亜里沙の別の顔と、これからと
芸能プロダクションの社長は、港で亜里沙への説得を続ける。
20
「ぬ、盗んだぁ!」
亜里沙の口から出た言葉にカズは腰を抜かしそうになった。
「ど、どういうことだ?」
振り返って、背中の亜里沙を見ようとすると、首を横に向けて、視線をカズから外した。
――亜里沙は絵画の窃盗犯だというのか?
苦虫を噛みつぶしたような顔になると、社長は怒鳴った。
「口に出しやがって!」
マネージャーも舌打ちした。
芸能プロからしたら、何としても隠しておきたい所属タレントの秘密だったのだ。
いまにして思えば、亜里沙はカズのマンションでも壁に飾った絵画に興味を示していた。中学生の頃の夢も絵描きになるか、歌手になるかのどちらかだといっていた。
しかし、芸能界の花形歌手が美術館から絵画を盗むなんてことがあっていいものだろうか? もし、それがほんとうなら前代未聞だ。
それにだ。よっぽど手慣れたものでなければ、セキュリティの行き届いた美術館から盗みなどはできない。
それこそ盗みのエキスパート!
たいていのことでは慌てないが、このときは違った。革ジャンのポケットから、強張る指先で、ラッキーストライクを取り出すと、周りにいる三人から目をそらしライターで火をつけた。いつもより味が苦かった。
気を取り直し、社長は口元をゆるめた。
「その件は解決ずみだ。亜里沙が心配することはない」
亜里沙は、わからないというように首を横に振った。どうしてそんなことがいえるのか、と。
社長は自信ありげに説明した。
「うちのプロダクションにローン地獄に陥っていた歌手がいてね。身代わりになってもらうことにした。警察には、その彼女を犯人として差し出し、絵画はわたしのほうから迷惑料込みで美術館に返しておいた。身代わりの彼女も前科はつくが大した罪になりはせん」
カズの背中で、亜里沙の嘆きが聞こえた。
「そんなぁ……、そんな」
おうように構える社長。
亜里沙の声が一段高くなる。
「その歌手っていうのはSさんね! ひどい! Sさん。わたしが芸能界に来て悩んでいるとき、ずいぶん親身に相談にのってくれた。Sさん……、お父さんがいなくてお母さんが重病で入院している。お金に困っている。よりによって、Sさんを! 弱みにつけこんで、彼女を絵画の盗犯にするなんて! 許せない!」
悲鳴のような声で社長を責めた。
これまでカズが知る彼女は、クールでおおかたのことには動じなかった。彼女らしからぬ態度だ。
「そういうな。これも亜里沙に前科者になってほしくないからだ。亜里沙にはかすり傷ひとつつけさせない。それにSとは持ちつ持たれつの関係だ。あいつは、芸能界にはいられなくなったが、別の仕事について暮らしてゆけばいい。このところ仕事にもありつけず、自分が芸能界でやっていくことを半ばあきらめていたから、足を洗うのにもよいタイミングだ。亜里沙は、なんの心配もなく、芸能界で活躍してもらえばいい」
薄汚い芸能界の裏事情を聞いて、カズの身体が強張ってきた。カチカチになった身体をほぐすためにゆるりと首を回した。
ただ、物は考えようだった。芸能界に限らず、この類の話は世間にはいくらでもある。ここでおさまるのならそれもよいか……、と思ったりもした。
背中にしがみつく亜里沙を肘でつつくと、仲直りしなと促した。
風に吹かれた金色の髪が、カズの頬に触れた。
すると、いきなり、カズの背中に触れる亜里沙の身体が、暴発するような熱を帯びた。
カズの肩越しから、社長に向かって声を上げた。
「社長! あなた、何もわかっていないわ!」
「う……」
その勢いに社長はめんくらった。言葉が出ない。
いきり立ったマネージャーのほうが声を荒げた。
「亜里沙。どういう意味だ! 社長は、おまえのためを思って罪をかぶらないようにしたのだ。恩を感じろよ!」
「嫌なのよ! 薄汚いことばっかり!」
感情的になった亜里沙は怒りをぶちまけた。
