亜里沙の正体
カズは亜里沙から事情を知らされ、また、厄介事が増えたと嘆くのだった。
10
「では事情を話してくれないか? イブニング娘の亜里沙」
菊池との電話を終えたカズは亜里沙に向かった。
亜里沙はTVのほうへ目をやると
「今TVに映っている番組は一か月前に収録したものよ」
肩をすくめて苦笑いをした。
画面では、着飾った衣装できっちりとメイクをした亜里沙が笑っている。
「きみは最近になって、夜、埠頭周辺でヤマハのバイクで出没していた。この界隈じゃあ、金髪の女狐を呼ばれて噂になっていた」
放っておくと、カズが一人でいつまでも喋っていると思ったか、亜里沙はその言葉をさえぎると
「ねぇ、カズ。カップラーメン食べないの? のびちゃうわよ」
食べることを勧めた。
「そうだな」
いわれるまま、カズは少し伸びた麺を食べた。
「たぶん、この番組が、わたしがイブニング娘のなかで映っているのは最後になるはずよ。わたしは芸能界から逃げてきたの。イブニング娘はこれから先、わたし抜きの四人で、TVに出て、歌うことになるのよ」
イブニング娘といえば、二十歳前後の人気歌手グループだ。五人の女子が歌って、ステージ狭しと、アクロバットのように踊りまくる。今や飛ぶ鳥を落とす勢いで、毎日、メディアを騒がせない日はない。
亜里沙はポツリポツリと話し出した。
「もうグループで歌っているのがいやになって逃げてきたの。他の子には悪いけど、わたし一人、グループを辞める」
メインボーカルがいきなり姿を消したとなると、さぞかし芸能プロダクションは慌てていることだろう。
「どうしてまた? グループを辞めたくなった?」
「もう限界なのよ。売れっ子になって、朝から晩まで引っ張られて、自分の時間なんてこれっぽっちもない。このままじゃ、頭、おかしくなっちゃう。そんな芸能活動がいやになったの」
「そうか……。芸能人では、たまにあるパターンだ」
たぶん、芸能ニュースでは亜里沙が病気で休養だなどと騒ぎたてているのだろう。いや、マスコミにはまだ伏せているのかも知れない。
カズの世代では、現在のアイドルに興味がないので、そのあたりのことは知らなかった。
今、目の前にすわっている亜里沙の髪の色は金髪だ。TVの画面のなかでは、このように金髪に色を染めていない。イブニング娘と決別するため、別人になるために染めたのか?
「事務所には黙って逃げてきたのだろう?」
「そうよ」
答える亜里沙は怒りをあらわにした。
「あんな事務所! わたしたちを人間として扱ってくれない!」
売れっ子になると、芸能プロダクションの操り人形となって、非人間的な生活を強いられる。そんな話はよく聞く。
睡眠時間は一日二、三時間が続き、車に詰め込まれて移動の連続だという。
そんな生活でもステージに魅了されたアイドルなら若さと熱意で頑張れる。
だが、耐え切れない売れっ子がいても不思議ではない。
イブニング娘の亜里沙が、芸能活動が嫌になったといっても、辞めさせてもらえる状況ではないのだろう。
カズはひとつ疑問に思っていることを聞いた。
「どうして、東京から新幹線で一時間余りかかる、こんな港の近くの街に来たのだ?」
「わたし十七歳でスカウトされるまで、ひとり田舎から出てきて、この街の芸能養成コースに通っていたの。だから土地勘っていうの、ここなら、ひとりで来てもなんとか生活を送っていけるっていうか……」
そのうち亜里沙は部屋にかかっている絵画に目をやった。三十センチ四方のドガの絵画『エトワール』の複製だ。
「あの絵……。素敵ね。でもドガの絵って、どうして陰があるのかしら?」
絵心のないカズでは、絵に関しては話の相手をしてやれない。
まだ親子三人で暮らしていたころ、妻が娘にバレエを習わせていて、踊り子の絵が欲しいといって購入したものだ。妻と娘がいなくなっても忘れ形見のように、何年も壁に飾りつけたままだ。
カズひとりの住み家には似合わない。
「このマンションには、カズひとりで住んでいるの?」
「ああ……、そうだ」
「それじゃあ、絵も似合わないわね」
はっきりいう娘だ。
「絵が好きか?」
「わたし、中学のとき美術部だったの。歌手か、絵描きのどちらかになるのが夢だったわ」
「それで、歌手にはなれたわけか」
亜里沙はカズのほうを見ない。何もこたえなかった。
まだまだ聞きたいことは山ほどあった。
亜里沙は数多の厄介事を背負って、ここに飛び込んできた。
おまけに亜里沙は怪我をしている。
やっかいなのは、亜里沙がこの先、行くかあてがない場合である。無理やり、カズひとりが住む、このマンションから追い出さなければならない。
( 続く )




