芸能プロと亜里沙
逃げるだけでは駄目だ。カズに言われ、亜里沙は社長とマネージャーに会う。
19
話し合えとカズに言われると、亜里沙は小さくうなずき、芸能プロのふたりに向かった。
社長は哀願するような声を出した。
「亜里沙……」
いっぽうの亜里沙はつっけんどんな態度をとる。
「社長。わたしはもう東京に戻る気はない。マネージャーも乱暴な運転をして追っかけてこないで」
「なぁ、亜里沙。お前は疲れているんだよ……」
社長は話しだすと、カズがそばにいては話がうまくいかないとみたようだ。胡散臭そうにカズを見ると、
「どこの誰かは知らんが、わたしたち三人のなかに珍客として立っているお方。ここは当事者である、わたしたちだけにしておいてくれないか?」
ここから消えてくれと言った。
カズはかぶりを振ると、
「芸能プロのかたらしいが、おれはあんたたちにどうのこうの言うつもりでここにいるわけじゃない。問題は亜里沙の気持ちだ。彼女のほうはあんたたちから逃げたがっているのじゃないのか?」
「馬鹿なことを言うな! 亜里沙はうちのものだ」
これまでの柔和な顔が一転して、社長は顔を歪めると、亜里沙の腕をつかもうとした。
咄嗟に社長の手からすり抜けると、亜里沙はカズの革ジャンの肘にしがみついてきた。
「わたしを社長とマネージャーから逃して!」
しがみついてきたことで、カズはあらためて亜里沙の体型をしった。上背は平均的な女より少し高く、肉づきはやや少ない。
ひどく怯えて、身体を小刻みに震わせていた。亜里沙と芸能プロの関係がいかにこじれているのかがわかる。
よい方向へ向かえばと、亜里沙と芸能プロを合わせたが、こんな調子じゃあ、話し合いにもならない。
この場で決裂か?
芸能プロのふたりとカズとの間に沈黙の睨み合いがあった。亜里沙はカズの背に隠れた。
しばらくして社長が譲歩した。
「そこの革ジャンの人に知っておいてもらいたい。まず、わたしはこの娘の敵ではない。それから、あなたがここから去ってくれないというのなら、今からわたしと亜里沙との間で交わされる話を聞かなかったことにしてもらいたい。誰にも話してもらっては困るし、この場で聞いたことはいっさい忘れると約束していただきたい」
亜里沙の納得できる話になるならばと、カズはその提案にしたがうことにした。
「おれも騒ぎはごめんだ。ただ、この娘を見殺しにできないからここにいる」
「ともかく、わたしたちの条件をのんでもらいたい」
社長は上着のポケットから分厚い札入れを取り出すと、大雑把に指で万札をつまんだ。カズに差し出したそれは、たぶん十万円を超えているだろう。
「口止めの条件はのもう」
カズは受け取ると、そのまま亜里沙に手渡した。
「これは亜里沙のものだ」
亜里沙はフンと馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、それをジーンズの尻のポケットに入れた。
「おまえ!」
マネージャーがカズのほうへ一歩脚を踏み出した。肩幅も広く上背があるから、腕にも自信があるのかもしれない。社長はマネージャーを手で制すると、カズの顔を覗き込んで来た。
この正体不明の黒眼鏡は、いったい何を考えているのかと――。
だが、社長。冷静な対応をする。
「いいだろう。あなたを信じよう。しかし、面白い行動をとる人だね」
「みなから、おれは変わり者だといわれている。ここで聞いたことはすべて忘れるよ」
カズは指先で黒眼鏡の縁を触れると、片唇を上げて笑った。背中には亜里沙がべったりとくっついている。不安なのだろう。離れない、と意思表示する。
「チッ!」
そんな亜里沙のようすを見て、マネージャーが舌を鳴らした。不愉快なのだろう。
「まぁまぁいいだろう。ところで亜里沙。できたらゆっくり話せる場所に移りたいんだが」
社長はおうように構えている。改めて提案してきた。
亜里沙は即刻、首を横に振る。
ひとつ溜息をつくと、
「では、その黒眼鏡の人もいっしょで……」
いたしかたないといったように、社長はこの場で話しはじめた。
「別に気にすることはないんだ。事件のことは……」
カズにしたら、唐突に事件のことと言われても、なんのことかわからない。
背中で亜里沙の苦しげな息づかいが聞こえた。
「どういう意味? 気にすることないって、そんなことあり得ない」
亜里沙の声はかすれている。
「いいや」
社長はかぶりを振ると、息まいた。
「イブニング娘は今や国内のアイドルのなかでトップクラスの人気だ。亜里沙はそのイブニング娘のなかで一番の歌唱力と人気を持っている。そのことを自覚してほしい。亜里沙がいなくなったあと、入院中だなどと嘘をついて、残りの四人で活動しているが、そんな戯言がいつまでも続くはずがない。日本全国のファンが亜里沙を待っているんだ。病気療養の嘘も、じょじょに通用しなくなっている。これ以上、マスコミを騙し通すこともできん。亜里沙が失踪してからの一か月、ほうぼうを捜しまわって、ようやく、この地に身を寄せていることを突き止めた。やっとだ」
亜里沙は身体を、カズの陰に隠しダンマリを決め込んでいる。
「亜里沙。なぁ、おれたちと一緒に帰ろう」
マネージャーがいまにも泣きだしそうな声で訴えてきた。今度は哀れみをかおうというのか?
社長もマネージャーもここで押し黙った。亜里沙の返事待ちだ。
いやな沈黙が流れた。
海上から聞こえる汽笛の音が湿っているようだ。係留した大型船の照明が波で揺れた。
亜里沙が口を開いた。
「わたしが東京西欧美術館から盗んだ絵画はどうするつもりよ?」
( 続く )




