月影の方を向いた。予想だにしない回答で驚いたのかなと思ったが、翔の目はキラキラと輝いていた。
「俺、夕飯は唐揚げがいいです!」
「………もしかして、それが目的ですか。」
「イヤだな、月影さん。変な誤解しないでくださいよ。」
そう言いながらも、前傾姿勢でこちらを見つめてくる。
その瞳は、純粋無垢で、月影には少し眩しく感じた。
なのに何故か、微笑ましいとも感じた。陰鬱とした心の靄が、徐々に晴れていくような感覚だった。
「承知しました。盛大に腕を振るいましょう。」
「よっしゃー!!」
いざ二人きりになると、何を話そうかわからなくなってしまった。
それでも幸一は、生じた最大の疑問を兄に問いかける。
「ねえ兄さん。……どうしてそこまでするの?」
言葉足らずだったが、何を聞きたいのかを、有次はちゃんと理解していた。
有次は何回も挫折し、後悔し、絶望してきた。なのにまた、偏狭な隘路を進んでいる。それが何故なのかを、幸一は聞きたかった。
少し間を置いて、有次は答え始めた。
「前の人生において、家族と呼べる人達がいた。彼らとは血が繋がっていなかったけど、俺がそう呼びたいと思えるような人達だった。恩人の夢を叶えてあげたかったし、家族と一緒に居続けたかった。家族と共に、生きていたかった。そういう思いが強くなると同時に、俺個人の夢も大きくなっていった。最終的に、俺は個人の夢を優先し、一つの世界を滅ぼし、………失敗した。犠牲に見合う代価はなかった。加えて罪を背負った。久遠有次は亡くなり、生まれた俺は、自ら死を選ぼうとした。久遠有次は、かつての俺が望んだ理想像だった。周りを愛し、周りに愛され、多くを助ける。常に笑っていて、周囲も笑いに包む存在。なのに、俺が殺してしまった。それを無駄にはできない。せめて繋げないと。たとえ久遠有次になれなくとも、今の自分にできることを精一杯やる。それが罪に対する贖罪であり、死んでいった人達への弔いだ。」
「………………。」
幸一は、自分が守られている存在だとわかっていた。その立場に甘んじたくはなかったが、兄がそれを望んでおらず、脱却する能力もまだ持ちえなかった。だから、兄がついた優しい嘘を受け入れていたが、今は違う。真実を話した彼が幸一の兄で在ることを望んだように、真実を知った幸一は、彼の弟で在ることを望んだ。そして、ちゃんと向き合うことを決めた。
その覚悟が伝わったのか、有次も嘘で誤魔化したり、上辺だけ見せて遠ざけようとは思わなかった。
「……………一人でできることは数少ない。いつだって頼って頼られて、いろんなことをしてきた。俺が暗闇にいるとき、いつも誰かがそばにいてくれた。俺を見てくれていた。俺にとって周りの存在は、想像以上に大きかったんだ。周りにいてくれた人たちを、俺は愛している。愛する人達を守りたい、一緒にいたい、愛し続けていたい、そういった気持ちが俺の核となっていることは確かだ。」
幸一も有次の言葉を受けた後、少し間を置いた。ゆっくりと噛み締めているようだった。
「僕ね、これ以上兄さんに苦しんで欲しくないけど、同時に、兄さんがそう思ってくれることを嬉しく感じてる。正直僕にとって、兄さんと双子かどうかはどうでもよくて。兄さんが僕たちを大切に思ってくれて、それが理由で何かをしようとしてるのなら、僕はそれを見守りたい。けど、それで兄さんが苦しむなら、止めたい。だから、その………。」
気持ちの整理が上手くできていなかった。矛盾の感情が、幸一の中では真理だった。必死に言葉を探す幸一の頭を、有次は優しく撫でた。
決して大きくはないその手のひらは、安らぎと幸福を伝えてくれた。
有次は言葉をかけなかった。
でも、手のひらで、もう十分だよと伝えてくれた。
だから幸一もそれ以上、何も言わなかった。
二人の心は通じ合っている。誰がなんと言おうと、二人は兄弟なのだ。
