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走りのカズ 危険な郵便局員  作者: MAHITO
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埠頭でのカズ

仕事帰り、サブは同僚から誘いをうけるのだが、ひとりになりたくて夜の埠頭に向かうのだった。埠頭はカズにとって心休まる場所だった。

 5


 一日の仕事を終える。ロッカーに汗の染み込んだ郵便局員の制服を放り込むと、革ジャンとジーンズの私服に着替えた。もちろんレイバンの黒眼鏡を外すことはない。

 四十過ぎた既婚歴のある男が、凝りもせず二十世紀のロック歌手のような服装をする。

 たまに街を歩き、ショーウインドウの硝子に映った自分の姿を見ると、時代錯誤のおっさんがなに粋がってるんだ、と笑ってしまう。

 五年前に妻と別れた。それ以前に夫婦仲が悪くなって修復が効かないところまできていた。

 生活へのいら立ちがつのると、仕事以外のときには革ジャンを着るようになった。もとから黒眼鏡は着用していたから、はた目から見ると、完全に怖いおじさんに見えるだろう。


 着替えをすませ、いざロッカールームから出ようとすると、西郵便局では、唯一仲のよい林という男が肩をたたいてきた。

「カズ。久々に若い女と遊ばないか?」

 小声で誘ってきた。

 林はカズと同じ世代だ。若いころから恰幅がよかったが、最近になってさらに腹がでっぱってきた。この歳になるまで結婚したことがない。ずぅっと独身のため夜の街にはめっぽう強い。

 カズも数度、林に連れられて楽しんだことがある。

「今日はパスだ。マンションに帰って、飯を食って、そのまま寝るよ」

「ははは――。おまえも独り身だったら、もっと遊べよ。走りのカズと呼ばれてんだろ。夜の街にもガンガン突っ込めよ」

 ロッカールームには他の局員もいる。

 小声で話しているつもりでも、林の声は丸聞こえだ。早く話を切り上げたかった。

「走りのカズってのは、おれが郵便局員になったばかりのころつけられたあだ名だぜ。あのころは配達のとき飛ばしてばかりいた。でも、おれはもう四十過ぎているんだ。昔ほどじゃねぇって――。卒業させてくれないか」

 カズの言葉に、今度は林のほうが憮然としてため息をついた。

「歳のことはいうなよ。おれも腹が出てきて、以前ほど女にもてなくなった」

 過去に林が女にもてたというのを聞いたことはないが、カズが局員になって林と出会ったころと比べると、腹に何段も肉片を重ねているのは確かだ。

 腹をポンとたたくと、林は、

「また、今度誘うぜ」

 そういって、先にロッカールームから出ていった。


 陽の落ちた職員駐車場にカズの愛車が待っていた。

 街路灯に照らされて、ホンダの四〇〇CCのバイクが黒光りしている。このクラスの車体重量は手ごろで、気に入っている。

 カズはシルバーメタリックのヘルメットをかぶり、黒革のグローブをはめた。郵便局の駐車場から出ると、アクセルをふかし、いっきに車両を解き放った。

 頬に冷たい風が当たる。もう年の瀬も近いと気づかされる。

 林にはああは言ったが、このまま一人のマンションに帰る気にはなれなかった。

 アクセルをふかし、国道から臨海道路へと入った。

 カズには、たったひとつ、すべての煩わしさから解放されるスポットがあった。


 臨港地帯にひしめく工場群の鉄塔が夜を照らす。暗黒色の海に向かう埠頭に出ると、係留された船たちが、きらびやかな照明を点滅させる。

 都会の海に星がないぶん、なおさらそのきらめきは美しい。夜の港がカズを迎えてくれる。

 係留された貨物船、荷役の大型クレーン、倉庫群。取り巻くすべてが静まり返っていた。

 今日は一人になりたかった。この日も、といったほうが正確だろうか……。

 ホンダを止めると、埠頭のへりに海に脚を投げ出すようにすわった。波しぶきが時おり革のブーツにかかった。

 ラッキーストライクに火をつけた。お気に入りの煙草である。

 冷え冷えとした心頭に情景が浮かぶ。

 望んではいないが、時としてこの埠頭にはさまざまな人間が集まり、いろんなドラマを生みだしてくれる。

 まっさきに浮かぶのは、車ごと海につっこみ、自殺を図る輩のことだ。カップルであったり、家族であったり、もちろんひとりで飛び込むものだっている。

 カズにとってみれば、心穏やかにしてくれるこの場所で、飛び込んで死ぬ奴の気がしれなかった。

 カズはこれまで一度も死にたいと思ったことはなかった。かといって、生きて何かをしたいとも思わなかった。


 そんな自分が変われるものならばと、三十を過ぎたころ、希望を抱いて結婚もした。

 子どもも出来た。それでも、精神的に落ち着くことはなかった。

 娘と出て行った妻——。

 その妻が、ステージママにのめり込んでいったのは、芸能界が好き、娘が可愛いだけではなく、別の理由があったのかもしれない。

 妻はカズを人間として信頼しきれていなかったかもしれない。きっとカズに過去の女を拭いきれない女々しさを感じ取っていたのだろう。そんな良人とは未来を築けなかった。

 カズは大学を卒業して警察官になった。

 順調に成果をあげて、二十七歳のときには県警の刑事になっていた。そのいっぽう学生時代からつき合っていた婚約者がいて、結婚も間近に控えていた。それは別れた妻と結婚する前のことだった。

 公私とも、すべてが順調だと思われた。

 だが、すべてがうまくいくなんて話、この世にあるのだろうか? 一寸先は闇というように、いきなり奈落の底に落とされた。

 婚約者が自殺したのだ。昼間、配達先で会った元市会議員の菊池の妻と同じ飛び降り自殺だった。

 カズがもの思いにふけっていると、ルルルル……と、何者かがエンジン音を落として埠頭に入ってきた。

 カズからは少し離れた外国船のほうへ静かに近づくと、埠頭のへりで止まった。

 薄明りのなかに赤紫のナイロンジャケットが浮かんだ。ジーンズのヒップから女だとわかる。

 フルフェイスのヘルメットから肩にかけて長い髪の毛が見えた。その髪は薄明りのなかで明るかった。金髪か、茶髪か。黒髪でないことは確かだ。

 使用しているのは赤のヤマハのバイクだった。


 ( 続く )

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