1話 メアリ国立図書館1
ガタンガタンという音と心地よい振動の中、琴乃は窓枠に肘をついて外の風景を眺めていた。
フランソワを出発してからしばらくは草原と街並みが交互に現れるような車窓だったのだが、本国に近づくにつれてだんだんと街並みの割合が増えてきた。
「ねぇ向かい側に座ってもいい?」
自分よりも年下だと思われる少女の声で話しかけられたのはちょうどそんな時だった。
周りを見れば車内の座席はあらかた埋まっており、男性客の割合が多い。そういった状況から彼女は琴乃に声をかけたのだろう。
「どうぞ」
別に向かいに女の子が座ったところで害はないので琴乃は少女に席に座るように促す。
「やった。ありがとう」
深緑色の髪の毛をした少女は感謝の言葉を述べながら琴乃の向かい側にある席に座る。
「いやー列車に乗ったら思ってたよりも混んでて困ってたんだよねーお姉さんはどこまで行くの?」
「メアリ駅」
「あっ私と一緒だ。どこから来たの?」
「……フランソワよ」
「へーフランソワから。じゃぁお姉さんは魔法使い?」
「違うわ。普通の人間」
席に座ると同時に始まった質問攻めで琴乃は彼女を向かい側に座らせたことを少し後悔するが、少女は琴乃の心情などお構いなしで質問を続ける。
「メアリでは何をする予定なの?」
「それ、答えなくちゃいけないの?」
「嫌だったら別にいいけどさ……だったらだったらさ……」
「あのさ、さっきから何なの?」
少女のエメラルドグリーンのような色をした瞳が揺れ、人間のそれより長く、ピンと伸びていた耳が少し垂れ下がる。
「あぁごめんね。きつく言いすぎちゃったわね……でもね、初対面の人にいきなりたくさんの質問をするのは失礼じゃないっていう話をしたかっただけで……」
うつむいて今にも泣きだしそうな少女に琴乃は必死に声をかける。がしかし、それも効果が薄かったようで少女の目には涙が浮かんでいる。
「わかったわよ。質問してもいいから、せめてどこの誰かぐらいは名乗ってよ」
琴乃が折れると、少女はパッと明るい表情になって顔を上げる。もしかしたら、悲しむふりをしていただけだったのかもしれないが、それを指摘すると同じことをされるのが目に見えていたので琴乃は喉元まで出かかっていた言葉をグッと飲み込む。
「私はミナモ王国出身のミナ。種族はエルフよ。お姉さんは?」
「……フランソワ出身の琴乃。種族は人間よ」
「えっと、コトノは普段何をしている人なの?」
「……そうね。強いて言うなら旅人かしら」
「旅人! すごい! 私と一緒だ!」
どうやら、目の前に座る少女も旅人らしい。エルフは長命な種族だというし、見た目通りの年齢だとは限らないが、自分よりも幼い見た目をしたミナが旅人を名乗るのは少し不思議な感覚だ。
「なんかすっごい親近感わいちゃった。どうせだったらさ、私と一緒に……」
「それはお断りします」
おそらく彼女は旅の仲間が欲しいのだろう。だが、それまで受け入れてしまうと琴乃が異世界人だという秘密がばれてしまう危険性が少なからず存在することになってしまう。
「まだ最後まで言ってないんだけど」
「どうせ一緒に行動しましょうとかそういう話でしょ? だったら、それはお断りだって言ってるの」
少し罪悪感があるが、こればかりは仕方がない。琴乃はあくまでも異世界の人間であり、本来はこの世界の住人ではないからだ。
いつか、元の世界に帰る方法が見つかった時、こっちの世界に知り合いが多ければ多いほど、仲のいい人が多ければ多いほど、帰るのがつらくなってしまう。だから、琴乃は一人でフランソワを旅立ったのだ。それなのにここで旅の仲間を作ってしまってはフランソワ魔法学校の人たちと一線を引いてきた努力が無駄になってしまう。
そう考えて、琴乃はあくまで彼女を冷たく突き放したのだ。
「……そっか。だったら仕方ないかな。だったらせめて、これまでの旅の話でも……」
「それも期待には答えられないわよ。だって私、フランソワを旅立って最初の目的地がメアリだから」
「あぁそうなんだ……新人の旅人さんなんだね」
ミナは少し困ったような笑みを浮かべる。
「だったらさ、私が旅人の心得とか教えてあげようか?」
「……それもいいわ。私は私の思う通りに旅がしたいの」
そこまで言うと、琴乃は再び視線を車窓へと向ける。
「まもなく、メアリ。メアリ。終点です」
車内を巡回している車掌がそう告げたのはちょうどそんなタイミングだった。
「ほら、あなたも降りる準備をした方がいいんじゃない?」
