人間?
ぴちょん
ぴちょん
目が覚めると頬には冷たい石床の感触があった。
起き上がろうとするとうまく動けない。
手足は縄で縛られているようだった。
徐々に思い出していく直前の出来事。
「ッ!!父さん!!」
あたりを見回すが、当然と言うべきかハンスの姿はない。
目の前には鉄格子があり、それ以外は石の壁に囲まれている。
要するに捕らえられたのだろう。何故だか知らないけど。
何故狙われたか心当たりを探すよりも、心配になるのはハンスの状況だ。
あの時、暗がりでよく見えなかったが間違いなくハンスは出血していた。手で触って露骨にわかるくらいに。
自分の指を見つめる。爪の間に赤茶の汚れが溜まっている。間違いない。
そうとなったら一刻も早く、ハンスと合流しなければならない。
しかし俺は魔法が使えない。
使えなければ鉄格子を突破するのは難しいだろう。
わかっていてもがむしゃらに突進する。
がしゃんがしゃんと大きな音は立てるものの、変形する様子もなくただ痛みだけが伝わってくる。
「くそっクソッ!!!!!!!」
「魔法で開けたらどうですかね?」
冷ややかな声、いつの間にか檻の向こうには、男が立っていた。
エスタだ。
「いやぁ、本当に魔法が使えないみたいですねぇ。15歳にもなって」
「なんでそれを……」
やっぱりとにやけるエスタ。
「ハンスさんから聞いたのですよ。色々とね」
「父さんは無事なのか!?」
鉄格子に額を強打し、エスタを睨みつける。エスタは怖い怖いと下手な演技をしながら軽く咳払いをした。
「ハンスさんは無事です。今はね?」
「今はって……」
「それは君の態度次第ということですよ?」
「……」
俺かハンス、またはその両方があいつらにとって利用価値があるらしい。
最初以外は手荒な真似はしてこないとはいえ言葉選びを慎重にしつつ情報を引き出せると良いが……
「お前らは研究者じゃないな?」
「ん〜?そうですねぇ。真っ当な研究者とはいえませんが……違うといえば嘘ですね」
「ここはどこだ?」
「それは知る必要のないこと」
「俺はどうすればいい?」
「そう。それが聞きたかった」
エスタはうんうんと頷くと、嵌めていた手袋を外した。
手の甲には独特の幾何学模様と"1"と言う数字が刻印されている。
「始源……魔術師」
『精霊紋』
その刻印は精霊と契約した証であり、どんな精霊と契約したかと言う一種のステータスである。
模様の部分は精霊によってそれぞれ固有のものであり、同じ模様を刻印してる人間同士と言うのは同じ精霊と契約していることになる。
数字の部分はというと、その精霊が何人の人間と契約しているかを表している。
生活系の汎用魔法を使っている人々は、同じ精霊と契約していることが多く刻まれる数字は数千、数万と高い。
少ないほど、より純度の高い精霊の恩恵を授けられるわけだ。
そしてエスタが見せたその数字"1"とはつまり、唯一人その精霊と契約しているということ。精霊の力を100%利用できる。
特に、この刻印を持つ魔術師はこう呼ばれる。
始源魔術師、と。
「初めて見るようですね。ニアは」
「本当に……一体……」
「まあそれは置いといてですね。本題はですよ……」
パチンとエスタが指を鳴らす。
瞬きもしないまま、視界が真っ暗になったと思えば先程の檻の中の景色は消え去っていた。
俺は今、椅子のようなものに縛り付けられ、口を縄で締められている。
あたりだけは変わらず石の壁で覆われていた。
何が起こった?魔法か?
ほんの寸前まで、俺は確かにここではないどこかにいたはずだ。
しかし今確かに、鉄格子は消え去り目の前にはエスタが立っている。
「なに、少し協力して欲しいのです。君の体質は大変貴重なもので」
「ングッ」
「暴れたり死んだりしないでくださいね?ハンスさんも君の働き次第での処遇ということもお忘れなく」
「ッ……」
目が血走る。しかし睨みつけるばかりで、俺は無力だった。
魔法が使えなければこの拘束は人力では不可能だろうし、仮に使えたとしても倒せるだけの自信がエスタにはあるのだろう。
エスタは部屋の隅にあるかまどのような器具から、管のようなものを引っ張ってくる。
先端には穴の空いた針が付いていた。
「オドというのは体内で生成され、人間は本能でそれを操作するとされています」
エスタはそう言いながら針を俺の左腕に刺した。狼の牙のようなそれは声を上げるには十分な痛みを俺に与える。
「しかし君のようにオドを通わせてすらいない人間もいる。こう考える。『オドを流し込んだらそれを使うことが出来るか?』」
器具が青白く光り出す。それに応じて俺との間にある管も青白く光り始めた。
「長きにわたり疑問だったのです。魔法が使える生物と使えない生物、何が違うのか。本来使える種族である君は、何が欠落しているのか?いや、或いは何が余分なのか」
光が自分の腕に到達した瞬間、ぞわりとした感覚がしたのも束の間、全身から汗、涙、あらゆる体液が全身から溢れ出してくる。
「アッ……ぅ……」
「これは……一種の拒絶反応でしょうか……」
あついいたいきもちわるいこわいさむい
視界が歪む。想像を絶する痛みに耳鳴りが止まらない。手足が震える。胃は中身を全部追い出そうとしている。
刺さっている針からは、飛沫になるほどの血が出ている。
もはや理性は失われ、何故自分がこの苦痛を受けているかも理解できないまま、ただ神経を灼かれるような感覚に陥る。
「どうやらオドを作れないだけでなくオドを体内に留めることも出来ないか、これは遺伝的なものなのか──
エスタが考察している間もなく、それを遮ったのは光だった。
強い光と轟音。
そしてそれに見合った破壊までも。
部屋全体が白で塗られ、崩壊していく。
整えられた一室は、開放的な空間へとリフォームされていた。
エスタは謎の爆発によって生まれた石の瓦礫の上に座り込む。
しかし無事ということはなく、服はずたずたにされ、全身から微力の血を流していた。
「やれやれ……オドを貯蔵する魔導機も相当高価なものでしたのに……」
ガラクタとなったそれに目をくれ、また視線を元に戻す。
エスタの視線の先には、クライが座っていたはずの血まみれになった椅子だけが残っていた。
「払った代償に見合った成果を得ないとですねぇ」