紛れもなく、本物の。
本音を漏らすと、有次は怯えていた。
真実を告げることに。
荒唐無稽だと笑われるのが怖かった。
信じてもらえないのが怖かった。
顰蹙を買うのが怖かった。
繋がりが切れてしまうのが怖かった。
一人になることが、怖かった。
秘密というものは、大きさに比例して告白しづらくなるが、膨らみ過ぎた秘密は、やがて耐えられない重荷へと変わり、宿主を殺してしまう。
秘密を隠している者は、常に孤独だ。誰かと一緒にいても、暗闇がまとわりついてくる。
その上で、有次は一人で戦うことを選んだ。
そして負けた。
実力も足りず、智慧も足りず、成長の仕方も分からない。
まさに進退が窮まった状態だった。
そこで、重荷を他の人と分け合うことにした。
これは、他の人を巻き込むことを意味し、苦渋の決断だった。
しかし、驚愕や困惑、動揺をしても、嫌悪をする者はいなかった。
それが嬉しかった。幸一は有次の想いが嬉しいと言ったが、幸一が嬉しいと思ってくれたことが嬉しかった。
小刻みに震える手を幸一の頭の上に置くと、人の温もりが伝わってきた。
凍える人を暖めてあげるかの如く、手の震えは消えてなくなり、そのまま頭を数回撫でた。
(こうして二人で歩くのも、久しい気がする。)
重荷が減ったことで楽になったからなのか、心境に変化があったからなのか。
自然と、歩く速さは遅くなった。
他愛のない会話をして、同じ景色を見て、同じ歩幅で歩く。
気付けば、家に着いていた。
「あれ、リビング電気付いてない?」
「父さんが帰ってるのかもな。」
玄関前からも、家の明かりが確認できた。家を出たのが朝だから、家に誰もいなければ、当然真っ暗のはずだ。
「じゃあ夕飯、今からどこかで買ってくる?」
「もしかしたら、夕飯作ってるかもよ。」
「お父さんが!? 」
普段の姿からは想像もつかない冗談だ。しかし、もしかしたらやってるかもしれないと思える謎の実行力が、また面白いところなのだ。
「それでも僕は、作ってないに一票。」
「現実的だな、幸一。じゃあ外れた方が次の飯当番でどうだ?」
「うん。いいよ、兄さん。」
鍵を手に持った幸一は、早足で玄関へ向かった。
素早く鍵を開け、有次よりも早く扉を開けた。
「ただいまー!」
外にも聞こえるぐらい大きな声だった。
遅れて後ろから有次が、半開きの扉を右手で大きく開けて、自分の入るスペースを作る。
父親の返答がなかった。立ち上がったり、こちらに来ようとする物音も聞こえなかった。
「?」
後ろがつかえていることに気付き、慌てて体を完全に家の中に入れる。有次も家の中に入り、鍵を閉める。
下を見ると、父がいつも履いている革靴が、無造作に置かれていた。
「寝てるのかもな。」
「また電気つけっぱなし。」
有次はある程度の放任主義だ。個人の好きなようにさせてやれと思っているタイプだが、幸一は割と神経質な側面がある。父親のズボラさには一番頭を悩ませていると言ってもいい。
とりあえず二人とも靴を脱ぎ、明かりがついているリビングへ向かう。
前の幸一がリビングの扉を開け放ち、二人同時にリビングへ入った。
「おかえり。遅かったね。」
「「!!」」
家族なら、何もおかしくはない言葉。
しかし、父親が、久遠勝武が発した言葉ではなかった。
嫌悪感が滲み出す粘着質な声は、聞き覚えのあるものだった。
白髪で、顔立ちが整っていて、無垢を装うかのような笑顔。
草薙・ラーンウォルフ・新夜が、ソファに深く腰掛けていた。
「サイ、ファー………?」
どうして新夜がここにいるのか、思考が追いつかなかったが、それ以上のものが目に映り込み、思考に割り込んできた。
真っ赤な血。
手と服に血が付いていた。
もちろん、新夜の血ではない。新夜のものであるはずがない。
じゃあ誰のだ?
