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五時間目 授業ができた日

「レディーが木に登るだなんて、一体何を考えているの!」


 ブラッドの母親である、ジョーンズ夫人が目を吊り上げてリディアを見ている。


「申し訳ありませんでした……」


 リディアは、返す言葉もなく頭を下げる。


「申し訳ないなんて聞きたくないの! 一体どういうことなのか? って聞いているのよ!」


 ジョーンズ夫人は、頭を下げるだけのリディアに納得がいかずに更に言葉を強めていた。


「……………」


 リディアは、何と答えるべきか答えに窮していた。「ブラッドと仲良くなるためです」と言ったところでわかって貰えそうもない。


「ブラッドの方はどうなんだ? 時間になっても勉強部屋に行っていなかったらしいじゃないか」


 ジョーンズ夫人の座るソファーの横で、ブラッドの父親が自分の息子を見て言った。ブラッドは、リディアの隣で自分の両親の前に立っている。

 リディアがチラッとブラッドを見ると、気まずそうな顔をして床を見ていた。


「…………」


 ブラッドも、父親が怖いのか返事がない。


「言い訳もしないのか? こちらが頼んだ通りに教育ができないなら、クラーク先生には辞めてもらうしかないな」


 ブラッドの父親は、鋭い瞳をリディアに向ける。リディアは、表情にこそ出さなかったが心の中で泣いていた。

 ブラッドと色々な話ができて、やっとこれからだったのに……。まさか、自分が木から降りられなくなってこんなに大事になるなんて思ってもいなかった……。


 あの後、ブラッドが庭師を連れてきてくれて梯子を木にかけてもらって何とか降りることができた。だけど、女家庭教師ガヴァネスが木に登って降りられなくなったと屋敷中に知れ渡ってしまい、あっという間にジョーンズ夫妻にまで話が届き執務室に呼ばれてしまったのだ。


 リディアは、ブラッドの父親にクビを言い渡され項垂れるしかできない。しかしその隣に立っていたブラッドが、焦ったようにしゃべり出す。


「だっ、駄目です! お、じゃなくて僕、明日からちゃんと勉強します。だから、クラーク先生を辞めさせないで!」


 ブラッドは、顔を上げて必死に父親に懇願している。


「ロアンヌ女家庭教師ガヴァネスはけんじょ派遣所で、新人だけど有望だって言われたから雇い入れたのに。淑女の風上にもおけないような先生なんて必要ないわ!」


 ブラッドの言葉に、ジョーンズ夫人は怒りを露わにしている。夫が、辞めさせるというのならそれに乗っかるつもりだったのだ。


「僕が、木に登りたいって言ったんだ! 先生は悪くない! 明日からちゃんと勉強する!」


 ブラッドは、母親にも必死の顔で懇願した。リディアは、隣でそれを聞きながらとても驚いていた。ブラッドが、自分を庇ってくれるなんて思ってもみなかったのだ。

 クビを言い渡されて残念に思ったが、仕方ないと思う方が強かった。


「ブラッド。男に二言はないな? 約束を破ったら、二度目はないぞ?」


 ブラッドの父親が、真剣な表情で息子に訊ねる。


「あなた! そんな甘いこと!」


「いいから、お前は黙ってなさい」


 ブラッドの父親が、妻の言葉を遮る。父親と息子が、真剣な瞳で相対していた。


「わかった。約束する」


 ブラッドは、頷きながら真面目な顔でそう言った。


「では、二人とも下がりなさい。クラーク先生、明日から頼みますよ」


 ブラッドの父親は、リディアにも二度目はないと言うように念を押した。


「はい。ありがとうございます。明日から、しっかり勤めさせて頂きます。失礼します」


 リディアは、そう言って頭を深く下げるとブラッドを促して部屋を後にした。ギリギリでクビを回避することができて、リディアの胸はドキドキしていた。

 ブラッドと二人、無言のまま彼の部屋まで一緒に歩いた。


 ブラッドの部屋の前まで来ると、リディアはブラッドの方を向いて頭を下げた。


「ブラッド、ありがとう。貴方のおかげで辞めなくてすんだわ」


 リディアは、心からの感謝の言葉を口にする。ブラッドが庇ってくれなかったら、間違いなくクビだった。初勤務の屋敷で、四日でクビになるなんてもう次の職場なんて決まらないだろうと諦めていたのだ。