「こんな盗人のわたしが言うのもあつかましいけど、芸能界にいるのは、もう嫌! 一日中、子犬のように首輪をつけられている。リードロープで引っ張られ、あちこちのスタジオを回され、自分をごまかして、カメラ用の顔をつくり、歌ったり踊ったりするのは、もう嫌! それが一年三六五日続くのよ。わたしの生活なんてこれっぽっちもない!」
怒りは、カズの左腕をつかんだ手にも表れる。女といえ、めいっぱいの力だ。カズの腕をあらぬ方向に捻じ曲げてしまいそうだ。
思わず、カズは顔をしかめた。
社長はこらえて笑顔をつくる。
「お前は少し疲れているんだよ。今は一時的に自分を見失っているだけなんだ」
なんとしても亜里沙を手放したくないようだ。
亜里沙は五人のイブニング娘のなかで一番の歌唱力と美貌を持ち、グループのなかで断トツの人気をほこる。今のアイドル界でもピカ一だ。亜里沙抜きではグループの人気が維持できないのだろう。
それに、この社長の芸能プロは、どうやら小さなものらしい。彼女以外には金になる木がないようだ。
彼女がいるといないとで、芸能プロの存続にも関わってくる。
「わたしは芸能界をやめる!」
亜里沙がヒステリックに口にすると、マネージャーが口を突っ込んだ。
「わがままをいうな! おまえの罪を消すためにどれだけ苦労したか」
「マネージャー。ちょっと黙っていてくれないか」
社長が制止すると、マネージャーは唇をかんだ。
「亜里沙。聞いてくれ」
社長は足を一歩踏み出す。亜里沙はカズを盾にして下がった。
「わたしがこの港のある街で亜里沙を見つけたのは四年前のことだ。知ってのとおり、わたしの芸能プロは弱小だ。当時は売れないタレントを連れて、わたし自らショッピングモールやハウジング会場のイベント周りをしていた」
昔を思い出したのか、社長は一瞬、顔を上げた。港の頭上には星も瞬いていた。
気を取り直すと、
「そんな頃の話だ。あるイベントのあと、たまたま夜、時間があったので、貸しビルの二階でやっている芸能養成コースを覗きにいった。そこでは十人前後の若者が歌やダンスを習っていた。そこで、わたしはひとりの少女に釘づけになった。それが亜里沙だった」
カズの陰に隠れる亜里沙を見つめる。
「周りの誰よりも輝いていた。まるでスクリーンから飛び出した、魔法の靴をはいた王女さまのようだった。そこですぐさま、わたしは亜里沙に東京に出て、一緒にやらないかと声をかけた。憶えているだろう。あの当時のことを……。わかってもらいたい」
カズの背中で亜里沙は黙って社長の話を聞く。
「芸能関係の仕事を三十年間やってきたものにとっては、おまえはどこにいて、なにをしていようと、輝いているんだ。スターになる運命を背負って、この世に生を受けた。おまえは宝石なんだ」
カズの背中にくっつく亜里沙から温もりが伝わってきた。社長の説得に身体が熱気を帯びてきのか?
埠頭でバイクにまたがる金髪の女狐の姿が、カズの頭に過った。
彼女は、華やかな世界で、最高の輝きを自らにもたせる術を本能的に身に着けている。
この娘は芸能界へ帰ったほうがいい。
カズは首を捻ると、背中にいる亜里沙へ、社長のもとへ戻れと目配せした。
亜里沙は眼をそらすと、
「わたしにも煙草くれない」
背後からカズの上着のポケットに指を突っ込んできた。煙草はポケットの奥のほうにある。
カズはふと考えた。
――たしか、亜里沙はカズのマンションのなかでは煙草を吸っていなかったはず……。居候させてもらっている身分をわきまえて、猫を被っていたのか?
そういえば、元市会議員の菊池も普段、家では煙草を吸わなかった。
ところが、黒の酒場では吸っていた。煙草ってのは、普段吸わない奴が吸おうとするときは、いつもの自分から一歩足を踏み出したいときに吸うものなのか?
では、亜里沙はどうなんだ?
亜里沙がカズのポケットのなかを探っていると、社長が自分の煙草を取り出して、差し出した。
「わたしの煙草を吸いなさい」
「社長のはいらないわ!」
強い拒絶だった。
亜里沙はカズのラッキーストライクを探し当て、一本抜き取ると、口にくわえた。
( 続く )