――――
瞬時に一つの結論を導き出した有次は、思考を強制的に停止させた。
その思考を、なかったことにした。
何も考えていないと、現実逃避した。
しかし、新夜が二人の足元を指さした。
視線を下に移すと、赤い点がポツン、ポツンと床にこびり付いていた。赤い点は左へ続いていき、徐々に数を増やしていった。
多数の点はやがて帯のように連なり、先へ進めば進ほど大きくなっていく。
視線を少し上に戻すと、ソファの奥、死角の部分に誰かが倒れていた。
血塗れの誰かが。
「お父さんっ!!」
幸一が父親の元に駆け寄る。
が、すぐに止まり、後ずさりをして尻もちついた。
手で口元を押さえていたが、抑えられずに後ろを向いて嘔吐した。
オエ、と嗚咽混じりの声が漏れる。
有次は、焦点が定まらないまま、おぼつかない足取りで幸一に近づく。
そして、父親を、見た。
安らかな顔だった。
閉じた口の端からは、一筋の赤い線が床に向かって伸びていたが、幸せな夢を見ながら眠っているようだった。
本当に、眠っているみたいだった。
トントンと肩を叩いて起こせば、寝ぼけた顔で起きるのではないか?
いつものちょっと抜けた表情で、俺たちを安心させてくれるのではないか?
ただし、それはもう非現実のお話だ。
だって。
父さんの頭が、体から離れたところに転がっているのだから。
ただの中学生には、到底耐えられる光景ではなかった。
大量に吐瀉し、肉体的にも精神的にも憔悴した状態で、なお這いながら、幸一は父親にしがみついた。
「お、とうさん、お、とう、さん……」
泣きながら、ただそう連呼し続けた。
有次も、膝をついて父親に触れようとする。
ビシャッと、まるで水溜りでも踏んだみたいに、床に溜まった血が跳ねた。
父の手を、両手で包み込むように掬い上げる。
もう、温もりは感じられなかった。
「…………――。」
怒り。
純粋な悪意だけが、ふつふつと湧き上がってきた。
額の血管が浮き出る。今にも破裂してしまいそうだ。
「人を殺すのに、ヴァイスなんて必要ない。調達してきたこの日本刀で、それはもう綺麗に一刀両断さ。」
気が付かなかったが、新夜の真後ろには、細長い日本刀がソファにもたれかかっていた。
もし新夜が少しでもヴァイスを使っていたなら、距離が離れていようと勘づいていただろう。
「君の父親は、実にいい人だったよ。本当に、残念だ。」
それは、心からの真意だった。
つい先程の記憶が蘇る。
5
「君はウィリアム氏の!」
「はい。父がいつも世話になっております。」
「草薙・ラーンウォルフ・新夜です。」
「いや~、まさか新夜君と息子が友人になっていたとは。ささっ、上がってお茶でもどうかな? 有次が帰ってくるまでの間、ゆっくりしていきなさい。」
「では、お言葉に甘えて。」
二人はリビングのソファに向かい合って座った。
新夜は、玄関先で見た時から、細長い布の包みを肩にかけていた。剣道部が竹刀を持ち運ぶのに似ていた。有次とどのような理由で待ち合わせていたのかを知らないため、特に言及しなかった。
ソファに座る時、新夜は自分の背もたれに寄りかかせるようにそれを置いた。
「済まないね、普通の飲み物しか出せなくて。」
「いえ、気遣いありがとうございます。」
勝武は、お茶の入ったポットとコップを二つ、ソファに挟まれた机に置いた。
空いたコップに注ぎながら、勝武は話を続けた。
「ごめんね。最近息子たちとあんまり会話がなくてね。まさかウィリアム氏のご子息と仲良くなってたなんて。」
「父も似たようなものです。実際、父からそんな話、聞いておらっしゃらないでしょう?」
勝武はピンと閃いた。
自分の息子と似た境遇の子供が目の前に一人。しかも知り合いの息子ときた。
周りには誰もいないのに、小声で新夜に質問した。
「ところで新夜君。……お父さんのことを、どう思ってるのかな?」
「? …………どう、と言いますと?」
勝武の真意は伝わらなかった。
「仕事が忙しくて、あまり子供の面倒を見ない父親は、どう思う?」
