1‐8【三人称】運命改変
「…………」
国立ルーンライト大図書館に迷い込んでしまったらしい少女は、もともと大きな目をさらに大きく見開いた。
「あれ? 聞こえなかった?」
「でん……ノ、おぅ──!?」
紳士は横から出てきた少年にギョッとするも、すぐに平静を取り戻す。
「あーいえ、あの、このお嬢様は私が……その、対応いたしますので、えーあの……」
「ノラでいいから」
「はい! 失礼致しました! ノラでん……えー、坊っちゃんはどうぞ閲覧室の方へ──」
(坊っちゃんって……)
少年は声を出さずに笑っている。
「…………」
少女はと言えば、ゆるゆると表情が消えていく。
「僕もたまには歳の近い者と会話を楽しみたいのだけど? 駄目かな?」
「いえ! そんな! でん──いえ、はい! 全く問題ございません! では、わたくしは控えておりますので何かございましたらお呼びくださいませ」
紳士はそう言うとそそくさと受け付けカウンターの中へ戻って行った。
紳士の背を見送ってから、少年は少女へ目線を向けた。少女も紳士の背中を見ているようだが、思考は深そうに見えた。
(──少し、かすむ……)
少年は少女をじっと見下ろす。
図書館内装を見上げでもしたのだろう、少女のフードはほぼ外れかけている。オーソドックスな茶色の髪は艷やかで身分の証明など不要、明らかに貴族──立ち方、背筋の伸ばし方からも既に洗練されたレディだ。
しかし、茶色の髪が時に風に揺れるように輪郭がかすんで見える。
(姿隠し……じゃないね、変装魔術で色を変えている。魔力は多そうに見えないから誰かに変えてもらったか……魔力を隠して自分で術を使ったか……)
「レディ、ここは図書館だよ、何か調べものかな?」
エスコートを申し出るかのように手を差し出す少年。
「いえ……素敵な建物だと思って迷い込んでしまったみたい。すぐに失礼しますね」
「いや、構わないよ。僕も少し退屈していたんだ。案内するよ?」
「侍女を待たせているの」
「ふむ……人をやろう」
少年は頷くと先程の紳士に声をかけ図書館の馬車置き場へ言付けるよう伝えてしまう。
「…………そんな……見ず知らずの方にそこまで」
「僕はノラだよ。あだ名だから気にせず呼んで。君は?」
「…………手強い……」
「ん? なんて?」
「いえ……その……レイと申します」
「そう……レイという名の令嬢は思い当たらないな。君もあだ名かな」
「……」
「ほら、行こう。どこが見たい? ここは中庭も美しいんだ」
「いえ──ですから」
「そんなに断るの? 君は何か悪企みでもしているのかな」
「はぁ!? そんなわけない……! ──ですわ……」
狼狽えた少女にニッコリと笑って見せる少年。
「ならいいだろう? ほらおいで」
少年はさっと少女の手を取り歩きだしてしまう。
「そんな……ちょっと!」
それからノラとレイは広すぎるほど広い大図書館のあちこちを巡った。
秘密の塔のような、螺旋階段に沿って本が並ぶところもあった。
「ここは魔術書が集められているよ」
「……へぇ……すごい、たくさん、こんなに?」
「三百年前の活版印刷の魔術応用効率化で急激に増えたんだけど、それは知らない? 文化史の方かな」
「文化史……は細分化しているから後でと言われていて、国史を大雑把に終えたところよ」
「そうだよね。ほら、見て、天井のガラスは天球儀を模したステンドグラスになっているんだよ。昼間は柄の色が落ちて綺麗だろう?」
「なんっ……! ふぁ~……!