これ幸いと琴乃は席を立ち、棚の上の荷物に手を伸ばし降りる準備を始める。
それに対して、ミナは明らかに不満足な表情と態度を取っているが、そんなことは関係ない。
それから10分もしないうちに列車はメアリ駅にゆっくりと滑り込む。
琴乃は棚から降ろしたリュックを背負いミナの方へと視線を向ける。
「……それじゃまた会ったら話をしましょう」
それだけ言い残して、琴乃は乗降口があるデッキの方へとむけて歩き始めた。
*
メアリ国立図書館。
メアリ公国の首都メアリの街の中心部に存在するその図書館は数多に増改築を繰り返し、その内部は複雑な迷路のようになっているため「メアリ国立ダンジョン」などと言う不名誉なあだ名がつけられている。
そんな図書館の中で琴乃は見事に迷子になっていた。
「……えーもう。何よこの図書館……動線がぐちゃぐちゃじゃない。あっちもこっちも階段だらけだし、変なところに通路があるし……なによ、もう……」
普通なら、図書館の中の状況を把握しているであろう図書館司書に目的の本がどこにあるのかと聞くのが一番いいのだろうが、琴乃の目的は少々人に聞くのは都合が悪い内容なのでこうして人に頼らずに図書館の中を練り歩いていた。
「あっコトノだ! コトノ! 久しぶりー!」
どこか聞き覚えのある声が背後から聞こえてきたのはちょうどそんな時だった。
その声に反応するような形で振り返ると、列車の中で向かい側に座っていた少女、ミナが笑顔で手を振っていた。
「やっぱりコトノだった。やー勇気を出して声をかけてみてよかったよー」
ミナは声をかけた勢いそのままに琴乃の方へと駆け寄ってくる。
「久しぶりって程の仲じゃないと思うのだけど……どうしてここにいるの? もしかして……」
「あぁ誤解しないでね。別に後をつけていたとかそういうのじゃないから。知り合いに会いに来たら偶然コトノを見つけたのよ」
彼女の主張によると、琴乃を見つけたのは全くの偶然らしい。それよりも、彼女の言葉に気になる単語が含まれていたのでそれについて質問をぶつけてみる。
「知り合い?」
「うん。そうだよ。知り合い。結構昔からの付き合いなんだよねー」
ここは図書館だ。迷子になりすぎて入り口付近に戻ってきているとかでなければ、人と待ち合わせをするには不適な場所だと言えるだろう。となると、この図書館の職員のことを言っているのだろうか。
「コトノはどうしてここに? 観光のつもりで入って迷子になったりとかしているの?」
「あっえぇと……観光じゃなくて、一応本を探しに……」
「そうなんだ。だったらさ、私の知り合いに聞いたらすぐに場所がわかると思うよ。さぁほら、ついて来て」
「いや……それは……」
やはりと言うべきか、彼女がいう知り合いはこの図書館の職員らしい。しかし、琴乃としてはどんな本を探しているのかなどといった具体的なことを他人に言いたくなかったため、この状況に少なからず困惑してしまう。
そんな琴乃の心情を知ってか知らずか、ミナは琴乃よりも小さな体躯を懸命に伸ばして顔を近づけ、小声で話しかける。
「もしかして、異世界に関する本を探してる?」
「えっどうして……」
「あーやっぱり。だったら、なおさらついてきた方がいいよ。ほら、私について来て」
「いや、だから」
「この図書館、ダンジョンだから自力だったらほしい本は一生見つからないって。ほら、私について来て」
ミナは琴乃の疑問に答えるつもりはないらしく、ちらちらと後ろを振り向きながら歩き始める。
こうなると、選択肢は少なくなってくる。確かにこの図書館の規模と異常なまでの複雑さを考えるとミナがいう知り合いに案内してもらった方が早くほしい本が見つかるだろう。もっと言えば、ミナがどうやって琴乃が探している本を当てたのかという点についてはちゃんと聞いておいた方がいいかもしれない。その一方で仮にミナからなぜ異世界に関する本を探しているのかと聞かれたときに答えに窮するのは間違いないため、素直についていっていいものかという悩みの種も生まれている。
「ほら早く!」
「あぁもう。わかったわよ」
少しの間、その場で考えをまとめようとしていた琴乃だったが、ミナにせかされるような形で歩き始める。
正直なところ、彼女についていって大丈夫なのかと心配なのは事実なのだが、なんとなく彼女をこのまま放置しておく方の不安が大きいように感じたのだ。
琴乃の返事を聞いて、ミナは笑顔を浮かべて歩き始め、琴乃は小さくため息をついてからその背中を追いかけ始める。
「ねぇねぇコトノはどうして旅人になったの?」