噛み砕いて話すと、ちゃんと新夜に伝わった。
ドキドキしてる勝武に、にっこりと微笑みで返した。
「僕達って、似てますよね。男手一つの家庭で、父親が仕事人で、ちょっとした有名人で。境遇が似ているからといって、全てが似るわけではありませんが、少なくとも有次君は、父親のことを尊敬していると思いますよ。」
「お世辞抜きで?」
「ええ、断言できます。」
「…………ハア~。そうかぁ。なら良かった。」
新夜の前で、大胆に胸を撫でおろした。
その光景にクスッと笑って、
「勝武さんって、想像してたよりも、接しやすいタイプのお人なんですね。」
ついさっき、大人らしくとかなんとか言ってたのに、もうボロが出てしまった。
慌てて表情を引き締めて、コホンと咳払いした。
「雑誌や記事を拝見すると、もう少し生真面目で寡黙なイメージがあったものですから、すみません。」
勝武は、視線を斜め下に逸らし、後頭部に手を置いて、
「元々は大雑把で適当な人間なんだ。周りからは子供っぽいってよく言われる。こんなんでも上に立つ人間だから、副社長と秘書が、頑張ってイメージ作りに奔走してくれたんだ。どうやらそれは成功らしいが、やっぱり俺に父親はできなかった。」
自嘲気味に笑ったが、新夜は笑わなかった。
「僕は、そういう父親は素敵だと思いますよ。」
「………どうしてだろう。君からは、有次と同じ雰囲気を感じる。」
「僕と、有次君が?」
勝武は頷く。
「大人びてる、とは少し違う。……まるで本当の大人のような。息子と話してても、子供と話してる気がしなくてな。……と、そういえば、新夜くんは息子にどんな用があったのかな?」
ふと思い出したかのように本題に入っていった。
「実は、有次君に会いに来たのは本当ですが、この時間に彼がいないことは知っていたんです。僕はここに、あなたと会うために来ました。」
「俺に?」
父親同士が良好な関係を築き、現在共同研究をしているとはいえ、どうして初対面の人に一人で会いに来るのかわからなかった。それも、わざわざ有次のいない時間帯を狙って。
いくら考えても、新夜が自分に会いに来る理由がわからなかった。大人に相談事なら他にもいるだろうし、若い子が尋ねてくるほど、自分特有の何かがある訳でもない。
「どうしてか聞いていいかな。」
ここは大人として、ドンと構えて、どんなことでも優しく受け止めてやろう。そう思っていると、
「あなたを殺すために来ました。」
「……………………………………ん?」
全く意味がわからず、聞き間違えかと思った。
「あなたを、殺しに来ました。」
声色は変わっていない。表情も変わっていない。さも当たり前のように、自然と言葉を紡いだ。目の前の少年の目に、殺意や悪意は感じられなかったが、本気だとわかった。
新夜は後ろを振り向かずに、手だけ伸ばしてもたれかかっているものを掴む。上端の結び目を解き、中身をあらわにする。
出てきたのは、刀だった。刃は鞘に収まり、柄もしっかり取り付けられた日本刀が出てきた。
「これは本物の真剣です。」
少しだけ鞘から抜き、刀身を勝武に見せる。
垣間見えた刀身の色艶、光沢、そして威圧感。遊びのおもちゃとは異なる印象を感じ、新夜の言葉を実感する。
勝武が見たことを確認すると、刀身を鞘にしまった。カチン、と鞘と鍔がぶつかった音が、静まり返ったリビングに響いた。
「あなたの考えは正しいです。かつての有次は、僕の親友であり、家族であり、恩人でした。元の僕は彼に憧れていたから、似ていても仕方がないんです。」
「かつての……、そうか、君も、有次と同じなのか。」
不思議と、驚きの表情はなかった。全ての言葉を、欺瞞ではなく本当のことだと受け止めてなお、勝武は驚かなかった。
「……あなたは、どこまで知っているのですか?」
勝武は、即答する。
「知っていることは、有次が別の人間だということだけさ。」
「それは、本人から聞きましたか?」
