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走りのカズ 危険な郵便局員  作者: MAHITO


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21/23

女狐のとった行動  

カズの思いとは裏腹に、自分の気持ちに従う亜里沙。

  21


「火をつけて」

 と、カズに頼んできた。

「ほう……。おれでいいのかい?」

「そう、あなたによ」

 亜里沙はくり返すと、カズの背中から横にと、立ち位置を変えた。

 カズは苦笑いをした。

 革ジャンを着て、黒眼鏡をかけていても、しがない郵便配達員だ。

よりによって、そのさえない男が、華やかな芸能関係者がそろったなかで、安物の使い捨てライターでお嬢さまの煙草に火をつけている。笑いぐさだった。

 揺れるライターの火が、意固地いこじに眼を怒らせた美形を照らす。

「おいしいわ……。ラッキーストライク」

 亜里沙は口から白い糸を吐き出した。

あらためてカズは向かい合った。

「もう、このぐらいでいいのじゃないのか? 亜里沙がグループを従えて、メインボーカルで歌っているのをTVで観たとき、こいつは輝いていると思った。曲にも恵まれているし、おまえの歌唱力は抜群だ。社長らもいろいろ動いてくれているんだ。いま、芸能界を捨てることはない。おれの役目もこのあたりで終わりだ……」

 アイドルの歌に興味がなかったので実際のところはよく知らない。適当なことを言った。


 亜里沙の吐き出した紫煙が温かい息とともに、カズの頬から耳をかすめた。

 まだ幼さの残る整った顔を強く横に振った。

「わたしの頭のなかで、また、恐れていた、時計の秒針が動きだしそうよ。カチカチと神経に触る音よ。過ぎさった過去が頭の芯を突き刺してくる……。あのとき……、この人たちに強引に引っこ抜かれなかったら」

 怒りを込めた眼で社長を睨んだ。

「十七歳のころ、この街の芸能養成コースにいたからといって、わたしはアイドルグループの一員になりたいなんて考えてもいなかった。甘ったるい歌を唄って、舞台でお決まりの笑顔を振りまく人生など考えてはいなかった。あの時、社長が現れて、わたしの時間が狂ったの! 十七のころに時間が戻れとばかりに、秒針の音がわたしを襲う。カチカチと頭のなかで響く。わたしが目指していたのはミュージカル女優!」

「亜里沙……」

 困惑した表情で社長が亜里沙の名を呼んだ。

「それなのに、強引にアイドルなんかにさせて――。アイドルを取り巻くファンって、何を考えているかわからない大人子どもの男達——。そのファンのために毎日毎日、笑顔を振りまき、サイン会にも出る。目と鼻の先で、男たちの異臭を感じ、挙句の果てに,ねちっこい汗を手のひらにためた男たちとの握手。まるで見物客たちに触られほうだいの動物園のヤギよ。それも意思をもたない従順なヤギ。自分のこと、なにやってんのって思っていた!」


 そこまで言って、亜里沙は煙草を思いっきり吸い、カズにおかわりを要求した。

 カズに新しい火をもらうと、煙とともに、さらに溜まりに溜った不満を吐き出した。

「それにイブニング娘。わたし、他の四人のメンバーと仲が悪いんだ。グループの人気、とくにわたしの人気が出てくると、四人からのイジメがはじまった。楽屋でよく私物を隠された。ステージに出るまえに、何度も脚を引っかけられたことがある。わたしひとりが人気者であるのが耐えられないのよ。四人は常にわたしの引き立て役だからね。それこそ社長は、残りの四人か、わたしひとりをとるか、選べと言われたらどうするの?」

 開き直った亜里沙は社長に問いつめた。

 即答だった。

「待ってくれ。グループに戻ったら、四人には決して亜里沙に悪さをしないようにきつく言う。それでも、そのようなことをしたものがいたのなら、その娘はクビだ。わたしは亜里沙をとる。決まっているじゃないか。おまえにはしばらくはグループを続けてもらって、頃合いを見計らって、歌手から女優に転身してもらう。うちのプロダクションで計画する。もちろんミュージカルのステージへも立つことができる」

 亜里沙はこれまで憎しみの眼で社長を見ていた。


ここにきて、その眼の表情が微妙に変わった。社長の言葉に多少なりとも心が動いたのだ。かたわらにいるカズにもわかった。

 一度でもステージの華やかさを味わったものは、その高揚感を忘れられないという。彼女とて例外ではない。

「さぁ、いっしょに東京に戻ろう」

 人懐っこい笑顔を装うと、社長とマネージャーのふたりは、カズと亜里沙に詰め寄ってきた。

「もう、あなたにもわかっただろう」

 社長はカズに、ここは身を引いてくれと促した。背中にいる亜里沙も黙っている。

 ここからは当事者に任せよう。カズは身体の位置をずらし、亜里沙に道を開けた。芸能界への再出発を祝福するつもりでいた。

「いいだ。車に乗って帰ろう」

 社長は手を差し伸べた。まさに亜里沙の肩に触れようとしたとき、彼女は委縮して、子猫のよう肩をすくめた。

「わたしは……」

 亜里沙は声をつまらせると、それまで手にしていた煙草を指ではじいた。赤い口紅のついた吸殻が、風で不安定な軌道をたどりながら舗装された埠頭に跳ね返った。小さく煙草の火が散った。

「戻らない!」

 亜里沙はきっぱりそう叫ぶと、ジーンズの脚で、社長のふくらはぎを思いっきり蹴りつけた。もちろん怪我をしていない左足で。

 脚をすくわれた社長は、悲鳴とともに埠頭のコンクリートに仰向けに倒れた。

「こいつぅ。なにをする!」

 血相を変えて、マネージャーが亜里沙に飛びかかった。

 咄嗟にカズの脚が出た。

 亜里沙を救おうと、反射的にマネージャーの脚をすくったのだ。こちらも悲鳴をあげて社長のうえに重なるように倒れた。

 警察時代、いや武道を習っていた学生時代からの長年の習性か。思わず手を出してしまった。

 カズは、やってしまった、と思った。


 ――まいったぜ! 暴力をふるったのはこちらだ。明らかにが悪い。

 亜里沙は、まるで野生動物のような素早さで、カズのホンダの後部座席に飛び乗った。金髪の女狐とはよくいったもの。

「カズ! わたしをあなたのバイクに乗せて、逃げて!」

 後の祭りだった。

 カズは小娘のペースに乗せられて、ホンダに飛び乗ると、エンジンの回転数をいっきに上げた。

 振り落とされないようにと、亜里沙の腕が強くカズの腰に巻きつく。

 もはや勢いだった。三十六計逃げるしかず。相手がケガをしていないことを祈る。

 バックミラーに、夜の埠頭でふたりが立ち上がる姿が映った。悄然と肩を落としていた。


 しかし、この夜は、これで終わらなかった。

 倉庫群を過ぎて、幹線道路に出ようとしたときだった。背後から、いきなりクラクションの連射砲が襲いかかってきた。

 芸能プロのクラウンのものではない。


 ( 続く )



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