「それは答えなくちゃいけない質問?」
「だったらさ……」
ミナが立ち止まり、こちらを向く。
「コトノは本当にフランソワ出身なの?」
「私の出自を疑ってるの? 私はメアリ公国領フランのフランソワ出身の人間よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「へーそうなんだーまぁいいわ」
琴乃の答えで一応納得はしたような態度を見せたミナは再び前を向いて歩き始める。
本当に彼女についていくという答えは正解だったのだろうか? そんな疑問を頭に浮かべながら、琴乃はミナの背中を追って再び歩き始めた。
*
ミナと再会してから十分程度の時間が経過した。
ミナは琴乃と話しながらも迷うことなく図書館の廊下を進んでいく。
「……それでね、私が言ってやったのよ……」
それにしても話のネタが尽きない子だな。琴乃はそう思いながらも、彼女の話を適当に流していく。
「あっ着いたよ」
唐突に会話が途切れ、そんな声が聞こえてきたのはそれからさらに十分程度経過したころだった。
「えっと……ここって……」
琴乃の見間違いでなければ、ミナが立ち止まった扉には「館長室」と書かれた札がかけられている。
「えっと……ミナは館長さんと知り合いなの?」
「そうだよ。館長だったら、本の場所もちゃんと知ってるし、禁書の閲覧権限もあるからきっと役立つ本を紹介してくれるはずよ」
「へ、へーそうなんだ……」
図書館の知り合いと聞いて、勝手に図書館司書の誰かだろうと思っていたのだが、まさか館長と知り合いだとは思わなかった。
「いきなり館長さんの所に行って大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。ここの館長はだいたい暇だ暇だって言ってるぐらい暇人だから」
「それって館長としてどうなの?」
「さぁそれは私にはわからないけれどいいんじゃないの?」
言いながらミナは館長室の扉をノックする。
「館長さん。ミナだけど、入ってもいい?」
ミナの言葉からしばらくすると、扉を開いてけだるそうな表情をした女性が顔を出す。
館長は黒い瞳で琴乃の方を一瞥してからミナの方へと視線を移す。
「ミナちゃん。今日はお友達と一緒なのね」
「ちょっと、ミナちゃんはやめてよ。まるで子供みたいじゃない」
「私たち人間視点で行くとあなたの場合、見た目からして子供なのよ。まぁいいわ。入っていいわよ」
そこまで言うと、館長は扉を大きく開けて琴乃たちを室内へと招き入れる。
「お邪魔しまーす」
「……失礼します」
元気よくあいさつをしながら入室するミナに対して、琴乃は少し遠慮がちに部屋に入る。
「適当に座っていてちょうだい。私はお茶を淹れてくるわ」
「あぁその。お構いなく」
「いいじゃない。お茶ぐらいもらっとけば。館長さん。お茶お願い」
元気よくお茶を入れるよう注文した後、ミナは琴乃の耳元まで顔を持ってきてささやく。
「館長の淹れるお茶はおいしいから飲んでおいて損はないよ」
お茶がおいしいとかそういうの以前に館長にお茶を淹れさせるというのが問題なんじゃないかと言いたいところだが、そのあたりについては二人の間柄の話になってくるのでこれ以上は首を突っ込まない方がいいだろう。
「じゃあ私たち座って待ってるよ」
「えぇどうぞ」
館長が入り口とは別にある扉の向こうに去っていくのを見送りつつ、琴乃はミナと共に部屋の中央に置いてある応接セットのソファーに腰かける。
それからしばらくすると、館長は三人分のお茶が入っているティーカップを持って再び姿を現し、琴乃たちの前にそれぞれ置いた。
「さて、まずは自己紹介から始めましょうか。私はアカリ・ツキウラ。ツキウラ家十代目当主にしてこの図書館の館長よ」
「琴乃です。旅人をしています」
「へー旅人さんなんだ。私よりも年下みたいだけど、大変じゃない?」
「えっと、旅を始めたばかりでして……」
当たり障りのない会話をしながら、琴乃は館長……アカリの容姿を視線に視界に収めていく。
彼女はこの世界では珍しいとされている黒い髪と黒い瞳を持ち合わせ、肌色なども含めて同じ日本人なのではないかと錯覚させるような見た目をしている。年齢は20代後半ぐらいだろうか? いや、ツキウラ家の当主と名乗っていたから見た目だけでもう少し歳をとっている可能性もある。
「そうなんだ。旅を始めたばかりなのね。どういった目的で旅をしているの? やっぱり、広い世界を見てみたいとかそういうの?」