「いいや。………あの子は聡い子だから、俺がうすうす気付いていることを知ってるんだ。それでも、あの子は俺を父さんと呼んでくれた。だから、あの子は俺の息子で、俺はあの子の父親だ。」
だから、何も聞かなかった。有次が話したくないことを、問いただそうとは思わなかった。
父親としてそれが、良い事なのか悪いことなのか、勝武には分からない。分からないけど、どんな理由があれ、どんな事情があれ、有次の父親であり続ける。
息子のことを、信じているから。
「…………。」
(この人は、知らないのに解っているんだ。僕の少ない言葉から、解ってしまったんだ。息子のこと、僕のこと、その関係性、そして、これからの自分の未来を。)
勝武は席を立ち、ソファの真横へ移動する。
新夜は逃げ出すのではないかと注意深く観察したが、その素振りはなかった。
勝武は、新夜に背を向ける形で立った。その視線の先には、複数枚の写真が、カラフルな額縁に入れられて置かれていた。有次と幸一が成長してからは、写真を撮ることが減り、飾られているものは、どれも二人が幼い頃の写真だった。
(当時は仕事と育児で忙しくて、二人をどこかに連れて行ってやれなかったな。)
親戚付き合いもなかったため、どうしても自分が撮る側になってしまい、誰かに撮ってもらうことがなかった。だから、どの写真にも、子どもたちしか写っていなかった。しかし、一番端に、唯一の家族写真が、ひっそりと置かれていた。
どこかの病室で撮られたものだった。幸一はまだ一歳で、有次が四歳の頃の写真だ。この写真には、二人の母親、久遠京花に姿があった。京花は病院服をまとい、ベットの上で半身を起こし、腰の辺りまで毛布を被せていた。有次と幸一は、京花の両脇で抱きつきながら、安らかに眠っていた。勝武と京花は、お互いの手の平で体温を共有し、残った片方の手の平で、子どもたちを撫でていた。二人の顔は、それは慈愛に満ちたものだった。
この写真は、病室に入ってきた看護師が、気づかれないように撮って、後でプリントしたものだ。
結局これが、最初で最後の家族写真となってしまった。
京花は、幸一を産んでから、見る見る体調を崩していった。満足に出歩けず、ほとんどを病院で過ごし、家に帰っても、ベットから出ることはできなかった。
短い時間だったけど、京花は幸せな時間を過ごした。
(京花……。)
勝武は、過去に思いを馳せた。
京花が亡くなる一週間前のこと。
珍しく体調が良くなり、一時的に家に帰ることができた。
子供たちを寝かしつけた後、二人は一緒にベットに腰掛けた。
「京花、もう寝なくていいのか。」
「うん。今日は平気。」
京花は、勝武の肩に頭をのせた。勝武は、京花の手をそっと取って、優しく包んだ。
「私ね、今すごく幸せ。」
「そうか。」
京花は、勝武の手を握り返した。
「あなたがいて、有次がいて、幸一がいる。それだけで、私の人生は綺麗に色づいたの。」
「……そうか。」
体を預けるように、勝武に寄りかかる。
「だからね……、」
「そんなに泣きそうな顔をしないで。」
「……。」
勝武は、ただ強く京花の手を握った。
「私ね、もう長くないわ。」
勝武の体がビクッととした。驚きではなく、恐怖や怯えを感じた。
「ねえ、あなたがプロポーズしてくれた時のこと、覚えてる? あなた、緊張しすぎて噛んじゃったのよね。普通、私が顔を真っ赤にする場面なのに、あなたったら、顔から火が出るくらい赤くなっちゃうんだから。不器用で、天然で、どんくさくて。でも、いつも頑張ってくれた。誰かのために、みんなのために、私たちのために、頑張ってくれた。ありがとう。私を愛してくれて、ありがとう。」
「……っ…………。」
勝武は、絞り出すように話し始めた。
「俺、一人でやっていけるかな……。ちゃんと、あの子たちを育てることが、できるかな……。」
「多分、あなたのことだから、何回も何回も失敗すると思う。もしかしたら、自分のことを嫌いになる時があるかもしれない。でも、大丈夫。だって、私に会いに来るあの子たち、いつも笑ってるもの。だから、きっと。」
