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走りのカズ 危険な郵便局員  作者: MAHITO


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16/23

荒ぶる黒の酒場

取引は札束だけで終わらない。カズは動くタイミングを逸した。

 16


 薬を小分けするのに黒は背中を見せていた。菊池の声が耳に届いていないのか作業を続ける。

 カズの横で菊池が動くと、さらにバッグに手を伸ばした。

 ――もう一束、札束を取り出すのか? そんなわけはない……。

 カズには、足裏から胸の中心まで、氷柱つららを突き通したような衝撃が走った。

 菊池が手にしたのは、紙幣の束ではなく、黒光りする拳銃であった。札束の奥に拳銃をしまっていたのだ。

 警察時代に拳銃を扱ったカズには、それなりに知識がある。たぶん自動小銃からしてマカロフ。

 ロシアで製造されたもので、最近、日本での押収量が増えている。

 背中での異変に気づき、黒が振り向いた。その指には白い薬が入った袋がぶらさがっている。

 即座に菊池の手に握られたものを判別すると、黒の細い眼が見開いた。

 ひとつ喉を鳴らすと、

「冗談はやめろよ、元市議会議員さん……。あんたは社会的地位があった人だろう。オモチャの拳銃なんか持って……」

 明らかに動揺していた。場数を踏んだ黒でも銃口を向けられたのは初めてのことか。

 あらためてチャリッと小さな金属音がした。菊池が安全レバーを外したのだ。

 菊池は拳銃の使い方を前もって練習していた。

 先日、カズと電話で話していたときに、菊池の側から、なにか金属類がしていた。それは本人が言ったような、ジッポーのライターをいじる音なんかではなかった。

 菊池は喫茶『カレン』でカズを待つ間も灰皿を使っていない。普段、煙草を吸わないのだ。

 菊池が電話の向こうでいじっていたのは、マカロフだったのだ。


 蒼白い菊池の額に、粘着質の汗が噴き出した。

「よせ! 菊池!」

 カズはとっさに菊池の拳銃を握る腕につかみかかった。

「じゃまするな! カズ」

 菊池は大声で叫んだ。

 カズの手を振りほどこうとした。ふたりは隣合わせのスツールにすわったまま揉みあった。

 いっぽうで身の危険を察知した黒はこの場から逃げ出そうとする。頭を押さえて、カウンターの内側にかがみこもうとする。

 そのときだ。金属の鉄板がはじき飛ぶような音が響いた。小さな酒場を揺るがせた。

 菊池の身体が固まった。

 その腕をとったカズも同じだ。

 暴発音のあとのいやな静寂だった。長く感じた。

 かがみ込もうとした黒の身体は止まっていた。

「菊池!」

 カズは怒鳴りつけた。

 まるでカズの声が号令となったように、ゆっくりと、黒の指先から薬の入った小袋が落ちた。醜く歪んだ黒の顔がこちらをねめつける。

 続いて破砕音がした。かたわらの棚に並べられていた何本ものボトルが床に落下して砕け散った。


 くの字になった黒は、しばらくは揺れる身体を持て余すようにしていたが、こちらも音をたてて、その場にうつ伏せた。

 菊池とカズは、カウンターを挟んで、身体をよじって倒れる黒を見おろした。ふたりとも言葉はない。

 すると、急にあたりが騒めいた。

 酒場が騒がしいので、それを聞きつけた周囲のものたちが動きだしたのだ。

 黒の酒場はスナック兼住居となっており、店の奥には通常の部屋がある。薄暗い店の奥の扉が開いた。

 髪を金色に染めた男が飛び出してきた。一瞬で、顔ははっきりしなかった。若い男だ。

 男は悲鳴を上げると、慌てて住居のなかへ引き返した。

 ヤクザの抗争と見たのだろうか、住居側の裏口の扉が開閉する音が聞こえた。この場から逃げだした。

 気を取り直したカズは、菊池からマカロフを奪おうと、その腕をつかんだ。もみ合ういっぽうで、あの金髪をどこかで見たような気がすると考えていた。