「えぇまぁ一応、そんなところですね」
本来の目的はこの世界から見て異世界である日本に帰ることなのだが、そんなことは口が裂けても言えないので、アカリが提示した話に同調する。
「そうなのね。素晴らしい旅になることを願っているわ」
「……ありがとうございます」
「まぁ前座はさておいて、本題に入りましょうか。ただ単にお友達を紹介しに来たわけじゃないんでしょう?」
「うん。ちょっと、探してほしい本があるの」
ミナから目的を聞き出したアカリは苦笑いをして答えを返す。
「えっと……それは絶対見つけなきゃいけない感じ?」
「うーん。私じゃなくて、コトノが探している本だから詳しくはコトノに聞いて」
「あぁそうなのね……じゃあコトノさん。あなたのお探しの本はどんな本なのかしら?」
アカリの視線が琴乃の方へ向く。
「いや、その……異世界に関する本を探してまして……」
正直なところ、素直に話して大丈夫なのかと心配だったのだが、ミナに目的がばれている以上、ごまかすわけにもいかない。
琴乃がそういったことを考える一方で、アカリは小さくため息をつく。
「……ずいぶんと変わった本を探しているのね」
「やっぱり、ないですかね? そういう本は」
「いや、あるにはあるのだけど……どこにあったかしら」
「あぁやっぱりそうですよね……」
そこまで行ってから琴乃は気づく。
そして、驚いた勢いで大声を出した。
「あるんですか!?」
これにはアカリやミナも少々驚いたようで、アカリはたどたどしく返事をする。
「えっえぇ。この図書館にはありとあらゆる本があるわ。ただ、その……あなたが探している本を見るためにはメアリ家の許可が必要だからちょっとだけ待ってもらってもいいかしら?」
「はい。大丈夫です」
琴乃が返事をすると、アカリは小さく笑みを浮かべる。
「それじゃあ、また明日になったらここに来てくれる? 入口の司書にはあなたのことを伝えておくから、司書が案内してくれるはずよ。それと、私はミナちゃんと話がしたいから申し訳ないけれど帰りは適当に司書を捕まえて案内をお願いしてもらえないかしら?」
「はい。わかりました。それではまた明日ここに来ます」
「えぇよろしくね」
その会話が終わると、琴乃は席を立ち、アカリはにっこりと笑みを浮かべたまま手を振る。
「ちょっと待った!」
そんな二人の間に割って入ったのはミナだ。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……」
ミナが琴乃の座っていた場所の目の前を指さす。
「まだ館長さんのお茶飲んでないじゃない。おいしいから、ちゃんと飲んでいってよ」
「あぁごめんなさい」
ミナの指摘を受けて琴乃は再び腰掛ける。
「別に私の淹れるお茶は茶葉がいいだけで普通のお茶よ?」
そう言ってアカリは笑い始める。
「そんなことないよ。おいしいものはおいしいの。ほら、アカリも飲んでみて」
「えぇうん……」
ミナにせかされるような形で琴乃はお茶に口をつける。
「あぁうん。おいしいね」
アカリやミナには申し訳ないが、それ以上の感想は出てこない。
確かに今までこの世界で飲んだ紅茶に比べればおいしいような気もするのだが、個人的には日本で売っているペットボトル入りの紅茶の方がおいしいように感じてしまったのだ。
「えっ? それだけ?」
そんなことを考えている琴乃の横でミナは少々驚いたような表情を見せている。
「ミナちゃん。人の好みはそれぞれ違うのよ。あなたにとって私のお茶は最高かもしれないけれど、彼女にとっては普通のお茶なのよ」
「うーん。そっか……」
アカリに諭され、残念そうな表情を浮かべているミナに対して、アカリは優しい口調で語り掛ける。
「これも一種の勉強ね。そうだ。せっかくだし、このままお茶会でもしましょうか。そうそう。この前、メアリ公爵令嬢にいいお菓子をもらったの。それを出してあげるわ」
「あぁその……そこまでは……」
「いいからいいから。暇つぶし程度でいいからあなたたちと話がしたいだけなの」
あくまでもお茶会を断ろうとする琴乃だが、その願いは届くことなく、アカリは再び扉の向こうへと姿を消してしまった。
「いっぱいお話ししようね」
満面の笑みでそう告げるミナに対して、琴乃は列車内での質問攻めを思い出し、少なからず恐怖に襲われる。
願わくば、アカリが上手に質問攻めを抑え込んでくれますように。
そう考えながら、琴乃はソファーに深く腰掛けるような形で天井を仰いだ。