勝武も、体を京花に預けた。お互いがお互いを支え合った。
「ありがとう。京花。」
二人は目を瞑った。感覚だけで触れ合っているようだった。
「私ね、不思議と怖くないんだ。心残りはあるけど、あなたと子どもたちを信じてるから。私がいなくても大丈夫って、そう思えるから。」
(あの時の言葉、今ならわかる気がする。)
永劫不滅なものは存在しない。どんなものにも、終末はやってくる。その時に、拒んだり認めなかったりせずに、受け入れ、託し、魂に刻む。そうして笑って逝くことこそ、真の幸せなのではないのか、そう勝武は思った。
新夜は、勝武の背後に立ち、刀を抜いた。
刃を、首筋に近づける。
死が、迫る。
「どうして、笑うのですか。」
手を止めて、新夜は質問した。
その笑みは、絶望からきたものではない。諦めからきたものではない。別の感情から生まれたものだと、火を見るより明らかだった。
「もし、子供たちがまだ赤子だったら、死ぬ瞬間笑うことはなかった。でも今は、子供たちが立派に成長した。そんな子どもたちを愛してるし、信頼してる。間違えることはあっても、踏み外すことはないと、信じてる。そう思わせてくれる子供たちがいる人生を、俺は誇らしく思うし、満足してる。だから笑うんだ。死を覚悟した時、自分の人生を顧みて、十分満たされるものだった。やり直したいと思わなかった。自分が死んだ後の心配事も杞憂だった。泣く理由がどこにある。だから、笑うんだ。」
新夜は一瞬、彼が自分の父親だったら、と考えてしまった。もしそうなら、自分はこうならずに済んだのだろうか。全く意味のない仮定だが、そう考えてしまった。
「最後に何か、言いたいことは。」
「君も、最後は笑えるといいな。」
新夜は、少しの間沈黙した。
そして、刀を振り抜いた。
6
(……………………………。)
あまりにも予想を超えた質問をされると、人は一旦その回答を見つけ出すよりも、質問自体を理解しようとし、外部の情報を受け取りにくくなる。今の有次はその状態に近く、一時的に固まってしまった。
新夜の言葉が何回も反芻する。
行っては帰ってきてを繰り返す。
それでも、理解はできなかった。
(……………………………………………………。)
固く拳を握りしめ、勢いよく振り返る。背後に座る、憎き敵を殺す為に。
しかし、振り返ると、視界は真っ黒だった。
何も見えなくなった、ということではない。
文字通り、目の前に何かがあったから、その影で視界が塞がれてしまっているのだ。
有次が振り返った瞬間、新夜の足の甲が、そこにはあった。
さっきまで座っていたはずが、有次を蹴ろうと迫っていたのだ。
有次は立て膝をついていたため、頭の位置が低かった。新夜はそこへ、サッカーボールでも蹴るように、足を振り上げた。
頭に血が上っていたこともあり、有次は全く反応できなかった。
強烈な一音を置き去りにし、一瞬にして、有次の体は後方へ吹っ飛んだ。
幸一には何が起こったのか、さっぱりだった。
父の死に動転している最中、突然視界の兄が消えたのだ。
数刻送れて、激しい風圧と、背後からのドゴォンとけたたましい音が、同時に幸一を襲った。
驚いて後ろを振り返ると、壁に大穴が空いていた。
「…………え?」
幸一は翔と違って、彼らの戦闘を直接、またはその後の惨状を見たことないし、ヴァイスを知覚できない。
想像を超えた現象に唖然とするしかなかった。
そんな幸一を傍目に、新夜は大穴を抜けて、闇へと消えた。
有次は、もうすっかり暗くなった空を見上げていた。
目を開けているのに、夢を見てるように過去の記憶に浸っていた。
久遠勝武。
久遠有次の父親であるが、『彼』の父親であるかと言われれば、そうでもあるしそうでもない。『彼』にとって、久遠勝武は、曖昧な存在だった。
両親の営みの果てに生まれた唯一の存在が、子どもだ。一分でも一秒でも時間がずれれば、自分が自分として産まれたかはわからない。その唯一性が自分にはないと考えていた。