 菊池がカズを振り切った。立ち上がると、カンター越しに身体を伸ばした。倒れこんだ黒にマカロフを向けた。

 致命傷かどうかわからぬ黒に、とどめを刺すため、さらに弾丸を浴びせかけようというのだ。

「菊池。やめるんだ!」

 カズは、もう一度飛びかかり、菊池の腕をつかんだ。渾身の力で引き寄せた。

 菊池のほうも必死だ。

 暴れる菊池は、カズに腕を握られたまま、自分の額に銃口を向けた。菊池は、もはや、何をやっているかがわかっていない。今度は自殺するつもりだ。

「ばかやろう!」

 カズは腕を握ったまま、肘を菊池の顎めがけて打ち込んだ。骨が陥没するような鈍い音がした。

 マカロフが菊池の指先から滑ると、店の奥まで吹き飛んだ。止まり木から、音をたてて崩れ落ちた。塩ビタイルの床で大の字になった。


 カウンターのなかを覗くと、黒が仰向けに身体の向きを変えていた。呻き声をあげて、左わき腹を押さえている。手当が早ければ命は助かるだろう。

 かたや菊池のほうは、止まり木の足元で、虚ろな目をして天井を見ていた。まだ意識が半分飛んでいる。

「菊池よ。いくら同級生ったって、許されるもんじゃねぇぞ。おれに、辛い役をやらせるな」

 朦朧としている菊池を見ながら、カズは警察に通報した。救命士が必要だと言い添えた。

 電話をしていると、さきほどの店の奥でこちらを見ていた金髪の男が誰だか思い出した。

 ――あのガキだ! 

 河原でバイクを倒し、埠頭で亜里沙を守るために叩きのめしたガキだ。

 まさか、あいつが黒とつきあいがあるとは。これで会うのは三度目だった。

 もしかして麻薬取引にも絡んでいるのか……。


 しばらくして、急にあたりが騒がしくなってきた。パトカーと救急車のサイレンが同時に聞こえた。

 菊池がうめき声をあげた。正気に戻ったようだ。

 かたわらに立つカズを見上げた。カズの姿を認識すると、眼が涙で潤んできた。

 身をかがめると、カズは菊池の耳元で話しかけた。

「もうすぐ警察が来る」

「おれは捕まるのか……」

「それはしかたがない……。郵便の仕事で菊池の家に小包の配達に行ったとき、重かったな。あれが拳銃か?」

「そうだ……」

「航空便なら中身のチェックも厳しいが、通常の陸上便には何が入っているか分かったもんじゃない。あろうことか拳銃だとはな」

「それともうひとつ聞きたいことがある。奥さんの遺書には黒のことが書かれていたのか?」

「ああ……。もう破って捨てたけどな……。騙されて麻薬をうたれたことも、強姦されたことも……」

「そうか……」

 カズはこれ以上何も聞けなくなった。

 菊池は寂しそうにつぶやいた。

「お前の郵便の仕事を汚しちまった」

 カズは小さく首をふった。

 そんなこと気にしていないと返すと、菊池は眼を閉じた。すべてが終わった。そんな穏やかな表情に変わった。

「菊池、おまえ……。奥さんを愛していたんだな。さきほどの話で、おまえに女がいて、奥さんと疎遠になったって……、それ……、嘘っぱちだろう」

「ふ……、カズには嘘はつけないなぁ」

「麻薬の売人のクズ野郎のことでおまえが重い罪をおうことはないんだ……。もうすぐ救急車がくる。黒も死なない。おまえは殺人罪にならない」

「黒は死なないのか……」

 そう言うと、菊池は再び眼を閉じた。小さく震えると、急に泣き出した。

「カズ……」

 菊池がカズの名を呼んだ。

「おまえ、昔、警察官だったんだろ?」

「ああ……、そうだ」

 今頃、昔の仕事をこたえるのが照れくさかった。

「どうせ捕まるのなら、お前に捕まりたかった……」

 菊池の言葉は潤んでいた。

 カズは無言で首を横に振った。

 扉が開くと、黒の酒場には何人もの靴音が響いた。

 警官と救命士が入り乱れて飛び込んできた。


  ( 続く )

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