……す、住ませて……」
「は? いや、ここには住めないよ。気持ちはわかるけど」
「は!? ちがっ!」
「いいって」
誤魔化そうとするレイにノラとはひらひらと手を降った。
「住めないけど、ガラスの天球儀なら持っているよ。あげようか?」
「は? いえ、いらないです」
すんと表情が抜け落ちるレイ。
「遠慮しなくていいよ?」
「いえ……それはもう、いいです」
「そうかい? 国に一つしかない貴重な品だよ? ほんとにいいの?」
「いやもうますますいりませんて! そ、そんなことより! より詳細な建国史とか、ほら、ここって魔王の死んだ土地に出来た国じゃないですか、その辺の文献を読みたいと思って……」
「建国史? 家庭教師に習ってないの?」
「すごく、ざっくりと、五百年分やりましたけど。もっとこう、国の歩みを知りたいのです」
「ふーーん。魔王についても?」
「魔王については、その、家庭教師は神学者を呼んで習えと言うのです。でも私が知りたいのは歴史で……」
「……確かに……教会はどちらかと言うと魔王を概念として捉えるからね」
「はい……。実在した魔王や、勇者様や聖女様のお話を知りたくて……」
「ふーん。それなら僕も調べた分野だから何冊か紹介してあげられるよ」
「本当ですか!? 助かります!」
「ただし」
「……え」
「せっかくこうして知り合えたのだし、帰りは送らせてくれるかい?」
「は?」
「さっき君が書棚に夢中の時にサンストン卿……あー、受け付けにいた紳士が君の馬車が見当たらないと言っていた。帰ってしまったのかな?」
「………………」
「だから──」
「別に、いいですけど……じゃあ、五冊! 最低でも五冊教えてください!」
「いいよ、お安い御用だね」
レイもノラも、お互いが十二歳、十四歳というまだ子供っぽさの残る外見をしていたからか、いつしか気安く会話を続けた。
レイの途中から面倒になって考えを放棄し(さらに案件ごと部下にぶん投げ)てしまう癖と、ノラの相手に合わせて言葉や素をするすると引き出す腹黒さのマッチによるものだったが、それ以上に気があった。
ノラにとっては知らぬことだが、悪役令嬢と第一王子は悪役令嬢物語では思い合って結ばれるほど相性はいい、当然の帰結とも言えた。
レイは飲食可の個室閲覧室に紹介の五冊を持ち込み、ノラもまた何冊か手にしてページをめくる。
たまにレイが質問をし、ノラは資料を交えて答えてやっていた。
昼食もノラが手配をしてサンドイッチだったが閲覧室でとってしまった。
窓から夕日が差し込み始めた頃──。
「────……読めた……!」
「すごいね、一冊一冊分量あるのに」
「ふふ……速読と暗記は得意です……!」
レイは手のひらほどの厚みのある大きな本五冊に目を通しきった。
実際は、文字を魔力に転写して無理やり起こした神獣ララニールに食わせて腹に押し込み、魔力バレせず文書コピーをしたのだ。
「まさかの禁帯出を五冊……」
ふぅと息を吐いてかいてもいない汗をぬぐうレイ。
「うーん。びっくりしたな。正直に言うと、君が読み切れないと音を上げたとき、また連れて来てあげるって言うつもりだったんだ」
禁帯出、つまり図書館からの持ち出し禁止書籍だ。
「──え!?」
「え? そんなに驚く?」
「いえ……すごく大変な思いで読んだので……」
「ああ、そうか、ごめんね」
くたっとテーブルにつっぷすレイ。
「疲れた……」
「……」
ノラはレイの横まで来るとテーブルに腰を乗せ、五冊をまとめて積んだ。
個室だが扉の無い閲覧室、本を片付けようと侍従が覗き込んできたがノラはサッと手を振って追い返す。
目を瞑ってしまったレイの髪にノラの手がそっと触れる。
「また連れて来てあげるよ? 君とのおしゃべりは楽しかったからね」
(……今はわからなくても、明日には調べがつくよ? 君がどこの令嬢かなんて僕にはすぐバレてしまう。そんなこと思いもしないのかな?)
レイはノラに撫でられるまま呟く。
「…………ノラは暇人?」
「……レイは、変わってるね」
「変わってません、フツーです」
「僕も暇じゃないけどね」
胸に一物抱えた者同士、沈黙が落ちる。
「──これは興味本位ですが、ノラは……変えられない運命と変えられる運命、どちらの存在を信じますか?」
「妙なことを聞くね? 運命? 君、何歳?」
「十二だけど、質問には関係ないですね」
「……質問には関係ないかもしれないけど、大人と話している気分になる。レイは駆け引きが好きだろう?」
「えー……? 駆け引きは面倒なので嫌いですよ」
撫でるノラの手をゆっくり払い、レイは顔を上げた。
「ふむ……なるほど」
「どっちですか?」
「運命そのものを、否定するかな」
「…………ははっ 否定? ハハハハ、それは面白い……!」
初めて、レイが弾けるように笑った。
ノラはと言えば、無邪気に笑う様をマジマジと見つめるしか出来ない。
「はぁー、参考になりました。ノラ……ノラ……なるほど……私ももう少し、頑張ってみますね」
ひとしきり笑ったレイの瞳には、言葉とは真逆の、ハイライトの無い諦めが濃厚に刻まれていた。
(…………似てる)
色は異なるのに、脳裏に焼き付いた漆黒の瞳をノラに思い出させた。