久遠勝武の下に、産まれるべくして産まれた。それは、親のかたちを受け継いだ子どもが久遠有次、ではなく、子のかたちに合った親が久遠勝武、だからだ。
本史の鴇矢有の魂は変質することなく、模史へとやってきた。だから、魂に合った親が選ばれた。それが勝武だったというだけの話だ。
『例えそうだとしても、だからどうしたって言うんだ。お前は俺の息子だ。』
父さんが語りかけてきた。
『父さん、俺……。』
『いいよ、有次。全てわかってる。』
湧き上がる感情を抑えられない。
『父さんは、いつもお前の傍にいる。』
カサッ、カサッ、と足音が近づいてくる。
自分の頭上に新夜が立つ。
それまで虚ろだった瞳に確固たる意思が宿り、歯を剥き出しにした。
血混じりに叫ぶ。
「お前は、何がしたいんだよ! 負けたのに命を取らず、人類を滅ぼさず、だけど俺の周りの人たちを傷つける! 何なんだよ! 何がしたいんだよ! 」
怨念をぶつけた、心からの叫びだった。
対して、新夜は一層、闇が深くなった。
「これは、警醒だよ。」
「………は? お前は一体何を!」
「甘えるな。」
有次は、言葉を止めた。いつも何考えてるのかわからない新夜が、珍しく感情を表に見せたのだ。怒り、だろうか。根底にある感情まではわからない。
「初めに僕に負けた時から、覚悟してたんでしょ。一定数の犠牲を。じゃあどうしてそれが、近しい人だと思わなかったの?」
「っ……。」
言い返そうと言葉を探したが、何も言えなかった。
「もしかして、近しい人以外は何人死んでも同じだった? 身の回りが幸せならそれで良かった?」
「…………。」
何も、言い返せなかった。図星だから。
「この構図も二度目。少しは学習しなよ。もっと勝利に拘泥しろ。僕を殺すことに汲々としろ。そのためには没義道にも手を染めろ。その覚悟なしで、乗り越えられる壁は無い。清廉も公平も存在しない。どこまでも醜くて、どこまでも卑しい命のやり取り。それが僕たちの戦いでしょ?」
有次は、腕で目元を覆った。
悔しさが止まらない。
やっと、この間の新夜の言葉が理解できた。
“全てが己の過ちと知れ”
危害を加えているのは新夜なのだから、全ては新夜のせいだと思っていた。でも違った。間違っていた。
何も守れない、自分のせいだった。何もかもが。
そもそも、互いを理解し合えるなら、戦いは起こっていない。理解できないからこそ、自分の道理を突き通すために、戦う。その敵に、自分の道理を説き、押し付けるのは、根本から間違っている。敵とは、一種の自然災害のようなもので、こちらの意思とは無関係に動く。ならば、守るしかない。ああしてくれないかな、こうしてくれないかな、と神頼みしても意味がない。自らの手で、行動するしかないのだ。
沈黙した有次に、新夜は淡々と告げた。
「三ヶ月間、僕は誰も傷つけない。何も行動を起こさない。そう約束するよ。その代わり、三ヶ月後、初めて戦ったあの場所で待ってる。その時に僕を止められなければ、もう後はないよ。」
つまり、この三ヶ月が最後の猶予ということだ。
「信じるも信じないも、君次第さ。」
そう言って、足音は遠ざかっていった。
腕の隙間から、一滴の雫が流れた。
父を失った悲しみ、幸一に辛い経験をさせてしまった罪悪感、無力な自分への後悔。
あらゆる感情が詰まった、一滴だった。
7
「!?」
ご飯を食べている最中だった。
違和感を感じた。
今までに経験したことがなく、言葉で言い表せないような、奇妙な感覚。とある方向から、何かを感じる。
(もしかして、これが……。)
有次の話では、ある程度の範囲内で誰かがヴァイスを使ったら、それを認識できるらしい。
翔の知る限り、この街でヴァイスを使えるのは、自分を除いて二人しかいない。
(有次が幸一に何かを教えてるのか?でもおかしい。幸一は俺と違って、ヴァイスを知覚できない。どんなに見せようとしても意味がない。それに、違和感は一瞬だった。こんな一瞬で何ができるんだ?)
