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走りのカズ 危険な郵便局員  作者: MAHITO


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13/23

酒場での黒と菊池

酔った菊池は、次第に黒に話しかけるようになる。

 13


 黒がちょうどグラスを洗っているときだった。

 菊池は頃合いを見計らったように、まじまじと黒を見た。

 暗い店の照明のもとで、黒のその姿は、隠された人物像を浮かび上がらせるようだった。

「マスター」

 菊池が話しかけると、黒は水洗いをする手を止めた。

「先月、わたしの妻がビルから飛び降り自殺したことは知っているね」

 黒は手元を見たままこたえた。

「お気の毒なことをしましたね。わたしは天涯孤独の身で女房も持ったことはありませんが、菊池さんの気持ちを思うと何と言ってよいかわかりません」

 当たり障りのないようにと、選んだ言葉なのだろう。

「聞いてよいものかどうか……、何かご事情でもあったのでしょうか?」

 黒の問いかけに菊池はこたえた。

「わたしが殺したようなものだ」

 苦しそうな声だった。


 カズは肩をすぼめながら、隣にいる同級生の横顔を覗いた。ほんの数か月前までは、市役所が配布する市議会ニュースで、すました紳士として映っていた菊池だが、いまは憔悴を隠し切れないでいた。

 いっぽうの黒は、隠そうとしても隠し切れない、裏稼業で生きる人間特有の匂いを醸し出していた。警察も務めたことのある、カズにはその素顔が分かった。

 何気ない素振りのなかに、時として、人を破滅させることを悦ぶような嗜虐しぎゃくさを見せる。

 カウンターに乾いた音が響いた。ふたりぶんのワイルドターキーの入ったグラスを黒は並べた。

「どうぞ。美味いウィスキーでも飲んでください」

 菊池は黙ってグラスを手に取ると、眼を伏せたままいっきに飲みほした。黒への当てつけのように、非礼とも思われる音を立てて、氷だけになったグラスをカウンターに置いた。

「おかわりですね」

 黒は慣れた手つきで菊池のグラスを変え、ワイルドターキーを注いだ。いっぽうの、カズはグラスをゆっくり傾けた。

「ボトルを入れていただいたほうがお得ですが」

 菊池の飲みかたを見た黒が勧めた。

 すると、いきなり店にドスをきかせたような声が響いた。

「余計なことをいうな!」

 菊池の声音が一変した。

 好きでこの酒場に入ったくせに、この酒場にいることへの嫌悪感が出ていた。 


 育ちのよい菊池が声音を変えたとしても、黒からしたら子ども騙しのようなものだろう。

「失礼しました。ゆっくりとお味わいください」

 軽く頭を下げていなした。

「妻は、『わたしが殺したようなものだ』、先ほどわたしはこういった。マスター、あんたにはその意味がわかるだろう?」

 黒めがけて、菊池が言葉の攻撃をしかけているのは明らかだ。

「なんのことだか……。わかりかねますが」

 菊池から目をそらしたまま、黒は水場の作業を進めた。

 平静をよそおいながらも、その頬は防衛本能でこわばっていた。

 カズからしたら、菊池が黒にからみはじめた理由がわからない。

 ただ、万が一、この場で乱闘騒ぎになったら、菊池からは見ていろとだけいわれているが、そこは無視して止めに入るつもりだ。


 菊池がひと呼吸おいた。

 今度は一転して身の上を話しだした。

「自殺する少し前から、妻のようすがおかしくなってねぇ。行き場所もいわずに、無断で昼も夜も外出するようになったんだ。そんな妻を見るにつけ、わたしのほうも、たまの休みのときに、家にいても落ち着かなくなってねぇ……。ふたりの距離は離れるいっぽうだった。そんなことが起こるとは週刊誌の世界だけだと思っていたんだよ……」

 黒は先ほどまでは横を見ていたが、今は、カウンターを挟んで、菊池の前に立っていた。

 カズから見たら、黒のベストを着たその立ち姿は、まるで悪意に満ちた神父が立っているようなものだ。

 菊池に向ける眼は冷ややかだ。

「菊池さん。よかったら、もう少しわかるように話していただけませんか? こんなことを聞いてはなんですが、奥さんは浮気でもしていたのですか?」

 その唇にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

 菊池は、自嘲するような笑いを浮かべると、

「わたしにも女がいたから、妻との関係が疎遠となっていたのは確かだ。だが、妻とは別れる気などいっさいなかったんだ。いま思い返すと、わたしは妻に言いすぎた……。自殺する少し前に、妻のようすがおかしく、そのうえ外出したいというので、わたしは妻を罵倒しながら、無理に引きとめたんだよ。そしたら、妻は狂ったように、わたしが握った腕をふりほどこうともがき、こう言った。あなたは女と遊んでいてもいいから、わたしを自由にさせて、と」

 黒はしばらく黙り込んだのち、菊池に話を合わせた。

「男と女がこじれたときには色々ありますよ。うちに来るお客さんでも、この場では話せないほどのひどい話がありますよ」

 黒は菊池の意図をさぐるように、ゆっくりとグラスにワイルドターキーを注いだ。

「今日はぞんぶんに飲んでくださいよ。これからはうちの常連になってもらいたいですしね」

「わたしもそのつもりで来たんだよ」

 菊池は足元に置いていたビジネスバッグを持ち上げると、カズとは反対側の、隣の空いた止まり木にのせた。

 黒のほうは、菊池が早々と店から出ようとしている、と思ったようで

「菊池さん。もう少しお話をしていったらどうですか……」

 と話を促した。

 もっと店でゆっくりして、金を落としていけと。


  ( 続く )


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