「先生のせいじゃないだろ……。俺が勉強部屋に行かないで遊んでたんだから……」


 ブラッドは、気まずそうに床を見て話をしている。心なしか声も小さい。


「でも、私もいけないところがあったもの。だから本当にありがとう」


 リディアは、ブラッドに笑顔を溢す。本当に嬉しかったのだ。


「じゃー、また明日な」


「あっ、待ってブラッド。本当に明日は、授業を受けてくれるの? 嫌々なのではないの?」


 リディアは、ブラッドに最後に確認をしたかった。両親にああ言ってくれたのは嬉しかったが、嫌々では意味がないのだ。


「だって約束だろ。楽しかったら先生の授業受けるって。昨日も今日も楽しかったから。じゃーな」


 ブラッドは、言うだけ言って頬を赤くすると扉を開けて部屋に入ってしまった。最初は、敵意しかない瞳で睨まれたのに……。昨日と今日で、こんなに態度が変わっている。

 ブラッドと仲良くなれたことが嬉しくて、リディアは口元が笑ってしまうのを止められず心を弾ませて自室に戻った。


◇◇◇


 翌日、リディアは緊張しながら屋敷の廊下を歩いていた。昨日、ブラッドは明日からきちんと授業を受けると宣言していた。だけど、本当に勉強部屋に来ているだろうか……。

 リディアは、来ると信じていたが胸のドキドキは止められるものではない。勉強部屋に到着すると、小さく深呼吸をしてトントンと扉を叩く。思い切って扉を開けた。


 室内を見渡すと、きちんと椅子に座って待っているブラッドが目に入る。


(ちゃんと来てくれた!)


 ただ勉強部屋に来てくれて椅子に座って待っていてくれただけなのに、リディアは嬉しくて涙ぐみそうになる。だけど、グッと涙は堪えてパッと表情を明るくした。


「ブラッド、おはようございます」


 リディアから花が咲いたような笑顔が零れる。


「おはよう」


 ブラッドは、恥ずかしいのかちょっと素っ気ない態度だった。リディアは、ブラッドが座る勉強机の前の教壇に立つ。

 女家庭教師ガヴァネスと派遣されてきて、初めて教師として生徒に向き合った。たったそれだけのことなのに、喜びで胸がじわじわと暖かくなる。


「では、今日は文字の勉強から始めます。ブラッド、自分の名前は書けると昨日話していましたね? 書いて見て下さい」


 リディアは、ブラッドの机の上に紙とペンを置く。自分の名前を書くように、ブラッドに促す。自分は、黒板に『リディア・クラーク』と名前を大きく書いた。


 ブラッドは、ペンを持つと自信なさげに紙に文字を書いていく。リディアは、ブラッドが書き終わるまで声をかけるのを我慢していた。


「書きました」


 ブラッドは、小さな声で教えてくれた。昨日の元気一杯のブラッドと打って変わりあまり自信がなさそうだ。リディアは、ブラッドが書いた紙を覗き込む。


(うん。大体書けているけれど……惜しい)


「上手に書けているわ。でも、惜しい」


 ブラッドは、パァッと明るい表情でリディアを見たがすぐにしぼんでしまった。間違えていたのが、恥ずかしかったのだろう。


「大丈夫。ほとんど合っているの。だけど、鏡文字になっているのよ」


 リディアは、ブラッドが書いた紙を手にとり黒板に歩いて行った。ブラッドは、『鏡文字』と言われて何のことかわからなかったのか不思議そうな顔をしている。


「正しくは、こう書くの」


 黒板に、『ブラッド・ジョーンズ』と大きく書く。


「ほら、ここ。ブの文字が逆になっているでしょ? 鏡に映すと正しい文字になるの。形で覚えてしまう子によくあることなのよ」


 リディアは、丁寧にブラッドに説明した。


「だから鏡文字って言うんだ」


 ブラッドは、感心したような顔をしている。


「そういうこと。だから惜しいって言ったの。鏡に映すと正しい文字だから。では、今度は先生が正しい書き順でブラッドの名前を書きます。よく見ていて」


 リディアは、黒板に一文字ずつ正しい書き順でブラッドの名前を書いた。ブラッドは、興味深く黒板を見ている。先ほどブラッドが書いた紙をもう一度彼に返す。


「では、一文字ずつ一緒に書いてみましょう」


 リディアが一文字書くと、それを追ってブラッドが同じように文字を書いた。それを何度も繰り返して、彼の名前をもう一度書く。今度は、間違えることなく正しい文字で名前を綴った。


「うん。綺麗に書けてるわ。ブラッドは、文字が綺麗ね。書き順を覚えるように、5回練習して書いてみましょう」


 リディアは、5回も同じことを書くなんて嫌がるかと思ったがブラッドは素直に紙に練習を始めた。昨日までのことが嘘のように、真面目に授業を受けている。

 やっぱりブラッドは、興味を持つように教えてあげればきちんとやる子だ。これは、授業のやりがいがある。

 リディアが、このジョーンズ家に派遣されてきたのはブラッドが来年から学校に通うからだった。そのため、リディアの仕事は、入学したときに恥ずかしくない学力を付けておくこと。

 ブラッドの通う学校は、入学金が払えれば誰でも通うことができるので貴族も平民も関係なく在籍している。貴族の子供だと、七歳にもなると読み書きそして簡単な計算はできる。

 今のブラッドには全て足りない。入学して恥ずかしい思いをしないために、リディアは雇われたのだ。

 一年間という短い期間ではあるが、できるだけのことは教えてあげたいと改めて気合を入れた。


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