一瞬、という言葉で、あることを連想した。
圧倒的強さ。次元の違う能力。
有次の記憶で見た、二人の初めての戦闘は、新夜の圧勝だった。新夜が全力で戦っていないことは、素人目にもわかる。今もその底は知れぬままだ。
胸のざわつきが拭えない。
「翔君?」
向かいに座っている月影が、翔の変化に気付く。さっきまで美味しそうにほうばっていたが、突然表情が固くなったのだ。そして別の方向を見て動かなくなった。
翔はこういう時、直感的に動くことが多い。少しでも感じたら、それを確かめようとすぐに行動する。もしアテが外れても、それはそれで特に不利益を被っていないからだ。
実際は頭で考えて行動しているわけではない。ただ、根本にこのような考えがあるだけなのだ。
「月影さん、俺ちょっと行ってくる。」
「翔君! どこへ!?」
聞く耳を持たずに、足早に家を飛び出してしまった。
月影も幸一同様、ヴァイスを知覚できない。
今までは有次の言う通りに行動していたが、翔も向こう側に行った身。翔に追従すべきと判断した。
夜も更けた街を、二人は駆ける。
翔は、家を飛び出した後、違和感を感じた方向へ進んだ。
そして気付く。その方向は……。
(有次の家の方向か!?)
直感は、ますます現実味を帯びてきた。
ぐんぐん加速していく。
さっきまで後ろにいた人影は、どこにもなくなっていた。
けど、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。
有次の家が見えてきた。
本人は気付いていないが、翔は常人とは言い難い速さで移動していた。
有次の家と翔の家は、直線距離でおよそ三キロ。ここを数分で移動したのだ。
(家の明かりはついてる。)
玄関から入ろうと思ったが、直感的に裏庭に回った。
「!!」
庭へ回って最初に目に入ってきたのが、リビングだった。
壁がすっぽりと抜け落ちて、リビングの明かりが外に大きく漏れていた。
中を覗くと、頭部がない真っ赤な死体と、そこに抱きついている幸一がいた。
(ま…さか……。)
庭からリビングへ入る。
視線を傾けると、死体の頭部が、離れた位置に転がっていた。
有次と幸一の父、久遠勝武だった。
遠くから感じた違和感。家に空いた大きな穴。明らかに殺害された父親。
全てが一つに繋がった。
「幸一。」
翔は幸一のそばで名前を呼んだ。
幸一は、名前を呼ばれて初めて、そこに翔がいることに気が付いた。
その顔を見た途端、何も言わずに翔の胸に顔をうずめた。
翔も何も言わずに、背中をさすり続けた。
落ち着くと、
「有次を見てくる。」
そう言って、体を離した。
壁の瓦礫の大半は、家の外に落ちていた。状況から見て、家の中から外に向かって衝撃が加わったとわかる。つまり、その方向に有次がいる。
ヴァイスを感じないし、裏の雑木林から音が聞こえないことから、戦闘は行われていないだろう。
それでも暗闇の中を走った。
それほど距離は離れていなかった。
暗闇の中でも物がよく見えるのは、有次から譲渡されたヴァイスの影響だろう。
有次は地面に倒れていた。
慌てて駆け寄ろうとしたが、外傷は少なく、寝ている、という表現の方が正しかった。
翔が声を発しようする前に、有次が口を開いた。
「俺が間違っていた。」
もう、悲しみは感じられなかった。
「何に代えても、あいつを殺してみせる。」
強い決意だけが、伝わってきた。
後から駆けつけた月影が手を回し、久遠勝武は事故死として処理された。
最近のウィリアムとの研究で注目を集めていたこともあり、彼の死は大きくとりあげられることとなる。
ウィリアムは、彼の死を受けて、共同研究はやめることなく続けるとの声明を発表。しばらく朝陽に留まることとなった。
*
久遠勝武には、息子たち以外に親族はおらず、そのため、彼の死による様々な手続きは、フューチャー社の副社長と、勝武の秘書の二人によって行われた。この二人が子どもの代わりに代行し、新夜に関わる事項全ては、月影によって抹消された。
彼の死から数日後、通夜が執り行われた。
久遠有次と幸一の姿は、なかった。