精霊?
「うっかふっ…………」
俺はまだ生きてるのか?
自問自答。意識はある。気付けばまた床に這いつくばっていた。
今日はやたらと知らない場所に飛ばされる。
村からろくに出たことないのに……。
目を無理やり開く。
「なんだこれ」
視界は異常だらけだった。
ふと昔見たある絵画を思い出す。
その絵画はマーブリングという技法が使われており、その技法は水よりも比重の軽い絵の具を水面に垂らし、手では描けないような複雑に歪んだ模様を作り出し表現できるというものだ。
俺が今見ているものはそう、例えるなら虹色のマーブル模様そのものだ。
物と物の境界線も判断出来ず、色が滑らかに流動し蠢いている。
平衡感覚も失われ、まともに上を向くことすらままならず、立ち上がろうとするにもすぐ倒れる。
「ぁれ……」
すぐ違和感に気付く。立ち上がろうとして、失敗した過程の中で致命的に足りなかったもの。
"手を地面につける"という行為が半分実行されていない。
俺の右手は、右手は二の腕の途中から先が無くなっていた。
「っ……ぉぇ……」
鮮明になってくる痛みと吐き気が押し寄せる。自分の身体にまとわりつく嫌な感触が吐瀉物なのか血液なのかは知るところではない。
しかしこの苦痛を伴った醜態は、チャンスでもあると思う。
あの男、エスタが周りにいる様子はない。重症とはいえ自身も生きている。もしかしたらこの建物の中にハンスもいるかもしれない。
とにかく、動き出すことだ。一歩でも確実に。
這いずり壁を見つけ、もたれ掛かりながらずるずると立ち上がる。
壁伝いなら、この視界でも何とか歩けそうだ。
涙がぽたぽたと地面で音を鳴らしている。
終わりのないゴールを目指しているような感覚に陥りながらも、ついぞたどり着いた場所はどうやら壁だった。
「いき……どまり」
呼吸も早くなってきた。今にも意識を手放してしまいたい。
諦めるつもりはないがやはり、残念という気持ちは隠せなかった。
だらんと行き止まりの壁にもたれかかった時、取手のような物を掴んでいた。
「がっ!!!」
壁が遠のき、自分の身体が放り出される。
行き止まりの壁と思っていたのは、ドアだった。
今さら転んだ痛みに気を取られることもなく、再び立ち上がろうとする。
その時、ジャラジャラジャラと鎖が動いたような音がした。
「ひ……!」
掠れたその小さい声を出したのは俺ではなかった。視界に何が映っているかわからなくても、俺は反射的に声がする方を向いた。
そして意外にも、何かが見えた。
それは人の形、なのだろうか。
虹色の歪んだ世界の中で、はっきりと黒色。
影のように象られた人の形が見えていた。
「誰?」
「あ、その……えと……」
声質と体型からして、少女のようだった。少女?は困惑しているようで言葉に詰まっている。
「大丈夫……じゃないですよね」
とたとたと駆け寄ってくる音。
近づいてくる少女になされるがまま距離を詰められ、上体を起こされる。
「え!?」
俺を見ているであろう少女が驚きの声をあげる。なんだ?この眼が凄いことになってる?それとも今頃右腕がないのに気づいた?
「オドが流れてない……?」
「え???」
オドというのは本来可視化されていない。恐らく、エスタが使っていたのがオドなら、魔法でわかりやすく色付けなどしたのだろう。
だから目視で俺がオドなしだとわかるのは難しい。
実際、村にいる間も俺がオドを持っていないことはバレていなかった。
「大変死んじゃう」
「いや、これは……」
「私のオド、流せばいけるか?」
「ちょっと!!ゲホッ」
「まってて隻腕の方。今助ける」
「殺さないで!!!!っ…………ってあれ?」
掴まれた左手からあの拒否反応、は起こらず。
どころかほぼ使い物にならなくなっていた視界が徐々に回復していく。
気付くとそこは、薄暗い地下の一室で、目の前には少女が俺を見下ろしていた。
白、白、白。
服も、肌も長髪も全てが白い少女。
唯一真っ赤な瞳が、俺をじっと見つめている。
「君の名前を聞いても?」
ただ、聞きたかった。自分が魔法を使えないことも、何者かに殺されかけたことも、右腕がなくなったことも全部忘れてしまうほどに、魅入っていた。
「あぁ、俺の名前はクライ」
「名前っていうのは多分ない」
「そうか」
「あるとすれば、失敗作」
「失敗作?」
「私は精霊になるはずだったんだって。でもマナを使えないから、失敗作」
「精霊……」
"なるはずだった"。あのエスタがここで狂気じみた研究をしているなら察しはつく。
人工精霊の生成。
精霊の正体は様々だ。意思を持っている場合もあるしそうでない場合もある。
研究によれば、人型の精霊もいれば夜空に浮かぶ星の中の一つが精霊、あるいは風景の一部という事例もある。
明確に定義できない。故に人智を超えた存在である精霊。
人類が辛うじて出来ることは、世界に潜む精霊を見つけ出し、儀式を行い、契約をして魔法を使用することだけ。
その中でも人工的に精霊を作ることが出来ればより強力な魔法使いを生み出すことができるとは想像に難くない。
「マナが見えないとだめなんだって」
「マナが?見えるものなのか?」
「見えるかどうかわからないけど、精霊はマナを操るから。少なくともマナを観測できる力を持っているって予想」
「なるほど」
「私は人間だけど、オドが見えるから精霊にしようって言われて……」
「まったく、こんなところに居たようですね」
ぞわりと全身の毛が逆立つ。
部屋の出入り口に立っているその男から発せられる声に、少女もびくんと震える。
「エスタ……!!」
「困りますねぇこんな深いとこまで来て失敗作とも接触するなんて」
「君は早く逃げて!」
急いで体制を立て直す。視界が元に戻ったこともあり、何とか立ち上がる。
しかし少女は座り込んだまま俯いていた。
「私……これがあるから」
少女は自分の足首を指さす。
足は鎖で繋がれており、この部屋がなぜ鍵もかけられていなかったかを思い知ることになった。
「いいましたよね?君が余計なことするとハンスさんが危ないですよっと」
「がっ」
エスタが目の前から消えたかと思えば、俺の身体は吹っ飛んでいた。
壁に叩きつけられ、腕と同等の激痛が走る。
肺の空気と血が混ざり合い、口から吐き出される。
そしてまた視界に乱れが生じる。
さっきほどではないが視界の随所に歪んだ虹が映る。
「クライ!!」
先ほどまで大人しい口調だったが声を荒げながら少女が駆け寄る。甲斐甲斐しいそのさまをエスタは悠々見つめていた。
「おや、もう名前も知ってるんですね。どうせすぐに別れることになると思いますが」
「クライ!!」
「君は……」
「え?」
エスタに聞こえないよう小さな声で、俺は囁いた。
「君はここから出たいか?俺に案がある」