事件後のさえない一日
自宅に戻ったカズが眼を覚ますと、亜里沙がランチをつくってくれていた。
17
赤色回転灯があたりを染めていた。黒の酒場の前に止まるパトカーの後部座席に、菊池は両脇から警察に固められて沈み込んでいた。
警察官の陰になりその表情はわからないが、こんな手段に訴えてしまったことを菊池はきっと悔いているのに違いない。カズはそう思いたかった。
菊池はそのまま留置所に入れられる。いっぽうの黒はそっこく病院送りとなった。菊池は銃刀法違反、殺人未遂、傷害罪……、黒は覚せい剤取締法違反で捕まる。
カズも警察から状況をしつっこく聞かれた。
解放されたのは午前三時だった。また後日、聞き取りをするということだ。
くたくたになり、自宅マンションにたどり着くと、確か亜里沙は寝ていなかった。カズの帰りを待っていてくれたようだ。
マンションに着くなり、倒れるように眠りについたので、亜里沙がカズをどのように迎えてくれたのかは覚えていない。寝ぼけ眼で出迎えてくれたか、帰りの遅いカズを心配して一睡もせずに待っていてくれたか、そのあたりのことは覚えていない。
その日、カズはそれほど疲れていた。
寝室のベッドで目を覚ますと、すでに目覚まし時計は正午を指していた。
眠たい目をこすりながら寝室から出ると、擦り切れたジーンズで亜里沙がキッチンに立っていた。
脚にはいまだ包帯を巻いていたが、通常に動けるようになっている。カズがマンションにいないとき、自由に近くのスーパーなどに買い物に行っている。
「お早う。カズ。……でも、もうお昼ね。お早うという時刻じゃないか」
「お早う、でいいよ」
リビングルームの椅子にすわる。
「カズが黒眼鏡をかけていない顔って、フツーね」
そう言って、亜里沙はカズにコーヒーカップを差し出す。
「もうランチの時間ね。食べる?」
「ああ、お願いする」
居候の亜里沙はすっかりカズとの生活に馴染んでいた。
パン、サラダ、パスタ、牛乳がテーブルに並べられた。手際がいいもんだ。
亜里沙のつくったランチを食べていると、TVのニュースで、昨夜の黒の酒場の事件のことを報道していた。
「カズが寝ている間、しきりに寝言いっていたわよ。菊池、菊池って、ずいぶん苦しそうだった」
すでに亜里沙は、カズがこの事件に関与していたことを知っている。
カズは無表情を装い、押し黙った。
亜里沙は、五年前に妻ともに出て行った子ども部屋に、少し手を加えて泊まらせている。カズが寝る寝室とは薄壁を隔てているだけだ。寝言も聞こえたかもしれない。
TV画面のなかでは、商店街の黒の酒場が映っている。女性アナウンサーが緊張した面持ちでマイクを握る。
土曜の夜に平和な街で恐ろしい事件が起こった。
元市議会議員の菊池がスナック店主の黒田を銃で撃った。命に別状はないが、黒田は肩を撃たれた。事件の裏には覚せい剤が絡んでいるようで、県警の今後の捜査が待たれるとレポートしている。
亜里沙はパスタを食べながらニュースに触れた。
「カズ。菊池さんというのはあなたが先日、電話をしていた相手でしょ。あなた昨夜、菊池さんといっしょにいたんじゃないの?」
「ああ……、捕まった菊池というのは、おれの高校のときの同級生だ。いっしょに黒の酒場で飲んでいたときに、いきなり菊池がマスターの黒めがけて発砲した。おれは事件の一部始終を見ていた。事件現場にいたってことさ。これからは何度も警察に呼ばれ、状況を聞かれることになるさ」
「あら、いっしょに留置所に入れられなくてよかったわね」
亜里沙が能天気にこたえた。
カズの同級生が傷害事件を起こし、警察につかまるという深刻な状況だ。あっけらかんとした態度をとるのには腹が立つ。
ただ、カズもいい大人だ。顔には出すまい。
周りから走りのカズと呼ばれて、勝手気ままに生きていると思われているが、さすがに今回の事件は胸を痛めた。
思い返せば、菊池のところに小包を配達したとき、なにやらきな臭さを感じていた。
あのときからもっとうまく立ちまわっていれば、菊池を犯罪者にさせずにすんだのではないか。そう思うと、悔いが残る。後の祭りだった。
「菊池に罪を犯させないようにしなければいけなかった……」
カズがつぶやくと、亜里沙は
「悩んでいるの……。でも、そこまでカズが背負うことないわよ。みんな自分が好きでやったことだから」
またまたあっけらかんと答えた。
「そんな簡単にかたづけられない。これまでの人生だって同じだ。何度もおれは同じ後悔を繰り返している。もう少し、周りのもののことを考えられたら、少しはそいつらの生き方が変わったんじゃないかと思う」
「あら、ずいぶん殊勝なこというのね。でも、カズは埠頭でガキたちにからまれたわたしを助けてくれた。それだって、たいしたものよ。普通の男たちは何もしてくれないわ」
「……」
カズは自分の手のひらを見た。若い頃から格闘技をしていたので、指は太く、節くれだっていた。
「おれが持っていたのは拳だけだった。いいかげんなもんだ」
亜里沙がカズの前に食べ物ののった皿をすすめた。
「食べなよ。冷めちゃうよ」
カズはいったん立ち上がると、サイドボードに置いた黒眼鏡をつかんだ。黒眼鏡のカズになって、皿の前にすわった。亜里沙だけでなく、かたわらにいるものたちに、己の素顔を見せたくなかった。
パンを口に運び、牛乳を喉に流した。それからサラダ、パスタ。次から次へと口に入れた。
昨晩は黒の酒場で何も腹の足しになるものを食べていなかった。
昼飯に麺類を食べたあと、丸一日食い物らしきものを摂っていないことになる。腹がすいているはずだ。
亜里沙が頬をほころばせた。カズが食べる姿を嬉しそうに見ている。しかし、それも束の間、今度は亜里沙のほうが顔を曇らせた。
「ねぇ、カズ……」
亜里沙は言いにくそうに切り出した。
カズはパンを一切れ口に放り込むと、黒眼鏡の奥で話をうながせた。
「昨日、カズが飲みに出ていったあと、わたし、スーパーに買い物に行こうと思って、外に出たんだ。すると見かけたのよ」
「見かけた? 誰を」
「レストランやパチンコ店が並ぶ大通りで、芸能プロダクションの社長とマネージャーが歩いているのを……。わたしはすぐに裏道に隠れて、スーパーに入ったから社長たちには見られていないと思う。でも……」
カズはパスタをフォークで巻いた。いっぽうの亜里沙はカズが何をいうのかを待っている。
「亜里沙。一度、芸能プロと話し合え」
「えっ? 無理やり連れ去らわれるわ」
即座に亜里沙は首を横に振った。
「おれがいる」
黒眼鏡の奥からしっかりと亜里沙の眼を見た。
「芸能プロがうちのマンションを突き止めて騒ぎを起こされるのも困る。こちらから出ていこう」
顔を曇らせた亜里沙は首をかしげた。
カズは言い放った。
「おまえ、もう一度、金髪の女狐になれ」
( 続く )




