プロローグ
統一歴1994年9月。メアリ公国領フランの都市フランソワ。
かつて、高名な魔法使いを多く輩出した私立フランソワ魔法学校の地下室では歴史の特別授業が行われていた。
「……であるからして、かつて勇者はこの部屋から魔王を倒すために旅立ったわけです」
この学校の教員服となっている黒いローブに身を包んだ女性が声高らかに授業を行う。それを熱心に聞き入るのはブラザーやセーラー服といった制服に身を包んだフランソワ魔法学校の生徒たちだ。
「先生。勇者はどこから来たんですか?」
一人の女子生徒が質問をする。
「それに関しては文献に残っていませんが、フランソワの住民だったのではないかと言われています」
教師からすれば想定通りの質問だったのだろう。女性は迷うことなく、生徒の疑問に答えを提示する。
「せんせー! 質問いいですかー?」
続いて手を挙げたのは後ろの方に立っている男子生徒だ。
先生は女子生徒の方を一瞥してから男子生徒の方へと手を伸ばす。
「どうぞ」
「勇者は異世界人だっていう噂がありますよね? そのあたりについてはどうなんですか?」
突拍子もない質問に部屋がざわつき始める。だが、先生はいたって冷静に対応する。
「みんな静かに……えーと、そもそもですね。異世界と言う物自体が存在しないので異世界人などと言うことはあり得ません」
「どうして異世界がないと言い切れるですか?」
「それは……普通に考えればわかるはずです。そもそも、本当に異世界が存在し、勇者がそこから来るのなら異世界との交流があってしかるべきです。それもなく、もっと言えば、勇者が異世界人であるという文献がないとなれば……カレン! 先生の話はちゃんと聞きなさい」
先生は話を中断して、一人の女子生徒に声をかける。カレンと呼ばれたその女子生徒は壁にもたれかかり、通信用水晶を操作していたのだ。
「授業中に水晶を使ってはならないと何度も注意しているはずです。これ以上やったら取り上げますよ」
「はいはーい。わかりましたよー」
カレンは水晶をカバンにしまい、左手で壁を押した。
すると、カチッと小さな音がなり、続いてゴーという地響きがし始める。
「えっヤダ。地震?」
「地震だー! 伏せろ!」
「キャー!」
「落ち着いて! 落ち着いてください!」
突然の出来事にパニックに陥る生徒たちをなだめようと先生も声を張り上げる。それから1分もしないうちに地響きは収まり、今度はカレンがもたれかかっていた壁が消えた。
「キャッ!」
想定外の出来事に対応できず、カレンはそのまま壁の後ろに空いている空間へと落ちる。
「カレン! カレン! 大丈夫ですか?」
カレンからの返事はない。
「誰かこの事態をほかの先生に伝えてください! 私は壁の向こうの様子を見てきます」
本来であれば、教員である彼女がこの場に残るべきなのかもしれないが、カレンがどういう状況に陥っているかわからない以上、悠長なことは言っていられない。先生はカレンが落ちて行った壁の向こうの穴の中を覗き込む。
「これでは下の様子がわかりませんね」
そう言いながら、自身に浮遊の魔法をかけてゆっくりと下へ下へと降りて行った。
*
西暦2022年8月。日本国愛知県某所。
その日、園部琴乃は自宅の最寄り駅で電車を待っていた。
肩ぐらいまで伸びる黒くつやのある髪と黒い瞳、肌白で小柄な彼女は半袖のキャラ物のTシャツとミニスカートを身にまとっている。
うだるような暑さの昼間と言うこともあってか、複線の線路を挟むような形で一本ずつあるホームにある人の姿はまばらで、琴乃は少しでも涼しいところを求めて屋根の影になっている部分に立つが、そんなちっぽけな努力など打ち消すほどひどい暑さだ。
涼を求めることをあきらめた琴乃がホームの壁に背を任せ、スマホを操作し始めると、カンカンと踏切の音が鳴り始め、駅の間近にある片側二車線の道路を遮断する。
『まもなく、2番線に電車が参ります。黄色い線までお下がりください。通過電車です。ご注意ください』
自動放送が流れてから少しして、赤い車両の特急列車が勢い良く目の前を通過していく。
その列車が通過した後、ホームに園部琴乃の姿はなかったのだが、誰も気に留めることはなかった。
*
統一歴1995年4月。
フランソワの町のはずれにあるフランソワ駅に琴乃の姿はあった。
この世界では今から数十年ほど前に産業革命が起き、これまで魔法に頼っていたあらゆる仕事を徐々に機械に任せるようになってきているそうだ。今、琴乃の目の前に停車している蒸気機関車もその一つであり、これまで一部の魔法使いを除き、徒歩か馬車でしかできなかった都市間の移動を劇的に改善させた発明だ。
もっとも、古くから魔法使いの町として名をはせてきたフランソワの町において蒸気機関車などの機械は従来の魔法使いの仕事を奪う敵とみなされ、あまり歓迎はされていないのが現状で、中には機械を使うのは悪だと主張する集団まで存在するような状況らしい。
「コトノ。本当に旅に出る気なの?」
真っ黒な蒸気機関車とそれに続く木製の客車を見つめる琴乃の背後から声がかかる。それに呼応するように振り向けば、息を切らしながらもまっすぐとこちらを見つめるカレンの姿があった。
「えぇそうよ。ほら、本国のメアリ駅までの片道切符」
「本当に行っちゃうのね……」
「そうね。往復で切符買えるほどお金持ってないし、私が求めてるものはたぶんここにないから」
カレンは魔法学校の地下施設に施された魔法陣を誤って起動させ、私をこの世界に導いた張本人だ。もっとも、私が異世界から来た人間だということはあの日、その場にいたカレンと歴史の授業を担当していた先生、フランソワ魔法学校の上層部の人間しか知らない。
先生曰く、学校の地下室のさらに地下にある隠し部屋にあった魔法陣は異世界の人間を召喚するもので、魔王を始めとした魔族がこの世界を支配しようとしていた時に勇者を異世界から呼び寄せるために造られたのだろうとのことだ。
魔法学校の上層部は機械にはできない偉業だとして、世間に琴乃の存在を広めようとしたのだが、琴乃自身の強い訴えによりそれは叶わなかった。いい年をした大人たちにいいように使われる未来が見え据えていて嫌気がさしたというのが大体の理由だ。
「ねぇコトノ。最後に一つだけ聞かせて?」
「何?」
「世界を旅して、それでも求めるものが見つからなかったら……」
なんとなく、カレンの言いたいことはわかる。なので、琴乃は彼女の言葉をさえぎって話始める。
「私、そういう事は考えない主義なの。見つからないと思ったら、見つかるものも見つからないでしょ?」
「そうかもしれないけれど……」
カレンが次の言葉を口にしようとした瞬間、カンカンと鐘が鳴り始める。
「いけない。発車時間だ。早く乗らないと」
「コトノ!」
客車に乗り込む琴乃にカレンが声をかける。
「大丈夫よ。この先何があろうと、あなたが私の最初の友達だって事実は変わらないわ」
それだけ言うと、琴乃は再びカレンに背を向けてデッキと客室を区切る扉を開ける。
そんな琴乃に向けてカレンは何か言っているようだが、気にせずに琴乃は空いている座席に腰かけた。そのころには列車の扉も閉められ、汽車はゆっくりとフランソワ駅から発車する。
「さようならカレン。ありがとう」
ホームの先端まで走って来て涙目で見送りをしているカレンに向けて、琴乃は小さな声でつぶやいた。